伊藤伸二の吃音(どもり)相談室

「どもり」の語り部・伊藤伸二(日本吃音臨床研究会代表)が、吃音(どもり)について語ります。

大阪吃音教室

“弱さ”は“強さ”

 石川県の教育センターとのつながりが深く、石川県の新任教員の一日研修、いのちの電話の担当者の研修など、吃音とは関係ない分野の研修会に講師としてよく呼んでいただいたことは、このブログでも何度か書いていますが、それは、今回、紹介する徳田健一さんとの出会が出発でした。
 九州大学の村山正治さんが主催する、大分県・九重高原でのべーシック・エンカウンターグループに、当時、相談課長だった関丕(せき・ひろ)さんと徳田さんが参加していました。4泊5日のグループの終わりにふたりが僕のところへ来て、「私が課長の時に必ず伊藤さんを講師として呼ぶから来てね」と言ってくれました。そのことばどおり、講師として呼んでいただき、次の課長の徳田さん、その次の課長の浦田肇さんと、三代にわたって、歴代の相談課長が僕をいろんな研修会の講師として呼んでくださいました。金沢のカウンセリングや教員研修などで、一年で数回、金沢に行ったこともありました。本当にありがたいつきあいでした。
 「にんげんゆうゆう」を見た感想をお願いしたのだと思うのですが、思いがけず、長文の、そして今でも僕の心に残る文章を送ってくださいました。
 “弱さ”は“強さ”、このタイトルは、絶妙で、吃音を認めて生きることで生まれてくる奥深さを言い表していると思います。また、「“強さ”も人を救うが、“弱さ”もまた人を救うし、“弱さ”しか人を救えない場合もある」とのことばも、僕の心にずしんと残ります。
 23年を経た今、再度、「スタタリング・ナウ」2000.8.15 NO.72に掲載された、徳田さんの文章を味わいたいと思います。


  
“弱さ”は“強さ”
               石川県教育センター次長 教育相談課課長  徳田健一


出会い
 伊藤さんとの出会いは9年前の、人間関係研究会の大分県・九重高原でのべーシック・エンカウンターグループだった。スッと自己開示ができ、自己実現のために積極的な生き方をされている姿勢が印象的だった。そこで、その次の年からずっと、石川県の教員の初任者研修や教育相談の研修会の講師をお願いしてきた。再会するたびに、吃音の話は聞いていたが、毎週金曜日のセルフヘルプグループのミーティングはテレビで初めて知った。メンバーにとって、あのコミュニティはエネルギーの補給基地なのだと思った。

私の吃音
 私は、小学校4年生ぐらいからどもるようになり、思春期にはかなり辛い気持ちをひきずっていた。
 最も思い出したくない体験は、教師になって3年目の卒業式。担任がクラスの卒業生の名前を読みあげるという習わしの中で、鈴木君から竹内君へ移るときに「タ」を発声できなかった。卒業式は最も緊張度の高い儀式で、私にとっても生徒にとっても「失敗は許されない」という感じだ。卒業証書を受け取るために呼ばれた生徒が、壇の前で列をつくるのだが、鈴木君の後で列がとぎれてしまった。「いつ読みあげられるのか」と不安そうな竹内君や他の生徒たち。それに保護者や来客も私の方を見る。こちらは汗だくになって発声しようにも、タ行が出てこない。そこで、何度も一番の「相川」に戻り、はずみをつけてようやく「タケウチ…」と読みあげたが、「もう3年生はコリゴリ」という気持ちだった。
 伊藤さんの「トロ」同様、私も「テッカ巻」は、今でも食べ損なう。今は回転鮨のお店もあり、運よくトロやテッカの回ってくる可能性は高いが…。

吃音は個性
 吃音で困った体験をもつ私は、教育相談の仕事を永く続けているが、心理的な側面から吃音に悩む子どもと出会う。自分自身が相談に乗ったり、時には言語治療教室を紹介したこともあった。しかし、あの番組を見て、治療機関では治りにくいことが初めて理解できた。伊藤さんの「日常生活の中に出よう」ということばがとても新鮮に響いた。
 そのことで思い出すのは映画監督の羽仁進さんだ。随分前になるが、かなりどもりながら2時間ほど講演されたことがあった。内容がすばらしく、一生懸命伝えようとされている誠実さも加わって吃音のことは気にならず、むしろ大きな感銘を受けたことを今でも憶えている。
 また、教師仲間でもひどくどもる人はいたが、やはりその教師の人柄のせいか、少しも生徒は気にせず、静かに授業を受けていた。
 伊藤さんの吃音も人を魅了してやまない個性だと感じてしまう。もし、突然タテ板に水の如く話し出したら、私の心の中の伊藤さんは伊藤さんでなくなってしまうだろう。それほど吃音は個性の問題として受け止めている自分に気がつく。

大阪吃音教室
 吃音を媒介にして一生懸命自分の人生を生きようとしているあの大阪吃音教室の人たちを見ていると、いつまでも心に感動が残り、いいかげんに生きている自分が恥ずかしくなった。「どうしても話したいと思うような、内容のある生活を送っているかどうかが問題なのです」としめくくられた伊藤さんのことばを回想すると、よけいそう思ってしまう。これは吃音の問題を抱えた人たちだけのテーマではない。人生をいきいきと生きているかどうかが私たちに問われている問題なのだ。
 もうひとつ共感できたのは「うまく話そうと思う気持ちがコミュニケーションの楽しさを奪ってしまう」と話された一人の女性のことばだ。「こうあらねばならない」「こうすべきだ」という枠組みは、その人から個性を奪い、人生を無味乾燥にしてしまう。この考え方はどの世界においても言えそうだから、どもることを自分の個性として受け容れ、それを生かしきるまでには、相当な活動の期間が必要なのかもしれない。しかし、そのような課題意識を人前に出せること自体、もうその人は吃音と対峙しているのだと思う。自分の気持ちを表現することは、自分のマイナスをプラスに変えることだと思った。

吃音に悩む生徒
 最近、久しぶりに吃音に悩む生徒と出会った。吃音を教師や仲間に知られたくないことから授業が苦痛になり、学校から遠ざかってしまう。教育センターの面接に来所したときもついに吃音の問題を私にも言えず、沈黙で耐え抜いた。しかし、私にとって吃音の問題よりも、彼は自分を抑制することが多く、自分を生きていないことの方が気になった。私は「同じ悩みを共有できる場に彼を誘いたい」と思い、吃音親子サマー一キャンプへの参加をすすめた。最初渋っていたのをなんとか参加させたものの、彼にとってそのキャンプは不安で、いたたまれなかったと見え、途中で帰ってしまった。
 ところが、そのことでキャンプに参加していた高校生の一人が彼のことを心配し、手紙や電話でコミュニケーションをとってくれた。そして、彼の住む神戸に遊びに誘ってくれた。その出会いの中で、彼の社会化が促進され、内的世界も広がって、生きる自信を得たのであった。
 この吃音親子サマーキャンプも、あの大阪吃音教室と同じように悩みを共有しあい、生きるエネルギーとなる安心感を提供しているのだと思う。

弱さが人を救う
 最後に私はこんなふうに思う。「弱さも人生に価値をそえる」と―。伊藤さんのことばで言えば、「吃音と上手につきあう知恵が身につく」ことだ。「充実した生活を目指せば人はどもってもしっかり聴いてくれる」という知見もそのひとつだろう。これは「弱さ」が「強さ」に転じる姿だ。もっともそのことに気づくのはずっと後になるかもしれないが…。
 少年期にすっかり生きる自信を失い、いつも聞かされっ放しだった私が、人生の後半になって人の話を上手に傾聴できるようになったのも、先の弱さが生かされたからだと思っている。
 「強さ」も人を救うが、「弱さ」もまた人を救うし、「弱さ」しか人を救えない場合もある。自分の置かれた状況は変わらないけれど、仲間の支えさえあれば、その辛さをひきずってでも生きることができる。「仲間がいるから乗りきれる」を見て、そんなふうに思えた。(「スタタリング・ナウ」2000.8.15 NO.72)

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/03/25

NHK番組「にんげんゆうゆう」を偶然見て、その後、大阪吃音教室に参加した人の話

 たくさんの人に視聴いただいた「にんげんゆうゆう」。中には、この番組がきっかけで、大阪吃音教室に参加してくださった方もおられます。
 偶然というものは、あるのですね。たまたまテレビをつけたときに流れていたとか、テレビ欄を開いたときに目に入ったとか、そんな偶然の出会いが、これからの自分の生き方に大きく影響するということもあるようです。思い切って行動するということの大切さを思います。
 偶然「にんげんゆうゆう」を見て、大阪吃音教室に参加された方の感想を紹介します。

 
偶然見たテレビがきっかけで参加した大阪吃音教室
                              大島純子

 私自身が最近あるセルフヘルプグループに参加するようになって、今までの自分を振り返りながら思うことをことばにし、他者に共感してもらうことで、「なんだか気持ちが軽くなるなあ」という経験を少しずつですが、しています。
 「自分だけではない、自分が悪いのではない」と自分を肯定的にとらえる努力をしながら、コンプレックスをもつ自分を徐々に受け入れていっているといえるでしょうか。
 そんな時期に、NHK教育テレビでセルフヘルプ活動についてのリポートがあることを偶然見つけ、とても興味を持って見ました。
 大阪吃音教室では、どもりを持つ自分の体験を各々が皆の前でスピーチされていました。つっかえたりしながらもご自身を表現し、それを皆さんが共有し、時には考えを言い、和やかな印象を受けました。やはり同じ悩みを持つ仲間に共感してもらうということはいいことだなあと感じ、私も勇気を出して大阪吃音教室に参加しようと思いました。
 私もどもることにコンプレックスがあります。中学、高校時代には症状が結構目立っていたし、何より自分自身がどもることを非常に恐れていました。人づきあいが苦手というか、性格的なことやその他の要因はあったにせよ、人と喋ることにいつも緊張し、実際どもってしまうので余計に息苦しくなっていました。最近はその頃よりは目立たなくなっている(うまくごまかしているだけかもしれませんが)とはいえ、完全になくなったわけではなく、心のどこかでいつもどもる自分を恐れています。そしてうまく話せない瞬間には、なんともいたたまれない気持ちが襲ってきます。
 「うまくつきあっていくしかないのか」と思うようになった時、このグループにつながることができてよかったと思っています。どんなふうにどもりとつきあっていくかを一人で模索するより、同じ仲間のいるグループで見聞きしながら考えていく方が力づけられると思います。また、毎週のプログラムは、幅広いテーマを扱い、よりよい人間関係を作ったり、自分を成長させることに役立つ教室のようで、ちょっと期待もしています。参加して間もないですが、あせらずマイペースで、いろいろ吸収して前進したいと思っています。(「スタタリング・ナウ」2000.8.15 NO.72)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/03/24

NHK番組「にんげんゆうゆう」のカメラが入った大阪吃音教室に初めて参加し、最後の感想で「吃音でもいいかな」と発言した人の話

 あまりにも劇的なしめくくりとなったあの日の大阪吃音教室。最後に初参加の感想を語った野村さんは、収録の翌週、大阪吃音教室に参加し、再度感想を求められ、「先週はああ言ったけれど、…やはり、できることならどもりたくない」と言います。正直な人です。自分の気持ちに正直な人だからこそ、その後、僕たちの仲間として活動を続けることができたのだと思います。

    
どもっていいかな…
                                 野村貴子

 私が吃音になったのは、中学2年の時です。でも、全く気にしていなかったので、困るようなことはありませんでした。
 しかし、就職活動の時、自分の大学名と名前が言いづらく、だんだんと気にするようになり、ひどくなっていきました。そして、吃音を治そうと決心し、話し方教室に1年間通いましたが、結局は治りませんでした。
 そんな時に、インターネットで大阪スタタリング・プロジェクト(大阪吃音教室)を知り、藁にもすがる思いで参加しました。
 第一印象にとても驚きました。なぜかというと皆さんとても明るかったからです。私は今まで吃音を隠そうと思っていましたし、恥だと思っていたからです。
 そして、なんとその日はNHKテレビ収録の日だというのです。一週、参加を遅らせばよかったとチラッと思いましたが、まあ私は映らないだろうと思っていました。でも、バッチリ映っていたので驚きました。その中で私は例会の最後に、初参加の感想を求められ、「吃音でも別にいいかなと思えた」と言いました。言い終わった後すぐに、とんでもないことを言ってしまったと思いましたが、でも本当のその時の気持ちです。単純に吃音でもいいかなと、その時は思えました。
 番組放映の次の日の大阪吃音教室で、あの時あのように言ったけれど今はどうですかと聞かれ、「やはり、できることならどもりたくない」と、収録の時言ったこととは少しちぐはぐなことを言いましたが、これも、その時の本当の気持ちです。
 このように揺れてはいますが、ひとつ私が確信を持って言えるのは、心の負担が軽くなったことです。どもる人は私の他にたくさんいて、堂々とどもっている。驚きと同時に安心感やうれしさを感じました。
 吃音を隠そうとして、辛い思いをされている方々がまだたくさんいると思います。その方々が大阪吃音教室のことを知り、参加されれば、私のように気持ちが楽になれるだろうと思います。(「スタタリング・ナウ」2000.8.15 NO.72)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/03/23

吃音でもいいかな〜NHKテレビ番組「にんげんゆうゆう」

 インターネットの世界で、吃音を検索すると、さまざまな情報が得られます。大事なのは、どの情報を選ぶか、です。何が、どもる人やどもる子どもを幸せにしてくれるか、僕は、それが大切な基準だと思います。
 今日紹介するのは、2000年に、スタジオ出演した「にんげんゆうゆう」の特集です。30分間の短い番組でしたが、「仲間がいるから乗り切れる」との大きなテーマのもと、柿沼アナウンサーの的確な問いと、ゲストとして登場した岡さんの話、そして大阪吃音教室の様子が流れ、充実した番組だったと思います。その特集号「スタタリング・ナウ」2000.8.15 NO.72の巻頭言から紹介します。初参加者の野村さんの最後のことばが光っていました。

吃音でもいいかな
                    日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二

 「吃音に対しては、すごいマイナスのイメージをもっていたんですが、でも皆さんとお会いして、木村さんや横の人の話を聞いたとき、良いこともあるんやと、私も吃音ですけれども、吃音でもいいかなあと思えるようになりました」
 日本吃音臨床研究会と協力し合いながら、共に活動をする、どもる人のセルフヘルプグループ、大阪スタタリング・プロジェクト(大阪吃音教室)のミーティングの様子が、NHKの教育テレビを通して全国に流れた。
 《仲間がいるから乗りきれる》というテーマで4日間セルフヘルプグループが取り上げられた。最終日『吃音』の、インサートVTRとして、大阪吃音教室が収録されたのだ。
 テレビ収録のために特別の吃音教室をしたのではない。年間スケジュールを変えることなく、また、気負う事なく、いつものごく普通の吃音教室が進行していた。その日のテーマは、「吃音体験を綴る」。秋の吃音ショートコースに関連づけて『吃音と人間関係』について体験を綴った。自らの体験を文章にしてまとめることは、大阪吃音教室が大切にしているプログラムのひとつだが、初めて参加した人がまず驚く。大きな声で朗読の練習をしたり、人前で話す訓練をしていると予想して参加した人は、40分ほど静かに皆が一斉に、原稿用紙に向かっている姿に戸惑うのだ。
 書いた文章を、書いたその人が読むことが多いが、時間の都合で、担当者が全員の文を一気に読み上げる場合もある。30人ほどの吃音体験を一気に知る、すごい時間になることもある。
 この日は、8人が自分で書いたものを読み上げ、それを聞き、感想を言い合ったり、自分の体験を語った。驚いたり、笑ったり、拍手が起こったり、一体感の出る時間だ。
 そして、これも恒例になっている、ミーティングの最後に、その日初めて参加した人が、参加しての印象や感想を話す。NHKテレビのカメラが入っていることを全く知らずに、その日初めて参加した女性が、時に涙ぐみながら、冒頭の感想を述べたのだった。
 「うおっ」という歓声と、拍手が起こった。
 番組の展開としては、あまりにも出来過ぎている。そう感じた人もいたのではないか。
 柿沼アナウンサーも驚き、私に問いかけた。
 「今の女性は吃音に対してマイナスのイメージを持っていたけれども、吃音でもいいかなと考え方が変わったのは、まさに、人の話を聞いているうちに考え方が変わったのですね?」
 このようなことはどうして起こるのか。
 吃音の辛さや苦しみを分かち合い、だから吃音を治そう、軽くするために努力しましょうというのでは、セルフヘルプグループは安上がりの吃音治療機関になってしまう。治療となると専門家の領域だ。専門家の援助を得なければならない。
 吃音と向き合い、治すのではなく、それと上手につきあうことを目指してこそ、セルフヘルプグループは大きな力を発揮する。大阪吃音教室はそのことに徹しているから、野村さんのような変化が起こるのだと言える。
 最後にどもりどもり読んだ木村一夫さんの文章に、参加者のみんなから思わず大きな拍手が起こった。「よかったね。そんなこともあるんだ」なんだかほっとして、うれしくなる。野村さんならずとも、「吃音でもまあいいか」と言ってしまいそうだ。

 ―私自身、結婚するまでは、「自分は一生ひとりかもしれない。結婚できない」と思っていました。ところが、実際には、私の吃音が私を結婚させるきっかけになりました。
 それは、友人の披露宴で一芸をしてお祝いのことばを話したときのことです。うまくしゃべれなかった私を見た披露宴の出席者の一人に「こいつはすなおで良い人間だ」と思ってくれた人がいました。その人の娘の結婚相手を探すとき、一番初めに思いついた相手、それが私だったそうです。
 『吃音はマイナス』と考えていた私にとって、人生の転機となる結婚に対し、逆にプラスに働いたことは、うれしいことのひとつです―


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/03/19

桂文福さん らくご笑売51年 古希おろしの会

文福 古希おろしの会チラシ 桂文福さんから、「古希おろしの会」の案内が送られてきました。3月末で70歳になられた文福さん、古希のお祝いとして、一門全員集合で、このような企画を立てられたそうです。
 いただいたお手紙には、「うれし、はずかし、70歳、古稀ですので、こんなけったいな会を催すことになりました。文福一門全員集合! 「ふるさと寄席文福一座」の選抜メンバーが各人、芸を披露いたします。浪曲界のベテラン天光軒新月師匠の友情出演も。がんばります」とあります。
 文福さんとの出会いは、僕が出演したNHKの福祉番組「にんげんゆうゆう」を息子さんが録画して、文福さんに見せたことから始まりました。2000年のことです。それから、ずうっとお付き合いいただいています。吃音ショートコースの特別ゲストに来てくださったこともありました。應典院のコモンズフェスタで、文福さんをゲストにイベントをしたこともありました。大阪吃音教室の講座にも飛び入り参加してくださったことも何回もありました。
 「いつも、お心におかけいただき、ありがとうございます」で始まるお手紙には、人を大切にする文福さんの人柄がにじみ出ています。
 4月3日の天満繁昌亭での「古希おろしの会」のチケットを予約しました。いつまでも元気な文福さんに会いにいきます。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/03/07

大阪吃音教室のすばらしい仲間たち

 2月25・26日、毎年恒例の、大阪吃音教室の運営会議がありました。年に一度、この時期に、運営委員が集まり、1年を振り返り、翌年度の活動を展望します。今年は、17人の運営委員が参加しました。
 まず、ひとりひとりの2022年度の振り返りからです。プライベートな話、自分が担当した講座や印象に残った講座など大阪吃音教室の講座について、振り返っていきました。コロナの影響を受け、運営委員同士も、頻繁に会って話をすることはできませんでした。以前なら、教室終了後、喫茶店に行ったり、飲みに行ったりして、お互いの近況はそれなりに分かっていたのですが、最近はそれもできず、この運営会議の場で、そんなことがあったのですか、ということも少なくありませんでした。病気のこと、仕事のこと、子育ての大変さ、親の介護の話など、運営委員ひとりひとりの話に、共感したり思わず笑ったり、自分と重ね合わせたり、大切な時間を共有しました。
 そして、大阪吃音教室のスケジュールを、2022年度を参考にしながら、立てていきました。新しい講座を新設したり、講座名を変えたり、毎年毎年、少しずつ変更が加わり、改定されていきます。担当者も、立候補を基本に、自薦他薦でどんどん埋まっていきました。講座を担当すると、その前に事前に学習しますし、結局は担当した者が一番得をします。学びを大切にしている大阪吃音教室です。
 講座の世話人、ニュースレター「新生」の編集担当も決めました。吃音教室に初めて参加される方への対応についても、話し合いました。ナラティヴ・アプローチの国重浩一さんに教えていただいたことをヒントに、「どんなことで困っていますか?」という質問ではない問いかけをみんなで考えました。困って悩んでいる人と決めつけず、いろいろあってもここまで生き抜いてきた人、サバイバルしてきた人としてリスペクトする気持ちを持ちながら接していこうと確認しました。吃音を否定しない、どもっている自分を否定しないことを大事にしている僕たちならではの確認だったと思います。
 最後に、日本吃音臨床研究会からのお知らせやお願いをし、会計の途中報告を聞いて、会場が使えるぎりぎりまで使って、今年の運営会議を終わりました。
 こんな時間を大事にする仲間と、2023年度も活動していけること、幸せだなあと思いながら、帰りました。写真を撮るのを忘れてしまい、運営会議の様子を文字でしかお伝えできず、残念です。

日本吃音臨床研究 会長 伊藤伸二 2023/02/27

ことば文学賞〜受賞作品の紹介〜

 ことば文学賞は、最優秀賞作品1点、優秀賞作品2点を選びます。それぞれ図書券と記念の盾が贈られます。ひとりひとりの体験が凝縮された作品はどれも読み応えがあり、そこから受賞作品を選ぶ作業は、僕も経験しているので、その難しさはよく分かります。
 高橋さんが亡くなられた後は、僕がその選考をさせてもらっているのです。いつも、3点に絞りきれず、特別賞なるものを設けていました。このときの高橋さんも、同じようで、次に紹介する作品は、次点として高橋さんが選んだものでした。人間、何歳になっても変わることができる、を実感させられます。

    
70歳から始まった、新しい吃音人生
               山下信 大学図書館司書(71歳)

 さくらホールでは木下順二作「夕鶴」が上演されていた。舞台装置も背景もない素朴な演劇。つうと与ひょう、その他の出演者の演技、セリフに迫力があり、会場は出演者と観客が一体化して熱気に溢れて、感銘と余韻を残して終わった。出演者は全員素人であり、どもる人たちであるという演劇だが、その演技、セリフはどもらない人と変わらず、むしろそれ以上であることは、どもる私にとって、まさに驚きであり、表現できない深い感動を覚えたものであった。
 1998年11月23日、「どもる人のことばの公開レッスンと上演」に参加した時の印象である。
 難聴で言語障害の経験のある演出家の竹内敏晴さんの「ことばのレッスン」の、声を出す、靴が鳴る、夕焼け小焼けの合唱までは、これは新しい吃音矯正方法だと思い、私も大きな声を出して加わっていた。
 局瑤貌り番組は木竜うるし、トム・ソーヤ、悪党と進み、夕鶴が始まるころには、私の意識は段々と変化してきた。この明るい、自信に満ちた顔、笑顔、言葉。それは私が長い間悩み、こだわってきた「どもり」の世界はなかった。この明るさと自信は何だろう、どうしたらこうなれるのだろう。私は自分の目で見て、耳で聞いたこの現実に深い衝撃を受けた。そして私は今まで感じたことのない期待と希望で胸がふくらむ思いがした。
 私はこの事実と疑問を解決したい思いで、会場で販売していた図書、資料類を買いあさった。
私がこの行事を知ったのは、11月14日の朝日新聞の記事。「吃音の人ら、舞台に挑戦」という見出しがあった。「吃音」「どもり」という文字には敏感に反応する。早速切り抜いたが、11月23日は、親戚との恒例の旅行の日で、玉造温泉に行くことになっており、この行事は私には縁のないものと思っていた。事情でこの旅行は中止になった。今思うとこの日に旅行に行っていれば大阪吃音教室との出会いはなかったのである。
 会場で入手した資料は、『障害の受容』『からだ・ことば・こころ』『アサーティブトレーニング』『セルフヘルプグループ』『どもり・親子の旅』等であった。これらの資料は、私がいままでに読んだ吃音関係のものとは根本的に違う、新しい吃音に対する認識を提示していた。吃音の矯正ではなく、吃音の受容、吃音とつきあうということに特に興味を覚えた。私は吃音は社会生活には不便だが、訓練と努力によって矯正できるものだと思っていた。私は自己流だが、年を経るにしたがって若い時のひどい吃音と比べると日常生活に差し支えない程度には治っていたように思えるからである。しかし会議の発言、自己紹介、公衆の面前でどもるたびに自己嫌悪に陥っていた。
 『障害の受容』の吃音の受容は、初めて知った言葉で、奈良善弘氏の「53歳で初めて吃音とのつき合いが…大阪吃音教室の体験」を読んで共感を覚えた。そして私はこの「吃音の受容」をもっと深く知りたいと思った。また、『からだ・ことば・こころ』の、竹内敏晴さんの「どもる人達の『夕鶴』につきあって」を読んで、私が感動と驚きをうけたあの人たちの明るさ、自信に満ちた生き生きとした顔、言葉の謎が解けた感がした。
 このレッスンこそどもる人が言葉を取り戻す方法ではないか。「レッスン参加者の声」から、私はあらためて希望と期待を覚えた。
 11月27日(金)に私は初めて森の宮のアピオ大阪で行われている大阪吃音教室に出席した。2階の部屋の扉のまえには「大阪吃音教室」と書かれた案内板が立っていた。中に入ると若い人ばかりで、年寄りは私一人なのでいささか戸惑った。
 例会が始まり、私は新人として紹介され、このような自己紹介をした。
 「私は皆様の演劇を見て感動して、この教室に参りました。長い間どもりをやっています。
私はなるべく喋らないですむ仕事と、大学図書館員になり、現在まで44年間大学図書館の司書として勤務しています。ひどかった吃音も今は日常生活や仕事に差し支えない程度になっています。私の職業選択は吃音が要因になっているが、今ではこれでよかったと思っています。年は70歳になりますが、年齢に関係がなく思い立った時が始まりだと思います。皆様の仲間に加えて下さい」
 その日の教室のテーマは「どもる人のための書くトレーニング」であった。私は戦時中の中学生時代に、どもりのために軍事教練で悩んだことを書いた。例会終了後の喫茶店での集いは楽しく、仲間になれるのではないかという感触があった。私と大阪吃音教室との出会いは、こうして始まった。
 私は金曜日になると大阪吃音教室に通った。1年近く休まずに出席している。例会は明るく、楽しく私をひきつけるものが多くある。私が前述の行事で感じたことを、事実として、体験として知ることができ、新たな希望と期待が生まれてきた。ここに集まって来る人々は吃音という共通の悩みを背負って生きてきた人々である。多くの人々と語り、聞き、それぞれの人々の多様な「吃音の人生」を知ることができ、今までに経験をしたことのない縁と絆を感じている。
 私の「吃音の人生」は一人で悩み、一人でもがいていた全く孤独そのものであった。大阪吃音教室ではグループで悩みを語り、解決法を考えている。この出会いは、私にとっては全く新しい「吃音の人生」の発見であった。もっと早く出会っていたら私の人生は変わっていたと思う。しかし長い間の吃音の遍歴を経て出会ったことも無駄ではなかったと思う。私の「吃音の人生」は私の貴重な財産である。私はこの出会いを大切にして、残った人生を前向きに少しでもお役に立ちたいものだと心から願っている。

高橋徹さんのコメント
 一番書きたいこと、一番大切なことを、一番最初に書くという方法を実践している。
(「スタタリング・ナウ」1999年11月 NO.63)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/02/11

ことば文学賞〜作品の紹介〜

 昨日の最優秀賞につづき、今日は、優秀賞の作品を紹介します。NPO法人大阪スタタリングプロジェクト(大阪吃音教室)の会長、東野晃之さんの作品です。
 吃音の始まりは、ことばを覚え始める2、3歳頃が多いとされています。でも、数は少ないですが、中学生や高校生になってから、成人してから、50歳を過ぎてから、という人もいます。僕が知っている中での最高齢は63歳になって、どもり始めたという人がいました。吃音はひとりひとり違うということの証明のようです。
 東野さんは、そんな珍しい、中学生になってからどもり始めた人です。

  
【優秀賞】 すくみ
                   東野晃之 会社員(42歳)

 親父の27回忌をもうすぐ迎える。子煩悩な良き父親だった。親父の思い出で嫌なことが一つ浮かんできた。小学生だった私を叱る時、よく使ったことばがあった。親父がかってに作ったあだ名である。『すくみ』がそれだ。
 『すくみ』とは、消極的で引っ込み思案とか、人前へ出るのを嫌がることを指している。家族で何処かへ出かける時、私はひとり家に残りたいとよく言った。外へ出かけるよりひとりで居たい、自分だけで過ごす時間の方が心地よかった。親父にすれば、せっかく家族揃って出かけようと予定を組んだのに、長男の私だけがそれに水を差すようなことを言うので腹立たしかったに違いない。
 また、私は周りの大人に愛想のよい社交的な子どもではなかった。親戚や親の知人が家に来ても挨拶をしたり、愛想をするのが苦手で、顔を合わせる前にすぐ奥へ引っ込んでいた。そのことで「気の弱いやっちゃ」「あかんたれ」と親父によく叱られた。それらの総称が『すくみ』だった。当時、そう言われるのが堪らなく嫌だった。
 今、自分が亡くなった親父の歳に近づいてきて、『すくみ』というあだ名は、どもりの私を言い当てているような気がする。
 竦むとは、辞書で引くと、緊張や恐ろしさでからだがこわばって動けなくなる、恐れちぢこまるという意味である。どもってことばが出ない時、この『竦み』が心の中に宿っているのかも知れない。『すくみ』と親父から言われた子どもの頃、私はどもりではなかった。そう、生まれて13年目の中学生になってどもり出したのだ。
 「親父、あんたは俺が将来どもりになることを知ってたんか。そういえばどもりでなかった時もあんたの前では緊張して話せずにいたな。俺を叱り、頭に血がのぼるとすぐ手が出てくるから恐かったよ。あんたの前ではいつも俺竦んででいたな。
 でも、知ってたかい。本当は一杯話したかったんだ。あんたに褒められたかったんだ。家族で出かける時、ひとりで家に居たいと言ったのも、親父あんたにかまって欲しくて甘えていたのかも知れないよ」
 もし、親父が生きていたら、子どもの頃を振り返っていつかそんな話をしたかったと思う。親父が亡くなり、もう誰も『すくみ』と言わなくなってこのことばも死語となった。その替わり、『どもり』ということばが、私に付いてまわることとなった。それから、どもりを嘆き、恐れ、隠す、どもりの悩みが始まった。どもりの悩みの迷路にいた頃、「俺はどもるような人間ではない。いつかかならずどもりは治る」といつも呪文のように心の中で唱えていた。どもっている自分は、本当の自分ではないと疑わなかった。ことばを話し始めて12年間は、普通に話していたのだからいつか元の自分に戻れるはずであると信じたかったのだ。しかし、どもりは治らなかった。
 治らない俺のどもりは何なんだろうと考えたとき、親父から言われた『すくみ』が、蘇ってきた。俺は、子どもの頃どもらなかったけれど、どもりになってもおかしくないほどに、人に対して過敏な子どもだった。親父から『すくみ』といわれるほど、人前へ出るのが苦手で人見知りが激しく、緊張しやすい性格を持っていたのだ。だから、どもりになったのは、何も大げさなことではなく、ただ『すくみ』が『どもり』に移行しただけで、俺自身の本質は何も変わってはいないのだ。『すくみ』も『どもり』も俺自身である。
 親父の27回忌、天国の親父にそっと話しかけた。
 「俺、どもりになったんや。でもな、一生どもりとつき合う覚悟ができるようになってん…」

高橋徹さんのコメント
 父親と自分との関係が、際立って描かれている。父への哀惜の思いがこの文の主題。父とどもりとの不思議な関係。親と子どもでないと考えられないような不思議な連携について考察している。一人の体験から出たことだけれど、思春期の子どもたちにこんな文章を読ませてあげたい。
 暗くならずに、自分のどもりを認めた上で、どもりとつき合おうという。そういう仲間をもたれたことが暗に示されている。(「スタタリング・ナウ」1999年11月 NO.63)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/02/09

吃音と論理療法 5

 2022年も残り2時間半となりました。
 今年は、親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会も、吃音親子サマーキャンプも、新・吃音ショートコースも、対面で行うことができました。直の出会いを大切にしてきた僕たちにとって、お互いに顔を見て、対話ができたことは、本当にうれしいことでした。
 このブログも、なんとか1年続けることができました。このような発信の場があることはありがたいことです。「読んでますよ」と連絡をいただくと、励みになります。読んでくださっている人の存在を意識しながら、来年もぼちぼち続けていきます。
 今年最後のブログは、論理療法を日常生活の中で活かした2人の仲間の体験の紹介です。二人の体験を読んで、僕たちが学んできた論理療法をこのように生活に活かしていることがよく分かります。とてもうれしいことです。今年の最後を締めくくるにふさわしい、どもる人の体験の紹介になったと思います。今後も、どもる人の体験、生の声を届けていきます。どうぞ、おつき合いください。2022年一年間ありがとうございました。
 みなさん、良いお年をお迎えください。

初めての発表
                   東野晃之(団体職員・42歳)
 定例の理事会で初めて発表することになった。
 財団法人の団体である私の職場では、予算や決算など運営上の案件は理事会で定期的に審議され、承認を得ることになっている。この会議、市長が議長をつとめ、市の幹部職員や商工、労働団体の代表などが理事として出席するため、かしこまった、固い雰囲気で進められる。私はこれまでは発表の機会がなく、事務局の一員として出席し、上司が案件を説明する様子を見ていた。理事会は、実際は形式的な審議内容になるのだが、それだけに滞りなく進んで当たり前といった雰囲気があり、会議中は独特の緊張感が漂っていた。
 私は会議の日が近づくにつれて「どもらず、上手く発表できるだろうか」と不安な気持ちが大きくなっていき、次第に会議で人前に立つことへの恐れを感じるようになっていた。そこで、大阪吃音教室で学んでいた論理療法でこの不安や恐れの気持ちを考えてみることにした。まず、会議での発表で陥るかも知れない最悪の事態を想像してみた。

☆緊張してひどくどもり、ことばが途切れて不自然な発表になる。
☆緊張して声が上ずったり、頭の中が真っ白になって何を言っているのかわからなくなる。
☆最初の声が出なくて、アノー、エーと何度も繰り返して話す内容がわからない。
☆最も苦手なア行で詰まり、声が出てこなくて立ち往生してしまう

 次にこのような事態になった時、心の中で私が思い描く文章記述(考え方)をノートに書き出していった。

☆市長や市の幹部、上司の前でどもって発表することはみっともないことだ。第一職員としての私の評価を下げるに違いない。
☆もしどもって立ち往生でもしたらきっと無能な職員だと思われるだろう。
☆どもる私を出席者は軽視したり、同情の目で見るだろう。
☆最悪の場合は、途中で発表を交代させられるかも知れない。それはとても耐えられない屈辱的なことだ。

 これらの考えを自分なりに論理療法の手法で吟味し、自問自答して文章にしてみた。
 『たぶん会議では、緊張しやすい私のことだからどもってことばが途切れたり、詰まったりしてしまうだろう。それは私がどもりだから仕方のないとだ。どもらないように意識しすぎると余計どもってしまい、またそれを隠そうとするあまり不自然でわかりにくい話し方をしてしまった経験がある。少しくらいどもって話の間があいてもいいではないか。肝心なことは、出席者にわかりやすく内容を説明し伝えることだ。そのためには、提出する資料とは別に発表原稿を用意しておこう。緊張してあがっても対処できるぐらいに準備をしておこう。
 どもることで自分の評価が下がったり、無能な職員と思われるだろうか。日常の仕事は人並みにやっているつもりだ。今回の発表でどもったからといって今までの努力が帳消しになる道理はない。またこの事業に関しては、年に2回程度会議に出席する役員より私の方が遙かに熟知している。直接業務にあたる私は、上司より現状について把握しているつもりである。本来、この会議に私はなくてはならない人間なのだ。もっとリラックスして会議に臨んでみよう。
 もし、どもって立ち往生してしまったら、出席者の中には私を軽視したり、同情の目で見る人がいるかも知れない。しかし、それはその人が思うことだから、どうにもならないことだ。だからといって私自身がその場で悲観的になったり、人の同情を引くような態度をするのはよそう。どもっても堂々と前を向いて発表しよう』

 大阪吃音教室で学んだ論理療法は、理事会で初めて発表する私の不安や恐れを随分小さくした。不安や恐れの気持ちを生じさせた心の中の文章記述、つまり非論理的な考えを吟味し、粉砕して考え方を整理したことは、精神的圧迫を軽減していった。また最悪の事態を想像してみたことは、心の準備だけでなく、発表に備えるための原稿づくりなど現実的な取り組みにつながった。理事会では、あまりつっかえることなく、無事発表を終えることができた。しかし、仮にひどくどもって立ち往生でもしていたら、どんなになっていただろうと考えてみたりもした。が、それは推量の世界であって非論理的思考の領域である。推量や思い込みはやめて、実際にそんな事態になった時、実感し事実を確かめてみたい。推量や予期不安などによる取り越し苦労は、もうごめんだなと、この経験で思った。(当時・32歳)


 学会発表
                  斎 洋之(製薬会社研究員・40歳)
 昨年、私に学会発表の機会がめぐってきた。発表形式には、口頭発表とポスター発表の二つがある。同僚のほとんどが口頭発表していたので、私も当然そのつもりでいた。上司の主任研究員から、大丈夫かと打診があったが、大丈夫だと答えていた。その後部長と主任研究員から呼び出された。
 「本当に大丈夫か?」
 「大丈夫だと思います」
 「絶対にうまくやれると思うか」
 「100%とは言えませんが、やれると思います」
 「ポスター発表の方がいいんじゃないか」
 「口頭発表の方が聴衆が多く、研究の成果をより多くの人に知ってもらえます」
 部長は私の発表を口頭からポスター発表にどうしても変更させたいらしい。だんだん気分が悪くなってきた。どうして私だけこのようなことを言われなければならないのか。実力的にも、経験もまだ不十分だと思われる私の後輩も、口頭発表している。部長の心配は吃音にあることは明らかだ。
 しかし、私は大学時代に学会発表をする機会があり、その時には練習をかなり積み、なんとか発表した経験があった。だから今回も、人一倍練習を積めばできる自信があり、口頭発表にこだわった。
 「口頭発表だと所長の前でも練習しないといけないし、大変だぞ」
 「みんなもしていることですから、やります」
 「発表の時どもってしまったらどうするんだ?」
 「多少どもることはあっても、発表に支障をきたすようなことはありません」
 「学会発表は自分だけのものではなく、会社を代表しているものだからな」
 部長と主任研究員は、私が何を言っても、口頭発表はさせたくないようであった。しかし、ポスター発表にしろと、命令することに後ろめたさを感じるのか、直接には言わない。あくまでも私の口からポスター発表に変えると言わせたいのだ。
 そう思うとよけいに、悔しさと腹立たしさが胸一杯に広がった。しかし、今決断しなければならない。だんだんことばに窮し始めた時、日頃学んで来た《論理療法》が思い浮かんだ。何故、こうまで悔しく腹立たしいのか。自分の考えを探った。
 『発表するからには口頭で発表するべきで、ポスター発表はランクが一つ下だ』
 『どもりを口実に止めさせようとするのは、絶対許されないことだ』
 悔しく、腹立たしいのはこのように考え、こだわっているからではないかなどと気づいた。
 『このまま頑張って、口頭発表を主張することはできる。しかし、そこまで主張すると、今後の上司との人間関係が難しくなるだろう。また、頑張って主張して、実際学会発表で失敗したら、取り返しのつかないことになるかもしれない。例えポスター発表でも、発表することに違いないのだから、今回は、ポスター発表にしておこう。そして、この次には堂々と口頭発表をしてやろう』
 このように考えたら、少し気持ちが落ち着いてきた。そして冷静に、部長にこう言った。
 「ポスター発表でやれということでしたら、今回はポスター発表にします」
 このように決断しても、気持ちがすっきりはしない。しばらくしてあった大阪吃音教室で、事情を話し、まだ悔しさや腹立たしさの気持ちが残っていると言った。皆は私の、腹立たしさや悔しい気持ちを聞いてくれ、分かってくれた。その上で、多くの人がかかわってくれ、話し合いが持たれた。
◎どもってでも発表したいと、ひるむことなく再度主張したのはすごいと思う。
◎今後のことを考え、今回は上司の言う通りにしようと決断したのはあなた自身だ。
 このような意見を聞く中で、だんだんと私の気持ちが落ち着いていくのを感じた。そして、次のようにさらに自分の考えを整理した。

 『私は、無理にでも主張を押し通すこともできたし、その主張を引くこともできた。その上で、今回これ以上主張しないことを自分で選んだんだから、あれこれ悩むのは止めよう。学会発表をポスターでしたからといって、自分の研究が葬りさられるわけでも、研究者として、だめだということでもない。まして、ポスター発表はできるのだ。口頭発表ができないことを嘆くより、素晴らしいポスター発表ができるよう全力をあげよう』

 こう考えることで、悔しさや怒りの感情は消えていった。こう私が考え方を変えることができたのは、《論理療法》をかなりしっかりと大阪吃音教室で学んでいたからである。
 《論理療法》を知らずに、この場面に遭遇していたら、悪い結果になっていたものと思われる。また、自分で考えたことを大阪吃音教室の仲間に話すことで、さらに確信をもつことができた。仲間の力も大きい。(当時36歳)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/12/31

吃音と論理療法 4

 「吃音と論理療法」、これで最後です。論理療法に出会ったとき、吃音にぴったりだと思いました。それまで考えてきたことが、きれいに説明がつくことに驚き、そしてうれしくなりました。論理療法は、吃音だけではなく、どもる人の日常生活でいろいろ役立っているようです。
具体的な例は、また後で紹介します。

ラショナル・ビリーフと人生哲学
 では何をもってラショナル・ビリーフというのか。原理的には次のことである。
  1)事実に基づくビリーフ
  2)論理的必然性のあるビリーフ
 実際には日常生活で我々に幸福感(C)をもたらしてくれるビリーフのことである。たとえ「かっこよい」「立派な」考えであっても日常生活が楽しくなければ、それは多分、ビリーフのどこかにイラショナルな要素があるのである。
 言い換えれば、論理療法には歯をくいしばって禁欲的に生きるのではなく、今その時を楽しめという発想がある。目標達成主義(結果主義、完全主義)ではなく、プロセス主義である。しかし、だからと言って、論理療法は刹那主義ではない。目先の快楽追究の結果将来苦痛を招くと思われるときには、その目先の快楽を断念するほうが結局は快楽を得ることができると考える。つまり、きわめて実用主義的な発想がある。
 論理療法のもつ人生哲学の第二の特徴は、この世の中で絶対善とか絶対悪はないという考えである。「ねばならない」「すべきである」「すべきでない」に縛られない人生哲学である。したがって「罪障感」も「恥ずかしさ」も「不安」も「落ち込み」も論理療法にはない。特定の「ねばならぬ」を金科玉条のように頑なに持ち続けるから「罪障感」「恥」「不安」「落ち込み」に悩むというのである。どうすれば、とらわれのない状態が得られるのか。それは各自がもっているイラショナル・ビリーフに気づき、それを粉砕することである。

イラショナル・ビリーフの粉砕
 吃音についてのひとつの例を論理療法的に考えてみよう。新入社員が、1週間後に職場の朝会で3分間スピーチをしなければならなくなった。彼の不安、恐怖は次のようなものであった。

 「どもってしまうかもしれない。もしどもったら、それはとても醜い、ひどいことだ。また、同僚全てに自分のどもりがばれてしまう。ああ、なんて恐ろしいことだろう。こんなことはあってはならないことだ。絶対にどもってはならない」
 「どもっている自分の姿を見て、みんなはどう思うだろう。びっくりし、目をそむけ私に憐れみと同情を感じるだろう」
 「その日から、腫れ物に触るかのように私に接するだろう。そして心の中でに『あんなひどくどもってどんなにか苦しんでいるんだろう。かわいそうに』、また別の人は『まともな仕事はとてもできないだろう』と考えて、私を無能な人間のようにみなすだろう。課長などは、私をダメ社員ときめつけ昇進など、もはや望むべくもないだろう」

 こう考えれば、眠れなくなり、やがて食事も満足にのどを通らなくなるだろう。
 論理療法は、上のような文章記述を変えるよう自己に迫れという。不安や憂鬱や絶望感や恥の意識ではなくて、単なる不快や失望だけを感じる状態に変えるよう自分を説得しようという。そしてこのことは、可能だというのである。
 では、上の例で、彼はどういう具合に考え方を変えていくことができるか。

 「私は朝会でどもるかもしれないが、私はどもりなんだ。しかし、どもることはそんなに大変なことだろうか。私がどもることで、誰かが傷ついたり、不利益を被ったりするだろうか。みんなちょっと驚いて、私も少しイヤな気になるだけだ。ましてや、その日一日の仕事に何らさしさわりが生ずるはずもない。朝会のスピーチは儀式にすぎないし、しいて意味をみつけるとすれば、我々社員の自己主張訓練だ。私にとって絶好の自己主張訓練の場ということだ。完壁にやれなくても、これで少しでも度胸がつくなら私にとっては大変なプラスになる。自分のどもりがばれるが、とっくに知られているかもしれない。それにこの際ばれてしまった方が、いつばれるかとビクビクしているより、気が楽ではないのか」
 「どもることをどう思うかは私の態度によって変わるだろう。私自身が『大変な姿を見られてしまった』と恥辱にまみれていれば、周囲も私自身が評価したように評価して憐れみや同情を感じるだけだろう。しかし、『これが私だ。どもるけど仕事はちゃんとこなしている。誰にも迷惑はかけていない』と、平然としていれば、周囲も『なんだ、あの人はどもるのか』とあっさり受け入れるだろう。そもそも他人は、人のことを深刻に受けとめるほど他人に関心を持たないものだろう。むしろ私の欠点(どもり)を知って安心感、親近感を覚える人もいるかもしれない。もしそうなら、私の吃音は人間関係をよりよいものにするために一役買っていることになる」
 「私がどもることは悪いことだろうか。どもりになったのは私の責任ではないし、誰の責任でもない。どもるからといって自分という人間そのものの価値が低いなどとは断じて言えない。むしろ弱い立場の人に対するやさしさは人一倍持っている。これはすばらしいことではないのか」
 「当日は堂々とどもってやろう。どもって落ち込んでいれば、これからどもるたびに落ち込んでしまうことになる。いつも落ち込んでばかりいられない」

 このように、まず、自分が考えた最悪の自分、つまりひどくどもっている状態を想像し、そのような状態になったとしても大丈夫だと考える。思い浮かんだ一つ一つのイラショナルな考え方(文章記述)に反撃を加えていくと、やがて実体のない不安感や絶望感は消えていき、ずっと落ち着いた気分でその日を迎えることができるだろう。
 反撃を加えていく過程をよく観察してみると、自分の信念体系(ナンセンスな考え―Bの段階)を変化させて、その結果として感情が変化した(Cの段階)ことが分かるはずである。間近に迫った不快なできごと(A)に関して、新たな悪くない感情が生じる(C)原因となったのは新たな考え方(B)に他ならないことが理解できるだろう。
 論理療法を学ぶとは、考えることを学ぶ、あるいは習慣が身につくということである。
(吃音と上手につきあう吃音講座テキストより)

文献(川島書店発刊)
『論理療法』 A.エリス他著 國分康孝他訳
『論理療法に学ぶ』 日本学生相談学会編
『どんなことがあっても自分をみじめにしないために 論理療法のすすめ』國分康孝、石隈利紀、國分久子訳


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/12/30
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