この記事も湯布院で投稿したつもりのものです。
 結果として、一気に3本の更新となりました。
 12月23日から1月9日まで長い九州での滞在となりました。

 湯布院の日々

 昨年の湯布院の日々は大変でした。昨秋出版した、金子書房の「ストレス、苦手とつきあうための、認知療法・認知行動療法 吃音とのつきあいを通して」の本の執筆の最終段階に入っていました。出版社に締め切りを延ばしてもらって、執筆に取り組んでいました。せっかくの湯布院なのに、毎日、パソコンに向かう日々でした。
 今回は、前回よりは少しゆっくりしたものの、相変わらずパソコンに向かい、日本吃音臨床研究会の2011年度の年報の作成のためのテープ起こしなどに追われる日々でした。もうひとつ、2012年が、大変忙しい日々になるために、英気を養い、体力をつける意味合いがありました。昨年の湯布院の後、血糖値がかなり上昇し、その後高い状態が続いていたので、今年の湯布院は、血糖値のコントロールの意味合いもありました。保養ホームの食事は、ホテルや旅館と違って、質素そのもの、1日3食で、1600キロカロリーが守られる健康食です。それに、2万歩近く、ウォーキングとスロージョギングで、湯布院の町を歩き回りました。体調は好調です。

 1月2日、グループでは一度も一緒にはなりませんでしたが、湯布院在住の中曽根さんが、ドライブで鶴見岳から別府に連れていって下さいました。鶴見岳では残念ながら由布岳は見ることができませんでしたが、氷点下5度で、きれいな樹氷を見ることができました。

 1月6日には、竹田市の古びた温泉、長湯温泉に連れて行って下さり、日本一の炭酸泉に入ってきました。雪がまだらに残っている山道なので、ゆったりとしたドライブを楽しみました。山里のいい温泉町でした。
 この日の夕食は、保養ホームではとらずに、中曽根さんの湯布院の大切な仲間と夕食をとることになっていました。
 
 一人は、湯布院で湯布院映画祭などを計画して、地域で多彩な活動をしている人です。 『ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?』(講談社)で知られる、ベトナム戦争の戦士であった、アレン・ネルソンさんや乳がんとの闘病の中で、命の授業をしてきた、養護教諭、山田泉さんの日記を自費出版の編集をするなど支援をしてこられた話など、私たちにとって、とても刺激的でした。
 自費出版の『山ちゃんの保健室日記』は、私はいただきましたが、買うことができません。山田泉『いのちの恩返し』(高文研)は書店で買うことができますので、お読みいただくとうれしいです。
 もう一人は、福岡で小学校の学童保育の指導員を長年つとめ、湯布院で、子どもたちのたまり場になればと、「おもうこぼす」という、カフェを開いている人です。学童保育では、不登校気味の子や自閉症の子、いろんな悩みを抱えている子が、学童保育で、思いを語っていった経験から、このような店の名前になったのでしょう。湯布院に行かれたら、金隣湖の近くにあるこの店を訪れてみて下さい。おはぎがとてもおいしいです。血糖値が気になりながら、これで最後だと言い聞かせて、ふたつも食べてしまいました。
 中曽根さんも、美術館の管理人のかたわら、ドキュメンタリー映画の上演会をしたり、カウンセリング関係の世話人をしている人です。

 反原発や、反戦の活動、教育や、子どもたちとのかかわりを、湯布院という地域で静かに続けているこれらの人たち、価値観の共通する人、大切にしているものが共通する人との語らいほど、うれしく、楽しいものはありません。私の吃音の取り組みにも関心をもって下さり、いろいろと質問をして下さり、「吃音は治すのではなく、どう生きるかが大切」だとして、「どもる人が、この人間社会にいてもいい。吃音を治そうとしない」とする私の考えに共感して下さいました。

 夕方の6時前に集まったのに、あっという間に10時になっていました。
 地域で、すばらしい活動をしている人々に出会い、「お互い少数派だけど、がんばろう」と励まし合える仲間に、また出会うことができました。湯布院は、今後もたびたび訪れることになるでしょう。私たちの、第二の故郷のようになりそうです。

 そうこうするうちに、明日はもう、湯布院を去る日です。また、大阪での慌ただしい日常生活に戻ります。大阪に戻ったら、エンジン全開で吃音に取り組みます。

 日本吃音臨床研究会・会長 伊藤伸二           2012年1月8日