至福の4時間

一昨日、第22回吃音親子サマーキャンプの打ち上げ会がありました。参加したのは、34名のスタッフのうちの17名。34名は、千葉県、神奈川県、愛知県、三重県、和歌山県、大阪府、兵庫県、島根県などから、手弁当で参加してくれました。人数は例年とそうたいして変わらないのですが、常連のスタッフの数人が、どうしても事情があり、参加できないということで、少しの不安をもってのキャンプでした。
心配をしていましたが、とてもいいキャンプでした。おいおい紹介していきたいと思いますが、最初に打ち上げ会の報告です。
子どもたちと、劇の上演に取り組むための、劇のための合宿。キャンプ当日。そして、この打ち上げ会。これで、今年のキャンプが終了したことになります。
事前の劇の稽古もとてもすてきな時間です。もちろん、キャンプ当日も。私は、この打ち上げ会もとても大切で好きな時間です。中華料理を食べながら、ビールを飲みながらではありますが、ひとり一人がキャンプを振り返ります。ひとり一人の一言一言に耳を傾け、ヤジを入れたり、突っ込みを入れたり、補足の説明や、その後の経過が話されます。みんな、、子どもたちのこと、動きや発言など、キャンプの全体をよく見ています。
幸せな4時間があっという間に過ぎます。店の人から、退席を迫られなかったら、まだ続きそうでした。
メモをしたものをたよりに、少しだけ再現します。読者のみなさんには、経験していないことの報告で、興味がもてないかもしれません。また、あまりに長くて読みにくいかもしれませんが、私たちの記録の意味もありますので、紹介します。私たちのキャンプへの思いが伝わればうれしいです。 伊藤伸二
第22回吃音親子サマーキャンプの打ち上げ・反省会
○○ 参加者が例年になく少なくて、116名だったために参加者全員の顔がよく見えた。劇の進め方について、スタッフ会議の提案で確認されたように、上演よりもプロセスを大切にした。全員にすべての役をやらせてみるなど楽しみながら劇を作り上げることができて、よかった。しっくりきた。
話し合いは、1・2年生の担当だった。初参加が多かったが、みんなしっかりしゃべっていた。初参加の子でも、小さい子でも、吃音について話し合いをしたいのかと思った。
○○ 劇が最初からできあがっていたような感じがして、不安がなかった。子どもがノリノだった。スタッフの劇の稽古の時、早口にならないようにと言われて、久しぶりに今日は自分はだめかもと思ったが、なるべくゆっくりと心がけた。初参加の親が子どものことで泣いていた。何て声をかければいいのか、難しかった。中3の子どもたちが、「もっと若いスタッフに来てほしい」と言っていた。
○○ 初めて全日程参加できた。声を出すことが気持ちがよいなと思った。1・2年の話し合いでは、自分の考えをしっかり話していた。劇では、ねずみ隊の子どもたちが、お互いにカバーしながらやっていてすごいと思った。
○○ 2つのことを思った。ひとつは、参加者の人数は少ない方がいい、もうひとつは、脚本はシンプルがいい。シンプルだとすぐできてしまって、後は何をしようかということにこれまでなっていたようだけど、今回は、練習の時間の使い方をふくらませてもらえたようだから、シンプルでいいと思った。スタッフの劇はうまくいった。それには、観客の力が大きいと思った。例えば、鳥の長老の「そりゃ、鳥にはよう分からん。木のことだ、木に聞いてみにゃ」のせりふは、「木」に、アクセントがないといけないのだが、練習のときはうまくいかなかった。でも、本番は、観客の力で、「木」が、強調されていた。話し合いでは、たとえば、「自分のどもりが朝になったら消えている」か、「朝起きたら世界中のみんながどもっていた」のどちらがいいか、など架空の設定で聞いてみた。自分の興味関心があったから聞いたのだが、とてもおもしろかった。ちなみに、みんながどもりになったら、伊藤さんの仕事がなくなると言った子がいて、おもしろかった。
○○ どもっている娘に感謝。父にテーマを与えてくれたことに感謝。キャンプの案内を見たときから、どもる子どもの親として参加するより、スタッフがいいなと思っていた。仕事が教師だから、よく人前でしゃべっているが、劇の事前レッスンを受けて、人を見てしゃべるということを再確認した。スタッフがそれぞれによく動いていること、またスタッフ会議でも子どもたちをよく見ていること、すごいなあと思った。キャンプという場の力を見せてもらった。
○○ 去年参加しなかったせいか、今年、初参加の人が多かったせいか、初参加の人も古くから参加している人も、隔たりがなかったようだ。お茶のことだけでなく、他のこともみんながよく動いて、手伝ってくれて、とても楽だった。
○○ もう何回も参加している父親が、親として、マンネリ化しているような気がすると言っていた。父親だけどスタッフとして参加している人が二人もいるんだから、その父親にもスタッフになってもらってもいいね。
○○ 今回、カレーの配膳など、父親が率先してやってくれていた。父親の役割が何かあればいいのか。受け身でなく、自分からすすんで動いている場もみられた。
○○ 自分が子どもとして参加していたときと比べて、子どもたちが積極的だったのでびっくりした。話し合いでも、劇の練習でもそれを感じた。今回初めて、参加者からスタッフになって参加して、自分としては成長できたかなと思う。参加者の時は、子どもとして自分のことしか分からなかったが、今回スタッフとして話し合いに入って、親の気持ちが分かったし、前向きに考えられるようになった。親への思いも変わった。両親に「ありがとう」と言えるようになった。高校生の時、僕が相談にのっていた中学生が、今度は年下の子どもたちの相談役になっていて、成長を感じた。来年は自発的に動きたい。
○○ 昨年の反省会で、劇で大事にしていることの情報交換をしたが、自分が担当したグループでは、そんなふうにしてこなかったなあと思った。子どもの立場に立ってみると、配役を決め、せりふの練習をするという、自分の役だけの練習だけなら、あまりおもしろくないと思った。竹内敏晴さんのレッスンで、僕たちは声を出す楽しさや劇を作り上げていく楽しさを体験している。それならば、同じことはできないとしても、プロセスを大切にしようと思った。
○○ 今年も、話し合いはどもる子どものきょうだいグループだったが、来年は、できたら、きょうだい以外のグループに入りたい。
○○ ○○さんが2歳の子どもを見ていてくれたおかげで、話し合いや学習会に参加できたと親がとても喜んでいた。
○○ 初めての参加で少し不安があったが、吃音ショートコースでも感じたが、このキャンプにも、ここにいていいのだという、とても温かい雰囲気があった。3・4年の話し合いでは、普段子どもに接したことがないので、不安だった。子どもたちは、足を投げ出しているので、ぶつかったりすると、蹴り合いになったりするが、なかなか声が出ない子が話し出すと、みんな、足で蹴り合いをしながらも、ちゃんと聞いている。一瞬さっとその場が静かになって、聞いていた。純粋で、話すことが好きな子だと思った。また、グループで、点呼をするとき、名前が出てこないことを久しぶりに味わった。子どもの前でどもっていると、その僕の姿を見て、隣で他のスタッフが喜んでいた。
○○ 伊藤さんが35年ほど前にしていた、ことばの発達の遅れた子どもたちのキャンプに参加したのは、大学生のときだった。その時、どう入っていったらいいのか不安だった。でも、子どもたちの方から働きかけてくれた。初めてのスタッフも、初めての子どもも同じ気持ちだろう。不安なりに、かかわっていけばいいのかなと思う。
○○ 2回目の参加。前は急ぎすぎた自分がいたので、今回はゆったりした中で参加できてよかった。こんなキャンプに参加できる中・高校生がうらやましかった。夜、子ども部屋で寝たが、子どもからかかわってきてくれた。喧嘩もあった。自分がどもらないということで、不安があったが、みんな温かかった。子どもから勇気をもらった。中3の話し合いでは、一緒になって自由に話せた。
○○ 体調があまりよくなく、まいったなあと思っていたが、子どもの寝顔がかわいくて、元気がでてきた。スタッフの劇の中で、ねずみ隊の登場の仕方をいろいろ考えた。森の大変な中で帰ってくるのに、♪ズイズイズッコロバシ♪ と陽気でいいのか。難しくてわからなかったが、とにかく、子どもの前で弾む体を見せようと思った。
○○ キャンプのスタートからの参加は、8年ぶり。駅に迎えに行ったことで、出会いの広場のとき、ひとりでぽつんとしていた高校生に声をかけることができた。劇は最初の場面でシンプルだったので、主役の役をみんなでやってみた。それがよかった。役をすぐ決めず、それぞれが一度いろんな役をやってみた。みんな一度やっているので、後ですぐに決まった。中3の話し合いは、もし途中で話が切れたらと思って「吃音ワークブック」をもっていったが、途切れることなく話が続き、使わずに済んだ。来年、高校生になる子が、クラブでの自己紹介のことが今から心配だと発言した。まさに、予期不安。そのことで、いい話し合いができた。
○○ 初めて参加した子どもが、眠る部屋の中で、みんなの中に入れなかったとき、スタッフが、「この子は初参加なのでよろしくね」とみんなに紹介してくれて輪の中に入れてうれしかったと感想に書いて送ってくれた。そして、来年も行きたいとも。スタッフのひとりひとりが、そのような対応ができていることが、このキャンプのよさだ。部屋の中での子どもの様子を見ることもとても大切だ。
○○ よくどもる高校生が、劇が進行しないことで、「みんなに迷惑をかけているんじゃないか」と言ってきた。僕は、「みんな、どもるんやから、そんなことない」と言った。
○○ 初参加で不安がいっぱいだった。劇の事前レッスンで、スタッフのみんなはいい人だと思った。当日、子どもたちとどう接したらいいかと考えていた。行ってみたら、なんとかなるものやと思う。高校生の恋愛相談は、どう答えたらいいのかと思ったけれど、自分が経験してきたこと、自分が思ったことを話した。体験したことを話すと伝わるんだなと思った。話し合いは親のグループに入った。親の子どもを見る目が聞けて、自分も親に相談していたら、また違っていたのかなと思った。
○○ 高校生の恋愛相談というのは、ある女子高校生に好きな子がいるけど、どもる人は嫌われるに違いないと思っていると発言したことから始まった。「そんなことはない。実際に、来年結婚することになっている人がこのキャンプに来ている。相手の親の所に挨拶に行って、すごくどもったけれど、とてもがんばったねと、結婚する相手から言われたんだよ」と話したら、女子高校生4人の目がキラキラと輝いていた。そして、相談に行ったんだね。とてもうれしかったと言っていた。
○○ 最後のふりかえりのセッションで、スタッフの女性が、どもってことばが出ない場面がすごくよかった。小学6年生の女の子が、その姿をじっと見ていた。その子は、なかなかことばが出ない。誰かと一緒だと言えるが、ひとりだと出ないし、言おうともしない。一人で言ってみたらと声をかけたが、チャレンジしようともしなくなっていた。正面に座っていた彼女は、かなりどもる女性の先輩スタッフを間近で見ていたから、きっと私と同じだと思っただろう。あれだけどもってもしゃべっている。そして、それでも人は聞いてくれているし、人に伝わる。そのことを身をもって知ってくれただろう。思わず、○○さん、そこで、どもってナイス!!と思っていた。
○○ 子どもがどもったとき、周りがどう思いながら聞いているかということは、親の一番の関心事だろう。キャンプの場では、どんなにどもっても自然に温かく待っている。親にとっても、勇気づけられたのではないか。
○○ 「どもってもいいと言うけれど、本当にいいの? どもると聞いてくれないという現実があるのに、どもってもいいと言えますか? やっぱり改善しないといけない」と言う人がいる。僕たちは、「にもかかわらず、どもっていかないといけない」と言う。どもっていて、それを自然なこととして聞いている。みんながその場にいる。そんな場の経験がいい。僕たちは「どもってもいい」とスローガン的に言っているわけではない。ただ、自然にどもっている姿を見せているだけだ。それだけでいい。どもる僕たちがどもりながら劇をみせる。どもりながら発言する。それがいい。それだけでいい。
○○ どんなにどもっても言いたい人はいる。どもったら、相手に受け入れられない、ちゃんと聞いてくれるという安全な場でないとどもれないというのは、どもる人に対して失礼だ。
○○ スタッフとして、長く参加してきて、自分としては、どもれるようになった。「どもってしまった」ではなく、どもれることに感謝の気持ちさえもった。劇では、どもれるというのはいいことだな、すばらしいなと思った。
○○ キャンプのスタッフは、全国に散らばっているので、事前に集まって実行委員会を開くことはできない。キャンプ当日、初めて会った人たちが、それぞれに自覚をもって動いている。そして、そのスタッフひとり一人の動きをみんなが信頼している。スタッフの自覚とそのスタッフへの互いの信頼がこのキャンプを支えているのだろう。毎年こんな水準のキャンプができていることは奇跡に近い。来年結婚する女性のように、どもりながら愛され、また仕事を精一杯がんばっているどもる人の生きた見本が、このキャンプの場に実際にいるということがいい。すごい。実際にその人に話を聞くことができるのだから。
どもる子どもの親も真剣、スタッフも真剣、子どもたちも真剣だった。親のフリートークの場も真剣な話し合いが続けられていた。真剣さがこのキャンプの場を支えている。そして、そこに笑いがある。また、来年もよろしく。
2011年9月19日 日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二