吃音が問題なのではなく、問題が問題なのだ 



 明日から始まる東海四県の大会の吃音分科会で助言者として参加することになっています。それに先だって、知人にあうために、三島に入りました。三島は夏まつりの最終日、三島神社の参道にはびっしりと屋台がでています。僕は旅が大好きです。

  「知らない町を歩いてみたい、とどこか遠くへ行きたい

 この歌が大好きで、知らない町を歩くとつい口ずさみます。しかし、三島は知らない町ではなく、伊豆への旅行の時はもこの三島を起点にしていました。しばらく伊豆には来ていなかったので三島もひさしぶりでした。
 三島の老舗の「うなぎや」はやはり人が並んでいます。知人と、1時間待ってでも入ったうなぎは、やはり好きな味でした。

 今、ホテルで、再度吃音分科会の提案者の指導提案を読んでいます。ここ数年、発表がさまがわりしてきたことわ感じます。以前は「吃音」そのものへの取り組みがおおかったのですが、もちろんそれもあるものの、子どもと吃音について話し合う、吃音についての学習の要素が増えてきました。

 先だって開かれた、全国難聴言語障害教育研究協議会・金沢大会でも、吃音の学習がこいものでした。
 ひとつの流れとして、「吃音に向き合う」ことが大切にされるようになってきたのは喜ばしいことです。ところが、吃音の何に向き合うかとなると議論が分かれます。分かれるると言うよりは、吃音について子どもと話題にできることが、吃音にむきあうこととかんがえる、アメリカ言語病理学の流れが、ほとんどだといえるでしょう。

 私たち、「吃音生きる子どもの同行する、教師、言語聴覚士の会」では、『どもる君へ今伝えたい』、『親・教師・言語聴覚士がつかえる吃音ワークブック』(解放出版社)の2冊の本を作るとき、何度も合宿し、徹底的に話し合ってきたのが、「吃音の何に向き合い、何について学び、話し合うか」でした。
 ここ数年、「ナラティヴアプローチ」について学んでいる僕たちは、「吃音が問題なのではなく、問題がもんだいなのだ」と、吃音を否定的にとらえることで起こってくるマイナスの影響、すなわち、吃音の本当の問題について、向き合い、はなそうとしてきています。

 まだまだ、一般的ではないこの考えを、明日の吃音分科会の討議の中で、話したいと考えています。

 日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2014/08/17