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 桂文福さんの、40周年大宴会のハプニング

 前回報告の続きです。大相撲関係者の挨拶や、河内音頭などで盛り上がった大宴会も、そろそろ終わりに近づきました。司会の千田やすしさんが、

 「最後に桂文福師匠ご夫婦に挨拶をしていただきますが、その前に、急に思い立ったハプニングとして、桂文福師匠・田中登さんをずっと支え続けてこられた律子さんから、夫である田中登さんに何か一言、言っていただきましょう」で、マイクが律子さんに渡されました。
 すると、ハプニングではなくて、[私の方から、皆さんにお礼が言いたくて、お願いしました」と、メモを読み上げ始められました。司会者とは打ち合わせがなかったようです。
 
 以前、お弟子さんの、桂まめださんの10周年のお祝いの落語会の時、律子さんが温かい、心のこもった応援のメッセージを読み上げられたことがありました。とても素敵なメッセージでした。そこで、今回もと、思わず、私は、メモを取って聞いてしまいました。少し違うかも知れませんが、メモをもとに紹介します。
 
 「田中律子です。本日は40年のパーティーに大勢お越し下さり、ありがとうございました。でしゃばりかなあと思いましたが、どうしても皆様にお礼が言いたくて、時間をとっていただきました。

 皆様も知っておられるように、主人は根はやさしい、いい人ですが、奇人、変人です。
 しゃべる仕事、噺家としては、吃音という大きなハンディをもっています。
 ことばが流れる、つまる、間を外す、などきついものがあります。

 吃音のハンディを、持ち前の明るさと重量級のパワーと、おそろしく早い切り替えの良さと、迷惑なほどのサービス精神、ストレスを家族に当たり散らさないことで乗り越えてきました。

 演芸が好き、落語が好き、舞台が好き、何より皆さんに喜んでいただくことが大好きで、40年間落語を続けることができたのだと思います。今は亡き、五代目桂文枝師匠の、『文福、お前、文福落語でやったらいいんやで』のこのことばがあったから、これまで続けてこれたのだと思います。
 古典はともかく、相撲甚句、河内音頭、なぞかけなど、飛び道具でやってきました。
 落語家・文福は、このようにがんばってきたのですが、私個人としては、31年間、同じ時間を共有し、これまで非常にきついものがありました。何度投げ出したくなったかしれません。でも、私が選んだ道ですし、お互いが通じるものがあったのでしょうか。喧嘩をしながらも主人の横で挨拶をしている私です。

 こんな変わった落語家のところに、ありがたいことに弟子の子が来てくれました。うれしいことです。噺家にとって、慕って来てくれる子がいるなんて、本当にうれしいことです。
 
 類が類を呼ぶのでしょうか。ユニークな弟子が集まりました。2冊の本が書けそうなくらい、いろんなことがありました。
 私の希望は、芸は軽いのですが、体重はすこぶる重いので、体重を減らし、健康に気をつけて、文福らしい、明るく陽気で、形におさまらない、こぶしの効いた、リズミカルで、ペーソスのある落語を今後も続けて、皆さんにかわいがってほしいと思っています。
 これまで、応援して下さったみなさん、本当にありがとうございました」

 大宴会の前の落語や演芸、大宴会での挨拶や、河内音頭などいろんな出し物があった中で、一番の盛り上がり、爆笑でした。吃音というハンディをのくだりで、一番どよめきがありました。
 家族だけでなく、会場の400人の参加者にとって、桂文福さんの吃音は、マイナスのネガティヴなものではなく、愛すべき、ひとつの個性として、完全に受け入れられているのでした。

 他の分野で、たとえば小説家が吃音を公にしたとしても、何の問題もありません。かえって、内容に深いものが感じとられ、有利かもしれません。しかし、落語家は、吃音を公表することで、そのことに聞き手が気をとられる危険性がなくもありません。しかし、文福さんは、おおらかに、吃音の宣言をしていくのです。それも、家族と一緒に。日本吃音臨床研究会の伊藤伸二をみんなに紹介し、今度は律子さんの吃音の話です。

 宴会が終わってお見送りに立っていた律子さんは私に、「吃音のこと、あのように言ってよかったでしょうか」と、私たちを気遣って下さいました。「いえいえ、とてもとてもうれしかったです」と、握手を交わしました。

 どもる話し方を、吃音症状として否定し、なんとか治そうとする吃音の研究や臨床が多数を占めるこの世界に、このように、おおらかに吃音を肯定して生きる人と、それを支える人たちがいる。うれしい、幸せな時間でした。

 桂文福さん、田中律子さん、私との出会いのきっかけを作って下さった息子さん。ありがとうございました。

日本吃音臨床研究会・会長 伊藤伸二 2012年3月11日