3月8日東京学芸大学で、「ナラティヴ・アプローチの困難と喜び」と名づけられた、ナラティヴ・アプローチのシンポジウムに参加しました。ナラティヴ・アプローチが日本に紹介されて、15年ほど経ちますが、領域によって導入の時期や発展の仕方も違い、それぞれが抱えている困難や喜びも違います。それを互いに報告し合い、今後の展望を開いていこうと企画されたものでした。

 医療・看護の領域ではナラティヴに関心は高く、学ぶ人も多いようですが、ナラティヴという必要の無いものまで、ナラティヴと名付けられ、いわばはやりのように使われることもあるが、大きな進展はないとの状況が話されました。

 心理臨床の領域では、ナラティヴ・アプローチは、心理療法のひとつとして取り入れられましたが、家族療法とブリーフセラピーでは活発に議論されているものの、臨床心理全体では、ひとつの理論、技法として紹介されるにとどまっている。数年前には、これからは「ナラティヴ」だ大きな期待が集まったものの、その後の動きはほとんどないようです。 カウンセリングに「語る」は当然のことで、パーソンセンタードアプローチの「傾聴」とどこが違うのかとの思いもあって、取り入れるのが困難な状況にあるようです。

 福祉の領域では、知識、理論としてはソーシャルワークの教科書で紹介され、方法論としては受け入れられているが、実践、臨床の場面ではほとんど使われず、論文や学会発表のレベルでもあまり見られないといいいます。
 3つの領域の報告に、僕はとても不思議な思いがしました。これらの領域では、当然ナラティヴアプローチが大きな関心がもたれ、実践も進んでいると、根拠はありませんが、想像していたからです。この領域からの報告で、ナラティヴ・アプローチが大きな流れとならない、悲観的な、ため息のような思いが伝わってきました。

 その後の参加者を含めての議論を聞いて、15年ほど経ってのこの現状報告に、新しいものの浸透はするのは難しいことなのだと納得もしました。

 議論の中では、ナラティヴ・アプローチの基本姿勢である「無知の姿勢」と「専門性」、「エビデンス」と「ナラティヴ」などが対立するものと受け止められたり、狭い意味での専門職者意識から抜け出ることができないことが、ナラティヴ・アプローチの普及を妨げていると感じられました。そして、ナラティヴ・アプローチが、それぞれの領域の既存の理論や技法の大きな流れからすれば、マイノリティーであり、マイノリティーであり続けることに対する悔しさも感じ取れました。ナラティヴ・アプローチがいまだに混沌とし、実践が困難な要因について、次の4点を挙げる人がいました。

 .淵薀謄ヴ理論(社会構成主義)がわかりにくい
 ⊆汰のかたちがわかりにくい
 成果をどうとらえ、どう表現するか、その方法論が明らかにされていない(研究論文としてまとめにくい)
 だ賁膕箸箸靴討涼構築の困難

 私はナラティヴ・アプローチに初めて出会ったとき、これは私たちがセルフヘルプグループで実践してきたことそのものであり、セルフヘルプグループの意義を理論的に説明してくれているものだと考えたためか、困難な要因として挙げられているこれらのことは考えませんでした。研究論文としてまとめる必要がない気安さからでしょうか。

 そしてそれは、2014年秋、ニュージーランドのワイカト大学大学院で、ナラティヴ・セラピーを学び、『ナラティヴ・セラピーの会話術』(金子書房)の著者である国重浩一さんから、吃音ショートコースでナラティヴ・アプローチを学んだことで、さらに身近なものとなりました。

 理解が浅いのかもしれませんが、「人はストーリーを生きている」「オルタナティヴ・ストーリー」「その人が問題ではなく、問題が問題なのだ」「問題の外在化」「その人が人生の主人公」「その人の力を信じる」「無知の姿勢」「対等性」などのナラティヴ・アプローチの基本は、何も難しいことではなく、対人援助にかかわる者にとって、むしろ常識ともいえるものだと、私には思えるのです。
 シンポジウムでナラティヴ・アプローチの実践の喜びが出されなかったのは、残念なことでした。

日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2015/03/20