







私にとっては、とてもうれしい大ハプニング
前回に続いて、桂文福さんの大宴会の話題です。
落語会に続いて、スイスホテルの大宴会場はびっしり満員です。入り口で文福さんが、
「息子と同じテーブルにしましたから」と、言って下さっていたのですが、そのテーブに行くと、私の名前がありません。あまりにも参加者が増えて、少し混乱をしていたのでしょう。そのテーブルは人がいっぱいだったのですが、私のために譲り合って席を増やしてくれました。しかし、それではと、一緒に行った川崎さんと一緒のキャンセル待ちの人たちのテーブルにしてもらいました。
主催者の挨拶や、落語家や芸人仲間が40年のお祝いの挨拶をした後、記録用のビデオカメラと文福さんが、司会の千田やすしさんと一緒に会場を回り、参加者にインタビューしていく時間になりました。町長さんや支援者の弁護士やお世話になった人など、つきあいの深い人が選ばれています。なんとなく聞きながら、食事をしていると、
「日本吃音臨床研究会の伊藤伸二先生、どちらにおられるでしょうか?」のアナウンスが聞こえてきました。一瞬耳を疑いました。文福さんのご家族は、なぜか私を「先生」と言って下さるのです。400人ほどの大宴会です。インタビューはごくごく限られた10名ほどです。私が呼ばれるとは、前もって聞いていませんし、100パーセント考えられないことでした。私がいるはずだと、文福さんが思っていたテーブル席に私がいないので探して下さっていたのです。
全く予想ができなかったハプニングに、私は珍しくうろたえて、文福さんが私をどのように紹介したか聞き取れませんでした。そして、マイクを持たされたのですが、何を言えばいいのか戸惑いました。
いくら文福さんが、吃音についてオープンに話されるようになったと言っても、40周年の記念の宴会に、それもごくわずかな数の参加者へのインタビューに、文福さんが私を予定し、司会者もそれを受けて探していてくれたのです。わざわざ私を紹介する必要などまったくないはずなのにです。
どもりと文福さんとのかかわりを、このような席で、どのように、どこまで話せばいいのか、吃音を話題にしていいのか、いくら私でも戸惑いました。
「・・・・どもりながら、落語家として活躍して下さることは、私たちどもりにとって希望の星です」
このようなことを口走った、ような気がするのですが、本当に珍しく上がってしまって何を言っているのか、覚えていないのです。それだけ、本当に予想しなかった、私にとっては大きなハプニングでした。そして、文福さんが、私のことを大切に考えて下さっていることがとてもうれしく、温かいものが、私の中に広がっていきました。
「吃音は悪いもの、劣ったもの、恥ずかしいもの」と、21歳まで思い続け、悩んできた私にとって、「英国王のスピーチ」がアカデミー賞を授賞し、吃音が肯定的に話題になった喜びと同じくらいに、うれしかったのです。華やかな芸能界の世界で、吃音が肯定的に受け止められている、そんな感じがしたのです。その後、またまたうれしいハプニングが待っていました。それは、次回に。
日本吃音臨床研究会・会長 伊藤伸二 2012年3月8日