福岡人間関係研究会の村山正治先生とその仲間との出会い
例年のように、今年も、年末年始は、大分県の湯布院・厚生年金保養ホームで過ごしています。僕は時々奇跡のような出会いをします。昨年は島根県の浜田市のレストランで、北海道浦河のべてるの家の向谷地生良さんと、ばったり出会いました。北海道の人間と大阪の人間が、島根県の小さな市のレストランで再会する。不思議な体験でした。
今日、昼食を終えてスロージョギングをしながら、湯布院御三家のひとつの旅館「無量塔」の近くにある、「HAMANO」という喫茶店に行きました。以前、湯布院在住の中曽根不二さんに連れていっていただいた、チーズケーキとコーヒーがおいしくて、落ち着いた音楽が流れる、すてきなカフェです。一段落した時、入ってきたお客さんにびっくりしました。九州大学名誉教授の村山正治先生の、福岡人間関係研究会のメンバーの村久保雅孝さんご夫婦でした。九重のベーシック・エンカウンターグループで知り合った仲間です。本当にびっくりしました。
九重のグループは一昨年終了し、僕も最後のグループに参加しました。そのグループのファシリテーターが、ひとりを除いて全員が集まり、同窓会のような集まりをしていたのです。少しの休憩時間に、会場の近くにあるそのカフェに村久保さんが来たというわけです。きっとみんな驚くからと、顔を出すことにしました。二年ぶりの、思いがけない、奇跡ともいえる再会です。湯布院にいても、こちら方面に来ることはほとんどありません。そのカフェにこの時間に寄らなかったら、村久保さんが休憩時間に来なかったら、決して出会うことはありませんでした。
集まっていたのは、村山先生夫妻をはじめ、8人。皆さん、とてもびっくりして突然の珍客に喜んでくださいました。2時から始まったカンファレンスに、もしよかったらと、招待して下さいました。もちろん喜んで参加させていただきました。
まず、村山尚子さんが最近音楽に目覚めて、自分の好きな楽器で、福岡人間関係研究会の周りの人たちを中心にみんなが演奏する「自由演奏会」の提案がありました。村山正治先生が80歳に、尚子さんが喜寿になることを記念しての演奏会、平和を願い、あるがままの自分を生きるのメッセージを込めた演奏会です。僕も70歳になるので、参加したかったのですが、予定の3月30日は予定があり、参加できませんが、福岡人間関係研究会のつながりの豊かさと、深さが羨ましくなりました。
続いて、村山正治先生。来年の7月、アルゼンチンで開かれる、パーソンセンタード・アプローチの世界大会で記念講演をすることになり、その時話す内容について、みんなの感想や意見を聞きたいということでした。
カール・ロジャーズから学んだこと、福岡人間関係研究会の活動の意味、そこから考えたことなどを話されました。アルゼンチンの記念講演の内容を、いち早く、こんなに身近に聞くことができる幸せに、心が震えました。内容は書けませんが、すべて納得できる、とても共感できることばかりでした。
村山先生は、1986年、私が大会会長になって開いた、第一回の世界大会のオープニングの「出会いの広場」を担当して下さったときからのおつきあいです。1989年、僕は九重のグループにメンバーとして初めて参加し、その後ファシリテーターもさせていただきました。春の湯布院でもエンカウンターグループを7年ほどしましたが、最初から終わりまで、ファシリテーターとして、大阪の僕をわざわざ指名して下さいました。長いおつきあいの中で聞かせていただいたお話、考えておられること、著書、僕たちの吃音ショートコースの講師として来て下さった時のお話など、共感することばかりでしたが、あらためて、記念講演の草稿のような話を聞かせていただき、僕が、吃音の悩みの中で、そこから解放されていく中で、考えてきたことと、共通することが多く、とても勇気づけられました。
2013年は、僕が吃音に向き合った1965年からの48年の中で、一番、バラエティーにとんだ、充実した一年でしたが、その最後の最後で、こんなすてきな「ご褒美」が待ち受けているとは思いも寄らないことでした。僕にとって初めから最後まで、本当にすばらしい、多くの人との出会いがあった一年でした。まだ終わってはいませんが。
日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2013/12/23