群馬・吃音キャンプの保護者の話し合い


 話し合いで出た、いくつかのトピックスの中のひとつに、子どもにどもる大人に合わせるのはどうかという話がありました。この話題は他の場面でも時々出ます。子どもに、どもる大人の体験を聞かせれば、いい勇気づけになるとの保護者の考えはよく分かります。たとえば、岡山のキャンプで僕と話し合った女の子が、キャンプ後にこんな感想を書いてくれました。

 「わたしは、二年、一年のころは、こなかったけど、今年きつ音キャンプにきてみました。伊藤さんのお話、グループでの話し合いなどとても心にのこりました。伊藤さんは、すごいなあと思いました。
 きつ音のこともぜんぜん気にしていないし、とても、楽しそうにしゃべっているからです。わたしは、どもりながらしゃべっていて、少しほっとしたかなあと思いました。グループでの話し合いは、自分のおもっていることを、いっぱいうちあけました。ことばの教室でも言っているんだけど、きつ音の人どうしで聞いてもらうと、なにかちがうなと思いました。二日間、本当に楽しかったです。わたしも、伊藤さんみたいな人になりたいと思いました」

 うれしいですね。どもっていてよかったと思えます。このようにどもる大人、自分のことをしっかり語れるどもる大人だったら、是非会わせたいですが、ただ、どもる経験をしているというだけではだめです。「どもることで、こんなつらい、嫌なことがあった、早く治したい」と語る、吃音を否定的にとらえている大人には会わせたくありません。

 当事者はある意味権力をもっています。経験のない人は、つい当事者の話に耳を傾けざるを得ません。「あなたは、当事者じゃないから、そんなことが言えるのだ」と言われると、親も、教師も身を引いてしまいます。当事者はこのような、パワーをもつだけに、その体験を語る意味をしっかりとわきまえ、影響をよく理解していなければなりません。そんな当事者の大人となると、誰でもいいと言うわけにはいきません。一人の個人の体験はその人のものであり、他の人に役立つとは限りません。自分の体験を丁寧に整理し、たくさんの人の体験とすりあわせ、ある程度普遍的なものにして語れる、そんなどもる大人になりたいと、僕はいろんな心理療法や、心理学、精神療法などを学んできました。
 子どもに勇気を与えることのできる大人になりたいと努力してきました。

 こんな話をしていたら、質問をした人も、「体験は人に役立つもの」と信じてきたけれど、必ずしもそうではないことを理解して下さいました。

 いろいろと経験をしたのですが、群馬キャンプの話題はこれで終わりとします。

 日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2013/12/09