千鳥ヶ淵の桜
しばらくぶりのブログ更新です。
無茶苦茶に忙しい毎日、でも、これ以上書かないと、みなさんに忘れられてしまいます。
少しでも、書きたいとおもいながら、書けずにいました。元気でいますので、ご休心を
親の会から発行するパンフレット「吃音とともに豊かに生きる」の最終校正、この夏の吃音講習会の実行委員会のために、4日間東京にいました。
その時、念願だった、九段下の千鳥ヶ淵の桜を見に行きました。タイミングよく満開でした。これまで、青森の弘前城の桜を、普段なら満開のゴールデンウイークに行ったのに散っていたなど、タイミングが悪いのに、今回は、予想も、期待もしなかった千鳥ヶ淵の桜に出会えて、今年の一年が期待できそうな、うれしい気持ちになりました。
私が、一度はみたい桜に「千鳥ヶ淵の桜」が入っていたのには訳があります。
20年以上もまえでしょうか、ファンでもなかったのに、偶然、さだまさしのコンサートをある年の年の瀬に行く機会がありました。さだまさしは、とても乗って時間を1時間近くオーバーしています。なごり惜しそうに最後に歌ったのが「風に立つライオン」でした。
アフリカで医療活動に従事する青年医師が、日本に残してきた恋人から届いた結婚報告の手紙に対する返信で、歌うというより、詞の朗読のような歌です。パーカッションを打ち鳴らす音でアフリカの大地が浮かび上がります。エンディングには、当時はまだ、さだまさしは、いまほど肥えていなかったので、声量たっぷりでした。マイクなしの、“アメイジング・グレイス”です。歌を聴いて、涙があふれた初めての経験でした。
青年医師と、今の僕、今の日本を憂える心情、その年の一年を振り返る年末であったことも影響したのだと思いますが、僕にとって忘れられない一曲になりました。
後で詞を紹介しますが、その中に「千鳥ヶ淵の桜」が出てくるのです。一度タイミングよく見たいと思っていたのが、最高のタイミングで今年見ることが出来ました。正月の歌舞伎の後の大雪、そして、春の満開の桜。きっと今年は、いい年になるとの予感がしています。
「風に立つライオン」は、アマチュア時代からの知り合いの医師・柴田紘一郎さん(長崎大学医学部卒業、後に宮崎県立日南病院長))から聞いた体験談に感銘を受けて作詞・作曲し1987年に発表した曲です。
風に立つライオン
作詞・作曲 さだまさし
突然の手紙には驚いたけど嬉しかった
何より君が僕を怨んでいなかったということが
これから此処で過ごす僕の毎日の大切な
よりどころになります ありがとう ありがとう
ナイロビで迎える三度目の四月が来て今更
千鳥ヶ渕で昔君と見た夜桜が恋しくて
故郷(ふるさと)ではなく東京の桜が恋しいということが
自分でもおかしい位です おかしい位です
三年の間あちらこちらを廻り
その感動を君と分けたいと思ったことが沢山ありました
ビクトリア湖の朝焼け 100万羽のフラミンゴが
一斉に翔び発つ時 暗くなる空や
キリマンジャロの白い雪 草原の象のシルエット
何より僕の患者たちの 瞳の美しさ
この偉大な自然の中で病と向かい合えば
神様について ヒトについて 考えるものですね
やはり僕たちの国は残念だけれど何か
大切な処で道を間違えたようですね
去年のクリスマスは国境近くの村で過ごしました
こんな処にもサンタクロースはやって来ます
去年は僕でした
闇の中ではじける彼等の祈りと激しいリズム
南十字星 満天の星 そして天の川
診療所に集まる人々は病気だけれど
少なくとも心は僕より健康なのですよ
僕はやはり来てよかったと思っています
辛くないと言えば嘘になるけど しあわせです
あなたや日本を捨てた訳ではなく
僕は「現在(いま)」を生きることに思い上がりたくないのです
空を切り裂いて落下する滝のように
僕はよどみない生命(いのち)を生きたい
キリマンジャロの白い雪 それを支える紺碧の空
僕は風に向かって立つライオンでありたい
くれぐれも皆さんによろしく伝えて下さい
最后になりましたが あなたの幸福を
心から遠くから いつも祈っています
おめでとう さよなら
日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2013/04/02
しばらくぶりのブログ更新です。
無茶苦茶に忙しい毎日、でも、これ以上書かないと、みなさんに忘れられてしまいます。
少しでも、書きたいとおもいながら、書けずにいました。元気でいますので、ご休心を
親の会から発行するパンフレット「吃音とともに豊かに生きる」の最終校正、この夏の吃音講習会の実行委員会のために、4日間東京にいました。
その時、念願だった、九段下の千鳥ヶ淵の桜を見に行きました。タイミングよく満開でした。これまで、青森の弘前城の桜を、普段なら満開のゴールデンウイークに行ったのに散っていたなど、タイミングが悪いのに、今回は、予想も、期待もしなかった千鳥ヶ淵の桜に出会えて、今年の一年が期待できそうな、うれしい気持ちになりました。
私が、一度はみたい桜に「千鳥ヶ淵の桜」が入っていたのには訳があります。
20年以上もまえでしょうか、ファンでもなかったのに、偶然、さだまさしのコンサートをある年の年の瀬に行く機会がありました。さだまさしは、とても乗って時間を1時間近くオーバーしています。なごり惜しそうに最後に歌ったのが「風に立つライオン」でした。
アフリカで医療活動に従事する青年医師が、日本に残してきた恋人から届いた結婚報告の手紙に対する返信で、歌うというより、詞の朗読のような歌です。パーカッションを打ち鳴らす音でアフリカの大地が浮かび上がります。エンディングには、当時はまだ、さだまさしは、いまほど肥えていなかったので、声量たっぷりでした。マイクなしの、“アメイジング・グレイス”です。歌を聴いて、涙があふれた初めての経験でした。
青年医師と、今の僕、今の日本を憂える心情、その年の一年を振り返る年末であったことも影響したのだと思いますが、僕にとって忘れられない一曲になりました。
後で詞を紹介しますが、その中に「千鳥ヶ淵の桜」が出てくるのです。一度タイミングよく見たいと思っていたのが、最高のタイミングで今年見ることが出来ました。正月の歌舞伎の後の大雪、そして、春の満開の桜。きっと今年は、いい年になるとの予感がしています。
「風に立つライオン」は、アマチュア時代からの知り合いの医師・柴田紘一郎さん(長崎大学医学部卒業、後に宮崎県立日南病院長))から聞いた体験談に感銘を受けて作詞・作曲し1987年に発表した曲です。
風に立つライオン
作詞・作曲 さだまさし
突然の手紙には驚いたけど嬉しかった
何より君が僕を怨んでいなかったということが
これから此処で過ごす僕の毎日の大切な
よりどころになります ありがとう ありがとう
ナイロビで迎える三度目の四月が来て今更
千鳥ヶ渕で昔君と見た夜桜が恋しくて
故郷(ふるさと)ではなく東京の桜が恋しいということが
自分でもおかしい位です おかしい位です
三年の間あちらこちらを廻り
その感動を君と分けたいと思ったことが沢山ありました
ビクトリア湖の朝焼け 100万羽のフラミンゴが
一斉に翔び発つ時 暗くなる空や
キリマンジャロの白い雪 草原の象のシルエット
何より僕の患者たちの 瞳の美しさ
この偉大な自然の中で病と向かい合えば
神様について ヒトについて 考えるものですね
やはり僕たちの国は残念だけれど何か
大切な処で道を間違えたようですね
去年のクリスマスは国境近くの村で過ごしました
こんな処にもサンタクロースはやって来ます
去年は僕でした
闇の中ではじける彼等の祈りと激しいリズム
南十字星 満天の星 そして天の川
診療所に集まる人々は病気だけれど
少なくとも心は僕より健康なのですよ
僕はやはり来てよかったと思っています
辛くないと言えば嘘になるけど しあわせです
あなたや日本を捨てた訳ではなく
僕は「現在(いま)」を生きることに思い上がりたくないのです
空を切り裂いて落下する滝のように
僕はよどみない生命(いのち)を生きたい
キリマンジャロの白い雪 それを支える紺碧の空
僕は風に向かって立つライオンでありたい
くれぐれも皆さんによろしく伝えて下さい
最后になりましたが あなたの幸福を
心から遠くから いつも祈っています
おめでとう さよなら
日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2013/04/02