このブログはずっと前に書く予定でした。2月大阪松竹座で、中村鴈治郎四代目襲名興行に言って来ました。初代鴈治郎は知りませんが、二代目、三代目はよく知っています。二代目は映画によく出ていたからですし、三代目は今の藤十郎です。藤十郎よりも扇雀の時代の方がよくしっています。

 さて、今回は傾城反魂香をみたくて行きました。あらすじはビラの後にネットからのコピーを載せいてます。近松門左衛門のこの作品は、どもり絵師又平と恋女房お徳との夫婦の情愛をえがいたものですが、どもる僕たちにとっては、又平の「どもりっぷり」に興味が湧きます。ひどくどもる人間として描かれているので、どもり方も訳者の演じ方でかわります。

 以前のブログに書きましたが、中村吉右衛門の又平と、片岡仁左右衛門の又平の三人をこれまで見ています。役者のどもり方に二通りがあります。いわゆる連発(繰り返し)のどもり方と難発(ブロック)のどもり方です。役者はそのどちらかを選ぶのですが、今回のか鴈治郎はブロックのどもり方でした。ブロックはことばが詰まって「・・・・・・・」となるので表現はできません。そこで息を吸いながらどもる、いわゆる「引きどもり」というどもり方でした。この選択はまちがいだったと思います。

 息を吸いながらどもるので、何を言っているのかが聞き取れないのです。ただ「わあわあ騒いでいる」だけに周りに見えるのです。

 中村吉右衛門も片岡仁左右衛門も、はでな連発(繰り返し)のどもり方だったので、すごくどもっているのですが、何を言っているかはよくわかるのです。二人とも、見事などもり方でした。

 ここで、僕が思ったのは、ひどくどもっても、「ぼぼぼぼぼほぼく・・」の連発のどもり方のほうが、日常生活でもずっと楽だということです。著名人でテレビに出てくる人は、自分がどもりだと公表していても、あまりどもりません。ブロックの軽い状態で、どもらないように工夫しているのがよくわかります。

 最近はほとんどテレビに出なくなりましたが、映画監督の羽仁進さんは、すごくどもりながら、気持ちよく話していました。子どものように連発してのどもり方は、とても心地よいものでした。どもりたくないとすることが、かえって聞き手には違和感を持たせますが、羽仁監督のように堂々とどもると、とてもさわやかです。

 僕も最近、講演でもよくどもるようになりましたが、目立つどもりかたを心がけています。
 またどこかで、「傾城反魂香」が歌舞伎でかかることがありましたら、是非見て下さい。とてもいいお芝居です。どこがいいかは、以前のブログで書いたので今回は省きます。

 日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2015/05/13


傾城反魂香のチラシ縮小版




 
土佐将監閑居の場
 時の帝の勘気を受け、絵師・土佐将監は妻の北の方と山科の国に隠れ住んでいる。その里に虎が出没する騒ぎが起こり、弟子の修理之助は我が国に虎は住まぬのにといぶかる。そこへ裏の藪から巨大な虎が出現。驚き恐れる村人を尻目に、将監はこの虎こそ名人狩野四郎次郎元信筆の虎に魂が入ったものと見破る。修理之助はわが筆力でかき消さんと筆をふるい、見事に描き消す。弟子の実力を認めた将監は、修理之助に土佐光澄の名と免許皆伝の書とを与える。

 これを聞いた兄弟子の浮世又平は妻のお徳ともども、師に免許皆伝を頼み込む。又平は人がよく絵の腕は抜群なのだが、生まれついての吃音の障害を持ち、欲がない。折角の腕を持ちながら大津絵を書いて生計を送る有様である。そんな弟子にいら立ちを覚えた師は覇気がないとみなして許可しない。妻のお徳が口の不自由な夫に代わって縷々申し立てても駄目であった。

 折しも元信の弟子の雅楽之助が、師の急難を告げる。又平は、これこそ功をあげる機会と助太刀を願うが、これもあえなく断られ、修理之助が向かうことになる。
 何をやっても認められない。これも自身の障害のためだと絶望した又平は死を決意する。夫婦涙にくれながら、せめてもこの世の名残に絵姿を描き残さんと、手水鉢を墓碑になぞらえ自画像を描く。「名は石魂にとどまれ」と最後の力を込めて描いた絵姿は、あまりの力の入れように、描き終わっても筆が手から離れないほどであった。水杯を汲もうとお徳が手水鉢に眼をやると、何と自画像が裏側にまで突き抜けているのであった。「かか。ぬ、抜けた!」と驚く又平。お前の執念が奇跡を起こしたのだと感心した将監は、又平の筆力を認め土佐光起の名を与え免許皆伝とし、元信の救出を命じた。

 又平は、北の方より与えられた紋付と羽織袴脇差と礼服を身につけ、お徳の叩く鼓に乗って心から楽しげに祝いの舞を舞う。そして舞の文句を口上に言えば、きちんと話せることがわかる。将監から晴れて免許状の巻物と筆を授けられた又平夫婦は喜び勇んで助太刀に向かうのであった。