吃音学、人生を語り合った大学
「どもりを治す、少しでも改善する」の声がほとんどの中で、僕の提案する「吃音と共に豊に生きよう」は、極めて少数派の考えだと思います。
どもり(吃音)について、話をさせていただけるのであれば、どんな小さな集まりでも行って話したいと、お坊さんの辻説法のように、僕の考えていることの布教活動をしたいと、ここ数年とても強く考えるようになりました。だから、講演や研修会に呼んでいただいても、できるだけ時間をほしいと考えています。それが伝わったのか、先だっての、東海四県難言大会の吃音分科会でも、普通は助言者は20分と計画されているところを45分ほど話させて下さいました。申し訳ないいような、でも、聞きたいと言って下さったのでありがたいことでした。
30時間という集中講義は僕にとって、とてもありがたい時間です。4日間でするところを3日間で収めるために、今回は、朝の9時から、夕刻6時まで、じっくりと吃音をテーマに学生と話し合いました。僕は一方通行の、話すだけの講義はしません。僕が話し、感想をいってもらったり、質問をしてもらい、それをもとに議論を深めていきます。
大阪教育大学の特殊教育特別専攻科は、現職の教員の一年間の研修を主な目的としてしているので、受講生のほとんどは、現職のベテラン教員です。実際に特別支援学校や、特別支援教室、ことばの教室の経験のある人たちです。これまでは通常学級だったのが、一年の研修の後、その方向に進みたいと考えているひとたちなので、真剣です。
もともと僕は、大阪教育大学の専任講師でした。大学を退職して、カレー専門店のオーナーシェフになつたのですが、大学をやめてからしばらくして、カレー専門店のアイドルタイムに大学に非常勤講師として講義に行くようになりました。昼の忙しい時間が終わってから大学に行っていました。よく行っていたなあと思います。カレー専門店を止めてからは、集中講義で4日間ゆくようになりました。25年ほどになるのでしょうか。
集中講義の最終日に、カレーを作ったこともありました。僕との出会いから、自分を見つめ直して、1冊の本を書いた人がいました。東京から民間放送のTBSが取材に来て、一日カメラが廻っていたこともありました。たくさんの人と出会い、たくさんのことを語り合いました。それが昨年、非常勤講師にも定年があり、昨年で終わることになっていたのですが、今年、もう一年話す機会を与えられました。とてもうれしいことでした。
古い校舎の大阪教育大学平野分校から、統合されて柏原に新しい校舎ができて、20年だそうです。その一年目、駅から大学までの坂道のあまりの長さにおどろいたことが、思い出されます。
たくさんの学生、といっても現職の教員ですが、教育について、障害について、人生について、いろいろと議論できた場が、今年でなくなると思うと、とても寂しいきもちになりました。3日間〜4日間集中して長い時間話せる場がなくなりました。人生道場のような、そんな場ができたらいいなあと思ったりします。
今年も、講義が終わってから、是非話を聞いて欲しいという学生がいて、その話をきいていたために、もう真っ暗になった、大阪教育大学の学舎に別れを告げました。もう二度とくることはないでしょう。
長い間、いろいろとありがとうとこころでつぶやきながら、車を走らせました。
日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2014/09/05