伊藤伸二の吃音(どもり)相談室

「どもり」の語り部・伊藤伸二(日本吃音臨床研究会代表)が、吃音(どもり)について語ります。

島根スタタリングフォーラム

吃音親子サマーキャンプが蒔いた種〜島根スタタリングフォーラム〜 4

 このシリーズの最後です。島根スタタリングフォーラムに参加した人の感想を紹介します。

島根スタタリングフォーラムの企画・運営に関わって
                  江津市立津宮小学校通級指導教室 宇野正一

 フォーラム終了後、たくさんの方からアンケートや感想を寄せていただきました。ほとんどの人が「参加してよかった。今後も続けて欲しい。ぜひ参加したい」との意見を下さいました。その中のごく一部ですが、紹介しましょう。

◇子どものどもりの原因がもしかしたら自分にあったのではないか。乳幼児期に必要な基本的信頼感というところが少し欠けていたのではないかと常に感じていましたが、「いつからでも取り戻せるし、この2日間、子どものために時間をとってこの場にいること、それで十分です。子どもたちにも母親の自分への思いが通じているはずです」ということばにとても救われた気持ちになりました。子どもも2日目の話し合いの時間、しっかり自分の吃音について自覚していることが分かり、これからはもっとオープンに吃音について親子で話し合えるような気がしたし、またよいきっかけになったと思います。

◇私も小さいうちから吃音ということがあり、子どもだけのためでなく、自分自身にも何かみつかるのではと期待して参加しました。
 1日目の講演で同じ障害を持つ者として「ああ、そうだなあ。これは私も同じ」と思ったり、私自身もう治ったと思っていたのに、話の中で、どもりは治らない、大人はうまく喋れるようにごまかしているから治っているように見えるのだと言われた時はガーンと頭をたたかれたような気分になり、ショックでした。でも、自己開示や自分で吃音を自覚することの大切さを聞いて、納得して気も落ち着きました。わが子は今のところほとんど吃音は出なくて今子ども自身が吃音を意識しているかどうか分からない状態なので、改めて自覚しなくてもよいのではとも思いますが、このフォーラムで思春期を迎える前に吃音についてオープンに話しておこうという話を聞きました。この点については親としてまだよく分からない状態です。
 次に2日目の座談会ではお母さんたちの生の声を聞いて、みんな同じようなことで悩みを持っているのだなあと思いました。子どもに吃音が出た時は私自身が吃音だっただけに私のためにそうなったのではないかととても苦しみました。が、いろんな意見を聞いて、今から思えば逆に私自身が吃音だったから子どもの気持ちも分かるなどとちょっと救われているところもあるなあと思い直しました。昨日のお母さんたちとの話を聞いて自分の気持ちを聞いてもらうだけでもきっとよい出会いだったんだろうと感じています。そういう意味でも今回のような吃音だけの親子が集まるようなフォーラムが開かれるとよいと思います。
 子どもに昨日先生と何を話をしてどう感じたか聞きましたが、よく分からないという答えがきました。子どもがどう思い、何を考えているか、だんだんと話さなくなっています。講演の中で、お母さん自身が自分のこと、自分の失敗も話していったらといいとありました。思春期の子どもの対応についてはよく分かりませんが、吃音と上手につきあうガイドブックを参考にしていこうと思っています。

◇自ら吃音に悩んできた人のことばは重くしっかりと響きました。吃音と向き合えているように思えたとしても、スキャットマン・ジョンのように、「大きな象がずっと後ろにいるのにいないふりをしていた」とか50歳になっても妻にも子にも吃音について話せなかった人がいるとか、田中角栄氏の扇子、木の実ナナさんの「おにいちゃん」など、大人の吃音の方の体験をたくさん話していただき、このように心の片隅からどもりが消えることはないということで、これからわが子が行くであろう険しい道に胸が締め付けられるようでした。
 学級崩壊の前に家庭崩壊、家庭のコミュニケーション不足に危機感を持っているとの話がありましたが、全く同感で、親子で飾ることなく本音で話し合い、今日は仕事でこんなところへ行った、こんな失敗をした、こんなことで落ちこんでいるなどと、子ども相手にもこんな些細なことでも言い合い、愚痴をこぼし、将来子どもたちが困った時やつらい時、迷わず弱音を吐ける家庭にしたいと思いました。それこそ、どもり方がおかしかったと一緒に笑えるようになれたらと思います。自己開示は私たち親子はとても苦手です。些細なことでも言語化する練習をして、互いが自己開示していかないと、私たちは将来家庭崩壊のような気がします。愛情不足ではなく愛情表現不足という話、過干渉はいけないが過保護は大切でいくら愛情をかけてもやりすぎではないという愛情表現をからだ・ことばで豊富に表現していこうと思いました。
 今回の合宿で、家族そろっての参加が何組かありました。とてもうらやましく思いました。男性である伊藤さんの体験、辛さ、半生の生きざま、どもりの男の子を持つ同じ男性の父親として是非知ってほしかった。しかし、この合宿に参加された方々と同じようにどもりとつき合い、一緒に涙する人たちがこれだけいらっしゃること、またその子どもたちを本当にわが子のように気にかけて下さることばの教室の先生方がいらっしゃること、そのことが今の私たちを支えて下さるのだと思い、とてもありがたく思いました。

◇「私も吃音で悩んできました」。伊藤さんが自己紹介をされた時、何か今までとは違う気がして身を乗り出すようにして聞き入っていました。
 担任の先生から「行ってみませんか」と誘いを受け、「はい、出席します」と言ったものの、どんなことをするのだろう、どれだけの人が来ているのだろうと半信半疑でした。でも、この時点で参加してよかったと思いました。今まで「どうしてどもるようになったんだろう」「きっと私に何か問題があるのだろう」「かわいそうだなあ」「治るのだろうか」と、ひとりで悩み続けていたことひとつひとつに対して、話の中から答えをみつけることができました。「一生治らないかもしれません」と言われたのはショックでした。「大丈夫だよ。大きくなれば治るでしょう」と周りから言われていたので…。
 今、子どもは、自分がどもることを多少なりとも気にしているのでしょう。「言いにくい」と言うことはあってもそれが「どもり」だよと教えてやることもありませんでした。私自身が子どもが「どもる」ということを否定したかったのだと思います。今までなるべくふれないようにしていた「どもり」ということば。
 1日目の研修が終わった時に、「○○の話し方はどもりというんだよ」と初めて本人に言った時、「ふうーん」「ちょっと話しにくいけどね」「あんまり気にしていないよ」と言われ、ホッとしました。とは言え、これから大きくなるにつれ「どもり」について周りの友だちからの反応など悩まされることもあると思いますが、今の気持ちが否定されないよう、大らかな気持ちで育ってほしいと思います。
 そしてうれしかったこと、楽しかったこと、悲しかったこと、何でも話をたくさんしてほしいと思います。そのために「自己開示」。親自身がオープンに語りかけていくよう家庭での会話を大切にしていきたいと思います。
 2日間の研修を通して「どもり」についての知識を得たこともよかったのですが、それ以上に、同じ悩みを持つ方と話ができたこと、話を聞けたことが私にとって一番でした。

◇どもりについては無知なまま今回のフォーラムに参加しましたが、そこには今現在精一杯どもりと向き合っている子どもたちとその親御さんがいて、皆さんの一生懸命な姿を見ているうちに、ことばの教室の担当者として、もっともっと力を出すべきだし、磨かなくてはいけないという気持ちになりました。
 伊藤さんは、自分もどもりに苦しみ、孤独な少年時代を送ってこられたことで、素直で生々しい人の気持ちを赤裸々に聞かせて下さいました。それまで私の中では、どもりということばにふれず、何も言わずにそっと…という対応の仕方があったのに、どんどんどもりをことばに出して一緒に考えることがその人をありのままに受け入れることなんだと分かり、感激したと同時に、立派な専門書に書かれていることを何の考えもなしに鵜呑みにしていたことを反省しました。
 どもりに限らず、何かの悩みと向き合うことは怖いことで、その一歩を踏み出せるような勇気と周りの理解と受容がとても大切だと思いました。
 自分が違う悩みで誰にも打ち明けられずに苦しんでいると考えたら、「早く言って楽になりたい」「誰かに分かってほしいけど、拒否されたらどうしよう」等様々な思いが交錯して結局言えないかもしれません。その時に、勇気を出して言えた人が「そのままでも、ぼくの君へ対する思いは変わらないよ。いいんだよ、そのままで」と受け入れてくれたらどれだけ救われるだろうかと思います。だから、自分もそうでありたいです。私のこともいっぱい分かってもらえるように、思いをどんどん表現していくべきだし、相手のハートを感じて、いつでも真剣に思っていたいです。
 「どもりのある幼児に、どういうきっかけで自覚させたら?どんなことばをかけたらいいんだろう…?」と思い、尋ねると「心から沸き上がることばを素直に出せばいい」と言われました。初めは「吃音を治す方法が知りたいのに…」と思いましたが、よく考えたら、きっとその子の悩みを本気で考え、真剣に向き合えば、愛情がことばに乗って発せられ、きっとその子の心に届くのではないかと分かりました。一緒に過ごした皆さんの姿をずっと忘れず、私も自分を好きでいたいです。たくさんの愛のパワーを感じさせていただきました。(「スタタリング・ナウ」NO.60 1999年8月)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/01/30

吃音親子サマーキャンプが蒔いた種〜島根スタタリングフォーラム〜 3

 プログラムが始まったら、もう進むしかない、そうして1日目が終わり、2日目になりました。どう切り出したらいいのか迷っていたことばの教室の担当者を前に、子どもたちは自分の吃音について語り始めました。保護者も、これまであまり話せなかった思いを、話し始めました。 それぞれのセルフヘルプグループができたようでした。吃音についての話し合いという文化は、島根にしっかりと根付き、昨年の島根スタタリングフォーラムのプログラムの中でも、大切な時間となっていました。今年、島根スタタリングフォーラムは、25回目を迎えます。
 昨日のつづきを紹介します。

島根スタタリングフォーラムの企画・運営に関わって
                  江津市立津宮小学校通級指導教室 宇野正一

子どもたちの思い

 翌日は4名のことばの教室担当者が2グループで話し合いを持つことになりました。
 2年生以上の子ども6人と教室担当者の3人が入って「自分の話し方」についての話し合いをしました。6人は大体が違う市町村から集まってきていたので、もちろんこのキャンプで初めて出会いました。そしてほとんどが「どもる」ということについて初めて話をするようでした。それだけにみんな緊張ぎみでした。
 中1のSさんが「友だちはあんまり気にしていないみたい…。6年生の時に先生がクラスのみんなに話してくれてから気が楽になった。みんなが知ってくれて気持ちが楽になった」という話をしました。
 小2のT君も「今は(自分がつっかえてしゃべるということを)し、し、し、知ってる人も知らない人もいると思う。み、み、み、みんなには知ってほしい。誰かから言ってほしい」と気持ちを話してくれました。
 それに対してNちゃんは小さな声で「みんな(自分の話し方は)知っている。…知られたくなかった。…今、すごく嫌」と話してくれました。
 同じようにつっかえるしゃべり方の仲間でもいろんなことを思っているんだなと、お互いに感じているようでした。それぞれ「吃音」ということで通級教室に通ってきてはいるけれど、教室担当者とこういう話をしたことがないようでした。
 Sさんは「そういう話は直接しなくても、この教室に同じような人が通っている、っていうだけでなんかいい気がする」と言いました。Sさんは、毎週担当の先生と折り紙をしながらいろいろ話をするのを楽しみにして通っていたようです。
 Nちゃんは、最近通級を始めたばかりで、まだ2回くらいしか教室に通っていません。「これからこんな話を教室の先生と話してみたい?」と聞くと、首を横に振りました。「ここだからこんな話ができる」のだそうです。
 クラスの中、学校の中では「どもっているのは自分一人」と感じることの多い中、こうした集まりで、あの子もこの子もと思うことで、気持ちが楽になるという部分もあるようでした。また、どの子どもも伊藤さんのように、大人でどもる人の話を聞いたのは初めてのようでした。「びっくりした」という素直な一言も聞けました。
 約1時間、お互いに話すことばがたくさんあったわけではありませんが、始まる前より断然子ども同士の距離が短くなっているのを感じました。

親の思い

 2日目の、親と伊藤さんの座談会。
 1日目の話を踏まえて、聞き足りなかったことを聞いたり、自分のさまざまな思いを出し合いないがら、自分の子どもとこれから向き合っていくパワーをもらえたような気がしました。
 エリクソンのライフサイクル論についての質疑応答から始まりました。
 自分の子育てや子どもとのかかわりについて「あれではいけなかった」と自分を責める親。
「そんなことはない。その時は一生懸命していたこと。そんな自分をほめてあげよう。基本的信頼感は、親と子どもとの間のことを言うが、親が自分自身に対して持つ信頼感でもある」と伊藤さん。
 そして、伊藤さん自身のお母さんの話もされました。伊藤さんがお母さんのことを思って書いたという詩「母へのレクイエム」を朗読されると、多くのお母さんが涙しながら聞いていました。
 涙を流しながら、また大笑いをしながら、今の我が子のこと、これまでの子育てのことを話されるお母さん方を見ていると自分の思いを語ること、それを聞いてくれる人がいることの大切さを改めて感じました。もちろんそれは通級指導教室が担っている部分でもあるのでしょうが、親子が通ってきて、何時間指導するよりも、今回のような場を提供することがどれだけ大きな意味を持つかということを感じました。本当に分かり合える人たちに囲まれて、今まで十分には語ることができなかったかも知れない思いを語ること、これがキャンプならではできることだと感じました。

おわりに
 今回のスタタリングフォーラムの参加者は、子どもが32名(そのうちどもる子どもが16名)、大人が54名(親21名、成人吃音者が1名、教室担当者・保育関係者32名)の合計86名でした。予想を上回る参加者数でした。
 「今までやったことないから、やってみないと分からない」と変な開き直りから出発した今回の企画。フォーラム中は、「こんなことじゃあ…」と落ち込んだり、「ここはこうすべき、あそこはこうじゃないと…」と反省したりの2日間でしたが、2日目が終わって解散直後には、自分自身でも「やってよかった」という思いで一杯でした。「やってみないと分からない」ことは「やってみたら分かった」ことでもありました。
 今回は、これまでになかった初めての経験ということで、(悪い言い方ですが)「何でもあり」だったと思います。目標の「親同士のつながり」は「つける」ところまで行きませんでした。でもそのきっかけにはなったことでしょう。
 そして、終わってしばらくたって今、こんなことを思っています。一発花火をあげることは派手でいいけど、「やったね!よかった、よかった。じゃあ、これでおしまい」とするのはもったいないということ。通級指導教室で通ってくる子どもや親に提供するサービスは、花火を見せることではなく、種をまいて水をやること。
 「吃音親子サマーキャンプ10年間の実践が小さな種を島根にまいた」
 この伊藤さんのことば。その小さな種をいろんな方から栄養をいただきながら大きく育てていきたいと、今、感じています。(「スタタリング・ナウ」NO.60 1999年8月) 


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/01/29

吃音親子サマーキャンプが蒔いた種〜島根スタタリングフォーラム〜 2

 昨日のつづきです。何もない所から始まる第一回目の島根スタタリングフォーラム。担当者たちの手探りの様子が綴られています。心配なことはたくさんあるけれど、とにかく始めよう。動き出したら、わくわくしてきた。僕たちも、そんな思いをしながら、第一歩を歩き出したことがたくさんあります。
 「初恋の人」は、この夜、翌日の子どもたちの吃音についての話し合いについて、担当者同士で話し合っているときに出たものでした。初めてのことに取り組む高揚感の中で、僕も何かに背中を押されるようにして、話したようです。あの場が、僕にそんな気持ちを起こさせてくれたのでしょう。
 「スタタリング・ナウ」NO.60(1999年8月)の紹介です。

島根スタタリングフォーラムの企画・運営に関わって
                   江津市立津宮小学校通級指導教室 宇野正一

キャンプ当日〜とにかく始まった〜

 さて当日。大きなかばんを抱えてたくさんの親子や通級教室担当者、保育関係者が続々とやってきます。その皆さんの表情は、ちょっと硬いという印象でした。
 大人は伊藤伸二さんの講演。講演は、静かな感じから次第に伊藤さんの話に引き込まれて、大変充実した2時間だったようです。
 子どもは、すけさん(島根県立青少年の家の木村真介さん)とレクリェーション活動。子どもたちはすぐに仲良く楽しく遊び始めました。ところが教室担当者のほとんどは伊藤さんの講演の方に行って、子どもと関わってくれている人がいません。このキャンプは親子のためのキャンプで、ことばの教室の担当者の研修会ではないのに…?と思いつつ、島根県ではこのような吃音に関しての研修の機会が少ないことの裏返しでもあるのだと感じ、教室の担当者が講演を聞きに行くのも仕方がないかと思いました。
 夕食。フォーラムがスタートしてはじめの失敗感をここで持ちました。会場の国立三瓶青年の家の食事はバイキング方式で、それぞれが自由に食堂へ行って食べます。参加者は全員「島根スタタリングフォーラム」と書いた名札をつけていましたが、みんながばらばらに座って食事をとっていました。参加した親子はそれぞれ家族で、教室担当者は担当者同士で。「親同士のつながり」と思いつつ、夕食までのところで親同士が知り合うことのできる時間・企画が設定されていませんでした。宿泊の部屋割は各地からの家族を混ぜるようにしましたが、「あとはそれぞれ仲良くなってね」といった状態でした。参加者が最初に出会うところで、互いに知り合い、仲良くなれる活動が必要でした。夜にはキャンドルの集いがあり、楽しい時間を過ごせましたが、このような時間をフォーラムのはじめにもってくる必要があったようです。

子どもとどもることについて話をする必要性

 大きな懸案事項が一つありました。2日目のプログラムの中に、「子どもの話し合い 自分の話し方についての思いを出し合う」がありました。
 子どもの思いを引き出したり話し合わせたりを誰が担当するのか? そのような話し合いが必要なのか?「子どもとどもることについての話をする」ことの意義について、私自身はいろいろなところで話を聞いて自分の教室でもするようにしてきましたが、担当者によって思いも取り組みもさまざまです。そこで夜の懇親会(教室担当者限定でしたが)をしながら少しまじめに「なぜ、子どもとどもりの話をするべきなのか?」というテーマで話し合いました。

 「社会人になって、新人の研修プログラムで吃音と初めて向き合い悩む人。入社して4か月後に、得意先とのちょっとしたトラブルで会社を辞めてしまう人。小学校時代は元気で明るい子どもだったのに、その後学校へ行けなくなってしまう子ども。これらの事例が最近目立って多くなってきた。
 話を聞くとその全てが、子どもにどもりを意識させてはいけないと、どもりについて話し合っていない。本人も吃音について直面しないできた。触れたくないもの、できればこっそりと治したいものに向き合うことはとても難しい。とりわけ思春期はそれでなくても嵐のような時代。そのときに、どもりと初めて直面することは難しい。学童期にどもりと向き合うことで、直面しなければならない時に向き合える力が蓄えられる。
 学童期こそどもりをオープに話題にし、それなりの直面をしておく必要がある」

 伊藤さんの、何故、吃音をオープンにして話し合うのかの話にうなずきながらも、どう話のきっかけを切り出そうか、これまであまり話し合ってこなかった担当者にとっては難しいことのようでした。
 その懇親会では講演とはまた一味違った伊藤さんの話を聞くこともできました。「小さな炎―初恋の人」の話題はここで盛り上がったことでした。話し合いは深夜3時を回っていたようです。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/01/28

吃音親子サマーキャンプが蒔いた種〜島根スタタリングフォーラム〜

 「どもりの語り部」の巻頭言を書いた「スタタリング・ナウ」NO.60では、島根で始まったどもる子どもや親のための吃音キャンプを特集していました。最初の企画・運営の担当だった宇野さんの報告です。
 島根スタタリングフォーラムと名付けられたキャンプのはじまりを、僕はよく覚えています。
その頃、僕は年末年始を、玉造温泉の保養ホームで過ごしていました。そのことを知った島根県のことばの教室担当者から連絡があり、年末に、研修会をしようということになったのです。 12月28日くらいだったと思います。こんな時に研修会なんてと思ったのですが、会場の雑賀小学校にはたくさんの人が集まってくださいました。そして、夜の懇親会の場で、島根でもキャンプをしようということになったのです。ちょうど、島根県のことばを育てる親の会の30周年ということもあり、その記念事業として計画はすすんでいきました。その中心にいた宇野さんの報告です。

島根スタタリングフォーラムの企画・運営に関わって
    江津市立津宮小学校通級指導教室 宇野正一

はじめに

 島根県ことばを育てる親の会は、1999年に30周年を迎え、その30周年の記念事業の一つとして「島根スタタリングフォーラム」の計画が進められました。私は会場である国立三瓶青年の家に近い通級指導教室の担当者ということで企画・運営についての事務局を任されました。
 「日本吃音臨床研究会の伊藤さんと直接連絡をとって内容について詰めて欲しい。長年吃音キャンプをしておられるからたくさん聞いてより良い企画を立てて下さい」
 先輩の先生方からいろいろとアドバイスをいただきながらも、なかなか相談の電話ができませんでした。昨年末に伊藤さんとお会いする機会があり、夜の宴会の部でも隣の席でご一緒させていただいていましたので、優しい人柄は分かっているつもりでも「やあ、こんにちは!」と言えるほどではなかったのでした。「たくさん聞いて」と言われても、何をどう聞けばいいのだろう。何も叩き台なしに「どうしましょう?」と尋ねるのもあまりにも失礼だろうし…。頭の中でもやもやするばかりでした。
 まずは、日本吃音臨床研究会のホームページを見ました。吃音親子サマーキャンプの情報がありましたが、あまりに盛りだくさんの感じがして、ますますプレッシャーになってきました。(とんでもないことを引き受けてしまった…)
 とりあえず、私のことも覚えていないかもしれないのでと電子メールを送りました。
 「メールは毎日膨大な量がきます。頻繁に見ないことがあるので、急ぎの場合は電話かFAXで」という返事でした。

島根でできること〜2つの目標〜

 1泊2日でどんなことができるだろう。日本吃音臨床研究会のサマーキャンプと同じことなどできるわけがない。私自身がどもる子どもだけを集めて何かしたことなんてない。やったことがないから、やってみるしかない。なんていう訳の分からない理屈で素案を送ると、「大筋はこれでいいんじゃないでしょうか。私自身の動きが見えたのでそのように準備します」と伊藤さん。「もっとこういうことを入れてみたら? ここはこういう内容がいいよ」との指摘を期待していた私としては、さらにプレッシャーを強める結果となりました。
 (本当にこれでいいのだろうか?)
 それでも案内を送ると、次々参加申し込みがやってきす。当初、親子・教員合わせて60名の計画のところ、100名近い申し込みになり、またまたプレッシャーが強まってしまいました。
 そんな状態でも当日は確実に近づきます。伊藤さんから吃音親子サマーキャンプの資料を送ってもらうと、スタッフの打ち合わせの資料や参加者へのしおり、注意事項など、かなりの会議と準備を重ねられることが分かりました。
 今回の島根スタタリングフォーラムは…。
 「しょうがない!とりあえずやろう」
 しおりと教室担当者用の資料は作りました。教室での指導よりも…といった感じでした。
 とにかく次の2つのことを今回のフォーラムの目標にしました。

◇親に、成人吃音者としての伊藤さんに出会ってもらい、生のどもりについての話を聞いてもらう
◇県内の親同士のつながりをつける


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/01/27

どもりの語り部

 僕たちが、どもる子どものためにと1990年から始めた吃音親子サマーキャンプ。始めた頃は、どもる子どもに特化したキャンプはどこにもなく、画期的なものでした。スタッフとして参加したことばの教室の担当者が満を持して自分の地元で開催するなどして、少しずつ広がっていきました。僕を講師にした吃音キャンプも始まりました。
 島根、静岡、岡山、群馬、沖縄、千葉など、多いときなど、毎週末、どこかのキャンプに参加していたこともありました。
 吃音親子サマーキャンプの、他にはない大きな特徴は、スタッフの中に成人のどもる人がたくさんいることです。どもる人が自らの体験を語り、どもりながら自分らしく生きている姿を見せることの大きな副産物を実感しながら、31回まで続いてきました。
 2023年も、8月18・19・20日、滋賀県の荒神山自然の家で開催します。
 今日は、全国に吃音キャンプが広がる一歩となった、島根スタタリングフォーラムについて書いています。1999年8月の「スタタリング・ナウ」NO.60から、巻頭言を紹介します。

どもりの語り部
       日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二

 今年も熱い夏の盛り、広島原爆の日が来た。
 秋葉忠利広島市長の平和宣言は、核兵器廃絶の闘いの先頭を切る被爆者への感謝を述べた後、3つのことを大きな足跡として讃えた。ひとつは被爆し絶望の中にありながらもなお生き続ける道を選んだこと。ふたつは被爆者の声がその後の原爆使用の抑制につながったこと。そして第3に、復讐や敵対という人類滅亡につながる道ではなく、未来を見据え、「新しい」世界の考え方を提示し実行してきたことだ。平和宣言はこれらに対する感謝に満ちたものとなっていた。
 同じように家族の多くを戦争で亡くし、その悲惨さを体験しながら、絶対平和を訴え、反戦運動の先頭に立つ人々と、結果として戦争につながりかねない道に加担する立場に立つ人々がいる。戦争の悲惨さを経験しながら、何故このような大きな違いがあるのか、広島の平和宣言に出会うたびに疑問に思ってきた。
 かつての吃音民間矯正所の草創期の設立者たちは、自らが吃音に苦闘してきた人々だ。吃音者としての体験から、吃音から起こる悲劇を言い、吃音は治さなければならないと訴える。
 日本でも諸外国でも吃音に悩み、吃音と苦闘した人々が言語病理学の世界に入り、臨床家や研究者になった例は少なくない。自分自身が悩んできたからと、吃音そのものにこだわり、吃音の軽減、治癒を目指す人は多い。治らない現実に戦略的として吃音受容に言及する人はいるが、自らの体験を通して、私のように「どもっていても大丈夫」と言い切る人はほとんどいない。
 何故少ないのか、これも広島同様私には不思議でならない。
  あなたはあなたのままでいい
  あなたはひとりではない
  あなたには力がある
 セルフヘルプグループの中で育ってきたこのメッセージが、吃音に限らず生き辛さを抱えたセルフヘルプグループにつながる人々をどれだけ勇気づけてきたことか。これから私たちのように悩むことがあるかもしれない子どもたちに、このメッセージを伝えたい。その思いをもって、10年前に、私たちは吃音親子サマーキャンプを始めたのだった。
 吃音をそのまま肯定し『どもっているあなたのままでいい』と言い切る、数少ないどもる人間として。
 今年も90名が参加するキャンプになった。どもる子どもだけのキャンプは例がなく、その体験を話すたびに、私たちもぜひやりたいということばの教室の関係者も出てきた。私たちも全国各地でこのようなキャンプができればとも思う。アメリカやインドなどでもどもる子どものためのキャンプは行われている。しかし、これらのキャンプと私たちのキャンプとでは決定的な違いがある。アメリカやインドのスタッフは専門家が中心だが、私たちは、ことばの教室の教師、言語聴覚士、どもる人が一体となって取り組む。主体はむしろどもる人で、セルフヘルプグループの文化が色濃く反映されている。
 10年前スタートしたこの小さな試みが、そしてその試みを様々な場面で紹介してきたことが、島根県のスタタリングフォーラムとして実現した。私も企画の段階から加わらせていただいた。そして、実際に体験してみて、成人のどもる人間としての生の声のもつ力を思った。親をはじめとする吃音に関わる人々が、生のどもる成人と出会うことの意味を思った。しかし、一方で体験者であれば誰でもいいということにならないということも。吃音の悩みと悲惨さを訴え、吃音を治しましょうという人であれば、私たちの失敗は全く生かされないことになるからだ。吃音を否定し、吃音を隠し、話すことから逃げ続けた失敗は、私たちの代で終わらせたい。
 声高に戦争反対を言うのではなく、自分たちの被爆体験を語り継ごうとした広島の多くの語り部たちの存在が秋葉市長の言う原爆を使わせない方向につながることを願いたい。
 吃音と共に豊かに生きる私たちの仲間が『どもりの語り部』として語り続ける必要があるのではないだろうか。そう考えると、日本吃音臨床研究会の存在意義は広島にも似て決して小さなものではない。(「スタタリング・ナウ」NO.60  1999年8月)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/01/26

島根スタタリングフォーラムで食べたお弁当の話

 第24回目となった今年の島根スタタリングフォーラム。当初、予定していた会場がコロナの関係で使えなくなり、急遽会場を変更。そのために1泊2日を1日だけの日帰りにしなければならなくなりました。初め、リモートでの参加も計画されていたのですが、僕たちが吃音親子サマーキャンプを対面で開催したと聞いて、それならばと、対面での開催を決定してくださるなど、柔軟に対応し、なんとか開催にこぎつけました。
 そうして、全ての準備をしていた実行委員長から、大阪を出発する前日に、家族がコロナに感染したために、本人が参加できなくなったと電話がありました。でも、他のスタッフの方が力を合わせて、無事に開催することができ、無事終わりました。
出会いの広場は、いつも担当している流水さんが、テンポ良く参加者をリードしていきます。ポンポンポンという3つの手拍子がリズムを作り、いつのまにかみんなが笑いの中でリラックスしていくのが分かりました。見事です。流水さんのマジックを見ているようでした。
 その後は、親と子どもに分かれ、僕は、親グループを担当しました。参加者に質問を書いてもらい、それに答えることから始めました。一方的に話すと、どうしても、参加者が持っていた「これが聞きたかったのに…」に答えられない可能性が出てきます。そうならないよう、聞きたかったことには全てお答えしたいと思って、最近は、どこの会場でもこんな形をとっています。1時間の枠内では収まらず、質問に答えるコーナーは、午後に続きました。
 昼食後、午後は質問の続きに答えて、その後は、「どもる子どもが、幸せに生きるために」のタイトルで話をしました。「幸せに生きる」が、今年の僕のテーマになっています。
 昼食は、お弁当でした。普通のお弁当のようですが、プラスチックの蓋の上に、一枚の紙がはさまれていました。そこに書かれていたことばを紹介します。

島根スタタリングフォーラム参加者のみなさまへ
 今年もみなさんと逢えましたね
  新たな出会いも加わり
   今日一日がみなさまにとって
    実りある良い一日になりますように

「悩み」は、いずれ「思い出」に変わり、
「涙」は、いずれ「経験」に変わる。
「キズ」は、いずれ「キズキ」に変わり、
「出逢い」は、いずれ「絆」に変わる。
「育児」は、いずれ「育自」に変わり、
「苦労」は、いずれ「感謝」に変わる。
「試練」は、いずれ「宝物」に変わり、
「哀」は、いずれ「愛」に変わる。
フォーラム弁当
 島根スタタリングフォーラム参加者のみなさまへ、という書き出しに、おやっと思いました。フォーラムの最後に、急遽、実行委員長の代役を務めた人が、お弁当について話をしてくれました。
 当日、参加できなくなった実行委員長が、お弁当を注文したときに、島根スタタリングフォーラムについて、お弁当やさんに話をしたそうです。どんな子どもたちや保護者、スタッフが集まるのか、どんな思いで集まってくるのか、どんなことを目指そうとしているのか、そこでの出逢いが参加者にどんなことをもたらすのか、きっと、そんなことを語ったのでしょう。その話を聞いたお弁当やさんが、話からヒントを得て、ことばを書いてくれたのだそうです。こんな粋なことをするお弁当やさんもおられるのかと、うれしくなりました。島根スタタリングフォーラムのことは、もう少し書きます。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/11/01

ユーテ・サークルの喜田清さんの講演

 今、島根県に来ています。3年ぶりに対面で、島根スタタリングフォーラムが開催されました。今年で24回目を迎えるフォーラムは、僕が行く、各地で開催されるどもる子どものキャンプの中で、滋賀県での吃音親子サマーキャンプに次ぐ老舗のキャンプです。
 そこでの話は、また紹介しますが、今日は、ユーテ・サークルの喜田清さんの続きです。
 喜田さんが、高松空襲を記録する会に参加していて講演することになったことを書かれています。
 『たとえ、どもってどもってどもりまくったとしても、亡くなった人の思いの千分の一でも、現代の若者たちに伝えることができるならば、私は、この「恥」に堪えよう』
 喜田さんの、この伝えたいという強い思いが、どもることへの不安や恥ずかしさを超えているということでしょう。

  
初めての講演
                 喜田清(高松市・ユーテサークル)〈1988年記〉

 「オイ! オイ! キタア!」
 私がまだ鉄工労働者であった頃、モーターがいくつも喰っている工場では、人は私の耳に噛みつかんばかりに近寄って、大声で話しかける。耳の不自由な私に対する配慮であろうか、「喜田」ではなく、「キタア」であり、特に「ア」は大音声にしてくれる。
 「お前! コーエンするんか!」
 「や、や、や、やる!」
 「どもりのお前が!」
 「や、や、やる!」
 「どもりのお前が、どんなコーエンするん。そこで、やってみい」
 そう言われても、一生懸命に鉄のサビを落としている工場の真ん中でコーエンの真似などできるものではない。愚弄されていることは明らかである。けれども反論しようにも、言葉に詰まって、私の口からは一語も洩れない。まわりから何と言われても、私は黙って鉄のサビを落とし続けた。
 もう20年も前の話である。
 私の住む高松市内の、あっちこっちに、「反戦集会 喜田清 講演 高松空襲を語る」と書かれたポスターが貼られてあるのを見た同僚が、私をからかうのである。
 無理もない。私は、朝、「おはよう」という挨拶ができないから、「オハ」を省略して、「ヨウ」だけで、朝の挨拶としていた。
 一人では持ち上げられない重たい鉄材を持ち上げるため、同僚の原君を呼ぼうにも、「ハ」が、私の口から出てくれない。そんな時、私はいつもハンマーで「カーン」と鉄を叩くと同時に、「ハ」の音を口から押し出そうとする。でも、一回の「カーン」では「ハ」が出ない。二回、三回、四回とカーン、カーンを繰り返し、うまく口から「ハ」が出た時にすかさず「ラ」の音を出す。そして、「くん」す、す、すまんが、この、テ、テ、テツいっしょに持ってくれ…と、自分の言いたいことを言う。
 そのうち、私がハンマーで「カーン」「カーン」と鉄を叩き出せば、それだけで、私は一語も言わなくても、同僚たちは、私が持ち上げるべき、重量のある鉄材を持ち上げてくれるようになる。
 そんな私でも、鉄工所の仕事が終われば、毎日、ノートと鉛筆と、そして補聴器を持って高松の街を歩き、太平洋戦争最末期、アメリカ空軍の高松空襲で死亡した人たちの遺族に逢って話を聞く。
 耳の不自由な私は、場合によっては、相手の口もとに補聴器をウンと近づけて話を聞く。話を聞く片っ端からノートに要約筆記のペンを走らせる。…それを家に帰って、第三者が読んでも分かるように、改めて文章を組み立てていく。
 そんなことを飽きもせずに繰り返していると、私に講演依頼があった。
 「私は絶対に講演はしません!」
 どんなに私が辞退しても、相手は承知しない。ポスターは街に貼られる。一体どうなるのだろう。私は一日一日、日が過ぎるのが怖くて、夜も眠れない。
 無論、私は夕方など裏山に登って、一人で一時間、二時間、講演の練習はした。
 本当に吃音とは不思議なもの。たった一人で語れば、何のことはない。全くどもらない。とうとう、その日がきてしまった。
 それは高松空襲の日。7月4日の午後7時、市内の公園であった。2〜3000人の聴衆を前に、司会者が私のことを紹介し始めたら、もう私の胸は爆発するように鼓動が激しくなる。
 「では、喜田さん、どうぞ…」
 私は、もし、壇上で立ち往生すれば、一語も言わないで土下座だけして壇を降りるつもりであった。
 ただ、もし、私に一語でも語ることが許されるならば、それは私の言葉であっても、私の言葉ではない。どんな秀才であっても、あの空襲で亡くなった人は一語も語れないのである。その人の思いを、私が代わりに語るのである。
 たとえ、どもってどもってどもりまくったとしても、亡くなった人の思いの千分の一でも、現代の若者たちに伝えることができるならば、私は、この「恥」に堪えよう。
 そう思って、私は何とか与えられた1時間は壇上に立って語った。
 15歳で死んだ少女の話。
 4歳で死んだ男の子の話。
 1歳で死んだ嬰児の話…。
 私が話し終えれば、ものすごい拍手が壇を降りる私を迎えてくれた。
 翌日の私は、相変わらず、鉄のサビ落としとカーン、カーンの繰り返しだった。
 以後、私の戦争体験者の聞き書きは20年に及ぶ。鉄工所は倒産して、今は本のセールスで、いろいろな所に行く。
 私の場合、戦争体験者の聞き書きを続けて来たことが吃音の症状を軽くしてくれたと思う。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/10/29

ユーテ・サークルの喜田清さん

 「スタタリング・ナウ」1998.10.17 NO.50の巻頭言を紹介したのは、9月29日でした。
 1ヶ月が過ぎてしまったことになります。季節も、夏から、すっかり秋に変わりました。しばらく飛騨高山地方に旅行していました。いつもは、旅行する準備のひとつとしてブログに掲載する記事を用意して出かけるのですが、今回はうっかりと持たないで旅立ってしまいました。有名な観光地は、すでに行っているところばかりなので、今、僕たちの旅行は、自然にふれる旅です。今回も名もない公園から眺めた紅葉と、広がる里山の光景が心に残りました。
 数年前から好きになった、北アルプスの白馬村にのんびり滞在するのが好きでしたが、そののんびりする滞在先に、飛騨高山周辺も加えたいと、今回の旅で思いました。ブログをしばらく休んでいると、「元気ですか?」と問い合わせてくださる人がいます。ブログは僕たちが元気でいることの証にもなるのだと、読んでくださる人の存在をとてもありがたいことだと思います。
 今年は、吃音親子サマーキャンプも開催でき、新・吃音ショートコースも開催できました。高山から帰って、今日一日旅の後始末と準備をして、明日から島根に車で向かいます。2年間行けなかった、島根スタタリングフォーラムです。島根スタタリングフォーラムは、僕たちが主催する吃音親子サマーキャンプに次いで、長く続いている吃音親子キャンプです。第1回から参加していますが、今年で24回目です。事務局を担当する中心的な人が、代々途切れることなく続いている、島根の難聴・言語教育の担当者の「島根の底力」を思います。また、その様子は報告します。
 
 今日は、1ヶ月前に紹介した「スタタリング・ナウ」1998.10.17 NO.50で特集していた〈映画に描かれた吃音〉を紹介します。この文章を書いたのは、高松市で、ユーテサークルというグループを運営されていた喜田清さんです。喜田さんはどもる人で、難聴もあります。高松空襲の記録を残す会に参加し、多くの人に出会い、体験を聞き、文章をまとめておられました。
 まずは、喜田清さんの紹介からスタートです。

喜田清さんの紹介
 喜田さんが発行している月刊『ユーテ』の、『映画に描かれた吃音』を使わせていただけないかと、久しぶりに喜田さんと電話で話した。穏やかな、優しい声で「お役に立てることでしたら喜んで」と言ってくださった。
 喜田さんは小学校3年生のころ、吃音と難聴を自覚する。吃音に悩み、苦しみながらも、仕事のかたわら、聞き、話さなければならない高松空襲を記録する会の活動に加わる。
 1977年に旋盤機に上半身を巻き込まれ、入院を余儀なくされたとき、吃音を克服しようと朗読練習の勉強会をきっかけに、ユーテ・サークルを始める。ユーテは、讃岐弁で「言いましょう」の意味で、当初はどもる人に呼びかけていた。その後、喜田さんの関心は、ハンセン病や、障害、在日韓国朝鮮人へと広がり、幅広いボランティアサークルとして発展していく。ユーテの現在は、吃音とは関係がなくなったが、喜田さん自身はいつまでも吃音に関心をもってくださる。『ユーテ』は1978年創刊され、現在242号を数える。
 喜田さんは吃音を治そうと、自律訓練法などの習得のために一人部屋の中に閉じこもった練習で、さらに吃音が悪化した経験をもつ。ところが、空襲を記録したり、ハンセン病者の記録のため、多くの人に出会い、話を聞き、それを記録する中で、だんだんと話せるようになっていったという。
 喜田さんの生き方から学ぶことは多い。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/10/27
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