第26回吃音親子サマーキャンプ

竹内敏晴さんのことば<後に引けない場に立つ>

 2009年、竹内敏晴さんがお亡くなりになる直前まで、僕たちは大阪の定例レッスンの事務局をしていました。この定例レッスンは、11年続きました。
 ことばがうまくしゃべれないのは、どもる人の特権ではなく、どもらないのに自分のことばを求めてたくさんの人が遠いところからレッスンに参加していました。からだを揺らし、歌を歌い、詩を読み、芝居のセリフを言い、そんな自分を表現するレッスンを、毎月第2土曜日と翌日曜日に行っていました。
 そして、年に一度、レッスン会場だった應典院の大ホールを借り、公開レッスンという名称で、レッスンを公開していました。レッスンしてきたことを会場の皆さんの前で披露するのです。年を追うごとに、だんだんと大きな芝居を上演するようになりました。でも、その芝居を完成させることが目的ではなく、自由なからだや届く声、自分を表現することの楽しさを求めたものでした。いつも竹内さんは、
「途中でレッスンし直すかもしれないよ。そのつもりで」
とよく笑いながら言っておられました。実際に芝居の途中にストップがかかったこともありました。季刊で発行していた「たけうち通信」の中に、竹内さんのこんなことばがあります。
 「お客さんの前に立ったとき、もうのっぴきならなくなる、後に退く、逃げ出す、ということができない場に立って、エイと自分を前に押し出すことが、ひとつ自分を超えてゆくことになる…」

 吃音親子サマーキャンプでも、子どもたちの芝居の練習と上演は、吃音の話し合い、親の学習会と並んで大きな位置を占めています。せりふのある役をしてこなかったり、いつも裏方ばかりしていたり、大勢で言うだけだったり、それぞれ芝居にはいろいろ思いがあります。一番苦手な場にあえて仲間とともに立つ、逃げ出したくなるのを堪えてお互いに支え合いながら舞台に立つ、そんな経験をしてもらいたくて、ずっと続けてきました。
 竹内さんがお亡くなりになってからは、京都大学大学院の学生の時、大阪の定例レッスンに参加していた渡辺貴裕さんが、跡を継いで、芝居の演出をして下さっています。
子どもの芝居2
子どもの芝居3
子どもの芝居4
子どもの芝居5 
 事前の合宿レッスンで体験した楽しさを、子どもたちとともにもう一度味わいます。配役を決めるのは後にして、初めは、それぞれがどの役も演じてみます。今回は歌がたくさんあったので、その歌を歌いながら声を出しました。きつねの紺三郎と四郎やかん子のやりとりは、みんなで2組に分かれて、掛け合いをしました。幻灯にうつったパントマイムもジェスチャーゲームのようにみんなでしました。そんなふうに充分に遊んでから、役を決めています。芝居の中でのせりふの持つ意味がみんなの中で共有できているから、ひとつのものを作り上げていく喜びが味わえるのでしょう。
 自分の声に向き合い、自分で押さえていた限界を突破するために、小山の上から、下にいる人に声を届けたり、からだ全体を使って歌を歌ったり、懸命に自分の声に取り組みます。
 どうしてもことばの出にくい子には特別レッスンをすることもあります。竹内さんが言っておられた日本語の発声・発音の基本に沿って、母音をしっかり出すことを練習します。
 そうして、迎えた本番。いい観客の前で、子どもたちは伸びやかに自分を表現していました。「後に引けない場に立つ」、子どもたちにそんな悲壮感は全くありませんが、舞台から逃げ出さず、演じきった子どもたちの満足そうな顔から、ひとつ超えたなと感じます。サマーキャンプ全体の雰囲気がそうさせていると言えるでしょう。僕がよく言う、サマーキャンプがひとつの装置となっていることを証明してくれています。
子どもの芝居1

日本吃音臨床研究会 伊藤伸二  2015/10/5