伊藤伸二の吃音(どもり)相談室

「どもり」の語り部・伊藤伸二(日本吃音臨床研究会代表)が、吃音(どもり)について語ります。

島根スタタリングフォーラム

交流活動

 以前は、個別学習の実践が多かったと思いますが、最近はよく研究会などでも、どもる子どものグループ学習の実践が報告されることが増えてきました。
 今日は、そんなどもる子どもたちの交流活動についての報告です。まず、巻頭言から紹介します。滋賀県の吃音親子サマーキャンプ、島根スタタリングフォーラムなど、宿泊を伴う交流活動とはちょっと一味違うことばの教室での交流活動です。巻頭言に続いて紹介します。
(「スタタリング・ナウ」2003.6.21 NO.106)

  
交流活動
                日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二

 「どもりは一生治らない!!」
 小さな山の頂で、小学1年生が、声を張り上げて叫んでいる。第5回島根スタタリングフォーラムの2日目の早朝、山のてっぺんから、自分の言いたいことを叫ぶとき、1年生の3人が、みんなでこう言おうと、示し合わせて練習もし、こう叫んだ。
 夜遅くまで、教師や両親と話し込んでいたために早朝の登山には参加しなかった私は、朝食の前に、是非話を聞いてもらいたいと、初参加の小学1年生の子どもの母親からこの話を聞いて驚いた。
 これまで、吃音について一切話してこなかった我が子は、この叫びをどんな思いで聞いていたのだろう。親として、とてもショックだった。山からの帰り道、子どもに尋ねたら、この集まりにはもう来たくないと言っている。まだ早かったのだろうか、これからどう接したらいいか、不安だ。
 私には、母親の不安よりも、1年生のグループでどんな話し合いがなされ、このことばをみんなで言おうと提案した子どもはどんな思いだったのだろう、また、一緒に大きな声を出した子どもたちは、と想像がふくらんでいく。しかし、母親の疑問や不安を解決しないと、子どもにも大きな影響を与えてしまう。午前中の親の学習会の予定を変更して、このことについてみんなで話し合うことにした。このような不安や疑問が率直に出され、その話し合いが充実して深まっていくのは、この島根スタタリングフォーラムが、5年の経験の中で成熟してきたためだろう。
 できるだけ吃音について触れずにと、大人の配慮で話されなかった吃音の話題は、その子どもにとって、これまで聞いたことのない話ばかりだったに違いない。驚き、楽しくはなかったかもしれない。小学校1年生ならなおのことだ。ところが、子どもは、いつか否応なしに吃音と直面せざるを得なくなる。吃音を隠すことなく、オープンに話題にして、吃音は悪いものでも劣ったものでもなく、隠したり、逃げたりするものではないことを伝えたい。それは、吃音を意識し始めたときがチャンスだ。私たちは、できれば早期に一度は通過しておいた方がいいと、「早期自覚教育」を提唱してきた。私たちの夏に開かれる吃音親子サマーキャンプでは、小さい子どもは小さい子どもなりに、吃音について向き合い、話し合うことを、プログラムの中心に据えてきた。キャンプに来るまでは、一切家庭で吃音にふれずにきた子どもが、帰りの道中で吃音についていっぱい話したという報告は、たくさん聞いており、吃音を話題にしたことで、マイナスの影響が出たことは、少なくとも13年間、キャンプにたくさんの子どもたちが参加しているが、聞いたことがない。話し合いや、作文や、親や子どものふりかえりを常に重視しているので、本当は大変なことが起こっているのに、そのことを私たちだけが知らないということはおそらくないだろう。
 そのような経験を不安に思う、初参加の母親に話した。むしろ吃音についてふれずに成長する方が、思春期に起こるマイナスの影響は、それこそ、挙げればきりがない、とも。学校に行けなくなり、あるいは引きこもってしまい、吃音に向き合うことを恐れ、いくらキャンプに誘っても、参加すらしない思春期の子どもたちを、実際にたくさん知っているからだ。
 近年、吃音に向き合うとか、オープンに話し合うとかのことばを見聞きすることが多くなり、直面することそのものを否定することは少なくなった。しかし、子どもが吃音と向き合うことをどう支援するのかという、議論や実践は多くはない。
 千葉の院内小学校の実践は、その数少ない実践だ。しかし、その取り組みが必ずしも正しく評価されるわけではない。公開番組が終了して、先生方との話し合いでは、「交流のよさ」よりも「吃症状」に話の中心がいってしまった。
 「ことばの教室は小学校にしかないが、そこで出会えた子どもたちとは、いくつになっても交流したい。人と人とのかかわりに終わりがないように、いつでも会える距離でいたい」
 渡邉さんのこのことばは、吃音症状にしか目を向けない人には言えないのでないか。(「スタタリング・ナウ」2003.6.21 NO.106)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/02/21

ご褒美のような時間〜島根は第二の故郷〜

 第25回島根スタタリングフォーラムフォーラムが終わった後、一気に車で大阪に帰るのはしんどいので、松江に一泊することにしていました。長い間、年末年始に2週間ほど滞在していた、懐かしい玉造温泉のホテルを予約していました。
夕食会 そのことを知った島根大学教授の原広治さんが、どうしてもフォーラムには参加できないけれど、私たちに会いたいと、「伊藤夫妻を囲む会」を計画してくれました。コロナの影響を受け、原さんとも久しく会っていないので、喜んでそのお誘いを受けました。フォーラムの会場からホテルまで約2時間、ホテルに着いた頃に、6時前にホテルまで迎えに行くと、原さんからメールが入りました。
 車に乗せてもらって、夕食会場に着くと、なんと13人もの人が集まってくれていました。フォーラムに参加していた人も何人かいます。片付けをして、駆けつけてくれたのです。古くからつきあいのある人たちもいます。島根の大石益雄さんと親しかった大坂さんや安部さん、僕たちの仲間である佐々木和子さん、国立特別支援教育総合研究所の研修の受講生だった、吾郷さんなど、こんなにたくさんの人が集まってくれているとは全く思わず、びっくりしました。
 話は尽きることなく、わいてきます。島根スタタリングフォーラムを始めるきっかけとなったのは、1999年の年末のことでした。恒例の、年末年始を玉造温泉の厚生年金保養ホームで過ごしていた僕が、国立特別支援教育総合研究所で、島根に行ったら電話をすると約束していたらしく、僕の方から吾郷さんに電話をしたらしいのです。僕は、吾郷さんから電話を受けたと記憶していました。玉造温泉に今来ていると話したようで、それならと急遽、学習会のような研修会のような相談会のようなことをしようということになり、暮れも押し詰まった12月27日に、松江市立内中原小学校が会場になりました。そんな急な話だったのに、結構な人数が参加してくれました。そして、その後の打ち上げの場で、どもる子どものキャンプをしようということになったのです。その場に、原さんも、大坂さんも、安部さんも、吾郷さんもいたということでした。本でしか知らなかった伊藤伸二が目の前にいる!と思ったという話を聞いて、僕の方がびっくりしてしまいました。
 それから、島根の言語障害や聴覚障害の子どもを教育する教師の集まりである、島根聴言研とのつきあいが始まったのです。長いお付き合いになりました。フォーラムだけでなく、島根県の県大会など、いろいろな研修会に招いてもらいました。
夕食会2 シリーズ1の、第4回臨床家のための吃音講習会の会場も島根で、そのときのゲストは島根県出身のノートルダム女子大学学長の梶田叡一さんでした。
 2001年、第30回全難言大会島根大会の大会事務局長は安部さんでした。また、2009年の第38回全難言大会山口大会での、吃音分科会の発表者は佐々木和子さんでした。2016年の第45回全難言大会島根大会の吃音分科会の発表者は、黒田明志さんと、今、フォーラムの事務局を担当している森川和宜さんでした。僕は3回とも、吃音分科会のコーディネーターとして参加しました。
 そんな昔の話や、今、担当している子どもの話、これからの研修についてなど、ほんとに尽きることなく、話が弾みました。安心して、いろいろなことを話していました。これが、第二の故郷だと呼んでいる所以のようです。
 こうして、フォーラムが終わったあとに、これだけたくんさの人が集まってくださり、いろいろなことを自由に語り合う、こんな幸せなことはありません。どもりのおかげで、大勢の仲間に囲まれて、幸せな生活を送っていることを再確認しました。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/11/1

第25回島根スタタリングフォーラム〜幼児期こそ、非認知能力を〜

集合写真 第25回島根スタタリングフォーラムのことを報告してきました。
 フォーラムには、幼児教室の担当の方がスタッフとして何人か参加しておられました。小学2年生の秋までは吃音に全く悩んでいなかった僕の経験から、幼児期の対応がとても大事だと考えています。フォーラムでは、詳しく話せなかったことなのですが、こんなことをいつも話しています。

 3歳頃からどもりはじめた僕は、2年生の秋までは、どもってはいたけれど、明るく元気で活発な子どもでした。小学2年生の秋、学芸会でせりふのある役を与えられなかったことで、悩みを深めていきました。悩み始めたきっかけについてはよく書いたり話したりしてきましたが、明るく元気で活発だった頃のことについては、ほとんど触れることはありませんでした。

 僕の家の近所に、絵本や幼児教育の専門家で、絵本カフェを開いている長谷さんという方がいます。散歩の途中、偶然、そのカフェをみつけてふらりと入り、そこでいろいろとお話をしました。そこで開かれている絵本の講座にも何回か参加しました。「ムーミン」「キューピー」「くまのプーさん」「ピノキオ」などの絵本について、その時代背景や作者の意図することなど、たくさん教えてもらいました。これまで絵本は好きでしたが、こんなに深く考えたことはなく、絵本の世界を広げてもらったことになります。僕が取り組んでいる吃音についてもお話し、その中で、幼児教育について、幼児期の新指針・要領についてもお聞きしました。その新指針が、以前から注目して読んでいたヘックマンや非認知能力と結びつきました。

 ノーベル経済学賞を受賞したヘックマンは、乳幼児期に注目し、「教育は開始時期が早いほど費用が大きくかからず、成果が出やすい。その教育は、認知能力だけでなく、非認知能力の育成が大事だ」としました。
 認知能力は、記憶力や思考力などに代表される知性といわれるもので、非認知能力は、情動や感情に関連する能力です。非認知能力とは、具体的には、たとえばこんなものです。
‘颪靴げ歛蠅鯀阿砲靴討眥めずやり抜こうとする粘り強さ、忍耐力(グリット)
◆屬海Δ笋辰燭蕕匹Α」「いいね、じゃあ、これは?」などと他者を受け入れながら、相互に対話(コミュニケーション)して協力できる社会性
Kが一失敗しても「大丈夫」「次は成功するよ」と気持ちをコントロールできる自信や楽観性
 僕がどもっていても、明るく元気で活発だったのは、きっと小学2年生までは、その非認知能力が発揮されていたということになるのでしょう。幼児教室の担当の方には、その非認知能力を育てることを大事にしていただきたいと願っています。それが、その後の学童期、思春期を支える土台になります。
 吃音に関しては、幼児期は環境調整といって、直接ことばを指導するのではなく、聞き手の受け止め方へのアプローチが主でしたが、最近は、リッカムプログラムが導入され、家庭で保護者が子どものことばを指導することが広がりつつあるようです。本来、家庭は安全であるもので、どんなにどもっても聞いてもらえる場であってほしい。その家庭に、短い時間とはいえ、言語訓練をもちこむことに僕は大反対です。どもらないようにするための言語訓練ではなく、非認知能力の育成と関連して、子どもの好きな絵本を一緒に読んだり、子どもが読むのを親が楽しく聞くことが大切です。家庭は子どもの安全基地であって欲しいのです。

 もうひとつ、引っ越しをして、転校するという両親から質問が出ました。
 今まで、島根では当たり前のように受けていた、「吃音と共に豊かに生きる」を方針にした、幼児・ことばの教室での指導が受けられなくなる。新学期から行くことになっている引っ越し先の市のことばの教室で話を聞いたら、吃音の改善を目指して言語訓練をしているというので、そのようなところには行かせたくないというのです。親がこのように二つの方針の中から、自分で考えて選んでいることが素晴らしいと思いました。
 僕は、どもるからことばの教室に行かなくてはならないものではなく、そのことばの教室はどんな考え方をもっていて、どんなことをしているのか、確かめ、実際に見て、通わせるかどうか判断することが大事だと話しました。
 以前にも、ことばの教室の担当者に、親として大切にしたいことを伝え、方針を変えてもらった人もいました。どうしてもそれが聞き入れてもらえなくて通級をやめた人もいました。親が吃音についてしっかり勉強し、信念をもっていることに敬意を表します。ちまたにあふれる、どもっていてはかわいそう、少しでも改善すべきだという大多数の考え方に、疑問をもっている親は決して少なくないのです。
 どんなにどもっても、家庭では安心して聞いてもらえる。家庭は、安心、安全な場でなければならないのです。吃音の情報に惑わされないためにも、親も吃音について学ぶ必要があります。島根で出会った両親のように、吃音の情報を吟味し、今、子どもにとって何が大切かを見極め、自分が信じた吃音についての考え方を説明することばを持ちたいものです。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/10/29

第25回島根スタタリングフォーラム 2日目 〜転ばぬ先の杖ではなく、生きる力を〜

会場全景 2日目は、近くの浅利富士への登山から始まりました。僕は、パスして、朝食から合流です。
 午前9時から12時まで、保護者との対話の時間が始まりました。昨日、さんざんしゃべったけれど、まだまだ話したいことはあります。保護者からの質問もまだ残っています。

○伊藤さんと連絡をとりたいときは、どうしたらいいか。
 日本吃音臨床研究会のホームページリニューアルの話をしました。そのいきさつもドラマチックです。そのホームページの中に、僕の連絡先が書いてあります。電話も住所も、問い合わせフォームから入ってもらうと、メールでつながることもできます。
○中学生でも声を出すことはした方がいいのか。
 年齢に関係なく、人間にとって大事なことです。親が声を出している姿を見せることも大切でしょう。親が自分の好きな小説や、新聞記事を声を出して読むことを日常的にしていることは、自分にとっても子どもにとってもいい影響を与えるでしょう。
○弟は、兄の吃音に関心がないけれど、いいのか。
 関心がないのが当たり前だろうと思います。それでいいです。でも、今回も、このフォーラムに参加しているのだから、きっと何か感じ取ってくれるでしょう。まあ、感じ取っていなくても構わないのですが。

 ひとつの質問から、話はどんどん広がります。今回、保護者との対話でキーワードになったのが、「治す努力の否定」と「転ばぬ先の杖」でした。

最後のアップ 「治す努力の否定」は、僕が大阪教育大学にいるとき、治すこと、治そうとすることが却って悩みを深く大きくすることから、治す努力をやめようと提起したものです。何か障害になることを治すことは、ある意味当然のことで、努力することは美徳とされているのに、それを否定するということは、とてもセンセーショナルで、反発も、誤解、曲解もたくさんありました。治ることもあるだろうに否定するのか、努力は大事だろう、全ての努力を否定するのはけしからん、など。治すために使っていたエネルギーを、より良く生きるエネルギーに変えようという提案だったのですが、そう受け取ってもらえないことも少なくありませんでした。大勢の人たちが吃音を治そうとして失敗してきたことを繰り返したくありません。報われる可能性のあることに努力をするために、報われない努力は諦めようというのです。そこで、僕は、ニーバーの祈りを紹介しました。

変えることができることは、変えていく勇気を
変えることができないものなら、それを受け入れる冷静さを
変えることができるかできないか、見分ける智恵を

 「転ばぬ先の杖」は、合理的配慮との関連で、最近、よく話すテーマです。この話も誤解される可能性があるのですが、話す必要があると考えて話しました。合理的配慮については、基本的にいいことだと思います。ただ、それが過ぎると、あるいはそれに頼りすぎると、子どもの生きる力を奪うことにつながるのではという心配をもっています。必要な支援、必要な配慮をしてもらうことに異論はありません。ただ、その支援、配慮がないと、何もできないというのでは、この世知辛い世の中を生きていくことはできないのではないかと思うのです。理解してくれる環境ばかりではありません。自分にとって厳しい環境も、これから待っているかもしれません。そのときに、だめになってもらいたくないのです。どんなに環境が悪くても、それなりに自分なりに、自分を支え、生き抜いてもらいたい、その力を子どもの頃に培ってほしいと願います。親として、目の前に障害があるなら取り除いておきたいと思うのは、当然ですが、子どもと話し合って、どうするか決めてほしいと思います。子どもが自分の力で取り除くのか、誰かの力を借りて取り除くのか、子どもに選択権があります。がんばるところ、逃げるところ、助けてもらうところ、どの場面でどれを選ぶのか、子どもに任せたいものです。

 黒板に予め書いておいた、幸せ生きるために、共同体感覚、言語関係図、ストレス対処力などのことばの説明を具体例を挙げながらしました。これらを知っておくことで、今後の生活に役に立つと思います。

 昼食後、最後のプログラムです。保護者との対話のラスト、90分が始まりました。僕は、そこで、吃音親子サマーキャンプに宮城県女川町から参加した阿部莉菜さんの話をしました。彼女の書いた作文「どもっても大丈夫!」も読みました。今回は、彼女の体験を、健康生成論の一貫性感覚(センス・オブ・コヒアレンス)の、把握可能感、処理可能感、有意味感にからめて話してみました。彼女は、サマーキャンプに来て、自分が不登校になっていることをグループのみんなに話しました。グループのみんなもいろいろ質問をして、それに答える中で、彼女は、自分の経験を整理することができました。これが把握可能感です。そして、彼女はサマーキャンプから帰ってから不登校だった学校に行き始めます。処理可能感に気づいたからです。自分には、助けてくれる仲良しの友だちがいる、理解してくれる仲間もいる、何より力強い家族がいる、それらの力を借りて、行きたい学校に行けるようになります。また、キャンプ前にお父さんが言っていた「吃音は、いい肥料なんだよ」のことばや、キャンプでグループの子どもたちが言ってくれたことばから、自分にとって吃音は意味があるものなんだという有意味感をもつことができました。これで、健康生成論の説明ができました。
 ひとりひとりの感想をお聞きして、時間きっちりと終わりました。長丁場につきあってくださった保護者のみなさんに感謝の気持ちでいっぱいです。

終わりの会 子どもたちは子どもたちの活動が展開されていたようです。子どもたちの話し合いの中で、どうしても僕に聞きたいことがあるというので、最後のおわりの会のときに、質問を受けました。その質問とは、「どうしてどもるのですか。吃音の原因を知りたいです」でした。
 これは、よく質問されることです。僕の答えは、決まっています。「わかりません。どうしてどもるようになったのか、分からないのです。たくさん研究されてきましたが、分からなかったし、きっとこれからも分からないでしょう」
 ところが、分からないと言っても、どうしても知りたいという子どもがいます。以前、島根のスタタリングフォーラムに参加していた子もそうでした。別のことで島根県に来ていた僕の宿泊ホテルまで「どうしてどもるのか、知りたい」と訪ねてきました。仕方なく、僕は、こんな話をしました。
 空気中に、どもり菌がいて、ふわふわと浮かんでいる。ある人は、口に入ってもぺっと吐き出してしまうけれど、ある人はそのまま飲み込んでしまう。飲み込んでしまった人がどもるようになったんだよ。この話に、その子は納得したようでした。その子というのが、今回も参加しているOBの稲垣君なのです。

 今回、スタッフの中に、幼児教室担当、幼稚園のことばの教室担当の人が何人も参加していました。島根は、小学校はもちろんですが、他の県と比べて、中学校のことばの教室も充実していて、幼小中の先生がそろっていました。幼児期が大切だと思っている僕にとって、これはありがたいことでした。
 僕のどもりの悩みの始まりは、小学校2年生の秋の学芸会からだということは、いろんな所で話したり書いたりしています。どもり始めたのは、多くの人がそうであるように3歳前後らしいですから、3歳頃から小学校2年生までは、どもっていたけれど、明るく元気で活発な子だったのです。「どもっていたけれど、明るく元気で活発な子だった」ということ、このことについて、もう少し話したかったなあという思いが残ります。
 島根のフォーラムの報告は、今日で終わるのですが、この幼児期のことについては、明日に続きます。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/10/25

第25回島根スタタリングフォヘラム 1日目 4年ぶりのフルバージョン開催から保護者との濃密な対話の時間から

 第25回島根スタタリングフォーラムに参加するため、前日の10月20日に島根入りをしました。昨年は1日だけ、一昨年は僕は自宅にいてZOOM参加、その前はコロナで中止。今年は、2019年以来、4年ぶりの1泊2日のフルバージョンのフォーラムです。
 浜田駅前のホテルにチェックインして、そのホテルの真向かいにあるレストランを予約しました。店の名前は、ケンボロー。豚肉がとてもおいしいお店です。このケンボローは、べてるの家の向谷地生良さんとばったり会った思い出深い店です。北海道の向谷地さんと大阪の僕が、浜田の小さいレストランで偶然出会うという不思議なことが起こったところでした。ここへ来ると、いつもそのことを思い出します。
 
出会いの広場 10月21日、会場である島根県立少年自然の家に向かいました。前日は、時折雨も混じる天気だったのですが、初日はきれいな青空になっていました。会場に着くと、事務局の森川和宜さん、受付には藤川さん、何年か前、ホテルまでの送迎をしてくれた伊津さん、小学生のときから参加していて今は青年スタッフになっている稲垣君など、顔見知りのスタッフが迎えてくれました。前の事務局の佐々本さん、どうしても予定が入っているので参加できないけれど顔だけ見たいと、地元のおいしい水を持って、立ち寄ってくれました。初めて参加するというスタッフが多いのですが、温かい雰囲気が以前と変わらず、僕を迎えてくれました。故郷に帰ってきたような安心感が広がりました。

 全体に向かって10時30分、フォーラムが始まりました。出会いの広場は、流水さん。ポンポンポンと軽快な手拍子をもとに、参加者の気持ちをリラックスさせていきます。そのよどみない的確な指示で、みんな、魔法にかかったように、いつの間にか、笑顔になっていきました。
 昼食の後は、90分、どもる子ども、その保護者、スタッフのことばの教室の教員の参加者全員を前に、僕が話をすることになっていました。対象がこれだけ幅広いと話が絞れず、難しい展開になりそうだったので、急遽、お願いして、ことばの教室の担当者に前に出てもらい、僕とやりとりをしながら、参加者もまきこんでいこうということに変更してもらいました。「夫婦漫才でいいなら、しますよ」と言ってくれた伊津さんに感謝です。事前に出してもらった質問や、その日に出してもらった質問に答えていきましたが、伊津さんと少しやりとりをするので、立体的になったようです。
 たとえば、こんな話題が出ました。

○全校生徒に、自分の吃音のことを先生から話してもらった。だから、みんなは、ぼくの吃音のことを知っているはずなのに、忘れるのかわざとなのかは分からないが、「なんで、そんな話し方なん?」と聞いてくる。そういうことがあると、イライラするし、悲しくなるし、嫌になる。
 伊津さんは、全校のみんなに話したと言うけれど、聞いている方は、自分ごととして聞いていないんじゃないか、と言います。僕も、全校生徒に分かってもらうのは無理だと思ってほしいとまず言いました。分かってもらえないというのが前提です。からかわれたり、笑われたり、いやな思いをした、そのとき、その場で、目の前の相手に伝えるしかないと思います。そして、からかわれたときの選択肢として、その場から立ち去るというのもアリだと知っておいてほしいと思います。立ち向かうことも大事だけれど、逃げることも大事なのです。
親と 一回目 これに似た話題は、今年の鹿児島県の大会後の吃音交流会でも、吃音親子サマーキャンプでも、ちばキャンプでも出ました。永遠のテーマだろうと思います。僕は、自分の経験を話し、広く吃音を理解して欲しいという前に、目の前の身近な人に自分のことばで吃音をどう理解して欲しいかを伝えていくことをすすめました。そして、からかってくる子どもはどんな子どもなのかを研究しようと勧めます。からかってくる子どもに目を向けると、子どもたちからは、意地悪な子ども、周りからも嫌われている子ども、イライラしている子どもなどいろいろと出てきます。「残念な子ども」と言った子がいました。では、その、からかってくる残念な子どもに対しては、しっかりとその相手を見て「あなたは残念な人ですねえ」と言ってみたらどうかなあと提案した、鹿児島市のことばの教室でウケた話をしました。過去と他人は変えられません。自分の受け止め方を変えるしかないのです。

○話しにくくて恥ずかしい。ことばにつまらずに話したい。
 残念ながら、吃音の原因も分からないし、治療法もありません。おそらく、今後、研究がすすんだとしても、どもる人全員に有効な治療法はみつからないでしょう。恥ずかしい気持ちを恥ずかしくないように変えるのは無理です。その気持ちを克服するのは無理です。恥ずかしいという気持ちは持っていていいのです。大切なことは、恥ずかしくても発表することです。どもる人は、どもりながら、しゃべっていくしかありません。
 その他、流れ星を見て願い事をしたことがあるか、吃音がなかったらどんな人生だろうか、吃音のある人でオレ以上だと思う人はいるかなど、ユニークな質問もありました。
 ひとつひとつ丁寧に話していきました。伊津さんがそばにいて、合いの手を入れてくれるので、落ち着いてゆったりとすすめることができました。全員参加の90分間、最初のプログラムを無事終えることができました。心配していましたが、とてもいいスタートが切れました。  
 この後は、保護者と子どもは別プログラムです。
 僕と保護者が3時間、対話するプログラムが始まりました。初めに、さきほどの1時間半の話を聞いた感想を聞かせてもらいました。感想を聞いて、また僕がレスボンスをしていくので、ゆったりとした時間の流れの中で、僕は、たくさんのことを考え、思い出し、話しました。きっと、参加された保護者も同じだったろうと思います。
 島根のフォーラムでは、僕と保護者の時間として、3時間が2回の計6時間と、振り返りの90分と、長くとってあるので、急がず、ゆったりとすすめることができます。参加者も、初参加の人が多く、フレッシュなメンバーで、なんだか僕も、新鮮な気持ちになり、わくわくしながら、話を聞き、しゃべるという、対話の醍醐味を味わっていました。

・会話をしていてどもったとき、予想できることは代わりに言っていいのか、待った方がいいのか。
・今、6歳で、自分の吃音に気づいているのかどうか、分からない。気づくまで待っていたらいいのか。
・通級教室が整っていない所に引っ越すことになっている。親としてできることはあるか。
・予防としてワクチンの話が出たが、ワクチンをうつタイミングはあるか。
・幼児期は、何を大切にしたらいいか。

 一つ一つの質問に対して、いろいろな角度から答えていると、本当に長くなります。これまでに学んできたこと、出会ってきたどもる子どもやどもる人の体験、それらがひょいひょいと顔を出してくるので、たくさん話してしまいます。
夜 スタッフと 3時間があっという間に終わり、夕食。その後、ケーキを食べながらおしゃべりをしようという会、そして、夜8時から、子どもや保護者は、キャンドルの集いをしましたが、僕は、このフォーラムへの参加回数が1、2回の人たちから質問を受けることになっていました。45分間の授業の組み立て方、声を出すレッスンのこと、幼児に対する指導で大切にしたいこと、吃音に気づいていない子への取り組み方、子どもの吃音の波に一喜一憂する保護者への対応、など途切れることなく質問を出してくれました。僕の頭が、フル回転しているのが分かります。予定の時間をはるかに超えて、刺激的で、知的な興奮を起こさせてくれた、いい時間を過ごしました。随分と話し続けたことになります。
 僕の話を真剣に聞いてくれる人たちがいる、幸せな気持ちで、島根スタタリングフォーラム一日目を終えました。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/10/24

継続は力〜25回目を迎えた島根スタタリングフォーラム〜

 明日からの週末、島根県立少年自然の家で、島根スタタリングフォーラムが開催されます。僕は、第1回からずっと参加しています。前日の今日、島根入りをしました。今年で25回目となる島根スタタリングフォーラム、滋賀県での吃音親子サマーキャンプに次いで長寿となりました。
 事務局を引き受けることばの教室担当者は変わりますが、大切にしてきたことは変わらず、引き継がれています。文化を繋いできた歴代の担当者に敬意を表します。
 「スタタリング・ナウ」NO.96 2002.8.23 の巻頭言は、島根スタタリングフォーラムのことを書いています。明日から始まる第25回のフォーラムの前夜、この巻頭言を紹介します。吃音親子サマーキャンプがまだ13回目の時の文章です。今年は32回目のキャンプだったので、とても懐かしく、自分が書いた文章を読み返していました。

    
継続は力
             日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二

 まさか、ここまで続くとは思わなかった。島根スタタリングフォーラムのことだ。第1回が、予想外の多くの参加者と熱気に包まれて終わった。その終わりの会の余韻にひたりながらスタッフ数人で会場近くのログハウスでコーヒーを飲んでいた時、「やったね!よかった、よかった。じゃこれでおしまい、とするのはもったいないね」という話が、誰からということなく出されていた。その輪の中に、ここまで継続をさせた仕掛け人、宇野正一さんがいた。
 ことばの教室関係では、言語障害児の療育キャンプの歴史は古い。全国各地で、毎年キャンプが行われている。しかし、どもる子どもだけを対象にしたキャンプは、私の知る限りでは、これまでは私たちの吃音親子サマーキャンプ以外にはなかった。だから、島根でスタタリングフォーラムが企画され、私も関わることができたとき、本当にうれしかった。吃音親子サマーキャンプの実践が、島根の地に小さな種を落としたような感じがした。だから、続いて欲しいとは願ったが、実際に続いていくとは思えなかった。続けるには、初めて行うのとは質の違ったエネルギーがいるからだ。そのエネルギーが、島根のことばの教室の担当者にはあったことになる。それを宇野さんは、「手弁当、自腹を切ってでも参加したい、いい意味での〈アホ〉なスタッフがたくさんいるからだ」と言う。
 さて、4回目のフォーラムのスタート。親のグループは、吃音への思いや、吃音について知りたいことをもり込んだ自己紹介から始まった。ひとり、ふたりと自分を語っていく中で、「うーん。これは何だ?」という不思議な思いにかられた。これまでの3回とは明らかに違う風が吹いていた。余裕というか、温かいというか、安定感といっていいのか。複数回参加している人の顔が、初めての時とは明らかに違っている。その親の雰囲気が全体に影響するのか、初めて参加する人も安らいでいる。つい涙ぐみながら、緊張ぎみに話し、相談会のようだった1回目とは大きく違っている。
 このフォーラムが3年の歴史を積み重ねたこともあるだろうが、これは日頃の島根県下のことばの教室のどもる子どもへの思いと指導方針にあると思った。それは、島根と他の地方の実践の違いが親の口から実際に明らかにされたからだ。この春に島根から転居した2組の親子が遠く離れた転居先から参加した。島根にいた時通級していた教室と、引っ越した先の現在通級していることばの教室の方針が大きく違うのだという。平たく言ってしまえば、島根が吃音の症状にとらわれないで、子どもの暮らしを大事にしようという立場なのに、転居先のことばの教室では、吃音の症状の改善、および消失を目指しているように思えるというのだ。島根の方が自分としては方針は合っているので、またそれを確認したくて参加したのだという。
 私は、このふたりの親の話を聞いて、新しい風が吹いていたのはこのことだったのかと思った。ひとつの基本理念が、しっかりと親に根差し、違う理念と出会っても、揺るがない。私はうれしかった。
 昨年の夏、島根県松江市で、全国のことばの教室の担当者の集まり、第30回全難言協全国大会島根大会が開かれた。その大会テーマが、「子どもたちが自分らしく暮らしていくための支援のあり方」だった。基調提案から、シンポジウム、記念講演と、その基本理念は一貫していた。私がコーディネーターを務めた吃音分科会もその流れに添っていた。「吃音との上手なつき合い方を模索して」と、山口県で始まった「吃音キャンプの報告から」のことばの教室の実践をもとに、大会テーマに添って話し合ったのだった。
 その島根の掲げたテーマは、その後、どうなっているのだろう。必ずしも全国的なものにはなっていないのではないか。分科会でも私が主張した、「どもっていても大丈夫。どもっていてもその人なりの充実した楽しい人生は送ることはできる。吃音の症状への取り組みよりも、子どもが自分なりの充実した日常生活を送れるように、子どもをどう支援するかが大切なのだ」も、説明不足もあるだろうが、まだまだ誤解や曲解が多く、理解されにくい。フォーラムに参加した親に出会い、あきらめず、粘り強く、あせらず、丁寧に、そして、繰り返し、主張していく必要があるのだと思った。
 私たちの吃音親子サマーキャンプも13年の歴史を積み重ね、島根スタタリングフォーラムも今後、継続していくことだろう。『スタタリング・ナウ』も100号に近づいている。昨年から始めた「臨床家のための吃音講習会」は今年は全国28都府県から参加して下さる。静岡でもこの10月、私を呼んで下さり、どもる子どもたちのためのキャンプがスタートする。
 一粒の種は、継続の力で確実に育っている。(「スタタリング・ナウ」NO.96 2002.8.23)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/10/20

吃音親子サマーキャンプが蒔いた種〜島根スタタリングフォーラム〜 4

 このシリーズの最後です。島根スタタリングフォーラムに参加した人の感想を紹介します。

島根スタタリングフォーラムの企画・運営に関わって
                  江津市立津宮小学校通級指導教室 宇野正一

 フォーラム終了後、たくさんの方からアンケートや感想を寄せていただきました。ほとんどの人が「参加してよかった。今後も続けて欲しい。ぜひ参加したい」との意見を下さいました。その中のごく一部ですが、紹介しましょう。

◇子どものどもりの原因がもしかしたら自分にあったのではないか。乳幼児期に必要な基本的信頼感というところが少し欠けていたのではないかと常に感じていましたが、「いつからでも取り戻せるし、この2日間、子どものために時間をとってこの場にいること、それで十分です。子どもたちにも母親の自分への思いが通じているはずです」ということばにとても救われた気持ちになりました。子どもも2日目の話し合いの時間、しっかり自分の吃音について自覚していることが分かり、これからはもっとオープンに吃音について親子で話し合えるような気がしたし、またよいきっかけになったと思います。

◇私も小さいうちから吃音ということがあり、子どもだけのためでなく、自分自身にも何かみつかるのではと期待して参加しました。
 1日目の講演で同じ障害を持つ者として「ああ、そうだなあ。これは私も同じ」と思ったり、私自身もう治ったと思っていたのに、話の中で、どもりは治らない、大人はうまく喋れるようにごまかしているから治っているように見えるのだと言われた時はガーンと頭をたたかれたような気分になり、ショックでした。でも、自己開示や自分で吃音を自覚することの大切さを聞いて、納得して気も落ち着きました。わが子は今のところほとんど吃音は出なくて今子ども自身が吃音を意識しているかどうか分からない状態なので、改めて自覚しなくてもよいのではとも思いますが、このフォーラムで思春期を迎える前に吃音についてオープンに話しておこうという話を聞きました。この点については親としてまだよく分からない状態です。
 次に2日目の座談会ではお母さんたちの生の声を聞いて、みんな同じようなことで悩みを持っているのだなあと思いました。子どもに吃音が出た時は私自身が吃音だっただけに私のためにそうなったのではないかととても苦しみました。が、いろんな意見を聞いて、今から思えば逆に私自身が吃音だったから子どもの気持ちも分かるなどとちょっと救われているところもあるなあと思い直しました。昨日のお母さんたちとの話を聞いて自分の気持ちを聞いてもらうだけでもきっとよい出会いだったんだろうと感じています。そういう意味でも今回のような吃音だけの親子が集まるようなフォーラムが開かれるとよいと思います。
 子どもに昨日先生と何を話をしてどう感じたか聞きましたが、よく分からないという答えがきました。子どもがどう思い、何を考えているか、だんだんと話さなくなっています。講演の中で、お母さん自身が自分のこと、自分の失敗も話していったらといいとありました。思春期の子どもの対応についてはよく分かりませんが、吃音と上手につきあうガイドブックを参考にしていこうと思っています。

◇自ら吃音に悩んできた人のことばは重くしっかりと響きました。吃音と向き合えているように思えたとしても、スキャットマン・ジョンのように、「大きな象がずっと後ろにいるのにいないふりをしていた」とか50歳になっても妻にも子にも吃音について話せなかった人がいるとか、田中角栄氏の扇子、木の実ナナさんの「おにいちゃん」など、大人の吃音の方の体験をたくさん話していただき、このように心の片隅からどもりが消えることはないということで、これからわが子が行くであろう険しい道に胸が締め付けられるようでした。
 学級崩壊の前に家庭崩壊、家庭のコミュニケーション不足に危機感を持っているとの話がありましたが、全く同感で、親子で飾ることなく本音で話し合い、今日は仕事でこんなところへ行った、こんな失敗をした、こんなことで落ちこんでいるなどと、子ども相手にもこんな些細なことでも言い合い、愚痴をこぼし、将来子どもたちが困った時やつらい時、迷わず弱音を吐ける家庭にしたいと思いました。それこそ、どもり方がおかしかったと一緒に笑えるようになれたらと思います。自己開示は私たち親子はとても苦手です。些細なことでも言語化する練習をして、互いが自己開示していかないと、私たちは将来家庭崩壊のような気がします。愛情不足ではなく愛情表現不足という話、過干渉はいけないが過保護は大切でいくら愛情をかけてもやりすぎではないという愛情表現をからだ・ことばで豊富に表現していこうと思いました。
 今回の合宿で、家族そろっての参加が何組かありました。とてもうらやましく思いました。男性である伊藤さんの体験、辛さ、半生の生きざま、どもりの男の子を持つ同じ男性の父親として是非知ってほしかった。しかし、この合宿に参加された方々と同じようにどもりとつき合い、一緒に涙する人たちがこれだけいらっしゃること、またその子どもたちを本当にわが子のように気にかけて下さることばの教室の先生方がいらっしゃること、そのことが今の私たちを支えて下さるのだと思い、とてもありがたく思いました。

◇「私も吃音で悩んできました」。伊藤さんが自己紹介をされた時、何か今までとは違う気がして身を乗り出すようにして聞き入っていました。
 担任の先生から「行ってみませんか」と誘いを受け、「はい、出席します」と言ったものの、どんなことをするのだろう、どれだけの人が来ているのだろうと半信半疑でした。でも、この時点で参加してよかったと思いました。今まで「どうしてどもるようになったんだろう」「きっと私に何か問題があるのだろう」「かわいそうだなあ」「治るのだろうか」と、ひとりで悩み続けていたことひとつひとつに対して、話の中から答えをみつけることができました。「一生治らないかもしれません」と言われたのはショックでした。「大丈夫だよ。大きくなれば治るでしょう」と周りから言われていたので…。
 今、子どもは、自分がどもることを多少なりとも気にしているのでしょう。「言いにくい」と言うことはあってもそれが「どもり」だよと教えてやることもありませんでした。私自身が子どもが「どもる」ということを否定したかったのだと思います。今までなるべくふれないようにしていた「どもり」ということば。
 1日目の研修が終わった時に、「○○の話し方はどもりというんだよ」と初めて本人に言った時、「ふうーん」「ちょっと話しにくいけどね」「あんまり気にしていないよ」と言われ、ホッとしました。とは言え、これから大きくなるにつれ「どもり」について周りの友だちからの反応など悩まされることもあると思いますが、今の気持ちが否定されないよう、大らかな気持ちで育ってほしいと思います。
 そしてうれしかったこと、楽しかったこと、悲しかったこと、何でも話をたくさんしてほしいと思います。そのために「自己開示」。親自身がオープンに語りかけていくよう家庭での会話を大切にしていきたいと思います。
 2日間の研修を通して「どもり」についての知識を得たこともよかったのですが、それ以上に、同じ悩みを持つ方と話ができたこと、話を聞けたことが私にとって一番でした。

◇どもりについては無知なまま今回のフォーラムに参加しましたが、そこには今現在精一杯どもりと向き合っている子どもたちとその親御さんがいて、皆さんの一生懸命な姿を見ているうちに、ことばの教室の担当者として、もっともっと力を出すべきだし、磨かなくてはいけないという気持ちになりました。
 伊藤さんは、自分もどもりに苦しみ、孤独な少年時代を送ってこられたことで、素直で生々しい人の気持ちを赤裸々に聞かせて下さいました。それまで私の中では、どもりということばにふれず、何も言わずにそっと…という対応の仕方があったのに、どんどんどもりをことばに出して一緒に考えることがその人をありのままに受け入れることなんだと分かり、感激したと同時に、立派な専門書に書かれていることを何の考えもなしに鵜呑みにしていたことを反省しました。
 どもりに限らず、何かの悩みと向き合うことは怖いことで、その一歩を踏み出せるような勇気と周りの理解と受容がとても大切だと思いました。
 自分が違う悩みで誰にも打ち明けられずに苦しんでいると考えたら、「早く言って楽になりたい」「誰かに分かってほしいけど、拒否されたらどうしよう」等様々な思いが交錯して結局言えないかもしれません。その時に、勇気を出して言えた人が「そのままでも、ぼくの君へ対する思いは変わらないよ。いいんだよ、そのままで」と受け入れてくれたらどれだけ救われるだろうかと思います。だから、自分もそうでありたいです。私のこともいっぱい分かってもらえるように、思いをどんどん表現していくべきだし、相手のハートを感じて、いつでも真剣に思っていたいです。
 「どもりのある幼児に、どういうきっかけで自覚させたら?どんなことばをかけたらいいんだろう…?」と思い、尋ねると「心から沸き上がることばを素直に出せばいい」と言われました。初めは「吃音を治す方法が知りたいのに…」と思いましたが、よく考えたら、きっとその子の悩みを本気で考え、真剣に向き合えば、愛情がことばに乗って発せられ、きっとその子の心に届くのではないかと分かりました。一緒に過ごした皆さんの姿をずっと忘れず、私も自分を好きでいたいです。たくさんの愛のパワーを感じさせていただきました。(「スタタリング・ナウ」NO.60 1999年8月)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/01/30

吃音親子サマーキャンプが蒔いた種〜島根スタタリングフォーラム〜 3

 プログラムが始まったら、もう進むしかない、そうして1日目が終わり、2日目になりました。どう切り出したらいいのか迷っていたことばの教室の担当者を前に、子どもたちは自分の吃音について語り始めました。保護者も、これまであまり話せなかった思いを、話し始めました。 それぞれのセルフヘルプグループができたようでした。吃音についての話し合いという文化は、島根にしっかりと根付き、昨年の島根スタタリングフォーラムのプログラムの中でも、大切な時間となっていました。今年、島根スタタリングフォーラムは、25回目を迎えます。
 昨日のつづきを紹介します。

島根スタタリングフォーラムの企画・運営に関わって
                  江津市立津宮小学校通級指導教室 宇野正一

子どもたちの思い

 翌日は4名のことばの教室担当者が2グループで話し合いを持つことになりました。
 2年生以上の子ども6人と教室担当者の3人が入って「自分の話し方」についての話し合いをしました。6人は大体が違う市町村から集まってきていたので、もちろんこのキャンプで初めて出会いました。そしてほとんどが「どもる」ということについて初めて話をするようでした。それだけにみんな緊張ぎみでした。
 中1のSさんが「友だちはあんまり気にしていないみたい…。6年生の時に先生がクラスのみんなに話してくれてから気が楽になった。みんなが知ってくれて気持ちが楽になった」という話をしました。
 小2のT君も「今は(自分がつっかえてしゃべるということを)し、し、し、知ってる人も知らない人もいると思う。み、み、み、みんなには知ってほしい。誰かから言ってほしい」と気持ちを話してくれました。
 それに対してNちゃんは小さな声で「みんな(自分の話し方は)知っている。…知られたくなかった。…今、すごく嫌」と話してくれました。
 同じようにつっかえるしゃべり方の仲間でもいろんなことを思っているんだなと、お互いに感じているようでした。それぞれ「吃音」ということで通級教室に通ってきてはいるけれど、教室担当者とこういう話をしたことがないようでした。
 Sさんは「そういう話は直接しなくても、この教室に同じような人が通っている、っていうだけでなんかいい気がする」と言いました。Sさんは、毎週担当の先生と折り紙をしながらいろいろ話をするのを楽しみにして通っていたようです。
 Nちゃんは、最近通級を始めたばかりで、まだ2回くらいしか教室に通っていません。「これからこんな話を教室の先生と話してみたい?」と聞くと、首を横に振りました。「ここだからこんな話ができる」のだそうです。
 クラスの中、学校の中では「どもっているのは自分一人」と感じることの多い中、こうした集まりで、あの子もこの子もと思うことで、気持ちが楽になるという部分もあるようでした。また、どの子どもも伊藤さんのように、大人でどもる人の話を聞いたのは初めてのようでした。「びっくりした」という素直な一言も聞けました。
 約1時間、お互いに話すことばがたくさんあったわけではありませんが、始まる前より断然子ども同士の距離が短くなっているのを感じました。

親の思い

 2日目の、親と伊藤さんの座談会。
 1日目の話を踏まえて、聞き足りなかったことを聞いたり、自分のさまざまな思いを出し合いないがら、自分の子どもとこれから向き合っていくパワーをもらえたような気がしました。
 エリクソンのライフサイクル論についての質疑応答から始まりました。
 自分の子育てや子どもとのかかわりについて「あれではいけなかった」と自分を責める親。
「そんなことはない。その時は一生懸命していたこと。そんな自分をほめてあげよう。基本的信頼感は、親と子どもとの間のことを言うが、親が自分自身に対して持つ信頼感でもある」と伊藤さん。
 そして、伊藤さん自身のお母さんの話もされました。伊藤さんがお母さんのことを思って書いたという詩「母へのレクイエム」を朗読されると、多くのお母さんが涙しながら聞いていました。
 涙を流しながら、また大笑いをしながら、今の我が子のこと、これまでの子育てのことを話されるお母さん方を見ていると自分の思いを語ること、それを聞いてくれる人がいることの大切さを改めて感じました。もちろんそれは通級指導教室が担っている部分でもあるのでしょうが、親子が通ってきて、何時間指導するよりも、今回のような場を提供することがどれだけ大きな意味を持つかということを感じました。本当に分かり合える人たちに囲まれて、今まで十分には語ることができなかったかも知れない思いを語ること、これがキャンプならではできることだと感じました。

おわりに
 今回のスタタリングフォーラムの参加者は、子どもが32名(そのうちどもる子どもが16名)、大人が54名(親21名、成人吃音者が1名、教室担当者・保育関係者32名)の合計86名でした。予想を上回る参加者数でした。
 「今までやったことないから、やってみないと分からない」と変な開き直りから出発した今回の企画。フォーラム中は、「こんなことじゃあ…」と落ち込んだり、「ここはこうすべき、あそこはこうじゃないと…」と反省したりの2日間でしたが、2日目が終わって解散直後には、自分自身でも「やってよかった」という思いで一杯でした。「やってみないと分からない」ことは「やってみたら分かった」ことでもありました。
 今回は、これまでになかった初めての経験ということで、(悪い言い方ですが)「何でもあり」だったと思います。目標の「親同士のつながり」は「つける」ところまで行きませんでした。でもそのきっかけにはなったことでしょう。
 そして、終わってしばらくたって今、こんなことを思っています。一発花火をあげることは派手でいいけど、「やったね!よかった、よかった。じゃあ、これでおしまい」とするのはもったいないということ。通級指導教室で通ってくる子どもや親に提供するサービスは、花火を見せることではなく、種をまいて水をやること。
 「吃音親子サマーキャンプ10年間の実践が小さな種を島根にまいた」
 この伊藤さんのことば。その小さな種をいろんな方から栄養をいただきながら大きく育てていきたいと、今、感じています。(「スタタリング・ナウ」NO.60 1999年8月) 


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/01/29

吃音親子サマーキャンプが蒔いた種〜島根スタタリングフォーラム〜 2

 昨日のつづきです。何もない所から始まる第一回目の島根スタタリングフォーラム。担当者たちの手探りの様子が綴られています。心配なことはたくさんあるけれど、とにかく始めよう。動き出したら、わくわくしてきた。僕たちも、そんな思いをしながら、第一歩を歩き出したことがたくさんあります。
 「初恋の人」は、この夜、翌日の子どもたちの吃音についての話し合いについて、担当者同士で話し合っているときに出たものでした。初めてのことに取り組む高揚感の中で、僕も何かに背中を押されるようにして、話したようです。あの場が、僕にそんな気持ちを起こさせてくれたのでしょう。
 「スタタリング・ナウ」NO.60(1999年8月)の紹介です。

島根スタタリングフォーラムの企画・運営に関わって
                   江津市立津宮小学校通級指導教室 宇野正一

キャンプ当日〜とにかく始まった〜

 さて当日。大きなかばんを抱えてたくさんの親子や通級教室担当者、保育関係者が続々とやってきます。その皆さんの表情は、ちょっと硬いという印象でした。
 大人は伊藤伸二さんの講演。講演は、静かな感じから次第に伊藤さんの話に引き込まれて、大変充実した2時間だったようです。
 子どもは、すけさん(島根県立青少年の家の木村真介さん)とレクリェーション活動。子どもたちはすぐに仲良く楽しく遊び始めました。ところが教室担当者のほとんどは伊藤さんの講演の方に行って、子どもと関わってくれている人がいません。このキャンプは親子のためのキャンプで、ことばの教室の担当者の研修会ではないのに…?と思いつつ、島根県ではこのような吃音に関しての研修の機会が少ないことの裏返しでもあるのだと感じ、教室の担当者が講演を聞きに行くのも仕方がないかと思いました。
 夕食。フォーラムがスタートしてはじめの失敗感をここで持ちました。会場の国立三瓶青年の家の食事はバイキング方式で、それぞれが自由に食堂へ行って食べます。参加者は全員「島根スタタリングフォーラム」と書いた名札をつけていましたが、みんながばらばらに座って食事をとっていました。参加した親子はそれぞれ家族で、教室担当者は担当者同士で。「親同士のつながり」と思いつつ、夕食までのところで親同士が知り合うことのできる時間・企画が設定されていませんでした。宿泊の部屋割は各地からの家族を混ぜるようにしましたが、「あとはそれぞれ仲良くなってね」といった状態でした。参加者が最初に出会うところで、互いに知り合い、仲良くなれる活動が必要でした。夜にはキャンドルの集いがあり、楽しい時間を過ごせましたが、このような時間をフォーラムのはじめにもってくる必要があったようです。

子どもとどもることについて話をする必要性

 大きな懸案事項が一つありました。2日目のプログラムの中に、「子どもの話し合い 自分の話し方についての思いを出し合う」がありました。
 子どもの思いを引き出したり話し合わせたりを誰が担当するのか? そのような話し合いが必要なのか?「子どもとどもることについての話をする」ことの意義について、私自身はいろいろなところで話を聞いて自分の教室でもするようにしてきましたが、担当者によって思いも取り組みもさまざまです。そこで夜の懇親会(教室担当者限定でしたが)をしながら少しまじめに「なぜ、子どもとどもりの話をするべきなのか?」というテーマで話し合いました。

 「社会人になって、新人の研修プログラムで吃音と初めて向き合い悩む人。入社して4か月後に、得意先とのちょっとしたトラブルで会社を辞めてしまう人。小学校時代は元気で明るい子どもだったのに、その後学校へ行けなくなってしまう子ども。これらの事例が最近目立って多くなってきた。
 話を聞くとその全てが、子どもにどもりを意識させてはいけないと、どもりについて話し合っていない。本人も吃音について直面しないできた。触れたくないもの、できればこっそりと治したいものに向き合うことはとても難しい。とりわけ思春期はそれでなくても嵐のような時代。そのときに、どもりと初めて直面することは難しい。学童期にどもりと向き合うことで、直面しなければならない時に向き合える力が蓄えられる。
 学童期こそどもりをオープに話題にし、それなりの直面をしておく必要がある」

 伊藤さんの、何故、吃音をオープンにして話し合うのかの話にうなずきながらも、どう話のきっかけを切り出そうか、これまであまり話し合ってこなかった担当者にとっては難しいことのようでした。
 その懇親会では講演とはまた一味違った伊藤さんの話を聞くこともできました。「小さな炎―初恋の人」の話題はここで盛り上がったことでした。話し合いは深夜3時を回っていたようです。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/01/28

吃音親子サマーキャンプが蒔いた種〜島根スタタリングフォーラム〜

 「どもりの語り部」の巻頭言を書いた「スタタリング・ナウ」NO.60では、島根で始まったどもる子どもや親のための吃音キャンプを特集していました。最初の企画・運営の担当だった宇野さんの報告です。
 島根スタタリングフォーラムと名付けられたキャンプのはじまりを、僕はよく覚えています。
その頃、僕は年末年始を、玉造温泉の保養ホームで過ごしていました。そのことを知った島根県のことばの教室担当者から連絡があり、年末に、研修会をしようということになったのです。 12月28日くらいだったと思います。こんな時に研修会なんてと思ったのですが、会場の雑賀小学校にはたくさんの人が集まってくださいました。そして、夜の懇親会の場で、島根でもキャンプをしようということになったのです。ちょうど、島根県のことばを育てる親の会の30周年ということもあり、その記念事業として計画はすすんでいきました。その中心にいた宇野さんの報告です。

島根スタタリングフォーラムの企画・運営に関わって
    江津市立津宮小学校通級指導教室 宇野正一

はじめに

 島根県ことばを育てる親の会は、1999年に30周年を迎え、その30周年の記念事業の一つとして「島根スタタリングフォーラム」の計画が進められました。私は会場である国立三瓶青年の家に近い通級指導教室の担当者ということで企画・運営についての事務局を任されました。
 「日本吃音臨床研究会の伊藤さんと直接連絡をとって内容について詰めて欲しい。長年吃音キャンプをしておられるからたくさん聞いてより良い企画を立てて下さい」
 先輩の先生方からいろいろとアドバイスをいただきながらも、なかなか相談の電話ができませんでした。昨年末に伊藤さんとお会いする機会があり、夜の宴会の部でも隣の席でご一緒させていただいていましたので、優しい人柄は分かっているつもりでも「やあ、こんにちは!」と言えるほどではなかったのでした。「たくさん聞いて」と言われても、何をどう聞けばいいのだろう。何も叩き台なしに「どうしましょう?」と尋ねるのもあまりにも失礼だろうし…。頭の中でもやもやするばかりでした。
 まずは、日本吃音臨床研究会のホームページを見ました。吃音親子サマーキャンプの情報がありましたが、あまりに盛りだくさんの感じがして、ますますプレッシャーになってきました。(とんでもないことを引き受けてしまった…)
 とりあえず、私のことも覚えていないかもしれないのでと電子メールを送りました。
 「メールは毎日膨大な量がきます。頻繁に見ないことがあるので、急ぎの場合は電話かFAXで」という返事でした。

島根でできること〜2つの目標〜

 1泊2日でどんなことができるだろう。日本吃音臨床研究会のサマーキャンプと同じことなどできるわけがない。私自身がどもる子どもだけを集めて何かしたことなんてない。やったことがないから、やってみるしかない。なんていう訳の分からない理屈で素案を送ると、「大筋はこれでいいんじゃないでしょうか。私自身の動きが見えたのでそのように準備します」と伊藤さん。「もっとこういうことを入れてみたら? ここはこういう内容がいいよ」との指摘を期待していた私としては、さらにプレッシャーを強める結果となりました。
 (本当にこれでいいのだろうか?)
 それでも案内を送ると、次々参加申し込みがやってきす。当初、親子・教員合わせて60名の計画のところ、100名近い申し込みになり、またまたプレッシャーが強まってしまいました。
 そんな状態でも当日は確実に近づきます。伊藤さんから吃音親子サマーキャンプの資料を送ってもらうと、スタッフの打ち合わせの資料や参加者へのしおり、注意事項など、かなりの会議と準備を重ねられることが分かりました。
 今回の島根スタタリングフォーラムは…。
 「しょうがない!とりあえずやろう」
 しおりと教室担当者用の資料は作りました。教室での指導よりも…といった感じでした。
 とにかく次の2つのことを今回のフォーラムの目標にしました。

◇親に、成人吃音者としての伊藤さんに出会ってもらい、生のどもりについての話を聞いてもらう
◇県内の親同士のつながりをつける


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/01/27
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