新たな決意

 今年も、湯布院・源流太鼓の勇壮な響とともに新しい年が始まりました。
 予定通りのつめたい雪の舞う中、恒例の亀の井別荘の庭での源流太鼓の演奏が始まりました。いつもなら賑わう湯の壺街道も、ふりしきる雪のために少なめです。亀の井別荘も少なめですが、寒い中、太鼓の力強い響に、今年も頑張ろうとの気力がわいてきます。

 源流太鼓は湯布院で生まれ、亀の井別荘などの旅館が大切に育ててきた、アマチュアの集団ですが、仕事の合間に練習を重ね、年々技量が上がっています。今年の特徴は「横笛」が以前より前面に出てきたことでしょうか。笛と和太鼓のコラボレーションに磨きがかかってきたように思います。最後の曲が「コンドルが飛んでいく」でした。このようにメロディーに乗せての演奏は初めてでした。「横笛」の力量のたまものでしょう。

 源流太鼓は、1979年に長谷川 義を中心とした由布院の若者たちが集い、新たな郷土芸能の創出と地域文化の発展、青少年の健全育成を目的に設立された和太鼓チームです。 豊後富士と呼ばれる由布岳の裾野に静かに佇む由布院盆地の中心を流れ、瀬戸内海へ繋がる大河・大分川の源流が由布院の金鱗湖であることから源流太鼓と名付けられました。メンバーは皆それぞれ本業を営みながら、日々塚原高原の山中で深夜から明け方まで技を磨き、国内外各地で「由布院の音」を魂のリズムとして響かせています。
 昔、僕もファシリテーターとして参加していた、九州大学の村山正治さんの湯布院エンカウンターグループの会場の旅館いよとみ荘の主人を演奏メンバーの中に見つけたときはうれしくなりました。演奏の最後の長谷川さんの挨拶がいつもユーモアにあふれておもしろいのですが、言っていることの基本はいつも同じです。

 「なんとかなる。どんなに苦しくても、つらくても、誰にでも新年はくる。今年もいろんなことがありましたが、今年もこうして皆さんと会えました。なんとかなる、そう思って私もがん張りましたが、なんとかなりませんでした。それでも、こうしていきていればなんとかなる。どうせ生きるなら、笑っていきましょう」

 わかったような、わからないような話ですが、和太鼓の演奏とマッチして、「なんとかなる」と思ってしまうのです。

 さて、吃音ですが、今年は大きな曲がり角にきているように思います。一時、鳴りを沈めていた「吃音を治す・改善する」の大合唱が始まったからです。それも、何のエビデンス(科学的・統計的根拠)もなく、「完全には治らなくても、少しでも、吃音症状を改善しましょう」と提案されても、困るのは、どもる子ども、どもる当事者です。

 僕たちには、「吃音を治す、改善」を目指さなくても、吃音を認め、吃音とともに生きる人たちが確実に育っています。吃音親子サマーキャンプの25の歴史の中で、小学生だった子どもたちが、社会人になって働き、結婚していき、幸せな、豊かな人生を送っているという、物語があります。特に、昨年は結婚式のラッシュでした。大阪吃音教室の人たちは「どもりでよかった」とさえ言います。

 僕たちの周りのどもる子ども、どもる人たちが「吃音とともに豊かに生きている」との実績をどう伝えていくか、吃音親子サマーキャンプや、大阪吃音教室にさんかできない人たちにどう伝えていくか。
 今年もさまざまなことを学びながら、僕たちの実践、考えを深め、発信していかなければならないと、新しい年の初めに、源流太鼓の響に誓ったのでした。

 日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 20151年1月1日