なぜ、この映画が大ヒットしたのか
僕は、子どもの頃から、戦争が大嫌いです。だから、「非武装中立」「平和憲法を護る」ということだけでも、当時の日本社会党を応援し続けていました。小学校入学前に、小学校の校庭での映画会で観た「聞け、わだつみの声」での戦争の暴力性、悲惨さ、家族の悲しみが、いまだに僕の映像としての残っています。上官が軍靴を口の中に突っ込んで殴るシーン。田舎の小さな川の橋の上で、子どもたちが歌う「春の小川」の歌。
だから僕は、戦争映画や、暴力的な映画は嫌いです。当然ヤクザ映画は嫌いなのですが、デビュー作から好きだった、高倉健さんの映画だけは観ていました。
今回の、アメリカン・スナイパーは、戦争映画であっても、戦争のむごたらしさ、帰還兵の精神的苦痛が描かれており、「反戦映画」「厭戦(えんせん)映画」だととらえる人もいるそうです。映画「英国王のスピーチ」で、言語聴覚士のライオネル・ローグが、戦争神経症に悩む人のセラピーにあたったとされることから、「心の平和を」をスナイパーがどう取り戻していくのかに興味があって、東京で開かれた「ナラティヴ・アプローチ」のセミナーで東京に出かけたとき、ふとあった時間のタイミングがよくて、この月曜日に東京でもてきました。
アカデミー賞の作品賞にノミネートされたり、興行成績がよかったことが、僕には理解ができませんでした。映画が始まってすぐに始まる、兵隊になるための訓練、イラク戦争の戦場の大音量のシーンが続く中で、つい居眠りをしてしまいました。そして、途中で帰ろうと思いました。しかし、なんとか最後まで我慢して映画館に居続けたのは、「人殺しマシーン」から、「「人間の心を取り戻す」のを、クリント・イーストウッドがどう描くかみたかったからです。心を病んでいくスナイパーが、退役軍人の会に参加する、セルフヘルプ・グループのミーティングのシーンがでてきます。
スナイパーがどのように感じ、考え、心が病んでいったのか、それがとうして、退役軍人に協力するまでに、変わっていったのか、セルフヘルプ・グループのミーティングのシーンをもっと丁寧に描いて欲しかった。そのような静かなシーンはごくわずかで、ほとんどが狩りで獲物を狙う、ハンターを観客にも体験させるかのような映画のつくりなのです。戦闘シーンは、ごくわずかでも、戦争のむごたらしさは観客は実際のニユース映像で観ているので。そうぞうできます。そのシーンをかなり減らして、スパイナーの心の葛藤、軌跡、変化を丁寧に追ってほしかった。そうであれば、観客動員はすくなくなっても、84歳のクリントイースト・ウッドが作れる戦争映画だったろうと、僕はとても残念でした。
あの映画が大ヒットした背景には「戦争は楽しい、興奮する」人が少なくないことの現れのように思えてなりません。信じがたいことですが、「戦争をしたがる人」が日本にもいるという現実に、僕たちは目を背けてはいけないと思います。僕がフアンだつて「日本社会党」的なものは、すっかり日本では力をなくしました。日本は「戦争ができる国」にどんどん変わっていきます。息苦しい、むなしい、思いをさらに深めた映画でした。
僕は国や人が闘うことに反対です。筋は違うのかもしれませんが、子どものころから僕は、オリンピックが嫌いでした。
「どもりは治る、改善できる」の戦いに僕たちは敗れました。そして今僕は「どもりと闘うな」を提唱しています。「非戦の覚悟」はますます強いものになさっています。
日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2015/03/10