吃音を否定しないで欲しい

 僕は、2000年に開かれた、全国公立学校難聴・言語障害教育研究協議会全国大会(山形大会)の記念対談によばれました。
記念講演を詩人の谷川俊太郎さんに何年も前から交渉し、引き受けてくださったものの、谷川さんは単独での講演ではなく,誰かと対談したいと希望を出されました。何人かの候補があがったようなのですが、「伊藤伸二はどうか」と、谷川さんが推薦して下さり、「内なることば、外なることば」のタイトルの記念対談になりました。

 600人もの人を前にしての公開対談です。いろいろと準備をと、谷川さんの詩を改めて読んだり、散文を読んだりして対談の計画を立てようとしましたが、途中で諦めました。何も準備するのはやめようと思いました。出たとこ勝負で、無手勝流に谷川俊太郎さんと向き合うしかないと覚悟を決めました。ただ,最初のことばと、最後の締めくくりに、谷川さんの詩である「鉄腕アトム」をみんなで歌おうとだけ決めていました。

 さて、今回の北海道大会の僕の記念講演、かなり準備をしました。パワーポイントも用意しましたが、話したいことが多くて、長くなりそうでした。発表原稿も準備しました。

 ところが、前回書いたように、前置きとして、函館の夜景のことを話そうとふと思い立ちました。夜景をみて涙を流したことを思い出して、それが、僕が孤独で、夜のちまたをさまよったことに関連すると思いました。講演直前まで迷っていましたが、僕が講演で言いたかったことは、究極的にはたったひとつです。
 僕が21歳まであれほど悩んだのは、吃音を否定したからです。そのために苦悩の学童期・思春期を送った、ひとつの象徴として、非行少年のように夜の町をさまよった、その時に歌っていたのが小林旭の「さすらい」ではなかったのかなあと思ったのです。
 吃音を否定するような動きには断固反対する。吃音否定にむすびつく、リッカムプログラムや、バリー・キターの「ゆっくり、そっと、やわらかく」の言語訓練は止めて欲しいが、今回の講演で話したかったことです。

 「私は、全難言山形大会で、詩人の谷川俊太郎さんと対談したとき、対談の最後に「鉄腕アトム」の歌を最後に歌いました。今回は、最初に歌を歌います。今回の講演の「吃音を否定することで起こる苦悩と関係するからです」

 こう説明し、「夜が また来る・・・」と歌を歌ってしまいました。
 まさか記念講演で、230名の人の前で歌を歌うなんて、誰もがびっくりしたことでしょう。でも、僕にとっては、函館の夜景をみて流した涙は、この歌の通りで、自然な流れでした。

 こんな苦しみを味わったのは、吃音を否定したことで、吃音を隠し、話すことから逃げ、アドラー心理学で言う、人生の課題(仕事・人間関係・愛)から逃げてきたからで、吃音の問題は吃音にあるのではなく、吃音を否定することで起こる、マイナスの影響だとする、僕の講演の本題へとつながったのです。

 講演のあと、「いつも、講演で歌を歌うのですか?」と尋ねられましたが、もちろん、単独で歌ったのは初めてで、これがおそらく最後でしょう。

 函館の夜景を見て流した涙は、僕の孤独の象徴だったのです。

 日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2014/09/16