勇気を出して、一歩を踏み出そう
私の電話相談「吃音ホットライン」には、毎日3件は電話があります。今日のひとりは、23歳の東京の男性でした。ホームページで私のホットラインを知り、電話をしたい、電話をしようと思いながら、受話器をとって、番号をプッシュしながら、今日まで電話がかけられなかったそうです。
「よく、電話を今日かけてきてくださいましたね」と、私はうれしくなりました。1年間の逡巡を思いました。私も21歳の時、申し込んで吃音矯正所、東京正生学院の門のところで、中に入れず、1時間以上建物の周りをぐるぐる周り、不審者と間違われたことがありました。門の中に入れば、自分の吃音を認めることになる。吃音を治すために吃音矯正所を訪れながら、私は自分の吃音を認めたくなかったのです。情報を知ってもすぐにはなかなか行動に移せないのです。
たくさん、吃音のサイトがある中で、なぜ、私のところに、1年がかりで電話をしてきたのか、尋ねると、びっくりすることを言いました。
「吃音」で検索すると、「吃音・大阪」とでて、吃音に関しては大阪が進んでいるのかなあと思ったというのです。こんなことは、初めて聞いたことなので驚きました。私は実際には大阪が世界で一番進んでいると思うのですが、実際に私たちのことを知らずに、ネット情報だけでそのように想像じたというのは、とてもうれしいことでした。
日本吃音臨床研究会は6月の上旬には、ホームページを大幅にリニューアルします。吃音については、世界一の吃音サイトになるだろうと思います。大勢の人が読んで下さるものを目指します。読んで下さった人の中から、ひとりでも、お電話を下さり、直接つながって行けたらと、心から願っています。
さて、今日の男性です。吃音に深く悩み、どもる自分が大嫌いで、吃音に悩む自分も大嫌い、死にたいとよく考えるそうです。中学生頃から悩み始め、吃音のままでは大人になれない、仕事なんかできないと、大人になることがとても恐かったといいます。今、家業を手伝っているのですが、家族には、一切自分が吃音に悩んでいることは話していません。周りも気づいていても、タブーのように話題にもなりません。毎日、どもり、毎日、どもる自分がいやになっています。
精神科の医者だけには、吃音の苦しみを話しています。2週間に1度通院し、精神安定剤を処方されています。その薬が効果がないことは、私のところに電話をしてきたことだけでも分かります。
精神科に通うのは、一般論としては賛成できません。薬はやめた方がいいと話しましたが、自殺願望が彼にはあると分かったので、うかつには言えません。通院もやめた方がいいといったものの、すぐに前言を翻して、あなたにとって必要なら、一般的には賛成できないが、しばらくは通うのは必要かもしれないねと言いました。わずか、10分でも、吃音について聞いてくれる人が彼には必要だと思ったからです。
彼の話を聞いていくと、私の21歳の夏までにそっくりでした。どもる自分が嫌で、死にたいと思い、大人になることが恐かった。吃音もいやだけれど、その吃音悩んでいる自分も嫌だった。吃音に悩む、弱い、小さな人間だと思われたくなかった。だから、周りの誰にも言えずに、ひとりで悩んでいたのでした。
私は自己紹介が嫌なだけで、高校時代好きな卓球部を辞めた苦い経験を話しました。21歳までの、吃音を隠し、逃げてばかりの人生がいかに苦しかったか、でも、そこから一歩踏み出せずに悩んでいたころの体験を話しました。彼のことは、痛いように分かるのです。
その上で、「1年前に電話をかけようとして、かけられずいたのが、今掛けてきたのは、今があなたが変わるチャンスかも知れないね。あなたが変わる一歩として、私の何冊かの本を読んで下さい。本屋さんでかえますが、私のところに注文すれば、日本吃音臨床研究会の封筒で送るから。親や周りから、この研究会は何かと聞かれたら、吃音のことを話せばいい。周りに吃音のことを知ってもらうのがあなたの第一歩だ」と話しました。
自分を変えていく、一歩を踏み出す勇気がでたら、是非、本を注文して下さいと話して電話を切りました。
果たして、彼は一歩を踏み出すことができるか。21歳まで、本当に同じように悩んできた私としては、彼が再び連絡して下さることを祈らずにはいられませんでした。
自分を変えていくには、勇気がいります。そのちよっとした勇気をもって欲しい、一歩歩み出して欲しいと心から思いました。もし、また本の注文などで、彼と出会えれば、私の方から東京に行き、直接出会いたいととも思いました。
私は、21歳で大きく変われました。彼は、23歳まだこれからです。一緒に吃音と向き合い、吃音と共に生きる道を探って行けたらと考えています。
日本吃音臨床研究会・会長 伊藤伸二 2012/05/27 15:37
私の電話相談「吃音ホットライン」には、毎日3件は電話があります。今日のひとりは、23歳の東京の男性でした。ホームページで私のホットラインを知り、電話をしたい、電話をしようと思いながら、受話器をとって、番号をプッシュしながら、今日まで電話がかけられなかったそうです。
「よく、電話を今日かけてきてくださいましたね」と、私はうれしくなりました。1年間の逡巡を思いました。私も21歳の時、申し込んで吃音矯正所、東京正生学院の門のところで、中に入れず、1時間以上建物の周りをぐるぐる周り、不審者と間違われたことがありました。門の中に入れば、自分の吃音を認めることになる。吃音を治すために吃音矯正所を訪れながら、私は自分の吃音を認めたくなかったのです。情報を知ってもすぐにはなかなか行動に移せないのです。
たくさん、吃音のサイトがある中で、なぜ、私のところに、1年がかりで電話をしてきたのか、尋ねると、びっくりすることを言いました。
「吃音」で検索すると、「吃音・大阪」とでて、吃音に関しては大阪が進んでいるのかなあと思ったというのです。こんなことは、初めて聞いたことなので驚きました。私は実際には大阪が世界で一番進んでいると思うのですが、実際に私たちのことを知らずに、ネット情報だけでそのように想像じたというのは、とてもうれしいことでした。
日本吃音臨床研究会は6月の上旬には、ホームページを大幅にリニューアルします。吃音については、世界一の吃音サイトになるだろうと思います。大勢の人が読んで下さるものを目指します。読んで下さった人の中から、ひとりでも、お電話を下さり、直接つながって行けたらと、心から願っています。
さて、今日の男性です。吃音に深く悩み、どもる自分が大嫌いで、吃音に悩む自分も大嫌い、死にたいとよく考えるそうです。中学生頃から悩み始め、吃音のままでは大人になれない、仕事なんかできないと、大人になることがとても恐かったといいます。今、家業を手伝っているのですが、家族には、一切自分が吃音に悩んでいることは話していません。周りも気づいていても、タブーのように話題にもなりません。毎日、どもり、毎日、どもる自分がいやになっています。
精神科の医者だけには、吃音の苦しみを話しています。2週間に1度通院し、精神安定剤を処方されています。その薬が効果がないことは、私のところに電話をしてきたことだけでも分かります。
精神科に通うのは、一般論としては賛成できません。薬はやめた方がいいと話しましたが、自殺願望が彼にはあると分かったので、うかつには言えません。通院もやめた方がいいといったものの、すぐに前言を翻して、あなたにとって必要なら、一般的には賛成できないが、しばらくは通うのは必要かもしれないねと言いました。わずか、10分でも、吃音について聞いてくれる人が彼には必要だと思ったからです。
彼の話を聞いていくと、私の21歳の夏までにそっくりでした。どもる自分が嫌で、死にたいと思い、大人になることが恐かった。吃音もいやだけれど、その吃音悩んでいる自分も嫌だった。吃音に悩む、弱い、小さな人間だと思われたくなかった。だから、周りの誰にも言えずに、ひとりで悩んでいたのでした。
私は自己紹介が嫌なだけで、高校時代好きな卓球部を辞めた苦い経験を話しました。21歳までの、吃音を隠し、逃げてばかりの人生がいかに苦しかったか、でも、そこから一歩踏み出せずに悩んでいたころの体験を話しました。彼のことは、痛いように分かるのです。
その上で、「1年前に電話をかけようとして、かけられずいたのが、今掛けてきたのは、今があなたが変わるチャンスかも知れないね。あなたが変わる一歩として、私の何冊かの本を読んで下さい。本屋さんでかえますが、私のところに注文すれば、日本吃音臨床研究会の封筒で送るから。親や周りから、この研究会は何かと聞かれたら、吃音のことを話せばいい。周りに吃音のことを知ってもらうのがあなたの第一歩だ」と話しました。
自分を変えていく、一歩を踏み出す勇気がでたら、是非、本を注文して下さいと話して電話を切りました。
果たして、彼は一歩を踏み出すことができるか。21歳まで、本当に同じように悩んできた私としては、彼が再び連絡して下さることを祈らずにはいられませんでした。
自分を変えていくには、勇気がいります。そのちよっとした勇気をもって欲しい、一歩歩み出して欲しいと心から思いました。もし、また本の注文などで、彼と出会えれば、私の方から東京に行き、直接出会いたいととも思いました。
私は、21歳で大きく変われました。彼は、23歳まだこれからです。一緒に吃音と向き合い、吃音と共に生きる道を探って行けたらと考えています。
日本吃音臨床研究会・会長 伊藤伸二 2012/05/27 15:37