新しい年の挨拶を致します。どうか今年もよろしくお願いします。

 今年は、15年ぶりかに大阪で新年を迎えました。毎年、島根県の玉造温泉、大分の由布院で年末年始を迎えていました。定宿としていた、厚生年金保養ホームが昨年6月に閉館となり、ここ10年由布院に行っていたのが行けなくなりました。3食付きで安くて、とても広い施設だから2週間も過ごすことができましたが、とても一般的なホテルや旅館では、年末年始は過ごせません。なので近場を少し旅行するていどの年末でした。

 珍しくどもりに関する夢を見ました。
 僕はとてもよく夢を見ます。リアルな夢、奇想天外な夢、壮大な夢、うれしい、楽しい夢、恐怖で無理矢理起きようとするこわい夢。子どものころはこわい夢ばかり見ていました。成績のよくなかった僕は、いまだに、試験でできないで焦っている夢をみます。どもっている夢も見ますし、寝言でもどもっています。そんなわけで、僕にとって夢は生活の一部とさえ言えそうなくらいで、鮮明に覚えている夢もあります。

 初夢にどもりに関する夢をみたのは、初めてです。支離滅裂ですがおもしろかったので紹介します。

 小学一年生の一番最初の授業です。少し遅刻した僕は、「いとうしんじ」と書かれた席に座りました。まわりは小さな一年生です。僕は自分のからだが大きいか小さいか、周りにはどう映っているのかはわからないのでか、心は今の大人の僕なのです。席に座って担任の男の先生が、一所懸命教育方針を話をしていますが、僕は醒めた思いで、聞き、眺めています。その時、これからの小学校の一年の生活を、大人の心をもった僕はどう生活をしていくのだろう。これは楽しいぞと思いました。

 そして放課後、クラスの生徒男子6人ほど、女子も6人ほどで親睦のため合宿を突然することになり。旅館の一室で車座になって話し合いが始まりました。すると、その時は全員が30代ほどの大人になっていました。長年、グループメンバーとしても、ファシリテイターとしても参加していた、九州大学の村山正治先生の、ベーシック・エンカウンターグループのように、みんなが自分について語って行きます。すると、ひとりが、「伊藤さん、どもりについて少し話してよ」と言いました。「いいよそんなん」と言いながら、どもりについて少し話しました。

 そこでまた、小学校1年の状況に戻って、「今、こうしてどもりについてみんなに分かってももらい、クラスの10人ほど仲良くなれたのだから、これからの小学校生活は楽しくなるだろうなあ・・・・・・と思ったところで目が覚めました。

 僕は、メモをとりたくなるような夢もたくさん見ます。夢の中で号泣して、その当時のつらさから解放された経験もあります。しかし、夢分析はしたことがありません。今回のこの夢、自分でかってに解釈してみました。

 僕は、どもりに深く悩んでいたために、とても苦しく、つらい学童期・思春期を送りました。楽しい思い出は何一つありません。なので、時々講演や講義などでこんな話をすることがあります、

 「僕は時々、小学時代、中学時代、高校時代をもう一度やり直したいと思うことがありますが、どもらない少年として、どもりが治った少年として戻りたいのではなく、どもりについて勉強し、どもりとのつきあい方を知っていて、どもっていても大丈夫と、どもりながら生活している、少年としてだ」

 このことが、夢の中で実現しようとしていたのかもしれません。

 今週末、沖縄や鹿児島、近畿、関東の「吃音を生きる子どもに同行する、教師・言語聴覚士の会」の仲間が15人ほど集まって、3日間の合宿があります。その時、8月に行う「親・教師、言語聴覚士のための吃音講習会」の実行委員会もしますが、昨年に続いて、「どもる子どものレジリエンス」がテーマです。

 学童期のどもる子どもが吃音とうまとつきあうためにどうするかをかんがえるのですが、今年一年の僕たちのすべきことの出発して、このような夢をみたのかもしれません。

 今年もよろしくお願いします。

日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2016/01/04