手応えを感じた、初日の授業

 15日、16日の二日間の奈良にある女子大学の言語聴覚科の吃音の講義が、今年の僕の最後の仕事でした。
このような講義や講演で僕が必ず言うことがあります。

 「僕の、吃音と共に生きるの考えは、極めて少数派です。圧倒的、とういうよりもほとんどの吃音研究者、吃音臨床家は、吃音を完全には治らないにしても、少しでも改善すべきだ、でまとまっています。僕の話を聞いて、これまでの吃音の話を聞いたりね勉強してきた皆さんは、違和感をもったり、時に反発したくなるかもしれません。吃音を治す、改善することが、自分たち専門職者にとっての使命、責任とかんがえる、職務に誠実でまじめな人にとっては、吃音は治らない、治せないとの僕の考えは、受け入れ難いかもしれません。僕の考えに同意する必要はありませんが、頭の片隅に、伊藤のような考え方も存在することだけでも、しって置いてもらえればうれしいです」

 23名の女子大生は、とても熱心に耳を傾けて下さいました。僕の講義は、一方的に話すことはしません。まず、
4つのグループに分かれて、僕に対しての質問の項目を考えてもらいました。これまでの講義で、国家試験かの過去の問題を通して、彼女たちは吃音について学んでいます。それら吃音の知識や、僕の吃音の体験について、たくさんの質問が出されました。結局初日の40分の吃音親子サマーキャンプのビデオ視聴意外は、質疑応答に使いました。質問したグループにまず、あなたたちはどう考えるかを聞き、そとて僕の考えを、経験を、僕がであった人々の体験を話します。全ての学生を、何度も何度も当てていきます。この学生との対話が、僕の一番好きな講義のスタイルです。

 一日目の振り返りに
 ・吃音の具体的な臨床のイメージがもてた
 ・改善しようとすることばかりにこだわらないよう気をつけたい・
 ・治してあげようではなく、人がかわっていくきっかけがつくれる言語聴覚士になりたい。
 ・どもる人、家族が吃音を認めて、それと共に人生ほ歩んでいめるよう援助できる仕事はすばらしいと思った。
 ・家族へ適切な提案ができるセラピストになりたい。
 ・「吃音を治したい」りことばの意味がひとつでないと学んだ。「いつもどもらないように話したい」なのか、「どもっても積極的な人間になりたい」なのか、「どもらず誰かと話したい」なのか。
 ・「治す」という思いは、セラピストのおごりであるだけでなく、心身共に取り返しの付かない傷を与えてしまうこともあり得ることを感じた。
 ・吃音があっても素敵な人間がたくさんいることを知り、どもることもがそのような大人に会える手伝いをしたい。
 ・吃音の授業だが、失語症、発達障害、聴覚障害など言語聴覚士がかかわる全ての人に共通すると思えた。

 吃音のイメージが変わった、吃音に苦手意識がなくなった、早く臨床に出たいと思った、教科書や他の本でしる知識とはまったく違っていた。このようなたくさんのことが書かれ、全ての学生が僕の少数の考えを好意的なとらえてくれていることが実感できうれしかった。

 日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2014/12/16