念願の対談
私は、毎年、神奈川県久里浜にある、国立特別支援教育総合研究所の教員研修の言語障害教育コースに一日講義に行かせていただいています。もう、20年以上になるのでしょうか、自分でもわからないほど、ずっと呼んでもらっています。一日の講義が終わって必ず、受講生と、研究員の牧野泰美さんと飲みに行きます。その飲み会がとても楽しいのですが、よく話題になるのが「ハゲとどもり」の比較です。
なぜそうなるのか。牧野さんがかなり前からハゲていることと、ふたり共通の知り合いに、ハゲでかつらを付けたり外したりしているおもしろい人がいることと、何よりも私の恩師である先生が「どもりよりハゲの悩みが深い」と昔いっていたからです。どもりでハゲの人がいて、ハゲの方が悩みだというので、ハゲの人を支援しようと、吃音の研究者から、植毛の仕事を始めたました。吃音についてもっと取り組んでいただきたかった人ですが、植毛の仕事に転じた時の理由が、「ハゲの方が悩む」でした。
その話を聞いたとき、私は強い疑問をもちました。たまたまその人は吃音の悩みが軽くなったから、ハゲの悩みが全面に出ただけで、多くの人が「どもりより、ハゲがつらい」とはおもわないだろうと思ったからです。ところが、不思議なことに、私は、21歳まではどもりに深く悩みましたが、その時、こんな話を聞いたら、腹を立てていたかもしれません。現在、どもりに、全く悩まなくなった今、私はまだふさふさしていますが、「ハゲ」の悩みも、深い人には深いのかもしれないと思うようになりました。
そこで、牧野さんと、居酒屋での話ではなく、大勢の前で「どもりとハゲ」について対談したいと思っていたのです。さすがに、500人ほどの聴衆のいた、全国難聴言語障害教育の全国大会・鹿児島大会の対談では、出来なかったので、群馬のキャンプでしませんかと、牧野さんにお願いしたので。
そこで、ハゲの悩みの本を探しましたが『ハゲに悩む 劣等感の社会史』(森正人・ちくま新書)しかありませんでした。それを熟読して対談に臨んだのですが、聴いて下さる人は、とても笑って下さり、おもしろかったと何人かが言ってくださいましたが、時間があればもう少し深い話になったかもしれません。
どもりは1パーセントの少数派ですが、ハゲは18.4パーセントとかなり多数派です。ハゲは多少消極的になる人がいたとしても、どもりのように人間関係に支障は来しません。また、ハゲには「波」がないので、あきらめることは出来るが、どもりには「波」があり、受け入れるのはとても難しい。ハゲは帽子をかぶることもできるし、カツラもある。などなど、おもしろい話になりました。
どもりは紀元前からある、由緒正しい「人間としての悩み」ですが、ハゲが人を悩ませるようになったのは、はげが問題となったのは、せいぜい1960年ごろからで、養毛剤などが、商売としてでてきてからでしょう。カツラなど隠せるようになってからだと私は思います。
昔から、ハゲは温厚で、聡明に見られたりして、劣等感の対象ではなかったと思われます。周りからの「毛が生える」「カツラ」などの圧力がハゲとして生きてきた人を惑わせるようになったといえなくもありません。
どもりも、治療の対象とされなかった時代の方が、どもる人の悩みは少なかったように私に思えるのですが、どうでしょうか。「治そう、軽減しよう、改善しよう」が、人を苦しめていると私には思えるのです。
群馬キャンプでのこの対談を契機に、いろいろと考えていこうと思いました。
私の講演、対談が終わってから、みなさんたくさん私の著書を買って下さいました。写真は、本にサインをしているところです。
日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2013/12/04



