11月5日 リハビリテーション学院の講義の当日、沖縄全県で地震・津波の防災訓練がありました。もちろん、その時は講義は中断です。「地震が発生しました」の合図で、全員が机に身を隠します。しばらく机の下に身を伏せて、今度は「津波が来ますので、高台に避難して下さい」の指示で、下駄箱で靴に履き替えることなく、全員スリッパのまま、学院の裏手の山に避難です。
あの、3・11の時の何度も目にした映像が浮かんできます。
私は普段1万歩歩いたり、ジョギングをしていますので、この程度の高台はなんともありませんが、高齢者や障害のある人は大変だろうと思いました。あのときも、実際の津波が迫ってくる中での高台への避難は、想像を絶することだったろうということは思います。学院の1000人ほどの学生が一斉に避難ですから大変です。駐車場の広場で人員が点呼され解散です。走りながら、集まりながら、私は、津波で亡くなった阿部さん親子のことをずっと考えていました。
講義が再開され、私は吃音親子サマーキャンプに宮城県、女川町から、4人家族で参加した阿部さんのこと、父と妹は助かったが、母親と、どもる中学3年生の莉奈さんが亡くなったことを話しました。キャンプに彼女が小学6年生の時参加し、話し合いのグループの時の様子や、その後の様子を話しました。彼女が不登校になってやっとの思いでキャンプに参加して、話し合いで元気になり、翌日の作文の時間に書いた作文を読み上げました。
阿部さんは、思春期を乗り切り、仙台の高校に進学が決まっていました。高校生活に夢を膨らませていた、3・11に津波が二人の命を奪ったのです。彼女の書いた作文は、彼女が生きた証として、私が決して忘れないとの思いを込めて、必ず、講演や講義などで紹介していこうと決めました。
津波の、全県的な避難訓練の後だけに、格別の感慨がありました。
日頃から、常にこのような防災訓練や防災意識は、海岸沿岸にすむ人たちには欠かせないと、強く思ったのでした。この日の沖縄の海はとても穏やかでした。
日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2012/11/11




