2009年10月30日


     不安を活かすも、不安につぶされるのも自分次第


1987年4月から、今のようなスタイルの毎週金曜日の大阪吃音教室が始まりました。これまでの、発声練習や3分間スピーチ、話し合いなどを中心にした、大阪の例会から、吃音と上手につきあうための、講座中心のスタイルに変えました。吃音とつきあうためには多くのことを学ばなければなりません。そのために、わがままを言って、最初の1年は40回ほどの講座の全てを私が担当させてもらいました。
 講座の内容を考え、毎週、毎週、資料づくりに追われたその当時がとても楽しく充実していて、今でも懐かしく思い出されます。それから20年、セルフヘルプグループのミーティングにふさわしく、みんなでつくりあげてきて、今は20名ほどの運営委員が入れ替わり立ち替わり講座を担当します。というわけで、私の講座担当はだんだん少なくなり、今では5回もありません。
 その中で残ったのが、この「予期不安と吃音恐怖への対処」です。この講座は私の大好きな講座の一つで、今年も私が担当しました。毎年していても、参加者が違うと、毎回話題が新鮮で、おもしろいです。     参加者:35名(初参加者4組5名)

 日常の生活を送る中で、不安のない人はいません。老後の生活や病気について、よほど脳天気な人でない限り、不安を持っています。私は今の政治の状態を考え、教育や福祉など、日本の将来がとても不安です。絶望に近いものをもっています。

 不安はあって当たり前で、ない方ががおかしいのですが、それにあまり振り回されるのは問題です。まず、不安のプラス面とマイナス面の両方を考える必要があります。
 
 大阪吃音教室の詳しい内容の報告は、NPO法人、大阪スタタリングプロジェクトのニュースレター『新生』や、日本吃音臨床研究会のニュースレター『スタタリング・ナウ』で詳しく紹介していますので、ここでは私の感じたことだけを書きます。

 参加者ひとりひとりに、発言を求めるのが私の進行のスタイルです。一緒に一歩一歩考えていきたいからです。不安のプラス面はびっくりするくらいたくさん出ました。当然のことながら、不安が強すぎることによって起こるマイナス面もたくさん出ました。
 不安はプラスの面もあるけれども、大きくなり過ぎると悪影響がでます。付き合える程度の不安にしておくには、不安の構造を知っておく必要があります。
 
 【予期不安のマイナス面の例】
 私は、高校に入学して、中学時代から続けていた卓球部に入りました。ところが5月の初めに、男女合同合宿があると分かり、私はあれだけ好きだった卓球を退部しました。入学式の時見初めた女子生徒も卓球部に入っており、その彼女の前で自己紹介をするのが不安で、怖かったからです。吃ったら彼女に嫌われる。彼女の前では吃りたくない。
 吃音への予期不安がとても大きかったので、もし合同合宿で自己紹介したら、ひどく吃って彼女に笑われ、軽蔑されるだろう、そうしたらいたたまれなくなって、卓球部を辞めることになるだろう、どっちみち辞めることになるなら、傷つかずに辞めようと思ったのです。でも、もし卓球部を辞めずに合宿に参加していたら、どういうことが起こった可能性があるだろうとみんなで考えてもらいました。

 ・稀かも知れないが、吃らずにできたかも知れない。
 ・とても目立って、ヒーローになれたかも知れない。
 ・自己紹介の場面がなかったかも知れない。
 ・思ったより成功したかも知れない。
 ・吃って自己紹介する伊藤さんに好感をもったかもしれない。
 ・彼女も吃音だったかもしれない。

 どんどん出てくるのが、大阪吃音教室のよさです。常に考える練習をしている成果です。
 
 私は不安に負けて、逃げてしまいましたが、みんなが言うようなことが起こったかも知れません。いろんな可能性があるのに、吃るかもしれないという不安で、惨めになるという一つのことだけを考えて、卓球部を辞めてしまったのは、とても損で、私の悔しいことのひとつです。
 アドラー心理学で考えると、「私は不安を使って、自分が本来すべき人生の課題から逃げた」ことになります。私は21歳の秋まで、不安を使って、自分のすべきことからほとんど逃げてきました。そのような逃げの行動にも必ず目的があります。どんな目的があったか、みんなに出してもらいました。
 ・自分が傷つきたくないので、自分を守るため ・自立することから逃げるため
 ・自分の可能性を残しておきたいため ・自分をだめな人間と思いたくないため
 ・自尊心(プライド)を守るため
 これも、たくさん出てきました。自分では「吃るから、これこれができない」と思っていたけれど、目的はみんなが挙げたようなことです。自分は単なる怠け者ではなく、吃音という、まっとうな原因があるのだから、逃げて、怠けて当然だと思っていたのです。自分が社会に出る猶予(モラトリアム)を、自分に与えていたのです。
 私のこの事例でこういうことを確認しました。

 ここで、論理療法の出番です。吃音を使って人生の課題から逃げて得するか、損をするかです。一瞬は傷つかないから得だと思っても、人生の長いスパンで考えるとどんな損をするか。これも、一時的に得をしたことと、長い目でみて損だったことを挙げました・
 21才の夏、東京正生学院に行くまでの私は、すべての人生の課題から逃げていたのです。勉強も、友人関係も将来の夢も、「吃音はいつか治る」と思い、「治ったら、いろいろなことができる」と思い、吃音を治すことばかり考えていたのです。
これに私は、「隠れ蓑(みの)」という言葉を使いました。「隠れ蓑」を身にまとって、自分の身を守っている自分に気づき、「隠れ蓑」を脱ごうと提案したのが、「吃音者宣言」なのです。
 ここまでが、前半でした。後半は、どうしたら不安や恐怖を使わずに、自分の人生の課題から逃げないようになるか、不安や恐れの対処を考えていきました。

 参加者感想
 ・不安と上手につき合うのが大事だと分かった。 ・不安なことを、プラスに考えることができる。 ・どんどんいろいろなことに挑戦していきたい。 ・分かりやすく勇気が出た。 ・今まで吃らないように吃らないようにして来たけれど、吃らないで自分のどもりのことを知って欲しいと思うのは、確かに矛盾していると気づいた。 ・不安になっている時間が勿体ない。 ・自分の今の状況を、話してもらっている気がした。 ・吃るのは恐いが、今度出たらそれを楽しもうと思った。 ・他の人を信頼していきたい。

 吃ることへの不安の源はいくつもありますが、その一つに、他者への信頼がないことが挙げられます。「相手が信頼してくれるなら自分も相手を信頼する」ではなく、先ず自分から、他の人を信頼しようということで、講座は終わりました。
 吃音に悩み、不安を抱えて生きてきたからこそ、深い話が、みんなと共にできたのです。セルフヘルプグループのもつ大きな力を思ったのでした。
 
 自分は吃音ではないが、部下の為に参加したという初参加者がこんな感想を言いました。
 「部下に吃音の人がいます。私自身は、吃音も本人の個性の一つだと思って来た。そのように思ってくれる人は、かなりいるのではないか。しかし、そうは思わない人もいることは事実で、今回のこの体験を会社の中でどう伝えるかが私の課題です。
 本人も、そういう自分の個性を、人にどう伝えるかを学んで欲しい。今日の内容は、吃音の話に留まらず、すべての人に役立つ話だと思って聞いた」
 
 深い話し合いができる仲間がいることの幸せをかみしめた、大阪吃音教室でした。

 2009年11月7日   日本吃音臨床研究会 伊藤伸二