吃音の講義を受けての感想

 沖縄リハビリテーション福祉学院の、2年生、3年生のみなさんは、講義が終わってからの振り返りに、A4の紙いっぱいに振り返りを書いて下さいました。私のような、とても少数の、これまで講義をひっくり返すような話をすることを承知で、私に4コマという講義時間を与えてくださった、私を招いて下さったことに、心からの感謝と、敬意を表します。

 実際、ほとんどの人が吃音のイメージがまったく変わったと書いて下さいました。これまで大学や専門学校で最終日にたくさん感想をいただいています。それらを紹介することはほとんどありませんでしたが、1日の講義で、学生さんがどのような感想をもたれたか、いつも知りたいのですが、今回、私の予想以上に、長文で、明確な感想がほとんどだったので、記録の意味でも、ごく一部分ですが、拾い出してみました。

 このブログは、学生さんたちにも紹介しましたので、たぶん読んでいただけるものと思います。自分以外の他の人がどのような感想をもったか知っていただきたいとの思いもあって、部分的ですが紹介することにしました。プライバーシのこともありますが、内容を読んで、ご本人は自分が書いたものとはわかるでしようが、これはこの人だとは、特定できないと思いますので紹介することにしました。お許し下さい。

 私としては、90分が4コマの短い講義で、用意したことが話せず、是非みていただきたかったビデオもお見せすることができず、不十分だったとの思いは残るのですが、この感想を読む限り、言いたかったことのかなりの部分が伝わったと安心しました。

 極めて少数派の考えの私をお招き下さった学院の言語聴覚学科長を始め、自分の講義の枠を私に提供して下さった平良さんとスタッフのみなさん、独りよがりになりがちな私の話を、しっかりと聞いて下さった50名ほどの学生さんに、心からの敬意と感謝をお伝えいたします。

    学生さんの感想の一部のごく一部のですが。

・100年も前から研究されているにもかかわらず、原因や確実な治療法がないことに驚きました。「どもりが治ったときに人生が変わるのではなく、どもる覚悟ができたときに人生が変わる」ということばがとても心に残りました。吃音者の人生を変えることができるかもしれないSTという職業に改めてすごい職業だと感じることができました。

・「どもっていてもできないことはない」ということばがとても印象に残りました。吃音を受け入れてくれる人との出会いはとても大切なんだと感じました。私がSTになっときは、吃音のことを受け入れられるようなアプローチをして、丁寧で適切な吃音の説明をお母さんや子どもにできるようにちゃんと勉強したいと思いました。

・私の吃音に対するイメージが180度変わりました。以前の職場で吃音の方がいて、まったく知識のなかった私は「吃音があって大変だろうな」と勝手に思い、同情していました。今日話を聞き、そう思ってしまっていること自体が吃音の方を傷つけてしまっていると分かりました。

・よく他の先生方から、「症状だけじゃなくて、その人を見なさい」と言われていました。このことばの意味について分かっていたはずでしたが、今日の講義を受け、このことばの意味が分かったと思えたし、なるほどとスッと自分の中に入ってきました。「どもる覚悟があればできないことは何もない。そうすれば人生が変わる」ということばを聞き、今までの自分は吃音を少しでもよくすることが良い方法だと思っていましたが、違っていたと思いました。

・原因が分からない難しいものが吃音と思っていた私は、臨床の場に出たとき、果たしてどもる人が来たときに対応できるのかと不安で、できれば避けたいと思っていたのが正直な気持ちでした。しかし、言語聴覚士として私がすべきことが分かった今、ひとりで多くの子や人の不安を取り除いてあげたいという思いでいっぱいです。

・教科書だけでは教わることのできない吃音者の心理や吃音をもつ親の心を聞くことができて大変勉強になりました。教科書で書かれていた内容とは大きく違い、驚くことも多くありました。当事者の話や実際に吃音の方とお会いすることができてよかったです。

・私は今まで安易に「環境調整」ということばを使っていましたが、本人の周りの立場に立ってみると、調整されなくてはいけない要因があると言われることは、あまり良く思わないと思いました。

・ビデオをみて、小学5年生の男の子が「どもっているのが自分だ」という姿を見てなんだか自分よりとても大人でかっこよく見えました。

・吃音の子が相談に来て「吃音は治らないよ」という自信がありません。その理由はその子が私に絶望して離れていってしまうのが怖いからです。しかし、今日の講義が終了してからは、なんだか「吃音は治らないよ」と言えそうな気がします。どもりがあることで、いろんな人と出会い、いろんな経験をし、いろんなことを考えたと思います。そのことが、吃音を持っている人たちの人生の糧になっていると感じ、とても素敵なことだと思いました。

・「吃音は治らない。でも、豊かに生きていくことはできる」ということが分かりました。ST自身も、吃音について一緒に悩んだり考えたりしながらどもることで損をしない生き方を考えていくことがいいのではないかと思いました。ネガティブなナラティヴからポジティヴなナラティヴを一緒に作っていこうと思いました。

・私たちが使っている教科書にはたくさんの訓練法が載っているし、吃音は治らないものであるとストレートに書かれていません。しかし、講義は逆のことばかりでした。正直、教科書に載っている訓練をしたら治る子も出てくるかもしれないのに、どういう根拠があって、どんなふうに調べたら「訓練はほとんど意味がない」と言い切っているのかとても疑問に感じていました。しかし、先生が今までに自分自身で体験してきたこと、たくさんの出会った人たちをちゃんと見てきたから言っているのだと理解できました。私も、吃音の現実を受け止めて、「どもる覚悟」ができる協力をしたいです。

・3年生で、吃音の講義は去年学習しました。しかし、吃音という問題に対してあまり理解することができませんでした。訓練ということで、メンタルリハーサルや流暢促進訓練について教科書を読み学びましたが、実際にどのように行えばいいかも分からず漠然とした状態で、本日の講義を受講しました。今回、お話を聞いて、去年疑問に感じていた訓練手法や訓練に関しての意味というものがすっきり解けた気がします。なぜなら、吃音は訓練によって治すものではないということを今日学ぶことができたからです。

・講義を聞いてまず思ったことは、これまで習ってきた吃音の講義は何だったのかということです。吃音に対する訓練方法は講義の中で習い、実際にグループでロールプレイを行ったりしましたが、こうした訓練が(流暢促進訓練やメンタルリハーサル)はあまり効果がないということが、今回はっきり分かりました。しかし、治療はできないとしても、STは日本語のレッスンを行うことで、正しい日本語の発声の方法を教えることができたり、シーアンの氷山のモデルの、行動、思考、感情といった目に見えない部分に対するアプローチを行うことで、本人にどもる覚悟を持つことや吃音と共に生きていく心を育てることは行えるため、こうしたアプローチを行い、STとクライエントではなく、人間と人間として、心と心で関わることが大切であると強く感じました。

・劣等感について悩み苦しむことで、ある日、自分の劣等感が自分の一部として受け入れたとき、その劣等感が自分の成長の糧であり、心を豊かにするものだと思いました。吃音は内容が深くて難しい感じがするけど、楽しそうだなと思いました。

・私がこれまで学院で学んできたことは、訓練法や吃症状等であり、それは講義で話された氷山の一角の部分そのものだったとだと感じました。見えていない部分での、行動・思考・感情面については、深く考える機会がありませんでした。今日、なかなか触れることのできない部分についてお話下さったので、心理面をよくしていくことが訓練よりも効果的なのだと思いました。

・吃音についてのイメージが変わりました。意識させてはいけないではなく、マイナスのものと意識するということがだめということを学ぶことができました。

・アプローチでは吃音を治すことはできなく、STとして行動・思考・感情へのアプローチが大切であることが一番印象に残りました。また、「亀有郵便局」が言えずに困っている人に、「かめあり」が言えないなら「めあり」でいいじゃないかは、とても共感が持てました。

・私は今日まで「吃音を治すことはできない」ということを100%信じることができず、頭のどこかで「もしかしたら、治す方法はあるのではないか」と思いながら講義を受けていました。しかし、「吃音は治すことができない!」と今日改めて強く聞き、本当に治療法がないのだと実感しました。

・「欠点がない人間はおもしろくない。欠点があるからがんばれる」ということばにとても共感しました。

・「吃音を治す努力の否定」という、セラピストとしての立場と正反対のことばは最初受け入れがたいものだったが、話を聞く内に、徐々に納得し、変わっていく自分を感じることができたのもとても貴重な体験だった。

・今日の講義は、吃音のことが中心ではありましたが、自分のコンプレックスを受け入れる、社会とどう関わるかという意味では、吃音で悩んでいる人以外にも十分精通した話だと思いました。

・「どもっていてできないことは何ひとつない!」のことばに強く胸を打たれました。そのことを証明するためにも、数々のアルバイトを経験して実証した先生の行動力は素晴らしいと思います。その先生のおことばだからこそ胸に響いたのだと思います。また、「できないことは何ひとつない!」ということばは、どもりの当事者ではない私に対してもすごく励まされたような感じがしました。大事なことは覚悟を決めること、覚悟を決めることで人生が変わる、何か人生でネガティヴになったときは先生のこのことばを思いだし、自分を奮い立たせたいと思います。

・講義を受けて、よりいっそう吃音に対しての興味、関心が深まりました。それと同時に、吃音に対するイメージがガラリと変わりました。私の思う吃音は、悪いもの、劣等感のかたまりで、STならば治さなければいけないものと思っていました。劣等感の塊で生きてきた私は、人と話すこと、目を見ることさえできませんでした。こんなんでSTになれるのかとても苦しみました。そんなとき、手をさしのべてくれたのが今所属している学科の学科長です。伊藤先生がおっしゃっていたように、「あなたはそのままでいい。ありのままのあなたでいていいんだよ」と言ってくれて、とても救われました。そのことばひとつでどれだけの吃音者の心が救われるだろうかと考えると、一緒に悩みを聞いてくれて、一緒に悩んで、一緒に寄り添ってくれる人の存在がどれだけ大きいか、今日の講義で改めて実感しました。

・なんでSTになろうと思ったのかという気持ちを最近ずっと思っていました。本当にこのままSTになっていいのかなという疑問をずっと抱えたままでした。けど、今日、先生の話を聞いて自分はなぜSTになろうと思ったかを思い出せました。吃音は確かに音声的なアプローチも必要ですが、私たちより人として心は豊かなのではないかと感じました。私は太っていることが劣等感です。けど、その問題からずっと目をそらしてきました。先生が吃音という劣等感は、氷山の一角で行動や思考や感情にアプローチすることで変わってくるというときに、私は劣等感に向き合っていない自分自身が恥ずかしくなりました。吃音のアプローチとして考えるのではなく、人として自分らしく生きていくためには何が必要かと考えることが大切だと思いました。吃音だけでなく、自分らしく生きるために必要なことではないかと感じました。自分が失敗しても、辛くても全部含めて私なんだと思いました。

 日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2012/11/10