東日本大震災の被災地と震災遺構を訪ねる旅 6 土門拳記念館と藤沢周平記念館

宮古から気仙沼に南下し、そこから日本列島横断の旅に出発しました。向かったのは、秋田県庄内羽黒です。羽黒山、月山、湯殿山を合わせて出羽三山と呼ぶそうですが、そのうちのひとつ、羽黒山のスギ並木の石段、随神門、そして五重塔と神秘的な石段を歩きました。その後は、映画好きな僕には興味ある、スタジオセディック庄内オープンエリアへ。たくさんの映画やドラマを撮った所です。僕たちが観た「十三人の刺客」で使われた宿場町のセットがありました。映画のシーンがよみがえってきました。
翌日、以前から行きたかった、土門拳記念館へ行きました。―ヒロシマ・ナガサキ―江成常夫と土門拳 の特別展がありました。土門拳の作品には、よく子どもが登場します。「筑豊のこども」、「江東のこども」などで、子どもの屈託のない表情が印象的でした。今回の―ヒロシマ・ナガサキ―でも、子どもが出てきます。今回の―ヒロシマ・ナガサキ―では、被爆した女性たちのケロイドを、憤怒に震え、泣きながら撮ったそうです。皮膚移植手術の様子は、見るのが怖くなるくらい詳細でした。胎内被爆の子は白血病に苦しんでいましたが、その子のうつろなまなざしに、戦争の不条理と原爆の無慈悲を感じました。彼の、平和への強い願いが表れていました。ヒロシマの原爆記念館に収めて欲しい写真です。
映像があって、見ましたが、映像の中の土門拳さんは、どもっているようにみえました。土門拳さんがどもるということは聞いたことがあるのですが、映像を見たのは初めてでした。吃音は、51歳の時の脳出血の後遺症だと思っていましたが、そうではなかったようです。

その後、藤沢周平記念館に行きました。藤沢周平さんには、大阪教育大学の5日間の集中講義の時、「吃音を治す努力の否定」についてどう思うか、アンケートをお送りしたことがあります。その時、丁寧にお返事をいただきました。記念館には年譜がありましたが、そこにも、ちゃんと、「この頃、吃音に悩む」と書いてありました。
藤沢周平さんが、「他者を理解できる人に」とのタイトルで、新成人に向けて書いた文章がありました。
他者を理解できる人に
一度しかおとずれない青春です。この時期にスポーツ、恋愛、仕事、何でもいいから、自分のやりたいことに思いっきり挑戦してみてください。失敗をおそれる必要はありません。失敗こそ奥行きのある人間をつくるのです。しかし、やりたいことをやるといっても、他人の迷惑を考えない自己中心的なやり方をするのは大人とは言えません。どうか他者の存在を理解できる人になってください。…
偶然ですが、二人の吃音の先輩の記念館を同時に訪ねたことになります。
長かった東北への旅もそろそろ終わりに近づきました。大阪へは、日本海沿いを南下しました。日本海東北道から北陸道を走り、金沢で一泊しました。金沢まで来ると、ああ、帰ってきたと思いました。今回は、宮城・岩手が中心だったので、次回は、福島に行きたいと計画しています。
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/09/18



映像があって、見ましたが、映像の中の土門拳さんは、どもっているようにみえました。土門拳さんがどもるということは聞いたことがあるのですが、映像を見たのは初めてでした。吃音は、51歳の時の脳出血の後遺症だと思っていましたが、そうではなかったようです。



他者を理解できる人に
一度しかおとずれない青春です。この時期にスポーツ、恋愛、仕事、何でもいいから、自分のやりたいことに思いっきり挑戦してみてください。失敗をおそれる必要はありません。失敗こそ奥行きのある人間をつくるのです。しかし、やりたいことをやるといっても、他人の迷惑を考えない自己中心的なやり方をするのは大人とは言えません。どうか他者の存在を理解できる人になってください。…
偶然ですが、二人の吃音の先輩の記念館を同時に訪ねたことになります。
長かった東北への旅もそろそろ終わりに近づきました。大阪へは、日本海沿いを南下しました。日本海東北道から北陸道を走り、金沢で一泊しました。金沢まで来ると、ああ、帰ってきたと思いました。今回は、宮城・岩手が中心だったので、次回は、福島に行きたいと計画しています。
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/09/18