自らの可能性を閉ざさない

 前回紹介した、若き消防士についてもう少し書きます。
 どもる子どもの保護者のための相談会や、講演会で親の関心は将来の職業です。どんな仕事につけるだろうか心配しています。その時、僕は自分の経験を含めて、たくさんのどもる人の仕事について実例をもとに話します。多くの親は「そんなにいろんな仕事について、がんばっているのですか」ととてもびっくりします。

 僕の強みは、大勢のどもる人に直接出会って、語り合った人の数が多いことでしょう。おそらく世界一だろうと思います。1965年にどもる人のセルフヘルプグループを創立し、全国組織のリーダーとして活動してきた、その中で出会う人。全国35都道府県を3か月かけて廻った「全国吃音巡回相談・講演会」で600名近い人たちと出会い。その後全国各地や世界大会などで出会った人。数千人から一万人近くにはなっているのではと想像します。

 たくさんの、いろんな仕事に就いて、苦労しながらも充実して生きている人にたくさん会ってきました。僕自身も、高校生の時、音読ができなくて、僕だけ音読を免除して欲しいと国語の教師に頼んで、やっと卒業ができました。電話もできない、自己紹介で自分の名前が言えない、人前で発表もしたことがない人間が、社会人として働いて生きていけるか、とても不安で大阪豊中市の成人式の会場にいたことを、強烈に覚えています。当時、どんな仕事ができるか、まったく想像も出来ませんでした。

 その僕が国立の教員養成大学である、大阪教育大学の教員になるとは、想像すらできません。
 「どもりながら、嫌な経験もしながら、不安や、恐れをもちながら、誠実に、まじめに仕事に取り組めば、道は自ずと開かれる」
 このように生きてきたたくさんのどもる人を僕は知っています。もちろん、どんな仕事といっても、限界があるのは、どもらない人にも共通です。誰もが教師や、弁護士になれる訳ではありません。しかし、能力があり、資格があり、ただ、「どもる」という条件だけで、就けない仕事はないと言っているのです。

 すごくどもりりながら、教師として、医師としてがんばっている仲間を何人も知っています。看護師になったものの、医師や患者との会話、伝達、電話、さまざまな場面で苦労しながら看護師としてがんばっている人。その人たちが、何の苦労もなく仕事をしているわけではありません。話をじっくり聞いていくと、その苦労は、並のものではありません。はたして、僕ならできるだろうかなあ、とつい考えてしまうほどです。それでもがんばって生き抜いています。その苦労が人間として、職業人としてその人たちを成長させています。

 たくさんの人の、実際の苦労を聞きながら、どもるからこそ、どもりに悩んだからこそ、この人たちはこんなに素敵な人になったのだとよく思います。

 消防学校の1年間の彼の苦労、やめたいとまで思った気持ち、それを僕たちに話して共に考えた日々。この1年の大変な日々を、家族が支え、仲間の僕たちが、ほんのわずかですが支えました。消防学校へ行って、「吃音を理解して欲しい」と親も、僕たちも言うことはできません。僕たちに出来ることは、悩みや、苦労に耳を傾け、そうであっても、自分の力で切り抜けていけると彼を信じることだけでした。

 大きな援助は出来ませんし、必要はありません。できるだけ小さな援助、ヘルプが大切です。おそらく、彼が、彼を支える両親、両親が僕たちを信頼して頼ってくれた、その支えがなければ、無事に消防学校を卒業できたかどうかは分かりません。できたかもしれませんが、途中でやめていたかもしれません。

 ちょっとした、ほんのわずかな、支援といっていいのか、援助といっていいのか、言い言葉が見つかりませんが、一緒にいて、一緒に考える仲間が必要なのだと思います。
 それと、一番大事なのは、「吃音を治す、少しでも症状を軽減させる」ではなく、「吃音とどう向き合い、つきあい、サバイバルしていくか」を真剣に考え、学び、取り組むことです。

 彼は、小学5年生ぐらいの頃から、大阪吃音教室に参加し、「論理療法」などを勉強していたのです。吃音とつきあうためには、それなりの学習が不可欠です。何もしないで、「吃音と共に生きていく」生き方は身につくものではありません。次回は、小学生の時、彼が書いた作文を紹介しましょう。

 日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2014/04/04