変えていく勇気
「神よ、
変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。
変えることのできないものについては、それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。
そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、識別する知恵を与えたまえ」
今日の大阪吃音教室は、2011年度の最終日。
担当の東野晃之会長は、神学者のラインホールド・ニーバーの言葉をホワイトボードに書き、このように提案しました。
「セルフヘルプグループでは、「変わること」が大きなキーワードになっています。今日は、「変わるということ」について振り返りましょう。シーアンは、吃音は氷山のようなもので、吃音そのものは海面上のごく一部で、本当の問題は、海面下に沈んでいると説明しました。吃音そのものは変えることは難しいが、吃音から影響を受ける、隠したり、話すことから逃げる行動。吃音は悪い、劣った、恥ずかしいものとするような考え方。不安や、恐怖、恥ずかしさや、惨めさなどの感情は、行動と考え方が変わることで、結果として変わっていきます。大阪吃音教室に参加して、この1年、自分が変わったこと、他の参加者について変わったと気付いたことを話し合う時間にしましょう」
4グループに別れて話し合い、全体に報告し、さらに話し合いました。自分が変わったことだけでなく、周りの人が変わったことを発言するのが、大阪吃音教室の特徴ですが、自分が変わったことについての発言のいくつかを紹介します。
・参加前は、どもることが恥ずかしく、自分から話す場に出ていくようになって、変わった。
・どもっているが、敢えて人と話す仕事に就いた。
・どもったら、今でも恥ずかしい。でも、そんな状況を楽しめるようになった。
・以前は、どもったら周囲がどう反応するかが気になったが、今は、どもったときに周囲の反応を見るのが楽しみになった。
・以前は恥ずかしかったが、今では自慢するような感じでどもりを公表している。アピールポイントになっている。
・いろいろな価値観を持つ人と交流して、自分の価値観が広がった。
・自分と同じような経験をしている人がいっぱいいるので、リラックスできたし安心した。
・人前でどもってもいいと思えるようになった。就活の面接でも、どもっても自分の言葉で話せるようになった。
・高校一年で不登校になったが、毎週参加して復学の決心がついた。
・仕事でしんどい役割を担当して来たが、「それはできない」と言えるようになった。
・震災をきっかけに、「何かやらなきゃ」と行動しはじめ、パートなどもし、吃音教室にも参加するようになった。今後は、人前でどもっても気にならないように変わりたい。
・昔は「どもりは悪いもの」と思っていた。今は、どもれることは素晴らしい、向き合えることは素晴らしいと思える。「どもりは良いもの」との自覚が生まれた。
・今までは、逃げたり、「幸せになりたい」と漠然と思っていただけだったが、吃音教室に参加を続けて、昔の自分とまったく違い、自分の世界を持って「確かに自分は生きている」という実感が持てるようになった。
・ここに来て一番良かったなと感じるのは、浮わついたテーマで集まっているのではなく、吃音をテーマにして、多種多様な意見が集まって、人を惹きつけていることだと思う。
・多種多様な意見、価値観がここで表明されるのは、吃音が「治らないもの」だからだと、私は考えている。吃音がもし治るものだったら、そして、ここが吃音を治すことを目標とする場なら、治す努力をして吃音が軽減した者が偉いとか、うまく吃音を人前でごまかすことの出来る者が偉いという、単純な価値観の場になっていただろう。ほとんどの人は、吃音は治らないものだと聞くと、絶望感にとらわれるだろうが、今日は、「吃音は素晴らしいものだ」という話が出た。その素晴らしさは、吃音が治らないことにあると考えている。
・初参加から1年、毎週参加した。3月17日の結婚式で親への手紙を、どもりながら最後まで読んだ。以前なら、どもりの公表もしなかっただろうし、周囲にどう思われるかを気にして読めなかっただろう。今回は、読んで良かったと思った。以前は「周囲の目の中で」生きていたが、今は自分の人生を生きているのだと思う。単に「どもりを受け入れた」ではなく、もっと深い意味があるような気がする。
・彼女は初参加からずっと、すべての例会に参加して来た。1年間皆出席するためには、きっと何かを犠牲にして来ただろうし、なかなか出来ることではない。ここに来て「変わりたい」という人は多いが、何回か来て来なくなる人、都合の良い時だけちょっと顔を出す程度では、変わるのは難しい。彼女のように、来ると決めて来続ける真面目さ、誠実さがあれば、1年でも変わることが出来る。何かに集中すべき時には、集中的にすることが大事だ。
日本吃音臨床研究会・会長 伊藤伸二 2012年3月27日
「神よ、
変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。
変えることのできないものについては、それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。
そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、識別する知恵を与えたまえ」
今日の大阪吃音教室は、2011年度の最終日。
担当の東野晃之会長は、神学者のラインホールド・ニーバーの言葉をホワイトボードに書き、このように提案しました。
「セルフヘルプグループでは、「変わること」が大きなキーワードになっています。今日は、「変わるということ」について振り返りましょう。シーアンは、吃音は氷山のようなもので、吃音そのものは海面上のごく一部で、本当の問題は、海面下に沈んでいると説明しました。吃音そのものは変えることは難しいが、吃音から影響を受ける、隠したり、話すことから逃げる行動。吃音は悪い、劣った、恥ずかしいものとするような考え方。不安や、恐怖、恥ずかしさや、惨めさなどの感情は、行動と考え方が変わることで、結果として変わっていきます。大阪吃音教室に参加して、この1年、自分が変わったこと、他の参加者について変わったと気付いたことを話し合う時間にしましょう」
4グループに別れて話し合い、全体に報告し、さらに話し合いました。自分が変わったことだけでなく、周りの人が変わったことを発言するのが、大阪吃音教室の特徴ですが、自分が変わったことについての発言のいくつかを紹介します。
・参加前は、どもることが恥ずかしく、自分から話す場に出ていくようになって、変わった。
・どもっているが、敢えて人と話す仕事に就いた。
・どもったら、今でも恥ずかしい。でも、そんな状況を楽しめるようになった。
・以前は、どもったら周囲がどう反応するかが気になったが、今は、どもったときに周囲の反応を見るのが楽しみになった。
・以前は恥ずかしかったが、今では自慢するような感じでどもりを公表している。アピールポイントになっている。
・いろいろな価値観を持つ人と交流して、自分の価値観が広がった。
・自分と同じような経験をしている人がいっぱいいるので、リラックスできたし安心した。
・人前でどもってもいいと思えるようになった。就活の面接でも、どもっても自分の言葉で話せるようになった。
・高校一年で不登校になったが、毎週参加して復学の決心がついた。
・仕事でしんどい役割を担当して来たが、「それはできない」と言えるようになった。
・震災をきっかけに、「何かやらなきゃ」と行動しはじめ、パートなどもし、吃音教室にも参加するようになった。今後は、人前でどもっても気にならないように変わりたい。
・昔は「どもりは悪いもの」と思っていた。今は、どもれることは素晴らしい、向き合えることは素晴らしいと思える。「どもりは良いもの」との自覚が生まれた。
・今までは、逃げたり、「幸せになりたい」と漠然と思っていただけだったが、吃音教室に参加を続けて、昔の自分とまったく違い、自分の世界を持って「確かに自分は生きている」という実感が持てるようになった。
・ここに来て一番良かったなと感じるのは、浮わついたテーマで集まっているのではなく、吃音をテーマにして、多種多様な意見が集まって、人を惹きつけていることだと思う。
・多種多様な意見、価値観がここで表明されるのは、吃音が「治らないもの」だからだと、私は考えている。吃音がもし治るものだったら、そして、ここが吃音を治すことを目標とする場なら、治す努力をして吃音が軽減した者が偉いとか、うまく吃音を人前でごまかすことの出来る者が偉いという、単純な価値観の場になっていただろう。ほとんどの人は、吃音は治らないものだと聞くと、絶望感にとらわれるだろうが、今日は、「吃音は素晴らしいものだ」という話が出た。その素晴らしさは、吃音が治らないことにあると考えている。
・初参加から1年、毎週参加した。3月17日の結婚式で親への手紙を、どもりながら最後まで読んだ。以前なら、どもりの公表もしなかっただろうし、周囲にどう思われるかを気にして読めなかっただろう。今回は、読んで良かったと思った。以前は「周囲の目の中で」生きていたが、今は自分の人生を生きているのだと思う。単に「どもりを受け入れた」ではなく、もっと深い意味があるような気がする。
・彼女は初参加からずっと、すべての例会に参加して来た。1年間皆出席するためには、きっと何かを犠牲にして来ただろうし、なかなか出来ることではない。ここに来て「変わりたい」という人は多いが、何回か来て来なくなる人、都合の良い時だけちょっと顔を出す程度では、変わるのは難しい。彼女のように、来ると決めて来続ける真面目さ、誠実さがあれば、1年でも変わることが出来る。何かに集中すべき時には、集中的にすることが大事だ。
日本吃音臨床研究会・会長 伊藤伸二 2012年3月27日