どもる私は、人付き合いの苦手さを克服できるか
前のブログからずいぶんと日があいてしまいました。
小児科医師会での講演や、岡山言友会の相談会など、書くことはたくさんあるのに、書けませんでした。それはおいおい書いていくことにして、今回は、前回の大阪吃音教室の続きです。
質問 どうしたら、人付き合いの苦手さを克服できるか
伊藤 人とのつきあいが苦手で、苦手な場に出ないでいたら、ずっと人付き合いが苦手のまま。話すのが苦手だからと、話す場面を避けていたら、ずっと話すことが苦手なままが続く。どこかで覚悟を決めて、苦手な場に出ていくしかない。
ひとつの方法としては、何かのグループや会、組織のリーダーになること。世話人になること。他の人のことを少しは考える。私は、自分のことだけを考えていたときは、逃げてばかりの生活だった。21歳の時、どもる人のセルフヘルプグループ、言友会を創立した。創立者だから、リーダーにならざるを得なくなった。自分のためなら逃げていたが、自分がつくった会のためには、逃げなくなった。吃っても話したし、人付き合いが苦手でも、人とつきあった。その内に苦手ではなくなった。
自分のことだけを考えていると苦手意識は克服できないのではないだろうか。リーダーになれば、結果として人付き合いが増える。私もどもるのが嫌だから、人付き合いを避けていた。「どもって生きる覚悟」を決めることが最初に必要なことではないか。
坂本:どもる人が、リーダーになる、世話人になる意義を吃音親子サマーキャンプで感じた。大阪スタタリングプロジェクトのどもる人たちが、初めて会ったどもる子どもに、一生懸命かかわっていた。子どもも喜んでいたが、その人たちも楽しそうだった。
伊藤:リーダーが一番得をしている。これはセルフヘルプグループの原理。世話をする人が一番成長する、変化する、助けられている。私はさきほど人の役に立つといったが、人の役に立つということが全面にあるのではない。楽しいからやっているが8割以上。人のためというより、自分が楽しいからやっている。その結果、人の役に立っていると実感できるのがうれしい。
人付き合いが苦手で、それをなんとかしたいと本当に考えているのなら、アドラー心理学でいう、「共同体感覚」を身につけることだ。そのためには、自己肯定・他者信頼・他者貢献の感覚を身につけたい。
自己肯定
演出家の宮本亜門は、高校時代、他の高校生との人間関係がうまくとれずに、悩んで学校へ行けなくなった。1年ひきこもったが、親から、学校へは行かなくてもいいから、精神科医のところへ行って欲しいと言われて、精神科医と会った。他人と、自分が考え方や行動が違うところを、精神科医は何一つ否定せず聞いてくれ、おもしろがってくれた。全面的に肯定してくれた。そこで、おもしろくて、1週間精神科医のもとに通った。ずっと肯定され続けたことで、自分を取り戻して、1週間後に学校へ通うようになる。
「あなたはあなたのままでいい。他の人と合わなくてもいい。まあこの自分でいいか」
この自己肯定がまず大事。
他者信頼
日本は世界でも珍しい、安全で治安のいい国。この世の中には変な人、合わない人、苦手な人もいるけど、基本的に他人は信頼できる。この世の中は信頼できる。この他者信頼がなければ、苦手な人とつきあえないし、どもることを否定する人ばかりだと考えたら、話せない。まず、他者を信頼しよう。
他者貢献
昔、幼稚園の先生、小学校の教諭、中学校、高等学校、看護師の専門学校などで講演したとき、「自分で自分のことが好きですか?」という質問をしたことがあった。自分のことが好きなのは、順番に幼→小→中→高→看護学校だった。自分のことがあまり好きではないは、看護師の専門学校がトップだった。僕だけの経験で一般化はできないが、その時、「自分が嫌い、生きていく自信が持てない」という自分を少しでも変えたいから、看護という仕事について、他者貢献して自分を好きになりたいのかなあと感じたことがあった。 その学生たちに、自分のことが大好きとまではいかなくても、学生のうちに「楽しい、嬉しい、心弾む」ことをいっぱい経験して、少しでも自分を好きになって欲しいと話した。
質問 生まれたころから人とあまり会話しなかった私でも、人と関わるのが苦手でなくなるか。ずっとこうだったので、変われる気がしない。
伊藤 今の生き方をいつまで続けますか? 人と関わるのが苦手な、あまり人と関わらないで今のまま生きていってもいいと思うけれど、もしも変えたいのなら、変えたらいい。あなたが行動するのにどういうことが必要ですか?
質問者 人と話すことが分からない。何を話していいのか。
伊藤 じゃあ、今のままでいいじゃん。無理しなくてもいい。だけど変えたいと思うなら変えられる。これまであまり人と会話しなかったから、これまではいろんな物事に興味関心が少なかったかもしれない。興味、関心、趣味などを増やしてみるのはいいかもしれないね。そうすると、今後の人生の色どりが増す。老後が楽しくなるかもしれない。自分の喜び、楽しみを少しずつ広げていく。その結果、人と話ができるようになるかもしれない。
奥野:僕の場合は性格プラス吃音の影響もあり、会話の流れを止めるのがイヤ。その場が凍り付くような気がする。だけど、僕は人と喋りたい。どうすればいいか?
伊藤:そのためにはリスクを背負わないと。どもって、流れをストップさせるかもしれない、変な空気になるかもしれない。それも引き受ける。それに慣れていくと、自分もまわりの人もそのことが気にならなくなる。他人は人のことなんてあまり構っちゃいない。自分のことに精一杯だ。基本的に人は自分のことには関心があるが、人のことには関心がない。その場が本当に凍り付いているか、行動を起こしてみなければわからない。実験する。試してみるのも面白い。本当に場の空気が凍りつくのか。そこには、場の空気が凍りつくのを嫌がる人もいるかもしれないけど、逆にそれによって救われる人もいるかもしれない。しょうもない話をしているところに、あなたが話し始めることによって場の空気が変わり、ホッとする人もいるかもしれない。話したいと思ったら、ともかく会話に入っていくことが大事。あなたは、会話に入りたいの? 会話に入らないと気まずいからと、義務を感じているのではないのか?
参加者:やはり、孤独感、疎外感を感じる。
伊藤:演出家の鴻上尚史が、吃音ショートコースという私たちのワークショップの時に、とてもいいアドバイスをしてくれた。イギリスに留学していたとき、まだ英語がうまくできなかった初めの頃、基本的に、人は喋らなくても、輪の中にいるだけでもOKなんだけれど、一言も喋らないのはちょっと気まずいから、話が膨らんで英語についていけなくなる前に、つまり、最初の方に「このサンドイッチ、うまいね」「今日は気持ちいい、いい天気だね」などと、言っておく。それだけでこの輪の中に自分もいるのだと、存在をアピールできる。あとは喋らず、相づちを打ったりにこにこするだけでOKだという話をしてくれた。
「私は喋らなくてもOKだ」「だから人の話を聞こう」ということだ。
僕は大学2年生の時、「お前は、人の話を聞いていない。聞いてもらった気がしない」と言われたことがある。それが、カウンセリングを学ぼうと思ったきっかけになった。では、ここで質問です。どうして僕は人の話を聞けなかったのだろうか?
坂本:自分が言うことばかり考えていた。
伊藤:まさにそう。「自分が話してこそこの場にいる意味がある」「いつ会話に割り込もうか」ばかり考えていた。昔、誰かが話すとすぐにその話をとって「私の場合はね」と、自分の話の糸口をつかむために人の話を聞いているかのような人がいた。それに近かったのかもしれない。
参加者:会話の中で、常に自分がどもるかどうかを気にしていたから。
伊藤:そう。どもる人の大きな問題がこれ。自分と相手の間に、「どもり」という壁をつくり、このことばはどもるか、うまく言えるかと、目の前の相手より、常に自分の中にある、どもりとの対話を優先させていた。そんな僕を友人は見抜いていたのかもしれない。
どもろうとどもるまいと、自分が話したい時は話したい。
エンカウンターグループでファシリテーターをしている時の話だけど、基本的にエンカウンターグループでは、ファシリテーターはあまり喋らない。しかし、参加者の話を聞いていると、つい「自分もこんなことがあって」と話したくなる。でも、そうやって自分の話を始めてしまうと、自分の話ばかりになってしまう。そこで「自分の体に預けた。自分のセンサーを信じた。どうしても話したいと、自分の動悸が高まった時だけ話そう。それほどでもない時は黙っていようと決めた。
どもりに悩んできた私は、喋ることに慣れていないし、聞くことにも慣れていなかった。ことばのキャッチボールの経験が不足していたために、友人に「お前は聞いていない」と言われたのだと思う。それからは、できるだけ聞くことに重点をおいて、自分が話したい時は話そうと心がけて、私は聞くことも話すこともできるようになって、あまり人と話すのが苦手ではなくなった。それと、沈黙を楽しむ、沈黙に強くなることかな。僕は沈黙があると、すべてどもる自分に責任があると思い込んでいた。半々の責任だから、自分の責任と感じる必要はない。急がない。話題を次々に提供しなくていい。
こんなことを考えて、人と話す場に出ていったらいいのではないか。
この日の大阪吃音教室でこのようなことが話されました。仲間にメモが得意の人がいて、メモしたものをメールで送ってくれましたので、それをそのまま使って、吃音教室の様子を報告しました。
日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2012/05/21