伊藤伸二の吃音(どもり)相談室

「どもり」の語り部・伊藤伸二(日本吃音臨床研究会代表)が、吃音(どもり)について語ります。

大阪吃音教室

障害を生きる 6 病気や障害とどう向き合うか〜河辺美智子さんの体験から〜

 今日で河辺さんの体験の紹介は終わりです。
 僕は、大学や専門学校の講義の中で、僕が出演したテレビ番組を見せていたのですが、セルフヘルプグループの活動を説明する時には、NHKの福祉番組『週刊ボランティア』をよく見せていました。そこには、大阪セルプヘルプ支援センターの活動と、大阪吃音教室の活動が紹介されているのですが、大阪セルプヘルプ支援センターの紹介では、河辺さんが、電話当番で応対している場面が出てきます。毎年、彼女を見続けていたので、いつも出会っているような錯覚を覚えていました。僕の中では、その場面の彼女のままストップしています。数年前、大阪セルフヘルプ支援センターの古い仲間が集まったときは、出会えなかったので、随分長いこと会っていないことになります。今回、こうして紹介ができて、とても懐かしい気持ちになっています。できたらお会いしたいとの気持ちが膨らみます。
 河辺さんはできるだけ脳を使うこと、そのために新しいことや自分のしたいことを自分で選んですることだと言い、考えて、選んで、実行しています。それが、自分が自分の人生の主人公になることだと思います。僕は糖尿病と心臓病はあるものの、今は元気です。この元気を持続させるためにも、好奇心を常に持ち続け、新しいことに挑戦したいと考えています。「吃音を治す、改善する」からは言語訓練以外考えられず、全く発展はありませんが、「吃音と共に豊かに生きる」には、とても大きな鉱脈があります。かつての論理療法、認知行動療法、交流分析、アサーションなどに加えて、最近では、レジリエンス、ナラティヴ・アプローチ、当事者研究、医療社会学者のアーロン・アントノフスキーの健康生成論、オープンダイアローグ、ポジティブ心理学など、学ぶことがたくさんあって、僕の好奇心の炎はますます燃えさかっています。これも全て吃音のおかげだと感謝しているのです。では、河辺さんの「病い」から学んだ提案に耳を傾けます。

  
病気や障害とどう向き合うか 5
                      河辺美智子(61歳)


ひとりひとり皆違う
 私の体験の話はひとまず終わります。
 私が一番お話したいことは、医療の主人公は患者であるということです。
 医者は手術をすすめましたが、私は断り続けました。決定権は私にあるのです。また、「患者はみんな違うんだ」という接し方をしてほしかった。
 それから、セルフヘルプグループに行くと、共に悩んで共に考えて、共に喜ぶ、この共にということが大切です。医者も患者も共に人間同士として、根底は、共に人間どうしとして接してほしいと私は思います。

生きる意欲と意志
 「ここまで病気がふりかかってくると、それぞれの場面で絶望すると思うけれど、ここまで勉強して、今こんなに明るい表情でお喋りしているエネルギーというのは、どこから、なぜ出てくるんでしょうか?」
 とは、よく質問を受けるのですが、その意欲、意志も脳なんだと思います。私はそこが壊れてなかったんでしょうね。高次脳機能障害の人って、みんな意欲がなくなる、やりたいという気持ちがなくなる。自分ができないということが分からない。それを受け入れられない場合が多いのです。私の場合は、まず自分ができないということを受け入れた。受け入れたことで、やろうという意欲が強く残った。障害者として産まれてきてるから、子どものときから、そういう意欲は脳の中に強くあったのだと思います。
 小学校の時代から体育、運動はできない。中学校のときに、体育ができないからと「1」とつけられた。なんで産まれたときから心臓が悪くて体育ができない人間に体育を「1」とつけないといけないんや。そういう思いを12歳のころからもっていました。
 私の娘が12歳のときに、体育に「3」とつけられましたが、理不尽なことだとは本人は何も考えないでしょうね。私はずっと考えていた。体育が「1」だったから、公立へは行けないので、行かせてもらえる私立に行った。そこに短大があったんですけど、結婚もできないだろうから、何か仕事をみつけないとだめやと、父は薬学部に行かせようとしました。私もそのつもりだったのですが、高校3年のころに急に社会福祉を考え出した。私は薬学部に行きたくない。高校の3年くらいからものすごく勉強し出した。英語と国語と社会があるからそれだけ勉強した。程度の低い高校だったから、英語は全部100点だった。国語も、100点ではもったいないから150点をあげると言ってくれた。行きたい大学に合格しました。
 私の通った私立の高校からそんな大学に行ったことないんです。卒業式のとき、いい成績の人に何か賞をあげるんだけど、私はその中に入らなかったんです。体育ができなかったからというだけで。だから校長はごめんなさいとものすごく頭をさげていましたね。
 自分の意欲、意志は、産まれたとき小さいときからあった。勉強したいと思ったときには、強い意欲が出てくると思っていた。産まれたときからの障害者だから、それが根底にあったから、ヘルペス脳炎になった後遺症にも強かったんだろうと思います。壊れた脳でも、壊れていない脳がなんぼか残っていたから。
 私の体験からいって、脳は使った方がいいですね。慣れたことばかりしないで、新しいこと、新しいことをずっとやっていった方がいいですね。そしたら、脳の遊んでいた分を使うことになる。医学的なことは知りませんが、体験から言いますと、脳は、まだ全然分からない広大な宇宙だと思います。ものすごい優秀な脳をみんな持っていると思うので、遊ばせている脳を使って、楽しみにまでもっていったら生活が充実してくると思う。

まとめにかえて
 高次脳機能障害になって、これまでできていたことができなくならなかったら、絵なんか全く描かなかったでしょうし、ピアノも弾いたりしようと思わなかったことでしょう。今は、美術館に行くのがものすごく好きになった。あんまり絵をじっと見ているから、後ろの人が怒るくらいです。目をどう描いているか、鼻をどう描いているかまで、じっとみている。
私の障害は、外見上その障害が見えない。親戚の葬式に行ったときに、周りから親しげに声をかけられても、顔はなんとなく分かっても関係が分からない。
最初は、過去を捨てられなかったから、過去の方へ戻って戻ってと思っていました。今はできることなら、自分の過去のことは捨てて、新しいところへ行こうと思って、絵を描いたり音楽を聴いたりしています。
だから、言語訓練にしても、できなくなったことを取り戻すという、紙に描いた絵の名前を言わせるような訓練ではなくて、私がやったことのないことに取り組ませて欲しかった。自分の名前も分からないひどい障害者であっても、自分がやりたいことでリハビリをしてほしかった。
 新しく手にした歎異抄に私は感動したから、その後、歎異抄をもっと読んで理解したいと、朝日カルチャーセンターに行き、辞書で調べたり、訳してあるのを何回も何回も読みました。これはとてもいい、リハビリになりました。絵を描くことも、ピアノを弾くこともそうでした。みんな、病気になったからやり始めたことです。だから、本当にこれからその人の一番やりたいことをみつけてあげて、新しいことに取り組ませて欲しいですね。人間ひとりひとり、顔はみんな違うでしょう。あれはみんな脳が違うからで、だから、自分の脳は自分の脳そのもの、ほかの脳とは違うのです。
 今日はみなさんよく聞いて下さり、話したいと思う質問をみなさんがして下さり、いいリハビリになりました。

 (話の後の質問も文の中に挿入しました。文責は編集部にあります。しっかり聞いて下さり、的確な質問をして下さったことがありがたかったと、河辺さんが帰り際に言われたことが印象的でした)(「スタタリング・ナウ」2002.6.15 NO.94)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/11/13

障害を生きる 2 病気や障害とどう向き合うか〜河辺美智子さんの体験から〜

 大阪セルフヘルプ支援センターで、長く一緒に活動を続けてきた河辺美智子さん。生まれたときから心臓の障害をもち、手術をして心臓病からは解放されるが、その後、ヘルペス脳炎になり、その後遺症とつきあうことができるようになった頃、今度は乳癌を患います。この体験の中から得られた《病気や障害とどう向き合うか》というお話は、強烈で、引き付けられます。特に、言語聴覚士から言語指導を受けて反発する話は、私たちに共通するものを感じます。
 NPO法人大阪スタタリングプロジェクトの大阪吃音教室で話していただいたものを紹介します。

     
病気や障害とどう向き合うか
                             河辺美智子(61歳)

 心臓の障害と出産
 私は、生まれたときから心臓の障害者でした。当時まだ心臓外科という領域はなく・心臓治療そのものもなかった時代です。心臓の何の障害か、病名も知らされませんでした。家で生まれたら分からなかったのが、病院で、心臓の音がおかしいことが発見されました。親は女の子が生まれたことを本当に喜んでくれたのですが、「この子どもは心臓の障害者だから、3歳くらいまで生きてみないと分かりません。かぜをひいただけでも死ぬと思って下さい」と医師から言われて、親は育てるのが大変だったろうと思います。
 心臓病をもちながら生活をするとは、外見上は皆さんには分からないでしょう。皆さんがゆったりとした動作や、ゆっくりと歩いている時、私は常に階段を上ったり走りながら生活しているようなものです。
心臓中核欠損で・心臓手術を受ける48歳まで、私は心臓の障害をもって生きてきました。
 医学の進歩で私の20代くらいから東京女子医大と阪大だけで心臓の手術ができるようになりました。
 私が23歳で妊娠したとき・医師からは「中絶しなさい」と言われました。「心臓がこんなに悪い人が赤ちゃんを産むなんて。産めたとしても育てていくことが大変だ。また産まれても死ぬかもしれない」「どうしても生みたい」というと、「心臓の手術をしてからでないと絶対にだめだ」と言われました。
 心臓病の専門医の所へ相談に行ったら、成功の確立は五分五分だと言われました。ものすごい量の輸血をしないといけないとも。まだ、心臓手術は研究の途上だったのです。
 私は、心臓手術を断りました。そして、ひとりじゃなくて、二人、三人、四人も子どもを産んだんです。30代の初めも、風邪をひいて、病院に行ったら心臓の手術をすすめられました。成功率は7割ということでしたが、私は、下の子が高校を卒業するまでは絶対手術を受けないことに決めていました。

心臓手術
 48歳の時、国立循環器センターから電話がかかってきました。決まっていた人がキャンセルして、手術スケジュールがあいたのでしょう。これもひとつの縁かなあと、これまで拒み続けていた心臓手術を受けることにしました。これまで待ったお陰で、成功率は、98%になっていました。輸血しないで、自分の血液をとっておいて、手術をしました。2%に入らなくて、私の手術は成功し、ものすごく元気になりました。
 子どものころからの障害者から、初めて健常者になったことになります。階段を上がることがこんなに楽なのか、赤ちゃんを抱っこする時あれだけしんどかったのに、大きい子を抱っこしたって何の問題もない。本当にびっくりしました。健常者になって初めて、あんなに悪い心臓でよくここまで生きてきたと思いました。手術したあとは呼吸する度に痛みが残ったので、仕事もやめ、何もしなくなってしまいました。
 それもやっと元気になってきたので、何かしたいと思ったときに、大阪セルフヘルプ支援センターの前身、設立準備委員会と出会ったのです。

セルフヘルプ
 心臓手術を急に受けることになったとき、友だちが見舞いにきてくれます。「こんな有名なところで手術できてよかったなあ、うれしいでしょう」と言ってくれる。どんなに勧められても頑なに拒み続けてきた手術を今やっとする決意をしたばかりです。手術を受ける本人は、そんなどころじゃない。見舞いの人は花を飾って、満足して帰られるけれど、私は見舞い客がくる度に落ち込んでしまいます。手術の前日です。見舞い客が来て、落ち込んだときに、手術受けて何週間かたっていた4人部屋の同室の人が一緒に泣いてくれました。私よりもっと泣いてくれました。
 「私なんかあなたよりもっともっと落ち込んでいたのよ。あんな見舞いの人なんか、病院に入れんかったらいいのにね」
 明日、手術というときに、同じ心臓手術の体験者の、生きたことばに、本当にほっとした思いでした。この人たちに出会えてよかったと思いました。それが縁で、セルフヘルプグループを支援しようというところに入っていったのです。伊藤伸二さんに出会ったのもその活動でです。セルフヘルプグループのセミナーや合宿や月に一度の例会や電話相談など、水を得た魚のように楽しく活動をしました。それは、私のひとつの生き甲斐になりました。(「スタタリング・ナウ」2002.6.15 NO.94)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/11/09

「吃音の夏」第二弾 第10回親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会〜参加しての感想  吃音親子サマーキャンプを前に

 第10回 親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会〜参加しての感想

 明日からは、いよいよ第32回吃音親子サマーキャンプです。今年のキャンプは、初参加者が多く、フレッシュなキャンプになりそうです。きっと、今頃、不安と期待が入り交じった複雑な思いで、準備されていることでしょう。鹿児島県から初めて参加する親子は、今日は京都に前泊すると聞いています。私たちスタッフも、初めて参加される方、遠くから参加される方の思いを想像しながら、明日の出会いを楽しみに、最後の準備をしています。
 キャンプが始まってしまうと、ブログの更新はできないと思いますので、しばらくお休みします。サマーキャンプの前日の今日は、これまで報告してきた第10回親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会の感想を紹介します。
 初めは、講習会の主催者である、吃音を生きる子どもに同行する教師・言語聴覚士の会の事務局長の渡邉さんの報告、そしてその後に参加者ふたりの感想を紹介します。


横断幕 吃音講習会は、全国難聴・言語障害教育研究協議会の全国大会で発表した安田さんの提案でスタートしたので、子どもと安田さんが対話しているビデオを観て、やはり吃音について「対話」するっていいなと思ました。伊藤伸二さんの基調提案では、安田さんが健康生成論をことばの教室の実践にいかしている提案を解説しながら「対話」の大切さを丁寧に話してくれました。どもることを否定しないが、言語訓練も大切だとする、一貫性のないかかわりが危険であることを参加したことばの教室の担当者や言語聴覚士の方々にわかってもらえたと感じます。
osp 公開講座 大阪のみ 大阪吃音教室のみなさんが、普段の例会の様子を再現してくれました。内容は、吃音チェックリストでセルフチェックを話し合うことでした。〈自分のことを語る、相手の語りを聞く〉を私たちはみることができました。どもることだけでなく、私たちが子どもを全体的にみることや相手の話を聞いて、真剣に考え、知りたいと質問していくことが「対話」になっていると思いました。語っている人が語りたくなるような雰囲気がとても伝わってきました。私も大阪吃音教室に一度は参加してみたいと思っていますが、ここで一コマですが再現してもらって、うれしかったです。そのあともグループの話し合いや休憩時間などで、どもる人の考えや思いを聞くことができて本当によかったです。
 講習会以外では、このようにどもる人本人と一緒に研修をする経験がないので、とてもよかったと参加者が感想に書いていました。これからも、大阪吃音教室のみなさんに参加してもらいたいなと思っています。

牧野さん 次の日は、牧野さんの基調提案からスタートしました。一日目の様子をふまえて、やわらかい雰囲気で話してくれました。私は最近、今回のテーマである「幸せ」について考えるようになりましたが、牧野さんはずっと前から「ハピネス!」と発信していました。幸せをベースに「どもる子どもの生きるかたちを支えるために」について話してくれました。子どものありのままを受け止め、暮らしの中での子どもの思いを知ることが大事ではないか、どもることだけが課題だと大人が勝手に考えてしまわないように大人のかかわりについて、たくさんのことを話してくれました。子どもの幸せという意味で将来を一緒に考えていくことが大事であると実感しました。
渡邉 その後、実際に教材を工夫してつくり実践をしている四人のことばの教室の担当者が、「言語関係図」「吃音かるた」「吃音チェックリスト」など、ことばの教室で子どもと取り組んでいることを紹介しました。「言語関係図」や「吃音かるた」など、同じテーマでも違う教材を制作し、それぞれの工夫がある実践を紹介できたと思います。参加者が自分が取り組むときにどう活用しようかと思って実践してくれたらいいなと思いました。
ティーチイン 2日間もあると思った吃音講習会もあっという間にふりかえりの時間になりました。みんなで輪になって一言ずつ話しました。2日間で印象的だったことや考えたことなど、参加者のことばでふりかえることができました。多かったことは、安田さんが実際に子どもと対話をしている様子がビデオで見れたこと、大阪吃音教室の実際の対話をみることができたことでした。実際のことが伝わってよかったなと思いますし、それをどんな意味があるのかを伊藤さんや牧野さんの話でよりわかり、参加者が意見を交換できた、いい講習会だったと思いました。
 来年は千葉市で行います。来年もたくさんの方々が集まっていい時間を過ごせる講習会にしたいなと思っています。以上、報告でした。


 
 
安田さんのことばの教室の実践発表はもちろん、教材の紹介の中で皆さんが紹介されていた事例の一つ一つに、一人の人間として子どもを信頼し、子どもと対等な立場で共に取り組むということが徹底されており、温かい思いが満ちていた2日間でした。子ども達のことを思うと、自分のことのように嬉しいです。
 ことばの教室の担当者が、それぞれの実践での、子どものエピソードを紹介しているときの、皆さんの柔らかい笑顔が印象的でした。
 安田さんの担当しているB君のように、「軽い気持ち」「重い気持ち」などと自分の気持ちを表現できる子どもにとって、「重い気持ち」を語ることができる場があり、それを語れる大人がいるということは、どれほど大きなことだろうと思います。たくさんの子ども達に、安田さんのような人に出会ってほしいと願います。
 僕は、教育の場で子どもと関わる立場ではありませんが、吃音に取り組み始めた頃から、どもる子ども達のことにすごく関心があります。様々な場面で、子どもが一生懸命に生きている姿にふれると、力をもらうし、自分のことのように嬉しく、幸せな気持ちになります。反対に、合理的配慮が濫用され、どもる子どもが生きていく力を、削ごう、削ごうとしている現状にふれると、涙が出るほど悲しいです。「どもる子どもが幸せに生きるために」という思いの輪が、もっと大きく広がり、根付いて欲しいと切に願っています。
 妻によると、僕は今朝、寝言で吃音がどうのこうのと言いながら大笑いをしていたそうです。仲間も大勢できました。我がことながら、名古屋での二日間が、よっぽど楽しかったのだろうと思います。
 次は、いよいよキャンプです。よろしくお願いします。



 
「人は人を図らずも傷つけてしまうものだ」「傷つけるかもしれないとの不安は、人との関係の中では一生ついてまわる」という言葉を聞き、「人を傷つけてしまってはいけない」「不安は取り除かなくてはいけない」という思考になっていましたが、このようなことを前提に人と関わることを知れたことで少し楽になりました。人を傷つけてしまうかもしれないことを極端に恐れてしまっていたことに気づき、「納得する/させる」と同じように傷つくかどうかは相手次第であり、伝えるべき情報は、極度にこだわらず伝えていきたいと思いました。
 「どもる」を「つっかかる」や「ひっかかる」と言い換えることについて、伊藤さんの話を聞き、小学生の頃、自分で「どもる」という言葉を使うのが嫌で、吃音のことを相手に「ひっかかる」と表現していたら、相手から「私もひっかかるよ」と言われて「どもる」ことが伝わらず、「みんなのひっかかるじゃなくて、毎日の会話でどもることなのに」と悲しんでいたことを思い出していました。他の人から「どもり」「どもる」と言われるのは嫌でしたが、表現を曖昧にしてしまうと、語れる言葉がなくなってしまう危険性もあり、「自分を語れる言葉」として残すべきものの見極めが大切だと感じました。
 今回の吃音講習会では、特に、「対話」について深めていけたらと思いながら参加していましたが、「対話」以外のこと(自分自身の生き方、どもる人として、仕事のこと)でも学びがとても多かったです。対話に関して、相手に質問する力だけでなく、話を聴く力をさらに身につけることで、相手がどう向き合ってくれるか変わっていくのではないかと思いました。
 4年ぶりに参加し、自分自身の吃音をとりまく課題や思いを改めて見つめ直すきっかけになりました。来年の講習会でも、自分の思い、行動の振り返りをしたいと思います。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/08/17

対話における大阪人の突っ込み力は、相手への信頼があるから

対話における大阪人の突っ込み力は、相手への信頼があるから

吃音の夏」第二弾 
 第10回 親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会〜大阪吃音教室の公開講座を終えて


 参加者が丸く円になり、講習会のふりかえりをした後、短時間だったのですが、感想を記入していただきました。そこに書かれていたことは、また機会があれば、ぜひ紹介したいのですが、今日は、それとは別に、NPO法人・大阪スタタリングプロジェクトのメーリングリストで交わされた、講習会1日目の午後、吃音チェックリストを使っての、大阪吃音教室の公開講座をめぐるやりとりを少し紹介します。

osp 公開講座 大阪のみ 吃音講習会に参加のみなさん、お疲れ様でした。
 吃音チェックリスト公開講座を担当いただいた嶺本さん、ありがとうございました。
 実際に活用する様子を見て参考になったと、最終日ふりかえりで参加者から感想がありました。吃音チェックリストは、吃音に関するとらわれ度や回避度の数値が下がったもの、数値に変化がないものも含めて、互いの吃音について語り合う、対話のツールでした。
 話し合いの中で普通に、なぜそうなのか? どういう気持ち? など、知りたいと思ったことを相手に質問しますが、どもる子どもを傷つける恐れがあるので、「大阪の人のようなつっこみはできない」ということばの教室の担当者がいました。予想外の反応でしたが、相手の気持ちを配慮し、あまり慎重になりすぎると対話になりません。短い期間で異動することばの教室担当者のとまどいや悩みを知ったようでした。
 吃音チェックリスト、言語関係図、吃音氷山説などは、大阪吃音教室でやっていますが、ことばの教室でも教材として実践され、事例研究が進みます。講習会ではそれらの事例研究が報告され、教材としての意味づけを知り、参考になりました。
伸二 伊藤さんが基調講演で話された健康生成論の首尾一貫感覚の〈わかる、できる、意味がある〉感覚は、幸せに生きるためになくてはならないものですが、私たちがこれまで教材としてきた論理療法、交流分析、アサーションなどで学び、自分への気づきを得てきたのは首尾一貫感覚で意味づけることができます。ことばの流暢性を求めなくても吃音の悩みから解放され、幸せに生きることができる裏づけをもらったようでした。
 内容の濃い、盛りだくさんの吃音講習会でした。大阪のメンバーが参加し、いろいろな体験を話す意味合いを改めて思いました。(東野)     
 
 参加されたみなさん、講習会でのチェックリストの例会実演、いい時間でしたね。吃音チェックリストの数値は、ともすれば数字の低さをよしと考えがちになるのですが、やりとりの過程でそうではないことが示されていく様子は、吃音講習会の参加者にとって圧巻の展開だったと思います。
 吃音チェックリストは健康生成論の首尾一貫感覚における「わかる」に焦点化したものでしょうが、「できる」、「意味がある」ところにまで私たちの話し合いは進んでいましたのでなおさらです。
 プログラム最後の振り返りでは、公開講座に参加していた大阪吃音教室の人たちの話に「つっこむ力」が話題になりました。興味・関心ゆえのつっこむ力、応答する姿勢は伊藤さんや顧問の牧野さんが語ったこととも通じて、ことばの教室の教員の夏休み明けの子どもたちに向き合っていきたいという振り返りのことばに結実したと感じました。
 嶺本さん、普段の大阪吃音教室と違って、それなりに緊張感がともなう担当だったと思いますが、それこそ嶺本さんにとっての適度なバランスのとれた負荷、経験だったのではないでしょうか。いい時間をともにさせてもらいました。ありがとうございます。(坂本)

 「大阪で普通にしていることが、参加者にとっては、とても新鮮で、衝撃的だったようですね。大阪人だから? いえいえ、相手を信頼しているからできることだと思います」と、伊藤さんたちが書いていましたが、名古屋での吃音講習会での反応で、私が一番驚いたのがその点です。
 普段子どもを相手にしている先生や言語聴覚士が、吃音のことを子どもに質問したり、子どもの発言にツッコんだりするのに、何をためらうんだと思いました。まあ、参加者のそういう反応を通じて、「これからは子どもたちとの対話を心掛けよう」と思う、そんな先生たちが増えていきそうな実感が持てた講習会でした。
 今後とも、大阪から参加しやすいときは、講習会に参加しようと思っています。(西田)

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/08/15

「吃音の夏」第二弾 第10回親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会 1日目

横断幕 「吃音の夏」の前半、大阪を出発して埼玉県大宮で全難言大会、そこから愛知県名古屋市に移動して「第10回親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会」、そこから千葉市に移動して千葉県の合同夏季研修会、と紹介しようとしていたのですが、前半の前半で止まっていました。
 夜8時過ぎに、吃音講習会の会場の最寄り駅「金山」に着きました。先に来ていた仲間たちが迎えに来てくれていて、合流し、明日から始まる講習会に向けて、打ち合わせです。全難言大会の余韻を味わいながら、明日からの2日間を楽しみにしていました。
 7月29日、ホテルのすぐ近くの日本特殊陶業市民会館(名古屋市民会館)が会場です。午前9時に入り、会場設営の準備を始めました。すでに参加者も来られていて、みなさんに手伝ってもらいました。
吃音講習会 自己紹介風景 実行委員長の奥村さんのあいさつの後、全員が会場を動き回って簡単な自己紹介をして、公式プログラムがスタートしました。
安田+映像 最初のプログラムは、前日、大宮で発表した千葉市ことばの教室担当者の安田さんの実践発表「吃音のある子どもが幸せに生きるために、ことばの教室でできること」です。「大宮の全国大会で予行演習をしてきました」と、みんなを笑わせながら、始まりました。子どもとの対話場面の映像を流し、安田さんの飾らない、素直な気持ちがあふれた発表でした。その後、僕が進行しながら、参加者から質問や感想を受けました。前日と違ったのは、そこで、たくさんの質問、感想、意見が出たことでした。これでこそ、実践発表が生きてくるのだと改めて思いました。いいスタートでした。
基調提案 伸二up基調提案会場風景 午後は、僕が基調提案として、「どもる子どもが幸せに生きるために〜ことばの教室でできること」とのタイトルで話しました。具体的な取り組みを午前中に安田さんが話してくれたので、僕の話が、参加者に入りやすかったのではないかと思いました。PowerPointを使わず、一気に話しました。
 そして、今回の講習会の目玉のひとつ、どもる人のセルフヘルプグループである大阪吃音教室の公開講座です。今回は、吃音チェックリストをつかって自分の吃音の課題を発見するという、いつもの講座風景を参加者が周りを取り囲む中で行いました。大阪吃音教室の常連のベテラン、初めて吃音チェックリストをするという新人、いろいろな立場のどもる人が、自分のチェックリストを見ながら発言していきます。そして、その発言を聞きながら、気づいたことを質問していきます。自分と比較して「そこは、なんでなん?」と、考えるきっかけをみんなに広げていきます。
osp 公開講座 少しアップosp 公開講座 大阪のみ 後の感想で、大阪人のツッコミがおもしろかったという意見がありました。僕たちにとっては、普段どおりの講座での会話ですが、そこまでつっこんで聞いていいのか、みたいに思う人もいたようです。でも、そこまで聞いていかないと、どもる子どもとの対話は成立しないのではないかと思います。表面だけをなでるような話をしているだけでは、吃音の真の課題に触れることはできないと思います。どもる大人が、こうして、吃音チェックリストをひとつのツールとして、対話を続けている場面を実際に見ていただけたことは、今後、どもる子どもと対話をしていくときの参考にしていただけたと実感しました。普段と同じようにしていたと、きっと大阪のメンバーは思っているでしょうが、普段から、しっかりと取り組んでいるからできたことなのだと、僕は、誇らしく思いました。
 夕方からは、グループに分かれて、僕の基調提案についての意見や感想、質問を出してもらうことを目的に話し合いをし、その後全体でふりかえりをして、1日目を終えました。プログラムどおり、本当に8時まで研修をするのだと驚かれた人もおられたでしょう。ただ黙って坐って、講師の話を聞くだけの講習会ではないのです。これが、僕たちのスタイルです。(つづく)

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/08/13

本音

 時間が経っても、あのときのあの人の発言は忘れないということがあります。
 NHK番組「にんげんゆうゆう」のテレビカメラが入った大阪吃音教室、その日初めて参加した野村さんの、講座の最後の感想です。90分間の講座の空間、そこで交わされていた対話、どもる人の体験、それらが彼女に「吃音でもいいかなと思えてきました」という発言につながったのです。戦略ではない、本音として、「このままでいい」と思っている僕たちだからこそ、人を動かしたのだろうと思います。
 「どもっていてもいいんだよ」と言いながら、なんとかどもらずに音読できたらと思って、一生懸命音読練習している担当者がいるとしたら、敏感などもる子どもはその矛盾に気づき、見破ってしまうでしょうね。
 本音でそう思えるか、そこにかかっているのだと思います。
 今日は、「スタタリング・ナウ」2002.4.20 NO.92 の巻頭言を紹介します。

  
本音
           日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二

 「これまで、吃音にマイナスのイメージをもっていましたが、皆さんに会い、話を聞いて、吃音でもいいかなと、思えるようになりました」
 2000年、NHKの福祉番組『にんげんゆうゆう』で、若い女性がこう言っていたことを、番組を見られた方なら覚えている方も多いことだろう。あまりにも劇的な転換に「ヤラセ」ではないかと思われるのではと心配になったほどだ。
 NHKのテレビカメラが、NPO法人・大阪スタタリングプロジェクトの、週一度のミーティング、大阪吃音教室に入った日、初めて参加した野村貴子さんが大阪吃音教室の終わりの感想として言ったことばだ。スタジオではこの発言を受けて話が続いた。

柿沼アナウンサー: 伊藤さん、あの人は、会に来てみんなの話を聞くうちに、まさに今考え方が変わったということなんですね?
伊藤: そうなんですね。あの大阪吃音教室そのものが、吃音と上手につき合うことを目指しているのでああいうことが起こるんですね。私たちが会を作った35年前までは、吃音は治さなければならない、治るはずだという考え方だったから、治したいとばかり思っていました。そういう中では、あのようなことは起こらなかったろうと思いますね。セルフヘルプグループの活動の中で、どもりは簡単には治るものではない、治療法もない、それでは「吃音とつき合う」しかないじゃないか、とおぼろげながら分かってきた。そのとき、吃音というのは、ひどくどもっていても平気な人と、ちょっとしかどもらないのにひどく悩む人がいる、上手につき合っている人とそうでない人がいるわけですよ。この教室に参加している人は、吃音を治そうとは考えず、吃音と上手につき合うことを学んでいる人たちだから、その人たちの話を聞いて、「ああ、こういうふうにつきあえば生きていけるのかと思った時に、吃音でもいいかなあと思えたのでしょうね。

 先だって、大阪吃音教室の一年間のスケジュールが終わって、この一年を振り返る日に、野村さんに、あの時からどう変わったかの質問がみんなから出された。
 『あのときのことばは、本当にそう感じたから言ったが、あれきりこの大阪吃音教室に来なかったら、今の私はないかも知れない。大阪吃音教室が楽しくて、毎回参加し、世話人にもなり、吃音ショートコースや吃音親子サマーキャンプなど、ほとんどの行事に参加した。その中で、この大阪の仲間は、戦略的ではなく、本音で、本気で、『どもってもいい』と思っていると思った。仮に、「吃音を受け入れよう」という一方で、「吃音を治そうとしたり、改善するために努力しよう」としていたら、私は変われたかどうか疑問だ。「どもってもいい」という考えやことばをシャワーのように浴びたから、そして、実際に行動して、そうだと実感できたから私は変われたのだ』
 野村さんはそう振り返った。
 この時、もう25年も前になるだろうか。ある吃音の専門家から言われたことばを思い出した。
 「君たちは狭い。吃音と共に生きるという考えは、間違っていないし、素晴らしいものだが、吃音を治すという考えも否定してはいけない。吃音を受け入れる方向と、少しでも吃音を軽くする方法を両立させればいい。頑なにならずにもっと幅広く考えられないか」
 このような指摘を受けたが、あれもこれもと取り組むエネルギーは私たちにはない。私たちは、私たちの信じる道を愚直に生きるしかできない。吃音を治す取り組みは一切しないで、「吃音のままのあなたでいい。どもってもいい」と、吃音と共に生きることだけに集中して取り組んで来た。それがどもる人や吃音を否定しない、自己肯定の道だと信じていたからだ。野村さんの体験はひとつの答えを出してくれていると私は思う。
 狭いと言われようと、頑なすぎると言われようと、私たちは、「どもってもいい」と主張していきたい。だからと言って、ことばに対して何も努力しないのではなく、吃音親子サマーキャンプで厳しく演劇に取り組んでいるように、表現としてのことばのレッスンには取り組んでいきたい。どもるどもらないのレベルを越えて、いわゆる吃音症状の消失や改善を目指さない『からだとことばのレッスン』だ。そうして周りを見てみると、吃音が治ることを諦めきれない人たちよりも、吃音を受け入れようと主張する私たちの方がむしろ、ことばにこだわり、「生きる上での声」を耕す『ことばのレッスン』に人一倍取り組んでいるのではないかと思う。
 どもってはいても、野村さんの声は大きく、力のあるものに変わってきた。そして表情も、涙ぐんで発言していたあの時とは別人のように輝いている。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/07/11

わたしたちのところにテレビカメラがやってきた

 今日は、7月7日、七夕です。あいにくの天気で、織り姫と彦星は会えなかったでしょう。
 今日の大阪吃音教室、鹿児島県大会のため鹿児島に行っていたり、新・吃音ショートコースがあったりで、僕は6月8日以来の参加でした。1ヶ月ぶりです。毎週会っている人たちとこんなに会わないと、ずいぶんと会っていない感じがします。今日は、「一分間スピーチ」でした。スピーチのテーマは、「吃音でよかったこと」。僕たちならではのテーマだと思います。参加者それぞれが、自分の体験をきちんと一分にまとめて話しました。初参加の人が、「吃音でよかったこと」など、そのようなことは考えたことはなかったが、他の人のスピーチを聞き、吃音を全面的に肯定してくれた幼なじみの存在を、ありがたいことだったと思えたと話したのは見事でした。初めての話も聞くことができ、良い時間でした。
 今日は、「スタタリング・ナウ」2002.2.16 NO.90 に特集されていた、岐阜の仲間のグループにNHKの取材が入り、放映されたことの報告です。報告者の板倉寿明さんとは、長いお付き合いをさせてもらっています。

わたしたちのところにテレビカメラがやってきた
                     岐阜県立岐阜ろう学校教諭 板倉寿明

 2002年1月11日、NHK総合テレビで、「クローズアップ現代」の中部地方版と言える、「ナビゲーション」という番組が放映された。スタジオのゲストといろんな資料をもとに一つのテーマを検証していくという30分番組である。この日の番組タイトルは「きつ音とどうつきあうか」、ゲストは芥川賞作家で、1999年度の吃音ショートコースで特別講演として話して下さった村田喜代子さん。出演者は岐阜のどもる子、どもる人、その子どもたちとつきあっている人たちである。もちろんこの番組はNHKの制作であるが、コンセプトは岐阜吃音臨床研究会の考えや願いを取り上げていただいた。番組制作の話が舞い込んでから放映までの1ヶ月の間、私たちは今までにない緊張を経験し、今までにないテンションの毎日が放映の日まで続くこととなった。

パスがつながって
 事の発端はNHKのディレクターが新聞で取り上げられた私たちの活動の記事を目にしたことだが、これは単なる偶然のできごとではなく、ことばに対して深い思いのある人の気持ちがつながっていった物語だった。
 2年前、岐阜でどもる子どもたちのサマーキャンプを新聞で取り上げてほしいと依頼したとき、朝日新聞の記者はキャンプの紹介よりどもることに興味を示してくれた。原因や治療法が確立していないこと、流暢に話せないことを悩み、どもることを理由に自分の殻に閉じこもる人がいることなど真摯に聞いてくれた。最後に、ぼくは吃音だと言われたことはありませんが、思い当たることはあると言われた。数人の人の会話に入りそびれて取り残されたと感じること。トイレの「ト」がいいにくいから「お手洗いどこですか?」と聞いてしまう。そうすると「品のいい方ですね」と変に感心されてしまうと笑いながら打ち明けてくれた。「これって何ですか」と逆に質問され、「どもらない人でも言い換えをするんだ」と私の方が感心してしまった。そして「あなたは吃音ではないかもしれないが、私たちとかなり近い位置にいることはまちがいないと思う」と言ってしまった。このとき、単なるキャンプのお知らせを記事にするのではなく、特集として扱いたいと言っていただいた。しかし、このときは特集記事を組んでくれるなどということは半信半疑だった。事実1年間何の音沙汰もなかったのだが、『第1回臨床家のための吃音講習会』開催の熱気の覚めやらぬ、夏が終わろうとするころ、『品のいい彼』から吃音の特集を載せたいと連絡があった。このとき岐阜吃音臨床研究会の廣蔦忍会長からの吃音についての基礎知識や会の活動、あるどもる子どもの談として「高校入試で面接があるが、どもって失敗しないか心配だ」などが載った。
 その記事を読んでくれたのがNHKのディレクターさんである。ここで「ことばに対する思い」というボールは『品のいい彼』から『ディレクターさん』ヘパスされた。ディレクターさんはわずかであるがどもる。症状としては時に軽い連発がみられ、本人も多少自覚はあるが、気にしたことはないと言う。だからどんな人にでもインタビューするし、取材の申し込みやら番組制作会議で徹底的に議論する。仕事のなかで困ったことはない。したがって番組制作のために精力的に活動している仕事バリバリ人間の『ディレクターさん』である。彼は「どもることでこんなに悩む人がいるなんて知らなかった。これは番組として取り上げなくてはいけない」と思ったそうだ。早速、日本吃音臨床研究会の伊藤伸二会長に電話で長い取材をし、さらに、「どもりながら話す」ことに対しては深い思いを抱いてくれた。このとき番組制作の始まりを告げる「カチン」は鳴った。

「えっ、テレビに出るの?」
 岐阜大学の廣蔦研究室にスタッフ集合、『ディレクターさん』から制作の意図を聞き、私たちの考えていることを少しでも多くの人に広めるチャンスであることを確認する。このときのスタッフはみんな自分が個人として出演するという感覚はないから、「おもしろそうだな」という雰囲気で盛り上がっている。「ゲストは誰がいいかな」、「子どもたちの活動はもちつきできまりだな」、「あの子が来てくれるといいな」と制作にかかわれるおもしろさでいろんなことを話している。少なからず一同興奮している。私自身もこの時は全く野次馬的であった。はじめに登場する成人吃音者の役は愛知県のIさんがいい、いや長野県のUさんがなど人ごとのように話していた。誰かが冗談で「誰も受け手がなかったら板倉さんで・・」と言っていたような気もするがその時は一笑するだけの余裕があった。そんなことはどうでもいいことで、子どもたちはどのように撮るのか、年頃といわれる年代を迎えて嫌がる子どももいるだろうな、後姿だけならOKもらえるか、第1候補はあの子かな、だめならこの子かな、など子どもの撮影のことばかりが気になっていた。番組のシナリオがあるわけではなく、私たちははっきりした流れを把握しているわけではない。ひょっとすると『ディレクターさん』も細かい筋書きは後からと考えていた素振りも見受けられる。

テレビの収録は突然やってくる
 暮れも押し詰まったころ次の撮影開始を告げる「カチン」が鳴った。廣鳥先生の吃音の基礎的な知識、最近の研究、岐阜吃音臨床研究会の主張や活動などが収録された。ちょうどその頃、ちょい役で登場するはずの成人の吃音の役が私に回ってきた。第1候補の人から第2候補に投げられたボールは私に回ってきた。まさかと思ったが私にはパスする相手がいないので受けるしかない。職場の日常の様子を収録するということで2学期の終業式で話すという場面が設定された。このテレビ収録で一番嫌だったのがこの件を了解していただくために、あまりよい聞き手ではない校長室を訪れることだった。ともかくこの難問をパスし、次は同僚の先生方に話をしなければならない。「私がどもる人間であり、子どもたちと活動していること、学校にテレビの収録が入るので協力してほしい」旨を伝える。こんなに多くの人の前で自分のどもりの話をするのは結婚式以来である。同僚たちは突然の申し出に茶化してはいけない雰囲気になってしまい、堅くなっている。まずかったかなと思うとともに自分自身のどもりを語れない自分に気づかされる。次は生徒だ。私の学校の生徒は聴覚障害者である。聴覚障害者にどもることを理解させることは難しい。仕方なく「先生はうまくしゃべれない」ということで無理やり納得してもらうことにした。首をかしげる子もいたのだけれど。
 終業式の日が来た。式が終わって集会になり、司会の生徒が私の登場を促す。私のための「カチン」である。いつものように話すつもりだったが、緊張している。普段なら手話をつけながら話すのだが、うまく手がついてこない。生徒たちにも登場してもらったがずいぶんぎこちないものになった。しかし、どもる人間として登場するのだからけっこうどもれたのでよかったと思っていた。どもることができてよかったなどと今までに考えたことはないのだが、今回ばかりはちがう、どもる人間として出演するのだからどもらなくては観る人がわからない。
 次に職員室での何気ない会話を求められたのだが、同僚たちの協力もむなしくちょっとわざとらしい。同僚たちはこの場面はカットに違いないと言っていたが、テレビには映っていた。インタビューでは廣蔦先生からテレビカメラが案外近距離からだと言われていたので心づもりをしていたのだが、照明もマイクも近いし、目線をどこにおいたらいいか分からずやっぱり緊張してしまう。それに加えて『ディレクターさん』はあらかじめ質問項目を教えてくれない。教えると生の感覚、自然さがなくなってしまうからだそうだ。したがって予期せぬ質問にはうろたえることになる。「あなたにとって吃音とはどのような存在ですか?」の質問に私はどもりを語るほど極めていないと思いながら「どもりはいつも私のそばにいるんですよ」と、とんちんかんなことを言ってしまった。あせった末「どもる自分自身と折り合いをつけることかなと考えています」と質問の文脈をねじまげて答える。(つづく)


日本吃音臨床研究会の伊藤伸二 2023/07/07

新・吃音ショートコースに参加しての感想

新・ 新・吃音ショートコースの最終のセッションは、ふりかえりでした。ひとりひとりが、この2日間で考えたこと、思ったこと、感じたこと、発見したことなどを発表しました。僕は、この時間が好きです。印象に残る場面はひとりひとり違います。同じことばを聞いても、その捉え方は異なります。その人の背景、その日の体調、いろいろなものが合わさって、感想になります。どれもが貴重で大切なことばになっていました。
 発表が終わってから、短い時間でしたが、感想を書いていただきました。書くことでまた違った新・吃音ショートコースが浮かび上がってきたようです。紹介します。

○久しぶりに吃音のことを深く考える機会でよかった。日本語のレッスンでは、以前、大阪吃音教室の日曜例会で1日かけてやった「竹内さんのレッスン」を思い出した。そのときも、言葉と体はつながっている?というようなことをいろいろ勉強したが、その後の日常生活であまり活かしきれてなかったと思う。やはり、勉強して実践してみたいことは、常に日頃から意識をしてやっていかないとダメだと感じた。今回、勉強した日本語のレッスンの中の、「一息で全部言う」「一音一拍」と、どもりそうになったときの対策として、「電話線を通して相手に届ける」「電話の向こうの空いてをイメージする」「相手に聞き返されたらチャンスと思い、ゆっくり話す」の話は、早速意識しながら実践していこうと思う。

○大阪吃音教室とは違い、全国、遠い所から参加される人がいる。この場で何かを確かめるかのように参加している人、自分の人生の何かと重ね、関連づけて話をする人、そんな姿に、私はインスパイアされる。いい刺激をもらって、また日常へと還っていこうと思うし、またこういう場に参加しようと思うのだ。

○在宅ワークになり、大阪吃音教室に参加できる機会がほとんどなくなったので、久しぶりに2日間、吃音についてゆっくり考えることができて有意義でした。幸せについて考えた中で、私は自己受容ができていることが幸せと感じました。今までどもりで悩むことばかりでしたが、大阪吃音教室に出会えて、自分自身を受け入れられるようになってよかったです。

○自分の人生の振り返りを発表させていただき、ありがとうございました。吃音を治すのでなく、吃音の子どもたちと共に生きようとする言語聴覚士が、ひとりでも増えるよう、みんなでがんばっていけるといいかなと思います。考え方を変えないといけないときは、勇気をもって、ふんばって、みんなで手を取り合って、変えなければいけないと思います。

○内容の濃いあっという間の2日間でした。要項にある「吃音哲学」というテーマがピンとこず、心理学的な難しい話をされるのだろうか、果たしてついていけるものだろうかと心配でしたが、杞憂に終わり、思い出に残る2日間となりました。日々、不登校のお母さん方と話し合ってきた、子どもの自己受容、自己肯定、その子を支えるお母さん方の自己受容、他者貢献とも相通ずるテーマでした。内容も、ぎりぎりの子どもたちを支援する人と伊藤さんの深い対談、情景の浮かぶことば文学賞の素晴らしい作品たち、ハピネスではない深い幸せのウェルビーイング、コロナ禍に入って以来の歌を歌ったり、台詞を言い回す体験、日々の困りごとへの対処法、他人は変わらないけれど、自分たちの物事へのとらえ方は変えるとができるという話、大阪吃音教室で受けたライフサイクル論など、こんなに時間が経つのが早く、惜しいと思ったことはありませんでした。

○今回の新・吃音ショートコースは、世界のこと、自分のこと、自分の身の周りで起こっていることを、ちゃんとことばで表現しよう、違うことばの持つ異なる意味、ニュアンスをちゃんと区別しようという内容のイベントでした。思い出せば、私が自分でものを考え始めた1970年代後半は、世界中で「ことばが世界を分節化する機能を疑おう」「ことばを使って考えるのをやめ、丸ごと世界を認識し直そう」という思想が提唱され、広まった時代でした。その後、時代が大きく移り変わり、ことばを大事にしない人があまりに増えて、社会の要路を独占する時代がきてしまい、今再び、一つひとつのことばを大切にするところから世界をやり直すしかないところに舞い戻っているのだと思います。

○2日目だけの参加でしたが、ことばの教室の実践報告や日本語のレッスンの体験、合理的配慮についての話など、たくさんの吃音の世界に触れることができ、楽しかったです。合理的配慮については、以前にも「ほどよいストレスは子どもの成長にとって大事」と聞いたことがありましたが、今、関わっている子どものことを考えながら聞くと、より腑に落ちました。ショートコースを皮切りに始まる吃音のイベント、これからどんな出会いがあるかとても楽しみにしています。

○今回が初めての参加でした。途中からしか参加できなかったため、一番惹かれたタイトル「幸せについて」のお話が聞けなかったことがとても心残りです。少年院の子どもたちの話を聞き、人はどのような形であれ、自分の嫌なことや好きなこと、その全てを通して成長していけるのだと思いました。ライフサイクル論はやり直しのきくものだということばを聞き、どんな紆余曲折を経ても良いんだと、安心する気持ちを感じたのと同時に、とても優しい学問だなあと思いました。

○自己決定権の尊重と幸せの話が2日間の中で一番印象的でした。祖父のケアのことや今、職場で関係している子どもたちのとのかかわりを思い出しながら話を聞いていました。何が目の前の人にとっての幸せなのかをこれからも考え続けながら、人とかかわっていきたいです。自由であることが幸せであるということを、子どもたちに伝えていきたいと思いました。

○印象に残ったのは、1日目の対談後の話し合いで、生徒は、話の内容よりも、その場や時間を覚えているとの意見が出たことでした。また、私も、吃音の相談を受けることがあり、後からもっとこう言えばよかった、ああ言えばよかったと反省することや、1回相談に来てその後来なくなると、対応が悪かったかなあと思っていたのですが、反省しなくていい、1回来てそれで落ち着いたんじゃないかというのを聞いてほっとしました。2日目のウェルビーイング、幸せについては、初めてじっくり考える機会でした。自己決定できる幸せを初めて考えました。どちらかと言えば、他者信頼、他者貢献の方を思っていましたが、フランクルの「最悪の場でも、心の自由は奪えない」を思い出し、自分で選べることの大切さを思いました。

○みんなのいろいろな話を聞いて考えることができた。幸せについては、吃音をもったまま生きることの意味を考えることになった。今後、例会のテーマとして活用できると思った。日常を離れ、じっくり自分をふりかえる時間はとても心地よく、いい時間を過ごすことができた。

○発表の広場での発表は、2回目でした。今回はとてもリラックスした気持ちで、浮かんだことはばを伝えていこうと、ポイントとなることだけ考えて話しました。子どもたちのことを伝えたいということだけが頭にありました。みなさんからもらったことばを整理して、子どもたちに伝えようと思います。幸せについて、みんなそれぞれの一番を聞くのがおもしろかったです。どれも大事だけど、今の私にとっての幸せを感じるものなのでしょう。ときどき、幸せチェックをしてみようと思います。ことば、日本語のレッスンも久しぶりに声を出したという感じで、気持ちがよかったです。体も声も、カチカチ、ガチガチなのが分かりました。気持ちよかったし、楽しかったです。

○対話の難しさについての対話は、去年の吃音親子サマーキャンプでの経験を改めてより深く考えるヒントをもらえたと思う。最近、吃音と自由ということを考えている。自由だということは、自己決定ができるということだと、つながった。幸せということを集中して考えることができ、良い時間だった。日本語のレッスンで大きい声を出そうとしたときに指摘された、体の力みは、普段自分では気がついていなかった。台詞を読む楽しさを感じたし、発表の広場で発表もでき、満足している。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/06/28

朝日新聞の「小さな新聞」がきっかけで

 それまで全く面識のなかった人から連絡をいただいて、それからお付き合いが始まるという不思議なご縁を何度も経験しています。
小さな新聞 朝日新聞 先日、大阪吃音教室に特別講師として来てくださった、新潟県五泉市の禅僧、櫛谷宗則さんが連絡をくださったのは、今日、紹介する朝日新聞に掲載された「小さな新聞」をお読みになってのことでした。
 2001年6月28日の朝日新聞を紹介します。

吃音とともに生きる「スタタリング・ナウ」
【スタタリング・ナウ 77号(2001年1月20日)】
 〈価値観が広がる〉私がどもりに悩み、苦しみ、将来の展望がまったくもてずに堂々めぐりをして悩んでいた21歳のころから、それなりの自己肯定への道を歩み始めたその道筋は、180度の価値観の転換、どもりをプラスに、などというものでは決してなかった。どもりを治したい、と精いっぱい治す努力をしたが治らず、「まあしゃあないか」と事実を認めたところから出発したように思う。どもりながらも、隠さずできるだけ逃げない生活を続けて数年後、ふと立ち止まったとき、数年前の自分とは随分変わっていることに気づいた。成長を目指して取り組んだことは何一つなかったから、自分の変化に気づかなかった。おそらく傷がいえるときにできる薄皮が、1枚1枚はがれるようなものであった気がする。
 価値観の転換などという大げさなことではなく、今の自分を否定しないで、自分のできることに誠実に取り組む。そのプロセスの中で、人はいろいろな人やできごとと出会い、結果として価値観が広がっていくのではないだろうか。

【スタタリング・ナウ 79号(2001年3月17日)】
 〈どもる権利〉吃音児・者とは、何か。私はこう定義したい。「吃音を通して、からだとことば、人間関係、生きることなどを考え、行動するテーマを与えられた人のことである」。どもる人間には、どもる権利があるのだ。

【スタタリング・ナウ 81号(2001年5月19日)】
 〈どもり塚〉「死ぬまでに一度で良いから、どもらずに、何の不安や恐れももたずに自由に心おきなく話したい」。先日、70歳を過ぎた人から相談を受けた。長い年月、人がおしやべりを楽しみ、新しい人間関係をつくっていくのを、指をくわえて見ていた。人と話すときはからだを固めていた、と言う。私がもし、同じような悩みをもつ人と出会わず、セルフヘルプ・グループをつくらなかったら、この人のように思い続けただろう。
 吃音は人を深く悩ませる一方で、人生を考えるきっかけを与える。現在吃音の深い悩みの中にある人々には誠に気兼ねをしつつ言うしかないのだが、私は死ぬまでどもりを続けたい。また、天国があるなら、どもる人のセルフヘルプ・グループをつくりたい。どもり塚の建立が私の新たな夢となった。(日本吃音臨床研究会代表伊藤伸二)

「スタタリング・ナウ」
日本吃音臨床研究会(大阪府寝屋川市、072-820-8244)の会報。毎月発行。B5判8蓮F姥Φ羃颪94年9月発足。会員は吃音者やその親、教員やスピーチセラピストら約700人。吃音親子サマーキャンプや吃音教室などを開催。吃音をどう治すかではなく、いかに生きるかを探っている。
(小さな新聞 朝日新聞 2001年6月28日)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/06/05

大阪吃音教室特別講座「鬱と吃音から見えてきたもの」〜感想〜

大阪吃音教室特別講座
  「鬱(うつ)と吃音から見えてきたもの」〜感想〜

    講師  平井雷太さん(セルフラーニング研究所所長) 
    聞き手 伊藤伸二

 平井雷太さんのインタビューを聞いての感想を紹介します。


  
セルフラーニング
                     東野晃之(44歳)団体職員

 平井さんの話のキーワードは、「できる、できないを考えない」「とりあえずやる」だった。例えば、何か課題があるとき、やってみたい、できるようになりたいという気持ちがあるなら、自分が「デキル」「デキナイ」を決めつけずにまずやってみる。やってみる中で何ができて、何ができないかが自覚でき、できないことがどうしてできるようになるのか、できるようになる仕組みを自分で作っていくようになる。やる前から、あれこれと考えるから結局やらなくなる。やらない理由に、やる気が起こらないからとよく言うが、「やる気がない=やらない」ではなく、やりたくない状態になったからこそ、それでもできる状態を体験するチャンスで、ここで「やる気が育つ」。できない状態がなければ、できる状態は訪れない。できない自覚がセルフラーニング(自分で決めたことを自分で実現していく)のはじまり。つまり、やる気のない状態こそ、やる気が起きていく道、「できない状態を自覚することこそ、できるようになっていく道」であるという。
 自分の体験を振り返ると、電話が苦手でできなかった頃、「今日は気分が乗らない」とか「明日でも構わないか」とか、何かと理由をつけては電話をかけるのを避けていた。就職して営業職に就き電話は避けられなくなって、毎日毎日恐れながらも電話をとり、かけ続けた。うまく対応できず、失敗して落ち込んだりもしたが、そのうち電話への気づきがあったり、話す工夫も少しずつだが、できるようになった。今でもどもることはあるが、以前に比べ随分楽に電話ができるようになった。これを平井さんの話から整理すると、恐れていた電話が仕事上避けられなくなって直面さぜるを得なくなり、数多く電話のやりとりを体験したことでできなかった状態を自覚でき、自分なりの電話対処法が身につけられたのだろう。やろうとしてもなかなか実行できなかったり、続けられなかった経験を思い起こすと、できない状態に対する否定的な考えやできない自分へのさまざまな思い込みがあったようだ。例えば、「誰もができることができないのは、自分が劣っているからだ」「そんな自分だけができない状態には耐えられない」「だからできそうもないこと、耐えられないことはやめてしまおう」…こんな思い込みが自分を消極的にしていたようである。できないことは悪いことではない。あれこれ考えず、やってみてできない自覚がセルフラーニング(自分で決めたことを自分で実現していく)はじまりである。平井さんの話はさまざまな気づきの余韻を残して終わった。

  あれも自分、これも自分
                         徳田和史(54歳)会社員

 特別講座のテーマ、「うつと吃音から見えてきたもの」に惹かれた。私は吃音に加えて最近、自己診断ではあるがうつ症状の気配を感じていたからである。
 平井さんは、大学卒業後は吃音であるが故に就職を嫌い、駆け落ちしてヨーロッパに渡った。帰国後陶芸の道に入ったが、26歳以降躁うつを繰り返し、この間、危ないことも数回あったらしい。平井さんの体験談で私にとって印象深かったのは、うつの状態の中でも一つの決まり事を毎日行い、その継続の中で自分を幅広くとらえることができれば、自分を楽にすることができるということであった。
 人間の心的状態には波があり、波の最上部と最下部の振幅がある程度拡がれば躁になったりうつになったりするのだと思うが、波の最上部を躁とし最下部をうつとしたとき、人間どうしても波の中心線から上を通常の自分と思い、下部を異質の自分と思うらしい。そのようにとらえると波の最下部(うつ)に陥ったとき、異質の自分から脱したくなるのであるが、平井さんは、中心線を軸に最上部も自分、最下部も自分であると認識すれば、つまり波の振幅の全てが自分であると思えば楽になると。
 又、平井さんは自分の体験から、うつは治らない、うつのままを受け入れる、その結果落ち込めば、落ち込むのも一つの能力だと考えればいいとも言う。
 平井さんは、波の最上部も自分、最下部も自分であると認識する手段として、一つのことを毎日継続することだと言う。平井さん自身は、うつ症状だった当時、息子さんと一緒に走ることを日課とし淡々とこなしたそうだ。うつのときも走り、躁のときも走る。この毎日走ることが波長の中心線となり、高い波も低い波も客観的に見ることができると言うのである。
 吃音にも波がある。調子のいいときもあれば調子の悪いときもある。そういえば私も吃音ですごく悩んでいた頃、調子のいいときの自分が本来の自分の姿であり、調子の悪いときは仮の姿だと自分を二分していた。人間というもの、思考・感情がある限り、高揚するときもあれば落ち込むときもある。問題は、この幅広い領域の自分を受け入れる要因となる中心線を自分にどう設定するかである。平井さんは、走ることでもいいし書くことでもいい、何かを決めることがキーポイントだと言っていた。又、継続している中で、やる気がなくなったときが勝負であり、そのときにやることの意味を求めずにそのまま続けることが大切なのだと。なるほどと思った。やる気のある調子のいいときの自分だけを見ていては半分の自分しか見ていないことになる。やる気のないときの自分も見ておく必要がある。
 自分の中に中心線を設定し、調子のいいときの自分も認め調子の悪いときの自分も認める。大袈裟に言えば、正義の自分も認め不義の自分も認める。自分というものを都合がいい面ばかりでなく都合が悪い面でもとらえ、これも自分なのだと幅広い自分を認識できればずいぶん楽になれる。今回の講座は私にこのことを教えてくれた。(「スタタリング・ナウ」2001.8.23 NO.84) この号は、今回で終了です。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/05/25
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