よく理解された吃音の本質
 ここ2年ほどのことでしょうか。「吃音は完全には治らないにしても、少しでも吃音症状を軽減したいと考えている人に、専門家として、そのニーズに応えるべきだ」の考え方が、ぶり返しています。

 1965年の夏、東京正生学院が朝は呼吸・発声練習、昼は街頭訓練と称して、一日100人「郵便局はどこですか」などと話しかける。上野公園の西郷隆盛像の前で、最低2回は演説する、山手線の電車の中で演説する。夜は遅くまでスピーチ訓練や話し合いをする。朝から夜遅くまで、1か月、徹底して治す努力をしました。ところが、僕だけでなく当時来ていた300人ほどの全員がなおりませんでした。
 1965年秋、どもる人のセルフヘルプグループ「言友会」を11名で創立し、現在まで、吃音一色の人生を歩んできました。数千人を超える人々と対話を続け、吃音を否定し、自分を否定し、いつまでも「治る・改善する」への思いをもちつづけることで、却って吃音の悩みは深まり、行動ができなくなると、「吃音を治す、改善する努力はやめよう」と提起したのは、会の創立6年ほどしてからです。

 大阪教育大学の教員になったことで、さらに、多くの人と議論を重ね、「吃音と共に豊に生きる」を提案したのでした。それまでには、小学2年生の秋から、吃音を否定し、21歳まで「治る、改善する」ことばかりを考えて、どもりを隠し、話すことから逃げる消極的な人生を送ってきた僕の、大きな、内省、反省からうまれたものでした。

 深い議論を重ねた、あの頃と吃音の状況はまったく変わっていません。脳科学に期待する人はいるのですが、健康情報レベルと大差ない程度のことしか分かっていませんし、相変わらず「ゆっくり話す」こと以外訓練法がない中で、どもる人々は、どうして「治す・改善する」に取り組めばいいのしょうか。

 戦争は絶対にしないと誓った、日本の平和主義が、今音を立ててて崩れていくように、大勢の吃音に悩む人々ともに育んできた『吃音と共に生きる」が音を立てて崩れようとしています。

 そんな状況の中での、昨日までの2014年の最後の仕事、大学での講義は、少し、気持ちが重いものでした。学生さんたちは「吃音治療」の役割を担っている多くの人が考えている、言語聴覚士になるために、国家試験をうけるために勉強している人たちです。彼女たちには「吃音を治す・改善する」の情報は影響していると考えたからです。

 今回の授業は、質問に答えること、学生の発言にコメントすることに徹しました。まとまった話はしなかったので、僕の講演記録や、書いた文章を資料として渡し、今、この時の考えたこと、学生の発言にそって話していくスタイルを最後まで貫きました。

 その都度の学生の発言、感想などから、僕の考えていることが確実に伝わっていると思いましたが、最後の一人一人の感想を聞いてとてもうれしくなりました。23人のそれぞれが、自分の頭で考え、自分のことばで、僕の講義への感想を語ってくれました。最後に僕が次のようなことを話して、講義を終えました。

 「今回の、みなさんへの授業が今年最後の仕事です。みなさんが、とても真摯に、先入観なしに僕の話を真剣に聞いて下さっているのがとてもよく分かりました。みなさんの「こんな言語聴覚士になりたい」との感想を聞いて、とてもうれしくなりました。これで気持ちよく一年をしめくくることができました。ありがとうございました」

 日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2014/12/17