どもる人本人が、吃音を否定しない

 随分とご無沙汰のような気がします。北九州の報告はすぐにするつもりが、とても大切な原稿があり、それの仕上げに苦戦していました。日頃たくさんの文章を書き、本もたくさん書いているので、どうしても、これまで書いたことに影響を受けるのと、外部の出来事に、外部の動きに影響されて、いいものを書こうと気張りすぎてしまいます。
何度も、何度も書き直しても納得がいきません。自分の未熟さに嫌になりますが、締め切りは迫ってきます。

 一日書くのをやめ、なにもしないで遊びました。それがよかったのか、ふと、これならいけるとのアイディアが浮かび、なんとか納得できるものが書けました。機会があれば紹介しようと思います。

 また、ブログ復活です。書いていない記事がたくさんあり、メモをしているわけではないので。忘れてしまいそうです。なんとか思い出せるようにがんばろうと思います。

 さて、北九州の相談会は二部構成です。一部の子どものための部では大勢の人が集まって下さいました。二部の成人のための部でも20名ほどが集まって下さいました。まず、高校生の保護者の方が子どもの問題を出して下さり、丁寧に聞いていきましたが、自分の問題として子ども自身が取り組まなくてはならないと、いくつかの例を出しながら、こんごどう取り組めばいいか話しました。

 もちろん。「吃音を治す、改善する」方法はないので、どう吃音と向き合い、どう考えて行動すればいいかという、これまで発言し、書籍に書いてきたようなことです。お父さん、お母さんととても納得して下さったように思えました。ところが、成人の吃音のグループのベテランの方がら、「今朝の、ニュースステーションをみましたか、そこで、吃音のために自殺した人のことが紹介されていた。そんな深刻な問題なのに、今のような話は納得できないのでは」との発言がありました。もちろん僕は朝早く大阪を出ているので、その番組は見ていません。しかし、新聞の記事では読んでいましたので、事情は少しですが知っていました。

 吃音の当事者である僕たちからすれば、とてもつらい出来事です。だから、もっと吃音の苦しみを理解すべきだ、「完全には治らないにしても、少しでも改善すべきだ」との声があることは理解しています。僕はつい、大きな声になって、では「どうすけばいいのか」とその人に問いかけていました。吃音が治るなら、治せるのなら、本人の努力で、多少なりとも改善できるのならと1965年から僕は考え続けて来ました。そして、日本だけでなく。世界でも、そのような方法はなく、吃音を否定し、どもる自分が認められずに、苦しい思いをしてきた経験から、「どもりを治そう、改善しよう」路線から脱却して、たくさんの実践を積み重ねてきました。

 吃音を認めて欲しい、理解して欲しいとどもる人が言う前に、僕たちは自分の吃音を認めているのか、理解とは、どんな風に理解して欲しいのかをつきつめて考えてきました。少なくとも僕たちNPO法人・大阪スタタリングプロジェクトの仲間たちは、このテーマに真剣に向き合ってきました。そして、「吃音と共に豊かに生きる」ことができるものとして、吃音を理解して欲しいと活動を続けてきました。

 このような悲劇的な出来事があったからこそ、吃音の悲劇や、否定的な側面を強調し、弱い立場の人間として理解してほしいではなく、大変な現実があっても生き延びる知恵や、工夫を共有し、自分でできる努力はしていこうと話し合っています。

 いまこそ、吃音の当事者である私たちが、仲間と作り上げてきた「治さない文化」に誇りをもって、さらに練り上げていこうと、大阪と神戸の仲間たちは、さらなる意欲を燃やしています。

 北九州の講演・相談会に集まった人たちに、いろんな経験や、出会った人の話をしたあとで、今後どうしていきたいかを尋ねました。まず、どもる僕たち自身が「どもりは悪い、劣った、恥ずかしいもの」と考えるのではなく、どもる自分を認めて、できることから、誠実に生きていくしか道はないという点で、共通の理解ができたのはうれしいことでした。

 「吃音と共に豊かに生きる」を実践し、紹介していかなくてはならないと強く思いました。

 日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2014/02/23

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