不思議な縁
まさか、もう二度と会うことはないだろうと思っていた人に、奇跡的な偶然が重なって再会しました。
一昨年、由布院の湯の坪街道のはずれの「おもう こほせす」というカフェで、そのカフェを経営するお連れ合いと、話をしている時、偶然共通の知り合いがいることがわかりました。かつて、大分県教育センターで言語指導室をしていた、指導主事、佐世省吾さんです。とても親しくしていて、大分で何度もお会いし、高崎山などへ連れて行ってもらった人です。ことばの教室の草分けのような人で、全国吃音巡回相談会や、私の著書「吃音者宣言」(たいまつ社)にも文章を書いていただくなどとてもおせわになった人です。その時はそのままになっていました。
昨年末、といっても数日まえですが、夜にジョギングをしいてたら、店を閉めていたはずの「おもうこぼす」に明かりがついています。立ち寄ってみると、佐世さんの知り合いの和田さんがいました。そこで、電話番号がわかれば教えて欲しいとお願いし、調べてもらうことにしました。おそらく、80歳をすぎているだろうから会っておきたいとおもったからです。
佐世省吾さんは、僕が、言友会から離れるとき、一番心配して下さった一人です。しかし、離れてからは、僕たちと交流がないままにここまできました。だから、二度とあうことはないと思っていたものの、大分の由布院にくるとふと思い出していました。おもうこぼすの和田さんは、少年院の監察官で、佐世さんは刑務所を出所した人の保護司をしていたので、カウンセリング研究会を通して知り合ったとの話でした。
土日しかひらいていない「おもうこぼす」に寄ると、和田さんは、ちゃんと住所と電話番号を調べて下さっていました。その場で電話をしました。「大阪の伊藤です」佐世さんはすぐにわかって下さり、久しぶりに懐かしく話しました。お聞きすると84歳になっておられました。そこでは一旦電話を切ったのですが、その話を中曽根不二さんにすると、大分市まで連れて行ってあげるからあった方がいいと言ってくださいましたので、会いたいからね大分に行ってもいいかと電話をすると、「いや、私の方から保養ホームに行く」と、1月3日ホームまで来て下さいました。
24年ぶりの再会です。1986年の第一回吃音世界大会の話や、大分言友会のことなど懐かしく話しました。吃音については、もうとっくに卒業されましたが、40前からのカウンセリングワークシヨップは今でも大分で開き、「いのとの電話」の担当者の研修会の講師をするなど、お元気でした。
僕が、言友会を離れてからも活動していることを喜んで下さいました。
中曽根さんの知り合いのつれあいとふと話したことがきっかけで、今回の再会になる。初恋の人との再会も不思議な縁でのことでしたが、いろんな人と出会っていく輪のおもしろさを今年も感じました。
その佐世さん、若い頃は吃音に深く悩んだ経験があり、そのために空手の8段り有段者になったり、教育センターの言語室でどもる子どもの教育に携わってきたが、吃音にとって一番良かったのは「カウンセリング」との出会いだと話されました。たくさんあった全国のワークショップも今は3か所で開かれているだけになっています。その一つの大分でのワークシヨップを今も続けておられることに敬服です。
このような不思議な縁を通しての再会に感謝しつつ、今年も、いろんな出会いを楽しみにしているのです。
日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2014/01/04