なぜ、吃音(どもり)の世界だけが、進化しないのか


 2014年も今日一日。滞在中の大分県湯布院では、今、雨が降っています。これから気温が下がっていくので、明日はホワイトクリスマスならぬ、ホワイト元旦になる予定です。よく行く亀の井別荘の喫茶店「天井桟敷」で、今年一年と、吃音のこれまでをゆったりとしたいすと、良質の音楽を聴きながら振り返っていました。

 「吃音は治らない、治せない」と覚悟を決めて45年。「症状をとることを目指す」弊害についても、多くのどもる人の体験を通してみてきました。

 「どもらないように話したい、と思えば思うほどどもってしまう現実」
 「どもってもいいや、と腹をくくればかえってうまく離せてしまう現実」
 「治したいと思えば思うほど、治す努力をすればするほど吃音にとらわれてしまう現実」

 これらの現実に向き合って、僕たちは「吃音を治す努力を否定」を提案しました。そして、治す努力に変わる、僕たちが努力しなければならないことは何かを探って、さまざまな領域から学んできました。

 「自分が本当にしたいことは何か」
 「よりよく生きるために何をしなければならないか」

 この40年、ずいぶんいろんなことを学んできました。パーソンセータード・アプローチ、交流分析、アサーティヴ・トレーニング、論理療法、森田療法、内観法、認知療法、認知行動療法、ゲシュタルトセラピー、サイコドラマ、竹内敏晴からだとことばのレッスン、演劇の表現など、それぞれその道の第一人者から、ワークショップ形式で学び、冊子や書籍として出版してきました。

 最近は、当事者研究、ナラティブ・アプローチ、リジリエンスを集中的に学びました。その中で、8月の臨床家のための吃音講習会で、ナラティヴベースド・メデスン、エビデンスベースド・メディスンについて、斉藤清二富山大学教授から学び、対談したとき、僕はこう質問しました。

 「私たちの考えで生きてきてよかったという、ナラティヴはたくさんある。しかし、エビデンスがないといわれる。しかし、吃音の世界では、治っていないことがエビデンス(科学的、統計的根拠)なのに、それを数値的に証明できない。一方で、エビデンスに基づいた臨床をしろと、数少ない数値で、治療の効果をいう、へんてこりんなことになっている。僕たちのやりかたのほうが、有効だと説明するにしどうしたらいいですか」

 「伊藤さんたちの仕事は、症状に直接アプローチしないという、マインドフルネスと同じだ、吃音を認めて生きるが、エビデンスとして出されていなくても、他の領域で立派にエビデンスになっている。エビデンスは、伊藤さんたちの、強い味方ですよ。それをどんどん発言していけばいい」

 斉藤教授はこう言ってくださいました。以前から「マインドフルネス」は知ってはいたけれど、深くは学んでいなかったので、湯布院に来て、少し本を読んでみると、なんだこれは、40も前に僕が考えてきたことと、とても近いと思えました。当事者研究、ナラティヴアプローチ、レジリエンスと平行して、マインドフルネスを2015年度の学ぶターゲットにしようと思いました。

 症状の改善が中心的なテーマだった行動療法が、認知行動療法へと進化し、さらにマインドフルネスという次元に変化してきています。かつて、オペラント条件付けに批判的で、行動療法は、僕たちの「吃音を治す努力を否定する」「吃音とともに生きる」とは対立するものだと、漠然と考えていたのが、行動療法のほうが、僕たちに近づいて来てくれました。これはとてもうれしいことです。

 行動療法を実践する研究者から、僕は厳しく批判されたことがあります。何か、とても不思議に気がします。精神医学、臨床心理学などの領域が、これまでの臨床を総括し、どんどん変化していくのに、吃音が、ただ一人、
従来の「流暢性形成のための言語訓練」にいつまでも固執するのが不思議でなりません。

 僕たちは、僕たちの信じる道を、いい仲間たちとともに、さらに発展させていこうと思います。
 このブログ、なかなか更新できませんでしたが、2015年は今年以上には発信したいと思います。この一年のご愛読に感謝します。吃音に関心のある人たちに、ご紹介いただければ幸いです。
 また、このブログには直接のレスポンスはできませんが、日本吃音臨床研究会のホームページには、問い合わせのコーナーがあります。そこからのメールは僕に届くようになっています。メールくださった方には、必ずレスポンスしますのでよろしくお願いします。

 この一年ありがとうございました。皆さんの新しい年が、いい年でありますよう願っています。

 日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2014/12/31