子どもへの信頼
私たちが毎月発行する月刊紙「スタタリング・ナウ」は、吃音を切り口にしながらも、さまざまな角度から、コミュニケーション、生きること、子育て、からだとことばなど、幅広い分野に関心をもって編集しています。今月号で205号になります。よく続いているものだと、自分たちのことながら感心します。
今月号は、「難聴の娘と歩んだ40年と娘自身の子育て」のタイトルで、NPO法人全国ことばを育む会理事長である、加藤 碩さんが子育てについて書いて下さいました。
「この子の耳は聞こえていませんよ」と医師から突然の宣告を受けて、動転したときのこと、あれこれ議論をしながらも、結論的には「娘の人生は娘自身が歩む、娘の進路は娘自身が決める」と考え、子どもの伸びていこうとする力に信頼をおいて「ゆっくり、ゆっくり、あせらず、あきらめず」の子育てをしたことを、ていねいに書いて下さいました。
一昨年の夏、山口県で行われた親の会主催の吃音親子キャンプの時、加藤さんと長い時間話すことができ、子ども観、教育観、障害観など、同じような感覚、考えに意気投合しました。そこでお願いして書いていただいたのが、今回の手記でした。
私たちに一番共通したのは、子どもへの信頼です。
「親はなけれど子は育つ」は、井原西鶴が浮世草子「世間胸算用」に書いていることばですが、「親がいても子は育つ」と言ったのは、堕落論で有名な作家・坂口安吾です。西鶴は、親が亡くなっても、江戸時代の長屋のような共同体が育てていくから心配するなと言い、坂口安吾は、子どもの足を引っ張るような親であっても、子どもは育つのだと言いました。両者とも、子どもの育つ力に信頼を寄せています。
私の両親も、吃音に悩む私に親として何もしてくれませんでした。今となっては、「伸二は大丈夫、自分なりに生きていける」と私を信頼していてくれたのだと思います。
信頼と信用は違います。信用は銀行融資の担保物件でもわかるように、条件付きです。信頼には条件がないのです。
加藤さんも私の両親も、何の根拠もなく、子どもを「育つ存在」だと信頼をしています。多くの領域で、「信頼」がなくなっていく現代。人を信じてはいけないと、子どもの頃から教えられる現代。そのような現代だからこそ、自分を信頼してくれる他者の存在が必要です。そしてまた、他者を信頼して生きていきたいものです。
加藤さんの子どもへの信頼は、娘さんに受け継がれ、3人の子どもをおおらかに育てておられます。恵さんの子育て奮闘記も、「スタタリング・ナウ」に掲載できたのはうれしいことでした。自分の子どもを、人間を信頼することは、すがすがしいものです。
日本吃音臨床研究会 代表 伊藤伸二 2011年9月14日