天文学的な確率の出会い


第14回島根スタタリングフォーラムの後、翌日の島根県難聴言語障害教育研究会の一日研修会のために、浜田市に泊まることになっています。フォーラムの打上の会が、島根県のことばの教室の教員5人と、浜田市の、ケンブローという、豚肉のおいしいレストランでありました。3時間以上話題は吃音のことばかり、今後の計画などを話す、とても楽しい時間です。
昨年もこの食事会に大勢が集まり、話が盛り上がって、隠岐でキャンプをする話がでました。そして、今年は7月、もう一度吃音キャンプが隠岐で開かれることになりました。隠岐の島は島根とは言え、なかなか遠いので、隠岐の人が島根スタタリングフォーラムに参加できないから、私たちが隠岐に行こうとなったのです。
いつものように、いろいろと話が盛り上がり、計画も立てる楽しい3時間の食事を終えて席を立って、ふと右手の座敷を見た時、一瞬自分の目を疑いました。
北海道浦河町のべてるの家の、向谷地生良さんが15人ほどの人と話し込んでいたのです。浜田市にある、刑務所ではあるけれども、ユニークな施設の職員との研修で浜田市にこられていたのです。
昨秋、私たちのワークショップ、吃音ショートコースのテーマは「当事者研究」でした。向谷地生良さんは、3日間びっしりと私たちのつき合って下さり、「伊藤さんたちの主張が大きく広がる夜明けは近いですよ」と、私たちを励まし、「吃音の当事者研究」を共著で出版することを提案して下さいました。
北海道と大阪の人間が、島根県の浜田市の小さなレストランで出会うのは天文学的な確率です。
超多忙の向谷地さんが3日間も研修することなど、ほとんどないでしょう。
それが実現したのは、浦河での《べてる祭り》に参加したとき、元TBSのディレクター斉藤道雄さんのご自宅での食事会で、向谷地さんのご家族を紹介され講師依頼ができたからです。その斉藤さんは、今、大阪吃音教室が例会場として使っている應典院が発行する小さな冊子に載った私の記事「弱さを社会にひらく」を読んで、東京から私に会いに来て下さいました。
私の話に共感し、素晴らしいドキュメンタリー番組『報道の魂』は作って下さいました。そのきっかけとなった、大阪で最も有名なお寺、應典院の秋田光彦住職とは、読売新聞の森川明義記者の取材に同行した時、紹介されました。森川記者は、私自身や私の活動を7回シリーズを読売新聞で大きく紹介して下さいました。その森川記者とは、大阪セルフヘルプ支援センターの活動の中で知り合いましたが、支援センターの活動は、九州大学・留学生センターの准教授、臨床心理士の高松里さんの紹介でした。
このように辿っていくと、たくさんの偶然の出会いが、人と人とを結びつけていくのが分かります。
私はこのような不思議な縁に、風に吹かれるままに、風に逆らわないで生きてきたように思います。
浜田市で、向谷地さんに出会って、そのようなことを感じました。
日本吃音臨床研究会・会長 伊藤伸二 2012/06/21


第14回島根スタタリングフォーラムの後、翌日の島根県難聴言語障害教育研究会の一日研修会のために、浜田市に泊まることになっています。フォーラムの打上の会が、島根県のことばの教室の教員5人と、浜田市の、ケンブローという、豚肉のおいしいレストランでありました。3時間以上話題は吃音のことばかり、今後の計画などを話す、とても楽しい時間です。
昨年もこの食事会に大勢が集まり、話が盛り上がって、隠岐でキャンプをする話がでました。そして、今年は7月、もう一度吃音キャンプが隠岐で開かれることになりました。隠岐の島は島根とは言え、なかなか遠いので、隠岐の人が島根スタタリングフォーラムに参加できないから、私たちが隠岐に行こうとなったのです。
いつものように、いろいろと話が盛り上がり、計画も立てる楽しい3時間の食事を終えて席を立って、ふと右手の座敷を見た時、一瞬自分の目を疑いました。
北海道浦河町のべてるの家の、向谷地生良さんが15人ほどの人と話し込んでいたのです。浜田市にある、刑務所ではあるけれども、ユニークな施設の職員との研修で浜田市にこられていたのです。
昨秋、私たちのワークショップ、吃音ショートコースのテーマは「当事者研究」でした。向谷地生良さんは、3日間びっしりと私たちのつき合って下さり、「伊藤さんたちの主張が大きく広がる夜明けは近いですよ」と、私たちを励まし、「吃音の当事者研究」を共著で出版することを提案して下さいました。
北海道と大阪の人間が、島根県の浜田市の小さなレストランで出会うのは天文学的な確率です。
超多忙の向谷地さんが3日間も研修することなど、ほとんどないでしょう。
それが実現したのは、浦河での《べてる祭り》に参加したとき、元TBSのディレクター斉藤道雄さんのご自宅での食事会で、向谷地さんのご家族を紹介され講師依頼ができたからです。その斉藤さんは、今、大阪吃音教室が例会場として使っている應典院が発行する小さな冊子に載った私の記事「弱さを社会にひらく」を読んで、東京から私に会いに来て下さいました。
私の話に共感し、素晴らしいドキュメンタリー番組『報道の魂』は作って下さいました。そのきっかけとなった、大阪で最も有名なお寺、應典院の秋田光彦住職とは、読売新聞の森川明義記者の取材に同行した時、紹介されました。森川記者は、私自身や私の活動を7回シリーズを読売新聞で大きく紹介して下さいました。その森川記者とは、大阪セルフヘルプ支援センターの活動の中で知り合いましたが、支援センターの活動は、九州大学・留学生センターの准教授、臨床心理士の高松里さんの紹介でした。
このように辿っていくと、たくさんの偶然の出会いが、人と人とを結びつけていくのが分かります。
私はこのような不思議な縁に、風に吹かれるままに、風に逆らわないで生きてきたように思います。
浜田市で、向谷地さんに出会って、そのようなことを感じました。
日本吃音臨床研究会・会長 伊藤伸二 2012/06/21