僕たちも映画をつくりたい

【進士】翻訳作業のために、いつもパソコンで観ていましたが、今日、こんなに大きいスクリーンで観せていただいて、違う感じがしました。この映画は(翻訳の過程で)何度も観ているんですが、何度観ても涙が出てきます。普通はこれだけ観たらもう観るの嫌だけど。今日も自分の訳を見るとメモしていました。「直さなあかん」って。職業病(笑)。だけど、何度観てもずっと観ていられるんですよね。自然がいっぱい出てきて癒される。翻訳しながら何度も繰り返し観て、時々「なんでこんな、しんどいことをやっているんだろう」と思いながらも、結果的にいい映画の仕事をさせていただいた。
 翻訳によって映画はどうにでもなる。映画だけでなくて本でもなんでも翻訳家の立ち位置とか考え方とか、モロに出ます。もちろん中立に原文通りに訳しますが、日本語と英語ってあまりにも違うから、どういう言葉を選ぶのかっていうのは翻訳家のさじ加減。最初に川崎さんが私の訳を見て、「伊藤さんのまんまや(笑)」って。つまり私が完全に伊藤さんに洗脳されている(笑)。だから選ぶ言葉も伊藤さん好みというか。

【伊藤】違う人が字幕をつけたら違う感じになるのかな?
【進士】もう全然違うものになると思う。
【伊藤】でも、もとの会話と全く違うことを言っているわけじゃないよね。
【進士】もちろん変えていません、ほぼ。だけど吃音のことを実際に知っていないとわからないことはあると思います。そういう意味では私も、どもる人たちに長年接し、世界大会に何度も行っているからこういう風に仕上がったのかなと思います。
【伊藤】最初に西田さんが言った「いい言葉がいっぱい散りばめられている」っていうのは進士さんの言葉なんだよね(笑)

【伊藤】僕も一番最初に観た時はつまらないシーンがいっぱいあると思ったんだよね。髭剃ってたり「こんなシーンはいらんやろう」って思ってたけど、実際は、言葉ばかりの映画も観ていられないですね。そういう意味では風景があったり自転車のシーンがあったり、ああいうものがあったからちゃんと観られる。やっぱり映像という世界はランゲージだけの世界ではないなと。そういう意味では全く字幕のないものを観ていた時の印象と全然違うものになりました。

【進士】伊藤さんは最初字幕をつける時、全然乗り気じゃなかったので(笑)
【伊藤】マイケルが日本に来て、映画を撮りたいって言われても、どんな映画になるか見当もつかなかった。でもこうやって観てみたらすごくいい映画になっていて進士さん、本当にいい仕事をしてくれました、ありがとうございました。
【西田】最初の方に「大阪だけが少数意見で世界中は違う考えの人たち」っていう話がありましたね。「自分の中で吃音が関心の一番だったけど、もう受け入れて、吃音と一緒に生きよう」と発言がありました。吃音だけにとらわれず、人生のなかで自分のいろんな面を出していきたいと思っている人は多いと思うんですよね。ただ吃音の世界大会とかだったら今まで治療者の意見だとか、セルフヘルプグループのなかでも治そうと思っているリーダーたちの意見が強かったから、そういう考えが吃音の世界の主流だと思わされてきた。映画に出てくる人のような考えの人は、これまであまり吃音について自分の意見を世の中に表明してこなかった。マイケルのような仕事としての映画監督でない人間が、自分で発信できるようなテクノロジーが一般の人も手に届くようになったことも大きいと思います。

【伊藤】「僕たちが大切にしてたことは決して間違いではない」という、確信を得ることはできたよね。治そうと頑張ってきた人も「再発した」とか、最終的にはうまくいかない。結局は「自分を認めてそのままでいい」ということにならざるを得ない。そこにたどり着くのに時間が短いか長いかで、最終的にはそこへ行く。それが吃音のある意味面白さであり、不思議さであり、ミステリーさであるんだなと思いますね。
【井上】字幕を入れるにあたってこの映画を観て「ナレーションがどもっている映画は他にはない」と思いました。マイケルが連発してどもっている時にどこで字幕を入れたらいいのかは悩みましたけど(笑)。映像の力はすごい。どもっている姿って生々しい。見たくない人は目を背けたくなるようなもの。文章も大事ですが、こういうふうに映像で残すというのも大事じゃないかなと思いました。伊藤さん、映画を作りたくなったでしょう。(笑)
【伊藤】作ろうか。やっぱり映像として残すことに意味がある。ナレーションがどもっているという効果はものすごく大きいね。スムーズに流暢に話されたらちょっと違う感じがするけど。あれはワザとどもっているの?
【川崎】前に大阪に来た時よりは、かなりどもるようになっています(笑)

【伊藤】やっぱりどもりを認めると、前よりはどもるようになるよね。
【川崎】そうだと思います。
【伊藤】僕なんかも最近ものすごくどもるもん。
【伊藤】最後に、今日は開講式なので、東野会長の挨拶をお願いします。

【東野】今日はこんな形で開講式を迎えたのは初めてですよね。やっぱり、映像の中で関心が向くのは向こうのセルフヘルプグループがどんなことをやっているのかとか、向こうのキャンプはどんなことをやっているのか、ということですね。「やっぱり大阪と違うな」と思ったのは、大阪は毎回全40回のテーマが決まっていて「こういうことを学ぼう」っていうのをやっていますね。学ぶ中で自分の考えを整理したり、自分のことを気付いたり、相手のことが理解できたりします。もちろん自分のことも理解が深まったりもします。そいういうことを繰り返している。僕の考え方では「ミーティングに関してはアメリカよりこちらの方が優れているんじゃないのかな」と感じました。
 2016年度の吃音教室が今日から始まります。今年度もぜひ参加してください。新しいプログラムも入っています。ずっと継続しているプログラムもありますが、参加者に新しい人がどんどん入ってきますのでマンネリも一切ありません。新しい刺激があると思いますので、ぜひ参加してください。
【伊藤】本当に心が洗われるというか、久しぶりに気持ちのいい映画を観た感じがしました。初めはどもりを認めたくなかった人たちが、最終的には僕たちと同じような感じになっていくのがとても面白いなと思いますし、淡々と素直に率直に語る方が迫ってくるものがあるなと思いました。声高に何かを主張するよりも、ああいう風に主張するのはいいなあと思いました。僕らもできるだけいろんな発信をしなければいけない。今、日本の吃音の世界は、本当に大変な時代になってきています。こんな時代が来るとはよもや思わなかったですね。発達障害者支援法だとか。障害者手帳をもらって就職したいとか。こんな動きが出てくるなかで、僕たちが発信しなければいけないなと感じました。
 映像というのをせっかく井上さんが言ってくれたので、井上さんを監督にして映画を作りたいなと思うし。僕たちがやっていることを世界に発信していかないといけないと改めて思いました。そこでアメリカ向けに僕が本を書いて、進士さんにまた翻訳をしてもらって出版する予定を急がないといけないですね。アメリカにはそれを受け入れる素地があると、今回の映画で思いました。海外進出を果たさないといけないと改めて思いました。どうも本当にありがとうございました。

 今回で映画の感想は終わります。この映画の上映をどうしていくか、考えたいと思います。どもる人だけでなく、どもる子どもや保護者も゜さらに吃音を知らない人々に見てもらいたい映画でした。

日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2016/04/22