少しでも、現実の生活で使えるために

 毎週金曜日に開いている、大阪吃音教室では、「吃音を治す・改善する」ではなく、どもりながら、自分らしく豊かに生きるために、さまざまなテーマで学び合っています。
 その中で、アサーションがあります。ずいぶん長くつづいていますが、あきることはありません。

 3月9日のテーマは2週続くアサーションの一回目で、「アサーション入門」でした。吃音教室の終わり頃、教室に参加し始めてまだ1か月ほどの参加者からこんな質問がありました。

 「私は会社に勤めているが、会社には上下関係があり、取引先の会社や競合する会社との関係など、一般社会は競争社会であり、常に競合している。その中で、アサーティブに、自分の意見を言っていくのは難しい。ここ大阪吃音教室で、アサーションの学習をするのは、日常生活の中で、たとえば注文したものと違うものが出てきたときに「これは違います」と言うなどの、単なる日常での自己主張なのか。それとも会社の中で、自分を主張していくために、このようなトレーニング、考え方を学んでいくのか」

 メンバーからは「一般社会はともかく、私は、セルフヘルプグループの中で、ほっとできる、そういう場として来ている。社会生活の中で役立つというものをという大きな期待をして参加しているのではない」などの発言がありました。
 この意見、見解はその通りで、私も、競争社会で生き抜いて、その中で仲間と、いろいろ話して、学んでほっとできる、いい仲間に出会えるのは、基本的に一番大事な、セルフヘルプグループの意義だと思っています。

 それをベースにしながら、私たちがさまざまなことを学んでいるのは、やはり生きる知恵として身につけて、それを使っていきたいからです。
 吃音は、他の病気や障害と少し違う部分があって、吃音があったとしても社会は常にどもらない人間と全く同じように、社会生活でふるまうこと、行動することを期待し、要求しています。
 学校生活でも社会生活でも、足の不自由な人に周りの人は、みんなと同じように「走れ!」などとは言いませんが、吃音に関しては、「お前はどもるからしゃべらなくてもいい」とはほとんどの場合言われません。

 これは、時に厳しいですが、ある意味ありがたいことです。どもりながら、厳しい現実の社会で生きていかなければならないのは、どもる人間の、宿命であり、試練です。だからこそ、生きる活力も沸いてきます。
 大阪吃音教室が、ただ、ほっとできる場だけではなくて、吃音を治そうとする場でもなくて、現実を受け止めて、サバイバルする力を養っているのです。言わなければならないことを言い、言いたいことを言っていく、そんな日常生活の小さな積み重ねの中で、本当に必要な、大切なことは、現実の職場や仕事の社会生活も少しずつであっても、主張していくことを学んでいく、身につけていこうとしています。

 現実に、大阪吃音教室で学んだことを、現実の会社や地域の中で、言うべきことを言っていくという態度が身について、とても生きやすくなった人がすくなくありません。

 アサーションの講座を担当する人は、いつもしっかり勉強してきます。資料など印刷し、どう私なら説明するかと工夫もします。時に、不十分であっても、参加者全体で講座をささえますので、入れ替わり立ち替わりいろんな人が担当します。アサーションの講座を担当する自信がまだもてない人も、思い切って担当できる。自ら名乗り出るのもアサーションを学んで来たからでしょう。

 どもる私たちがなぜ、アサーション、アサーティヴ・トレーニングを学んでいるのか、機会があれば書きたいと思います。
 そうそう、アサーションの第一人者である平木典子先生との共著で、
 「話すことの苦手な人のアサーション」(金子書房)という本があります。興味があればお読み下さい。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2012年3月15日