どもりを治そうとするより、貧しさをなんとかしてほしい

 2014年の年末、NHKの番組で、子どもの貧困について取り上げられていました。
 母親が働きに行き、子どもが3人、お茶漬けのりだけをかけて、おかずがない夕食をしています。都会のデパートの地下の食品街の賑わいと、華やかさを見慣れている僕たちにとって、これらの映像は衝撃的です。もっと驚くのは日本の子どもの貧困率です。6人に1人が貧困だといいます。貧困のために友達と同じようなことができずに、不登校になり、そのまま引きこもってしまう、子どもの例も紹介されていました。

 子どもの貧困が報道され始めて、もう数年以上は経っています。政治屋も知っているはずです。少子化といわれて久しく、担当大臣までいます。それなのに対策が一部の地域での先進的な取り組みにとどまって、日本全体になっていかないのはなぜなんでしょうか。

 僕の育った環境によりますが、僕は子どもの貧困が新聞やテレビで取り上げられるたびに、吃音と結びつけて考えてしまいます。

 1944年生まれの僕は、敗戦の前年に生まれています。1歳のときが、第二次世界大戦の敗戦が決まった年ですから、皆が貧しかった時代です。その中で、弟子をとって謡曲を教えに行くのが父の生業でしたから、安定した収入はありません。敗戦後に趣味の謡曲にお金を使う余裕のある人は少なく、当然収入は少なく、貧乏な生活でした。6人家族が食べるお米がなくなり、その日その日のお米を少しずつ買いに行く生活でも、NHKの放送でみた食卓よりは豊かだったと思います。
 現金がないために、小学校の給食代が、予定の日に持っていけずに「忘れました」と言っては、しかられたことを思い出します。それでも耐えられました。

 僕にとって、「吃音と貧困」のふたつが学童期の大きな劣等感でした。しかし、「貧困」と書いて、少し違うと感じます。「貧しかった」けれど「困ってはいなかった」。母親や父親は明るく、「貧しかったけれど、心豊かな生活」だったと、今、思い返して思えます。貧しかっただけで、貧困ではなかったと思えます。
 それに、程度の差はあっても、皆が貧しい時代だった。僕が経験した貧しさと、今、子どもたちが置かれている「貧困」は、質量ともにまったく別物だと思います。子どもの心の成長に大きなダメージを与え、将来の夢も砕いてしまう。それが今の子どもたちの貧困です。これは大きな問題です。

 話はとても変になるのですが、おかしいと思いつつも、つい、吃音と貧困を比べて思ってしまうことがあります。たわいごととして読み流してください。

 どもる子どもを前にして、ことばの教室の先生や、言語聴覚士が、それを問題だと考え、真剣に「治す・改善する」方向に努力します。しかし、子どもの貧困を前にして、教師は何をするでしょうか。学校が、教育が、地域が、子どもの貧困にどのように考え、支えようとするでしょうか。
 「どもりよりも貧困を治してほしい」と僕なら思います。

 僕自身がどもる当事者として、苦しい学童期・思春期を送ってきた経験があるから、あえて言います。
 「どもりを治そうとする」ことよりも「子どもの貧困」に何が出来るかを考えてほしい。子どもの心に、成長に大きなダメージを与えるのは。どもりよりも貧困です。
 どもりは放っておいても、自然に変わりますし、どもりと向き合い、どもりと上手に付き合うことを学べは、決して恐ろしいことではなく、心の成長に、将来に、ダメージは与えません。
 しかし、貧困はとてつもなく大きな影響を与えます。よく成功している人が、「私もかっては貧しかった」といいます。今の貧困は、そういうものではないのです。夢も将来もなく、貧困の連鎖が起こるのです。

 子どもが少なくなり、少子化対策を言うのなら、特に深刻な母子家庭の母親が、安心しては働けるような保育所や学童保育などの場をたくさんつくり、それでも足りない部分は公的に援助する。
 教育の機会を本人の希望があれば提供する。これらは、今すぐにでも、国家予算を少しでも、教育・福祉に回せばできることです。先進国の普通の国並みに予算を配分すればいいだけです。
 普段もテレビはほとんど見ませんが、雪の湯布院でテレビ番組をみると、くだらない番組ばかりにお金を使っています。子ども、青年を大切にしない国、教育にお金を使わない国は滅びます。昨年末たまたま、NHKの貧困番組を見て、日本の将来は、とても暗いと思わざるを得ません。

 どもり(吃音)は、国の予算を使う政策的なものではなく、一人ひとりがどう生きていくかを考えるだけで十分です。吃音症状といわれるものの「治療・改善」ではなく、社会の理解や政策をもとめる社会運動ではなく、自分一人ひとりの生き方として、吃音のテーマを僕たちは取り組んで生きたいと思います。

 子どもの、若者の「貧困」にこそ理解が広がり、啓発し、社会に政策を求める、緊急で、もっとも重要なテーマだと、僕は思います。
 どもりと貧しさに劣等感をもっていた僕は、どもりは本人の気づきや、学び、よりよく生きる努力でなんとかなります。しかし、社会的貧困は、本人の努力だけではなんともならない、大きな、大きな問題だと思います。

日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2015年1月2日