北陸は片山津についてからはずっと雨でした。雨の中、以前から行きたかった蓮如上人記念館に行ってきました。かなりの強い雨の中、誰人来館者はいません。記念館の職員は、待ていましたとばかり、つききっきりで説明をして下さいました。
仏教にはまず親鸞の「歎異抄」が道を開いてくれました。暗記するくらい何度も読みました。親鸞の「たとえだまされて、地獄へおちてもかまわない」とまで信じた法然にとはどのような人かと、何冊かの本を読む内に、法然が好きになりました。日本吃音臨床研究会のニュースレター「スタタリング・ナウ」でも、法然の選択と日本の吃音臨床という文章を書きました。僕の気にいている文章です。
アメリカ言語病理学、日本の民間のクリニックが行ってきた「ゆつくり。そっと、やわらかく」の発音・発生訓練を中心にした「吃音を治す・改善する」は100年以上、ほとんどのどもる人が失敗してきた「難行苦行」で、僕の死湯徴する「吃音と共に生きる」が、だれでもができる「易業」だと「ただ、念仏すればいいと」との法然の教えになぞらえたのです。
浄土真宗は親鸞が亡くなった後、ほそぼそと続いていましたが、それを一気に進展させ、大きな教団へと発展させたのが蓮如でした。石川県、福井県は浄土真宗のメッカです。
蓮如が越前吉崎に入って布教活動に入ってわずか4か月で多くの信者を得て、4年の間に、「吉崎御坊」の周りに宿坊が立ち並び、大勢の参詣者が訪れる宗教都市を作り上げたと、解説委員は説明してくれました。その模型は当時の規模の大きさを表していました。
車座になって説法する、「南無阿弥陀仏」の札を何枚も書き、250通ほどの「御文」といわれる手紙を書くという、画期的な方法で信者を獲得していったといいます。それにしても、わずか4年の歳月は驚異的です。
僕は「吃音はどう治すかではなく、どう生きるかの問題だと」提唱してからもう40年以上たっています。それがまだ、吃音のとりくみの大勢にはなつていません。まだまだ「治す、改善する」考え方が主流です。僕は、治療法がなく、原因もわからず、ほとんどの人が「治す・改善する
」に失敗してきた現実。それでも多くの人が「吃音と共に豊かに生きている」現状を考えたら、この対応しかないとと確信しているのですが、少数派です。
蓮如記念館でいろんな資料を読み、空間で少しの時間を過ごして、いろいろと考えました。いくつかのヒントを得ることができました。金沢での吃音講習会での学びと連動し、ひとつの方向が見えてきました。
僕はよく宗教の布教活動をなぞらえて、仲間たちと、「辻説法」しようと話し合っています。
どんな小さな集まりでも、出かけたいと考えています。
蓮如についてはほとんど知りません。これから勉強したいと思いました。
日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2014/08/10