やはり名前は言いにくい


 9月6日入院して、9月9日退院しました。
 生涯2回目の入院でした。一度目は狭心症で20日ほど、この時は24時間の点滴で、命に直結する入院だったので、悲壮感がありました。病院の窓の外の世界と、病院の内側の世界が、まったく違うもののように見えました。本当に、あの窓の外のシャバの世界にもどれるか、心細く、不安だったことを思い出しました。

 今回の入院は、手術と言いながら、多くの人が経験している、ポピュラーな、自分で受けようと決めた白内障の手術なので、一度目の入院のような不安はありません。だけど、やはり手術はできたらしたくないものですね。手術服をまとい、車いすに乗せられて、着いたところは、ドラマでよくみる手術室の光景です。前回は手術ではなく、カテーテルで心臓の動脈のつまり具合をみるものでしたが、不安になる余裕すらなく、ただベッドに身を任せている状態だったのであまり覚えていないのです。今回、初めて手術室なるものに身を投げ出したことになります。

 目は閉じているので周りは見えませんが、話し声、ベッドの移動でかなり大きな部屋のようです。何人も同時にしているのでしょうか。スタッフも10数人はその部屋にいるような気配です。目を洗い、麻酔液が入れられ、医師の指示するまぶしい光を目をいっぱいにあけて見ていると、大きな圧迫感を目に感じることなく、「伊藤さん、終わりましたよ」に、あまりのあっけなさに驚きました。
 8分だったそうです。二日目のもう一方の目は、6分だったそうです。パンフレットには15分から30分と書いてあったように記憶しているので、それは白内障の手術ではなかったのかなあと思えるくらいです。

 手術は両目とも難なく終わりましたが、これから一日4回の点眼が大変です。

 どもらない人には、何のこともない入院でしょうが、どもる人には大変だろうなあと思いました。実際私も、困ることも悩むこともないけれど、苦笑いのシーンは何度もありました。

 名前確認が実に多いのです。本当に何度も何度も言わされます。「お名前をフルネームでお願いします」何度も何度も聞かれます。すっと言えるときもあったのですが、「・・・・いいいいとうしんじ」と何度もなりました。食堂でも名前を言わなければなりません。
 吃音に悩み、どもりたくないと考えていたときだったら、本当に大変だろうなあと思いました。また、よくどもる人にとってはつらいだろうなあと思いました。今の私はどもってもいいと思っているので、「・・・」となっても「いいい」となっても、言うことはできます。ほんの少しタイミングがずれるだけで、何の問題もありません。ただ、手術の後の視力検査では心の中で苦笑いです。

 「右端のひらがな言えるところまで言って下さい」と言われて、よく見えるようになったので、調子よく言っていくのですが、当然ちょっとどもってると間が開きます。すると検査者は、もう見えなくなったと判断し、検査は次の展開になるのです。少し間が開いて言うと「見えていたのですか」と、戻ってくれますが、ひさしぶりのおもしろい体験でした。これまでも、視力検査は何度もしているのですが、ひとつひとつゆっくり言っていたのだと気づきました。見えるようになった私と、見えているはずだと思い、さっさと言わせる検査者の、これは合作の出来事でした。

 前回の入院では、24時間点滴だったために、それが切れると、ナースコールで「・・・・ててて点滴、お願いします」と言わなければなりません。深夜には本当に困りました。面と向き合っていれば、どもっていると分かりますが、深夜、ナースコールを押して「何ですか?」と問われて「・・・・・・・」では、「どうしたんですか?」と何度も言われます。めんどくさくなって、ベッドから降りて、ナースステーションまで出かけていくことがたびたびありました。

 大勢の前での講演や講義はできるのに、名前だけ言うという状況では私はやはりどもります。そんな時、「人生、何事もすべてうまくいくわけではない。二つ、三つ、自分の思い通りにならないことがあるのも、いいもんだ」と、思えるようになったのは、吃音に深く悩んでいた頃の私からみると不思議な思いがします。
 今現在、吃音に悩んでいる人のご苦労を思いました。

 そうそう、手術は成功し、目の前がとても明るくなりました。でも、見通しの立たない、とても暗い日本、世界です。日本の、世界の目の前も、こんなに明るくなればいいのにと、願わずにはいられません。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2011年9月9日