基本設定の吃音

 日本吃音臨床研究会のニュースレター「スタタリング・ナウ」は今月号で236号になります。
 1994年6月から発行し、「吃音と共に生きる」をテーマによくここまで続いてきたと、強い感慨があります。幅広い領域から学び、幅広い活動を続けてきたから、掲載できる内容があったから、続いてきたといえるでしょう。購読年会費5000円を払って下さる多くの読者。その内容について、レスポンスをして下さる読者に支えられて続けることができました。多くの人々に支えられてここまできたのだと、感謝しているのです。

 さて、2014年の4月号のテーマは、「いのちの吃音」。
 櫛谷宗則(くしや しゅうそく)さんが、私たちのために、吃音について考えたことを書いて下さいました。
 
 櫛谷宗則がこのように自己紹介をして下さっています。
 昭和25年、新潟県五泉市の生まれ。「宿なし興道(こうどう)」といわれた豪快な禅僧、澤木興道老師の高弟、内山興正(こうしよう)老師について19歳で出家得度(しゆつけとくど)。安(あん)泰(たい)寺(じ)に10年間安(あん)居(ご)する。老師の隠居地に近い宇治田原町の空家(耕(こう)雲(うん)庵(あん))に入り、縁ある人と坐りながら老師のもとに通う。老師遷(せん)化(げ)の後、故郷へ帰り地元などで坐禅会を主宰。大阪では谷町のプレマ・サット・サンガで、毎年9月末に坐禅法話会を続けている。
 伊藤伸二さんとは10年ほど前、朝日新聞に載った伊藤さんの紹介記事が面白かったので、「共に育つ」への原稿をお願いしたのが始まりです。

 <編著書>
『禅に聞け−澤木興道老師の言葉』『澤木興道 生きる力としてのZen』『内山興正老師 いのちの問答』『澤木興道老師のことば』『禅からのアドバイス−内山興正老師の言葉』(以上、大(だい)法(ほう)輪(りん)閣(かく))
『コトリと息がきれたら嬉しいな−榎本栄一いのち澄む』(探求社) 『共に育つ』(耕雲庵)など。

 この号が、日本吃音臨床研究会の新たな旅立ちを記念するような内容になりました。スタタリングナウの巻頭は私がその号の内容に即してかくのですが、タイトルを「基本設定の吃音」としたのです。

 人間には、もともと「吃音と共に生きる力」が備わっている。
 その基本設定を自分にとって不都合なものだとして、無理に変えようとすることによって、誤作動が起こり、さまざまな新たな人生の問題が生じるのではないか。もともとも備わっている、基本設定を信じることが、いのちとしての吃音を生きることだ。

 こう書き出して、僕の人生を振り返りました。昨年6月、オランダでの第10回世界大会で、世界的に著名な小説家、デイヴィッド・ミッチェルさんと対話をした時、僕と同じような体験を語りました

 「自分自身である吃音と闘えば闘うほど相手が攻撃をしてきた。内戦に敗れて、絶望したとき、もう自分のDNAを傷つけたくない、自分の中のどもりさんに、君の存在を認めるよと言ったとき、どもりさんは、僕も君を認めるよと言ってくれた」

 「弥陀の誓願不思議にたすけられまひらせて往生をばとぐるなりと信じて、念仏まふさんと思ひたつこころのおこるとき、すなわち摂取不捨の利益にあづけしめたまふなり」
 
 親鸞の歎異抄の、阿弥陀仏の本願力を信じて、念仏を唱える時、すでに浄土は約束されているとのことばが、ずっと頭から離れませんでした。法然・親鸞・道元を通して出会った仏教と、ミッチェルさんのDNAの話と、櫛谷宗則さんが書いて下さった「いのちの吃音」が結びつき、人は吃音と共に生きるようにできているとの思いに至った。
 
 紀元前のデモステネスの時代から現代まで、人間は悩みながらも吃音と共に生きてきた。どんなに吃音を否定しようとも、吃音と共に生きてきたことは誰も否定できない事実です。言語病理学ができ、吃音が治療の対象となって、吃音の新たな問題が生まれた。本来、DNAに組み込まれている、吃音と共に生きる力を奪ったものは何か。どうすれば本来の力を取り戻すことができるかを考える時期にきていると僕は思います。

 その出発に今月号の「スタタリング・ナウ」をしたいと思いました。

 人が出会うお寺として有名な應典院の住職・秋田光彦さんが、そこで出会う人々を紹介した書籍 『今日は泣いて明日は笑いなさい』(株式会社・KADOKAWA) で僕たちのことを紹介して下さっている文章も掲載しました。

 吃音に対する社会の理解がないから、吃音は治療、少しでも軽減すべきだとの主張があります。一見どもる人を思う優しさの表れのようにみえますが、原因が分からず、治療法がない、100年以上も全世界で失敗してきたもの、治せない、話しことばの特徴を治せと求めるとは、なんと残酷なことでしょう。

 不都合なものは、闘って挑戦して克服するという、勇ましい西洋思想ではなく、共に生きる東洋思想、とりわけ仏教思想が、吃音と相性がいいとずっと考えてきました。

 「吃音は神様が私たちを選んでプレゼントしてくれたものだと考えたらいいよ」
 吃音親子サマーキャンプの子どものことばが、キャンプだけでなく、私がかかわるキャンプやことばの教室の子どもたちに共感をもって広がっています。

 吃音への理解が少ない社会であっても、社会は敵ではなく、味方だと考え、自分と他者を大切にして誠実に日常生活を送る。どもる自分を日常生活の中に委ねて、どもりながら生きる中でこそ、吃音の理解は広がり、吃音そのものも変化していきます。それは、僕を含めて世界中のどもる人、どもる子どもが経験しています。

 「吃音はそのままを生きるものなのだ」
 そのことを今後、いろんな角度から考えていきたいと思います。

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 日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2014/04/28