今日と明日、2回に分けて、水町俊郎さんの論文を紹介します。愛媛大学教育学部障害児教育研究室紀要に掲載されたものです。このような論文に接すると、吃音講習会で講義されている姿や大阪吃音教室の特別講師としてざっくばらんにお話されている姿が思い浮かびます。本当にお世話になりました。僕たちの最大の理解者でした。

  
吃音治療における最近の動向 1
                        水町俊郎・愛媛大学教授


〔1〕問題と目的

 吃音にいろんな観点から治療が試みられてきている。最近、それらを便宜的に二つの流派に分け、それぞれの特徴や問題点を浮き彫りにすると共に、二つのアプローチを吃音者の個人差に応じてどのように適用していくかが模索されてきている。

どもらずに話すアプローチ(speak more fluently approach)
 オペラント条件づけや学習理論に基づいた方法で、基本的にはどもらず流暢に話す方法を身につけさせようとする。普通の話し方とは違う、引き伸ばしや単調でも、とにかくどもらない喋り方をコントロールされた状況下で確立し、徐々に普通の喋り方へと近づけていく。この流暢性を他の場面へ般化させ、流暢性が長期に維持されるようにする。
 治療目標はあくまでも流暢性で、吃音や話す場面に対する否定的態度や不安は、どもる結果として二次的に生じると考え、治療の直接の目標とはしない。

楽にどもるアプローチ(stuttermorefluentlyapproach)
 吃音者の問題の大部分はどもることへの回避とそれとの抗争、恐れを感じることばや場面の回避の結果だという考え方に基づいたアプローチ。
 治療の内容は、回避行動、スピーチと関連した不安およびスピーチに対するネガティブな感情を減少させることである。吃音者の心理的な問題に治療のターゲットをおき、それが解決されることで結果として吃音症状も軽減されていくと考える。
 彼らも吃音症状の改善の技法を用いるが、心理的な問題が処理された後にはじめて導入される。その場合にも、どうしても流暢な話し方を身につけさせようというのではなくて、今までよりも楽などもり方が出来るようになればよいと考えている。
 この立場を代表するシーアンは、こう説明する。
 「吃音の流暢性の獲得は間接的に、回避の減少、吃音をオープンにする、吃音を受容することによってなされなければならない。吃音者が流暢性を達成するために特別な、直接的なやり方で何かをしなければならないとすれば、間違いであろう」
 ブラッドスタインも次のように述べている。
 「吃音治療の中心的な問題は、流暢性を身につけることが難しいのではなく、ぶり返しの確率が高いことでだ。短時間で生じた改善の殆どは永続性がない。永続的な吃音の減少を達成する最も信頼できる方法は、自分がどもっている時に何をし、なぜそうしているのか、どうすれば自分の行動を変えることができ、なぜそれが可能なのかなどについての吃音者の理解を得るプロセスを通して、ゆっくりと、治療を進めていくことである」
 吃音治療についての以上の二つの相対立する立場の間では、これまで白熱した議論が展開されてきた。シーアンは、手厳しく批判している。
 「マスキング・ノイズやDAFやタイムアウトなどの技法、罰を随伴させるといった実験的操作はすべて、以前からいかさま師がやっていたものである。どもらずに話す立場の者は現代の実験心理学の仮面をかぶって、昔のインチキ療法をやっているに過ぎない」
 どもらずに話す派のライアンも、相手を批判する。
 「セラピストに吃音を治す力がないと思い込ませている。暗に、われわれの吃音の治療結果に期待できないことを、権威ある人物が言うのは非常に問題だ。彼らは吃音についての「おごそかな真実」を指摘する努力をすることで、われわれに治療法を見出させないようにした」
 二つの流派は理論的には相容れない見解を提示しているが、現実には、多くのクリニシャンは一方の立場に基本的には依拠しながらも、他方の立場の手法を多少採用している。
 この現状を見る時、二つの流派の特徴を整理し、その相違点や類似点、利点や問題点などを整理しておくことは、今後の吃音治療を考える上で意義のあることと思う。
 近年、それぞれのアプローチがどのタイプの吃音者に適するかが具体的に議論されている。また、それらを積極的に組み合わせることで、従来のやり方では効果を挙げることができなかった吃音者にも適用できる、統合的なアプローチが模索されている。その動向を整理し、今後の吃音治療の在り方を考えていくのが、本稿の第2の目的である。

〔2〕類似点と相違点

 楽にどもる派の立場に立つ研究者は、シーアン、ヴァン・ライパー、ブラッドスタインら。
 どもらず話す派を支持する研究者は、ブラディ、チェリー、セイヤーズ、ゴールディアモンドら。
 ギターとピーターズは、治療目標と臨床手続きに分けて二つのアプローチを比較している。両者の特徴が浮き彫りにされて理解しやすいので、その観点を参考に、アプローチの類似点と相違点について説明する。治療を念頭においた場合、次の6つの点から比較するのが妥当だろう。

1)感情や態度
 どもらずに話すアプローチの、吃音問題の基本は話し方の異常にあり、吃音者のネガティブな態度や不安反応はどもる結果であると考える。したがって治療の目標はどもらないようにすることで、達成されれば、感情や態度の面も改善される見ている。
 楽にどもるのアプローチのシーアンが「吃音を非流暢性の問題として定義することは、専門家として無責任である」とし、吃音の基本的な問題は表面に現われていない心理的な部分(氷山に例えれば海面下に没している見えない部分)にあると主張する。治療の大部分は、吃音に対する恐怖を減じ、恐怖と関連している回避行動を除去するために、吃音者が吃音を受容し、吃音を隠さずオープンにできるよう指導することに力を入れている。
 ヴァン・ライパーは、治療プログラムの最初に、「自分がしていることを変えるためには、どもっている時に自分が何をしているかを正確に知ることが重要である」と、吃音の表面だけでなく隠れた面も含めてはっきりと直視させ、回避行動を除去する段階をおく。この段階は以後の治療の基礎となるので、クリニシャンもクライエントもこの段階を急いで通過しないように注意を促している。

2)スピーチ行動
 スピーチ行動をギターは3つに分類している。
◇自然な流暢性
 緊張もなく、繰り返しや引き伸ばしも殆どない正常なスピーチ。この流暢性は、自分の話し方に注意したり、話す速度を意識的に変えることで維持されるのではない。基本的には話す内容にだけ注意を向けている。非吃音者のスピーチである。
◇コントロールされた流暢性
 自然な流暢性とほぼ同じだが、流暢性を維持するためにスピーチの早さや、話し方に注意を払わねばならない。
◇受け入れることができる吃音
 非流暢性はひどくはないものの、かなり目立つが、吃音を回避せず気楽にどもっている。

 吃音治療におけるスピーチ行動の位置づけが二つの立場で根本的に異なっている。
 どもらずに話す派では、究極的な目標を「自然な流暢性」の達成におく。これが達成不可能であれば「コントロールされた流暢性」が目標となる。これらの目標が達成されなくても、次に「受け入れることができる吃音」を目標にしない。目標はあくまでも流暢性の達成にあるからである。
 楽にどもる派の立場は、できれば「自然な流暢性」を達成したいが、達成不可能と思えば「コントロールされた流暢性」を、それもだめな場合ば「受け入れることができる吃音」を目標にする。「自然な流暢性」から、すぐに「受け入れることができる吃音」を目標にする者もいる。いずれにしてもスピーチ行動の目標を流暢性にこだわらない。
 スピーチ行動改善の手法が異なっている。
 どもらずに話す派では、コントロールされた音読や話す場面でどもらないスピーチを導入する。流暢性を確立のスピーチ面への直接的な指導が行う。
 楽にどもる派では、恐怖や回避の改善が流暢性につながるとして、スピーチへの直接的な指導は原則的には行わない。心理的な面が解決された後、流暢などもり方の指導をすることがある。

3)流暢性の維持
 どもらずに話す派は、スピーチ速度を緩めたり、スピーチを注意深くモニターしたり、スピーチの楽な開始に特に注意を払うテクニックを用いて流暢性を維持しようとする。できなければ、当初の時と同じステップで、再び流暢性の練習をする。
 楽にどもる派では、ことばや話す場面を避けない、スピーチに対する恐怖心を最小限度にすることが重要だとし、吃音者の社会的および情緒的適応も重要視する。流暢性の維持には心理的な問題の解決が前提で、セラピストの手に負えない場合、積極的に別の専門家に吃音者を紹介する。

4)一般的なコミュニケーション・スキル
 流暢性が達成された後、問題として残る可能性がある会話能力などの問題の処理をどうするか。
 楽にどもる派のシーアンは、「流暢性の達成は治療の終了を意味するのではなくて、治療の最終段階へ入っただけのことである」と、流暢性を達成した後にも重要な治療の段階が残っていると強調している。ヴァン・ライパーは、心理的な問題の処理とスピーチ行動の改善がみられた後にも、最後の段階として安定化の段階を設け、吃音のぶり返しを防止する取り組みを精力的に行い、この段階に約2年間を費やしている。
 長い間どもり、以前には避けていたり、限定されたやり方でしか対応できなかった場面の会話のスキルやより広範な社会的スキルを積極的に発展させることが、治療で得られた効果を確固たるものにするには欠かせない重要なことなのである。
 どもらずに話す派は、このスキルの問題に関しては、殆ど注意を払っていないといってよいだろう。

5)セラピーの構造
 どもらずに話す派では、セラピーが非常に構造化された治療プロセスのシナリオがある。
 ライアンのプログラムでは、流暢性の「確立の段階」、「般化の段階」、「維持の段階」と展開が決められ、それぞれの段階も細かな多くのステップに区切られ、次のステップへ進む基準、次のステップへ進めない場合の補充的な課題も用意する。
 楽にどもる派では普通のカウンセリングと同じように進められ、一般的には構造化されていない。

6)データの収集
 どもらずに話す派は、行動修正の観点に立っているので、客観性があり信頼性の高いデータの収集と報告に重点を置いている。
 楽にどもる派は、客観的データ(例えば治療前・後の吃音頻度など)の収集や報告を重視していない。自分たちやクライエント自身の印象または記述の方がもっと妥当性が高いと考える傾向にある。

〔3〕利点と問題点

 利点と問題点は、どの立場から問題にするかでその様相が変わってくる。ギターとピーターズの、3つに分けて論じる見解を基にして解説する。

1)吃音者にとって
 楽にどもる派は、吃音者に異常なパターンで話すことを求めないので、ある吃音者たちにとってはとても魅力的である。どもらずに話す派は、治療中に普通の話し方とは違ったゆっくりとした、引き伸ばした話し方を求められるのを、吃音者によっては嫌がり、楽にどもるアプローチの方を好む。
 大部分の楽にどもる派では、自分のスピーチに対する不安に当初から直面し、自分の回避行動を取り除き、吃音を隠さずオープンにする必要がある。吃音者によってはこれに非常な抵抗感を感じる。この抵抗感は、支持的なクリニシャンの援助で克服され得るが、不幸にしてそのスキルはかなり経験を積まないと身につかない。クライエントによっては、どもらずに話すアプローチの方を好む。

2)クリニシャンにとって
 楽にどもるアプローチは、どもらずに話すアプローチのように臨床が構造化されていないため、それなりの難しさはあるものの、クリニシャンは治療を実施することにやりがいを感じるかも知れない。
 どもらずに話すアプローチは非常に構造化されているためにクリニシャンの自主性や創造性を発揮する機会が少なく、人によっては退屈に感じる可能性がある。データの収集には大変時間がかかり、骨が折れるのをおっくうに感じる者もいるだろう。
 楽にどもる派のアプローチの構造化されていないことは、かけだしのクリニシャンにとっては逆に不利な条件となる。クリニシャンが困難な臨床的な決断をする必要があるからである。
 どもらずに話すアプローチは、非常に構造化されているために、洞察や臨床的感受性をそれほど必要としない。何をするか、明確な手続きが処方されている。したがって、クリニシャンは治療計画を立てるのにあまり時間を必要としない。

3)クリニシャンの養成を考えた場合
 楽にどもる派の観点からの実習生の訓練は、非常に多くの複雑な要素が含まれ、完壁に訓練することは不可能に近い。吃音の「障害」を対象というより、吃音をもった「人間」に興味をもつので、限られた教育・訓練の期間の中で一人前のクリニシャンに育て上げることは至難の技である。
 どもらずに話す派の立場から実習生の訓練をする場合にも問題がないわけではないが、吃音を持った「人間」より吃音という「障害・スピーチの非流暢性」が対象なので問題がそれほど複雑でない。訓練されるスキルが曖昧でなくはっきりしているので、クリニシャンの養成は比較的容易であろう。2008年4月21日 NO.164  つづく


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/12/06