長かった湯布院も仕事に追われていたためか、あっという間に過ぎました。
 最後の日、不思議なことが3つ起こりました。

 ひとつ
 湯布院で気に入っている食事処で食事をし、湯布院ワイナリーに向かって歩きました。人の多い湯の壺街道とはちがって、湯布院のそのままの自然を感じとれる川に沿っての散歩です。お酒を飲めない私にとって、ワイナリーが目的ではないのですが、行ってみると閉鎖になっていました。好きなハム工房でコーヒーを飲み、しばらく歩くと、南由布駅です。後、5分もすれば列車が来るのですが、乗らずに歩きました。相当の距離を歩き、一休みしたいなあと思い始めたとき、ケイタイがなりました。湯布院在住の中曽根からさんです。
 「今、宿舎ですか?」
 「南由布駅から歩いて帰る途中です」
 「どのあたりですか」
 このやりとりをしながら、周囲を見渡すと、昨年、中曽根さんに連れて来てもらった、花合野(かごの)美術館の近くです。ふと、駐車場を見ると、中曽根さんが館長と一緒に立って電話をしているところでした。目と鼻の先で電話をしていたことになります。列車にのっていたらこの出会いはなかったことになります。不思議な縁です。
 花合野(かごの)美術館で展示されている作品を鑑賞した後、おいしいコーヒとりんごをいただき、館長の西野裕介館長ご夫妻と、中曽根さん、私たち夫婦の5人で、美術館を開くことになった経過や、大阪市長選挙などの政治の話など、楽しいひとときを過ごしました。中曽根さんは私に、前に話して下さった、DVD「“私”を生きる」を宿舎まで届けようとして下さる途中でのできごとでした。DVDについては後日。

 ふたつ
 15年以上で会っていない知人に、湯布院の町で会いました。相手は気づいていなかったのですが、顔と声は、間違いなく知人です。親しかったわけではないので、声はかけませんでしたが、一瞬どきっとしました。偶然というのは続くものですね。

 三つ
 これはもう奇跡としかいいようがありません。湯布院最後の日、ホームの夕食をパスし、町に出ました。6日に「おもうこぼす」で夕食をとるはずだったのですが、和田さんの体調がよくなくて、料理はつくれないからと、となりのレストランで食事をしました。食事の後、お茶を飲みに「おもうこぼす」に行ったのです。でも、やはり、湯布院最後の夕食に、和田さんの料理が食べたくなって、行くことにしました。突然行って、開いていたらラッキーだし、閉まっていたら別のところでと思って、店の前まで行きました。
 灯りはついていたのですが、閉店となっていました。挨拶だけでもと入ると、予約の一家族が食事をしていました。もし、可能なら食事をしたかったから来たと話すと、特別に作って下さいました。名物のだんご汁だけでなく、湯布院の野菜のおいしい料理をごちそうになり、予約の家族が帰った後、いろいろと話していたところに、和田さんのお連れ合いが店に来られました。お連れ合いとお会いするのは初めてです。挨拶をして、またしばし話していたところ、
 「伊藤さんの専門は、何なんですか」 
と問われ、言語障害の中で、特に吃音だと話すと、
 「言友会はご存知ですか」
と問われました。もうびっくりです。
 お連れ合いは言友会の人たちとつきあいがあり、特に、お仕事の関係で、私がとても親しくしていた人をよく知っているとおっしゃるのです。私が、言友会から離れることになって、やむなく別行動をとったひとですが、私がずいぶんお世話になった人です。もう、80歳くらいにはなっておられるでしょうか。その人と、お連れ合いは親しくて、先だっても会っているとおっしゃり、その人の話で盛り上がりました。

 湯布院最後の日に、「おもうこぼす」に行かなければ聞けない話です。親しくなった人のお連れ合いが、以前私がとても親しいつきあいがあった人と、親しい。不思議な、不思議な縁を思いました。

 「伊藤が会いたいと言っていたと伝えて下さい」とお願いして、幸せな気持ちに包まれて、「おもうこぼす」を後にしました。

 湯布院最後の日に起こった、奇跡のような思いがけない三つのできごとでした。
 湯布院エウンカウンターグループが始まってから行き始めて7年。グループが終わってからも行った湯布院は、10年行ったことになり、新しく大切な仲間のいる湯布院となりました。これからはたびたび行くことになるかもしれません。

日本吃音臨床研究会・会長 伊藤伸二 2012年1月14日