伊藤伸二の吃音(どもり)相談室

「どもり」の語り部・伊藤伸二(日本吃音臨床研究会代表)が、吃音(どもり)について語ります。

吃音

どもる人と舞台に立つ 5

年報用 竹内写真 追加7  さくらホール2 どもる人のことばのレッスン〜公開レッスン&上演〜を特集した「スタタリング・ナウ」1998年12月19日 NO.52 を紹介してきました。最後は、出演した中学生の感想と、応援にかけつけてくれた土谷さんの感想です。
 小学2年生の学芸会でせりふのある役を外されたことから始まった、僕の吃音の苦悩の歴史は、24人の仲間と舞台に立ったことで、補ってあまりあるものをもたらせてくれました。

  
たくさんの思い
                           中学2年・松本愛子


 「竹内敏晴さんってどんな人なんだろう?恐い人かなあ」
 胸をドキドキさせながら、レッスン会場の銀山寺に向かいました。銀山寺で、竹内さんに名前を聞かれ、私はどもりながら「松本…」と名字を言うと、竹内さんが「愛子さん」と言って下さって、「えっ、私の名前覚えてくれたんだ」と、すごくうれしかった。けど、レッスンに来ていたのは大人の方ばかりで、少し緊張しました。
 私は男の子のトムの役でした。けんかのシーンで、相手役が長尾政毅君だったので、正直戸惑いました。相手が男の子だとやりづらく、増田順子さんに相手役が代わると、長尾君の時とは全然違う。すごくやりやすく、自分でもびっくりするぐらい、すらすらとセリフが出ました。
 最後のレッスンで、私はその場の雰囲気がピーンと張りつめ、前とは違うのが分かりました。間違ったら怒られると思って、私はすごく緊張していました。そのせいか、最初の時の練習では言えたのが言えなくて、本当に泣きそうになりました。
 本番では、増田さんがリードしてくれて、練習の時よりも、ずっと上手にできました。
 後から、姉から「素でやってる」と言われました。自分でももしかしたらそうかもと納得しました。トムソーヤは男の子の役なので、夕鶴の子ども役では、ちょっとぶりっこをしてみました。
 劇が終わって、ロビーへ行くとお客さんと目が合って、よかったよとでも言うように、うなずかれました。その時、なんだか女優になった気持ちで、うれしかったです。
 私は今回の公開レッスンのことを、二人の友達にしか教えませんでした。でも、場所は教えてません。やっぱりどもっている自分を見てほしくないと思ったからです。正直言うと、家族にも見てほしくありませんでした。でも、今となってはよかったのかなと思います。なんとなく、私たちのことを家族は理解してくれたでしょう。
 今でも劇や本読みは好きではありません。でも、前よりは、少し好きになりました。だから、自分のことも前よりは好きになったような気がします。
 これも竹内敏晴さんのおかげです。ありがとうございました。増田さんにも感謝しています。
 また、劇をやりたいと思います。


公開レッスン&上演を振り返って、今思うこと
             南山大学日本語学科非常勤講師・言語聴覚士 土谷薫


 「11月23日、大阪で公開レッスンと上演を行うので、お手伝いに来て下さい」と伊藤伸二さんに声をかけていただき、21日、大阪へと出かけた。
 なんせ、本舞台の2日前、さぞかし出演者の皆さんは緊張もし、ピリピリした雰囲気が漂っているだろうなあという私の予想は大きく外れ、皆さん、稽古が楽しくてしょうがないといった感じ。まず、これに驚く。
 メンバーがトチッては笑い、途中でつまれば「ガンバレ!」と掛け声がかかる。竹内敏晴さんも一人一人と丁寧につき合っていく。
 「片足出して!」「前に体重かけろ」「一音一音イキを出せ!」
 竹内さんを『声の産婆』と呼んだ人がいたが、まさしくそれは、ことばが産み落とされる瞬間に立ち会っているという感じであった。からだとイキが一緒になって、声=ことばが産み落とされる。その誕生の喜びを、そこに立ち会っている全員で分かち合う。

 『ブタイとは、かっこよく見せる場なんかじゃない!自分の一番かっこ悪いところを見せて恥をかくところだ!うまくやろうなんて思わなくていいから思い切ってやれ』
 というのは、よく竹内さんが言うことばだ。しかし、私たちは「そうは言ってもやっぱり大勢の前で恥かくのは嫌だし、できればかっこいいとこ見せたいよ…」なんて思ってしまう。今の学生は大きい声を出すだけでも恥ずかしいと言う。人と少しでも違うことをすると、笑われるんじゃないかという恐怖心に身を固めている。そういった学生と接する機会の多い私にとって、吃音の人ができれば一番遠い所に置いておきたいであろう「ことば」を使って表現する「芝居」に取り組むというのは、一体全体どういうことなんだろうというのが、私の率直な疑問であった。
 吃音は黙っていれば分からない。ことばを使わない表現だって、ダンス、絵画などいくらでもある。しかし、あえて「芝居」を選んだところに、すでにヌキサシならぬところに自分を追い込むという決断、覚悟がはっきりと見てとれた。そして、そのような覚悟でブタイに臨んだ人たちは、何かを捨てた代わりに何かを得たのだろう。それは、上演後の打ち上げの席のみんなの顔を一目見て感じた。

 一人一人が見事にブタイの上で立っていたなあと思う。予想外の、あんなに多くの観客の前で自分を支えることは大変なことだ。ブタイは初めてという人も多かったであろうに…。
 みなさん一人一人の根っこの太さを感じた。
 「吃音」ということで、すでに他の人とは違う…恥をかかずに生きることは無理…その程度や環境など、全てが一人一人異なるゆえ、たった一人でそれと向き合い生きてきた人たちだからだろうか・・・・
 そしてもうひとつ、大阪吃音教室という場の根っこの太さ!ここには、一人一人が安心して自分をさらせる場=表現を支える場がある。そして、竹内さんの存在。その全てがうまく調和して、一人一人が見事な自分の花を咲かせた!(…そして、それが種になり、芽が出始める頃、「また、上演やりましょう!」という声が上がるだろうなあ。そうなったら、また、是非私にも声をかけて下さい!)(「スタタリング・ナウ」1998年12月19日 NO.52)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/11/29

どもる人と舞台に立つ 4

 ドキュメントを改めて読むと、1998年の舞台のことが鮮やかに思い出されます。近づくにつれて、だんだん高まっていく高揚感、ひとりひとりが自分のことのようにひとりひとりをみつめていたこと、ことばで言い表せないほどの大きな興奮状態にいたこと、懐かしいです。
 竹内敏晴さんが寄せてくださった文章を読むと、竹内さんも共に、あの時間を同じような思いで過ごしてくださっていたのだと、感謝の気持ちでいっぱいになります。

    
ことばの祭り
                          演出家・竹内敏晴

1.キツオンてなんだろうねえ?
 打ち上げは楽しかった。ひとりひとり立っての話が、これまでのことばとの戦いに汗で濡れているようだった。わたしは拍手したり野次を飛ばしたりしているうちにビールの酔いもあってかウトウトしてしまった。ところへ伊藤伸二さんから終いに一言と名指しが来た。が、腰が立たない。ネムクッテとかなんとかもごもご言ってると目の前に来島秀夫さんの顔が出て来た。眉毛の太い優しい顔が心配そうに覗き込んでいる。まじまじと目を見交わしたとたんに「吃音てなんだろうねえ」と溜め息が出た。来島さんの目が大きくなって一瞬まわりがしんとした気がした。
 2か月前、9月の吃音ショートコースの時あんなに苦労しておでこにびっしり汗を浮かべていた来島さんが、舞台ではちっともひっかからないで、悠々と楽しそうに大声をあげていたではないか。
 あの時、希望者7〜8人が詩の一節ずつレッスンしていった最後が来島さんだった。ことばを発しようとするとたんに肩を吊り上げ、というより首を埋めるみたいにして、素早く息を吸って身構える。さて、声が出て来ない。「・・・・」と目をぱちぱちさせながらもがいている。
 声は息を吐くから出る。まず息を吐くんだ、とわたしは言った。まず息を吸って、と身構えるから力が入ってのどが固まってしまう。胸はフイゴだ。折り畳むみたいにして、そのまんまただ息を吐いて!それから舌を前に出して顎の力を抜いて、息を吐くのと一緒にラララーと声を出してみよう。うまい!次にしゃべることばのはじめの音だけ出してみる。「あー」うまい!あーなーたーと続けて。「あ、あ、あ、あなた」そら息を吸った。分かる?来島さんは首をかしげる。もう一度やってみよう。「あーなー」うまい!もう一度、そらまた息を吸った!これを一体何度くり返したろう。吸わないで、ただ吐く。その時息は流れ出、声は響き、ことばがつながっていく。
 この時は来島さんは汗を流して頑張ったが、また息を吸った!のくり返しだった。その後ふだんの暮らしの中でかれがどんな努力をしていたかわたしは知らない。上演3日前の稽古に現れた時、ひっかかることがずいぶん少なくなっていた。わたしは、つい首を突き出して身構える癖を注意するだけでよかった。
 舞台では・・・・ただ一度、役の人物が興奮してどもるところで、どうやらほんとにどもったらしかった。わたしは笑ってしまった。山の湖の木の上でらしい、実にのびのびとした声だった。来島さんてこういう人か、と言えそうな演技だった。吃音て何だろうねえ?来島さん。

2.歩むということ
 わたしをことばにならない深い驚きに浸したのは佐藤礼子さんだった。
 舞台でかの女が東野晃之さんの「よひょう」に「どうしたの?」と問いかけ、「いや、いや、都へ行ってはいや」と膝をつかんでゆすぶるのを見ながら、わたしは、いったいこれはどうしたことだ、と胸の中で何度も何度も眩いていた。かぼそい声が巾広くなって来る。いつもかちかちに引きつけられて固まっていた肘が、ずうっと伸びる。からだのなかに時たまひっかかりは起こるが、それをぐいと押し切って出てゆく声と働きかけとがある。
 わたしの目には数年前、札幌の北の山麓での言友会の大会におけるかの女の舞台姿が二重映しになっていた。
 かの女はあの時は、「よひょう」に別れを告げに出て来たのだった。「さよなら」と言おうとする。息が詰まる。からだがぐぐっと硬直する。見ている人たちもほとんどがどもりだから、さっとそれを感知する。客席が一瞬凍りついたように息が止まる。佐藤さんはそこで踏み止まる。固まったからだを保ったまま、そうっと息を吐く。それからそうっと息を入れる。息を吐くと共に「さー」の音が流れ出る。客席がほうっと溜め息を吐く。「さよなら」。ゆっくりと、かぼそい、しかし、なんと凛としたけなげさが立ち現れたことだったか。その胸が痛くなるような美しさはかの女の必死さと観る人々の息づかいとが一つになって創り出していた。
 その時観ていたわたしの息の詰まり方が時たまふっと戻って来る。が、すぐほぐれる。9月の吃音ショートコースの時、おっ、ひっかかりが少なくなったなと思ったけれども、これはたまたま雰囲気もかの女の体調もよかったのだろうと思っていた。が、2週間前の稽古の時は、これはホンモノだ、とたまげた。どうしたわけか知らないが、あれほどつっかかっていた語頭が、なん回もすうっと出てくる。出た瞬間にと言いたいほど短い句で途切れてしまった息が、なんとか一くぎり持ちこたえて声に発してゆく。私ははらはらしながら「もっとゆっくり」「一音一音」とはげますばかりだった。
 3日前から稽古のたびごとにかの女のせりふ廻しはみるみる変わっていった。わたしはただ、いいねえ、と感嘆する。「息を深く」だけがわたしの投げかけることばだった。
 なんでこう変わってきたのだろう。どもりがナオって来たと言いたいのではない。かの女の全身が表現することへ向かってはずみ出しているのを見る喜びを言いたいのだ。

 こう書いて来ると伊藤伸二さんのことも一言だけふれたくなる。今年4月からかれは私の大学の講義に出て来た。毎週大阪から名古屋まで通ってくるのだ。わたしはこの情熱にこたえねばと思って、かれに、東京と名古屋の公開レッスンで一つの役をすることを提案した。「ほらんばか」という名を聞くだけで、この役のせりふが、やや支離滅裂、奔放で情念に満ちたものであることは予想がつくだろう。
 たぶん6月の第1週。講義の前に学内の庭園の四阿(あずまや)で初めてせりふを読んでもらった時わたしはほとんど絶望した。メモにこう記してある。「説得セツメイ的口調の明確さによる言い急ぎを、一音一拍の呼気による表現のための声にかえてゆくこと」。上演はこの時点でほぼあきらめていた。
 だがかれは執拗だった。大阪に帰っても溝口稚佳子さんを巻き込んでかの女相手に稽古をくり返したらしい。8月に入るころなにかが変わった。「ほらんばか」の一途さと伊藤さんのひたむきさが一つになって来た。わたしはしばしば稽古の途中で怒鳴りつけることがあった。8月末の東京の上演は文字通りの熱演で、若手の俳優が今まで見た芝居の中で一番感動した、と頬を輝かせて走り寄って来た。11月初めの名古屋、そして今回は稽古が足りなかったが「よひょう」をつとめた。数年前の札幌では、今だから正直に言うと、「ばか」の「よひょう」は全く感じられなかった。
 そして、札幌の大会の時出演していた大阪吃音教室のメンバー、それぞれのことばの、なめらかさではなく、力強さが、なん年かのレッスンを多少は意味があったかと、わたしをほっとさせてくれたことも言っておかねばならない。
 
3.手も足も出・・・・る!
 なによりも、中学・高校の若者たち男女4人とそのお母さん方が参加されたのを喜びたい。
 わたしは岡本光一郎君(中学1年)が剣道の試合で相手を撃ったのに「メーン」と声を出していなかったからという理由で、審判に一本に取ってもらえなかった口惜しさを書いた文を読んだ。聴覚言語障害児だったわたしもちょうど中学1年生の時同じ体験をした。私にオツキを喰ってひっくり返った剣道部の選手が目の前に尻餅をついているのに、審判はあわてて師範の方をうかがうばかりで手を挙げない。あたふたした後に告げられたのは、声を出さなかったから一本にならない、という宣告だった。わたしは伊藤さんに頼んでこの体験を岡本君に伝えてもらった。ほんとの刀の勝負だったら、声なんか出してたら斬られてしまうのにな、と後でわたしは岡本君に言ったらかれは笑っていた。
 ひとりひとりについて述べるより、今は共通したことを記そう。
 初めてレッスンに来た時、みなは一様に足をぴったり合わせて直立したままことばを発しようと身を固くしていた。それでは息が流れ出ないよ。ことばはからだ全体で相手に働きかける動きの一部なんだ。片足前へ出して前後に動いてごらん。前の足をドンと踏んで!
 寝ころんでお互いにからだを揺すってほぐしたり、わたしの肩に手を当ててぐんと押しながら息を吐き、声を出したり、さまざまに動いているうちにそれぞれすてきな声が現れて来た。けれど、すぐ引っ込む。見ていると体重はいつも後の足にかかっていて、前に差し伸べた足の踵で床をたたいている。前へ出ていく勢いが作り出せないのだ。
 松本愛子さん(中学2年)の場合は、トム・ソーヤーが少年と喧嘩する場面をやったのだが、初めは手を出さずに口喧嘩してるわけで、これではどんどん声を出すことばかりに意識が集中してからだが硬直し足が出なくなる。ええい、原作なんかどうでもいい、相手をつかまえて押しまくってしゃべれ!相手になった増田順子さんがとっさに呑み込んだらしく、それからは二人だけで取っ組み合っては声を出していた。二人離れて言い合う時、愛子さんが棒立ちになったままことばを出そうと苦労してると、増田さんがぱっと手をつかんで引っぱる。とたんにはじけたように声が出る。二人の協働は見事だった。
 長尾政毅君(中学1年)も岡本君も、踏み込んでは息を出し、手を振っては声を発する試みをなん度もやっていた。が、つい体重が後に残る。長尾君が手を水平に振って剣道の打ち込みの時のように前へ踏み込む。からだの動きと息とが一つになったり外れたりする。本舞台までわたしはハラハラしたりニコニコしたりの交替だった。
 日本語には「手も足も出ない」という諺がある。こうなれば息もひそんでしまう。声が出るわけがない。まず、手を出し、足を出し、相手に働きかけることを目指そう。つい引っ込み思案になることもあるに違いないが。
 
 打ち上げの時、松本愛子さんが、「竹内さんが、集中と緊張は違うのだ、と言ったのが一番心に残っている」と言ったのには、驚いたと同時に嬉しくもあった。
 前号の『スタタリング・ナウ』に谷川俊太郎さんが胸に沁みる一文を書かれたが、あの終わりは、伝達をあせる身動きを、表現のことばを自分の内に探るいとなみへとスライドしてみませんか、という促しだとわたしは受け取る。そのためには集中がいる。他人の目を気にする緊張ではなく。(「スタタリング・ナウ」1998年12月19日 NO.52)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/11/28

どもる人と舞台に立つ 3

 先日、紹介した新聞掲載から9日後が本舞台でした。練習風景と当日の様子を、ドキュメントで紹介しています。

どもる人のことばのレッスン
    〜公開レッスン&上演〜ドキュメント


 1998年11月7・8日、最初の合宿は、銀山寺。いつものように、からだをほぐし、歌を歌い、とレッスンは進んでいくが、どことなく違う。今日は、誰がどの芝居に出て、どの役をするかがはっきりと決まるからだ。
 朝日新聞の斎藤利江子記者が取材に来て下さった。今度の上演を写真入りで紹介してくれるという。レッスン風景を何枚も写真に撮っている。大きな笑い声が部屋いっぱいに広がり、斎藤さんもよく笑っていた。
 11月14日、銀山寺での練習風景が写真入りで大きな記事となり、新聞に載った。竹内敏晴さんが真ん中にいて、長尾政毅君や松本愛子さんが写っている。たくさんの問い合わせの電話がかなりの時間続く。
 11月21日、いよいよ3日間の集中レッスンが始まる。初日の会場は、應典院。今日からは、名古屋から土谷薫さんがお手伝いに来て下さった。本舞台を2日後に控えているが、みんなの表情はいつもと変わらない。人の演じるのを見て笑う。温かい拍手も多い。それぞれ自分の台本を持って、場面ごとに相手役と練習をする。会場のあちこちにちらばって、相手と向き合っている。いよいよだなと感じさせてくれる。
 11月22日。明日の本舞台の会場さくらホール。広い立派なホールにまず驚く。舞台が機械の作動で設営されると、「おっ」との声があちこちで漏れる。ここでするのかという思いでみんないっぱいなのだろう。心が弾んでいるのがよく分かる。みんななかなかレッスンに入れない。何やら興奮している。会場にあるものを使って竹内さんが芝居に使うものに見立てていく。演壇は、『木竜うるし』の木になった。机は、水色の布を貼って池の淵にしたり、白い紙を貼って『夕鶴』の雪になった。
 平野陽子さんの勤める中学校の文化祭で作った竜が運ばれる。広い会場に大きくて立派な竜が映える。「うん、こらまあ、ようできた」と思わず、芝居のせりふが浮かんでくる。ライトの細かい打ち合わせが進んでいく。土谷さんが手際よく指示して下さるのだが、みんな慣れていないので動きが悪い。でも、そのうちに慣れてきて、劇団員になった気分を味わった。芝居の種類によって色を変え、ビニールテープで大道具の場所を決めていく。控室の隅っこにスポットライトがみつかった。早速使ってみる。どんどん道具が増えていく。
 昼休み、竹内さんが相当疲れている様子。ちょっとと言って、舞台の上で寝てしまわれた。ひとつの芝居に出る私たちがこんなに疲れているのだから、全てを演出する竹内さんの疲労は相当のものだろう。
 公開レッスンの始まりをどうしようか。歌を歌おう。詩を読もう。9月の吃音ショートコースの特別ゲストの谷川俊太郎さんの『生きる』でいこうとなった。だったら、そのとき作った『どもる』も読もうとなった。即興詩だが、なかなかおもしろいと自分たちは思っている詩だ。
 夜、ホテルに戻って、プログラム作り。題目と出演者を書いていく。谷川俊太郎さんの詩も私たちが作った詩も入れる。アンケート用紙も必要だ。それぞれの出演者は今頃、家に帰って何を思っているだろうか。
 いよいよ23日。早目にさくらホールに行くと、峰平佳直さんがもうすでに来ていて、何やら一人でぶっぶつ言っている。せりふを覚えているらしい。みんな集まってくる。最初から最後まで通してやる時間はないが、途中までで代わって、本舞台と同じようにプログラムが進む。午前中はあっという間に過ぎた。
 いよいよだ。この異様な雰囲気。でも、嫌な気持ちではない。確かに緊張しているのだろうが、ワクワクしている。一緒に練習してきた24人とこの気持ちを味わえる喜びが大きい。
年報用 竹内写真 追加7  さくらホール2 開場の午後1時半。もうすでにお客さんが何人か来ている。開演15分前、舞台横の控えに座って開演を待っているみんなに「用意したプログラム、100枚、なくなったって。足りなくて、今、コピーに走ってもらったよ」と告げると、誰からとなく、拍手が起こった。この雰囲気だ。
 お客さんが続々入ってくる。かなり多めに用意したっもりのプログラムが早々になくなった。結局参加者は152名。出演者24名を含めると、176名。予想をはるかに越えた。
 午後2時、開演。会長の東野晃之さんの挨拶で始まる。
 竹内さんとの出会いから、上演に至るまでの経過、この日を迎えたそれぞれの思いを今、東野さんが皆を代表して参加者に語っている。お祝いのメッセージも届いた。そして、竹内さんの登場。私たちとの初めての出会いから、これまでの吃音とのかかわりなど、丁寧に話して下さる。声を出してみましょうと、いっの間にかレッスンが、参加者を交えて始まっている。ラララーという声が響き、お手手つないでという歌も始まった。参加者の皆さんも楽しそうだ。いいスタートが切れた。詩の朗読もした。そして、いよいよ、『木竜うるし』が始まった。見慣れているはずのいつもの顔と違う。主役になったみんなの顔は輝いていた。
 上演中のことは出演者の感想に譲ろう。ひとりで演じているのではないと確かに感じられた舞台だった。お互いがお互いに支え合い、みんなで作り上げた舞台だった。
 打ち上げは楽しかった。ひとりひとりの一言がそれぞれ満足感にあふれ、自信に満ちていた。ひとつのことを共にやり遂げた喜びが大きかった。
 ことばに表せないくらいの大きなものを得た。
 今、出演者は、それぞれにこの上演を振り返り、感想を綴っている。今回、ほんの一部しか紹介できないが、出演者24名全員の感想と、参加者のアンケートも全て盛り込んだ《公開レッスン&上演の記録》を文集の形でまとめたいと思っている。
 出演者の記念にと作るものだが、どもる人たちがどのような思いで劇に取り組み、どのような経験をしたか。興味持って下さる方には1部、500円(送料込み・切手可)でお分けしたいと考えている。1月には発行の予定。お申し込みいただければうれしいです。
(「スタタリング・ナウ」1998年12月19日 NO.52)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/11/27

どもる人と舞台に立つ 2

 11月23日の、どもる人のことばのレッスン〜公開レッスン&上演〜の本番に向けて、練習が始まりました。14日には、朝日新聞に、写真入りで大きな記事が掲載されました。まず、その、「吃音の人ら 舞台に挑戦」の記事を紹介します。記事によると、当時、竹内敏晴さんは73歳。今の僕より5歳も年下だったのかと、感慨深いものがあります。

吃音の人ら 舞台に挑戦 朝日新聞 1998.11.14

 大阪府内に住む吃音の人たちが二十三日、芝居を上演する。人前でうまく話せない経験を持つ人たちが練習を重ねている。難聴でしゃべれなかった経験を持つ演出家の竹内敏晴さん(73)が指導。当日は竹内さんの公開・体験レッスンもあり、初めての人も参加できる。
 演じるのは、大阪言友会(東野晃之会長)の会員や吃音の子を持つ母親ら約二十五人。同会と日本吃音臨床研究会(伊藤伸二代表)、言語障害の臨床家たちが企画した。
 初めての人たちには、声を出す楽しさを引き出す竹内さんのレッスンを体験してもらうのも目的だ。木下順二作の「夕鶴」を約四十分で上演。木下作の「木竜うるし」の一部分と「トム・ソーヤ」の一部分も披露する。
 参加者の半分は舞台での芝居は初めて。中高校生四人もそうだ。中学二年の松本愛子さん
(14)は夕鶴の子ども役などを演じる。ふだんは電話の「はい、もしもし」がなかなか出ない。「恥ずかしいし、緊張すると思うけど、(舞台では)ちゃんとしゃべりたいなと思う」と話す。
 「参加者には、学芸会でせりふが言えなかったり、国語の時間に教科書が読めなかったりした経験があるんです」と、伊藤さん(54)。竹内さんは練習で、声をスムーズに出しやすいよう、体の動かし方までアドバイスする。
 「自分がしゃべれなかったから、それに比べたらみんなよくしゃべれる人だよ」と竹内さん。難聴で、若いころはうまくしゃべれず、普通にしゃべれるようになったのは四十歳を過ぎてからだ。十年前から年に数回、「からだとことばのレッスン」をしに大阪に来ている。参加者の半分は五年前に札幌で、「夕鶴」を演じた経験を持つ。
 「『与ひょう』って最初の一声を出すのが本当に大変。せりふもぶつぶつ切れてね。詰まる瞬間、みんなも息を詰める。そのひとつの言葉を乗り越えていく様子が感動的だった」と竹内さんは言う。
 会場は大阪市都島区の市立総合医療センターさくらホール。午後二時から約三時間の予定。公開・体験レッスンの後、芝居を上演する。入場無料。問い合わせは伊藤さん(0720・20・8179)へ。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/11/23

どもる人と舞台に立つ

 11月13日の、香川での吃音のつどいについて紹介してきました。久しぶりに、成人のどもる人向けの話だったので、僕自身の体験を丁寧に話しました。僕の人生は、きれいに3つに分かれます。鬼は、小学2年生まで。どもっていても悩まず、困らず、明るく元気でした。挟は、小学2年生から21歳まで。吃音に悩み、話すことから逃げ、消極的に生きていました。郡は、21歳から現在。どもっていても豊かに幸せに生きています。どもるということは変わらないのに、なぜ、はっきりと分かれるか、そんなことから話を始めます。
 その中の挟、小学2年生の時の、吃音に悩み始めるきっかけとなった秋の学芸会でのできごとは鮮明です。僕に与えられたのは、3人で声をそろえて言う短いせりふでした。学芸会の大きな舞台で「どもったらかわいそう、どもらないようにしてあげよう」と、今でいう合理的配慮ともとれる担任の対応でした。この教員の配慮に僕は大きく傷つき、それまで意識しなかった吃音に強い劣等感をもつようになりました。学芸会が終わったころ、僕は、無気力でおどおどした、全くの別人になっていました。
 そこから僕と舞台・劇の因縁めいたつながりが始まるのです。その舞台・劇にひとつの区切りをつけたイベントが、今日、紹介する「どもる人のことばのレッスン〜公開レッスン&上演〜」です。1998年の11月23日、ちょうど今から24年前のできごとでした。そのときの舞台の感動は、今でも忘れることができません。
 特集号の巻頭言から紹介します。(「スタタリング・ナウ」1998年12月19日 NO.52)

ひとりひとりが主役
                日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二

 「さようならぁー亀」
 小学校の2年生の秋の学芸会。村人数人で声を揃えて言ったこのセリフは私の頭から離れない。学芸会はどもりに悩むきっかけになった私の原風景だ。あの当時、成績のいい順にセリフの多い役が決まっていた。どもってはいたが、成績がトップだった私は、ひそかに浦島太郎になるか亀になるか楽しみにしていた。しかし私に与えられたのは数人で声をそろえて言う、このセリフだけだった。
 「何故僕はセリフのある役を外されたのか?」どもることを初めて意識した。どもるのはいけない恥ずかしいことだと強い劣等感をもってしまった。
 学芸会の稽古が始まってから、学芸会の当日までの間に、私は明るく元気な子どもから、暗く、いじけた全く別人になっていた。いじけた私にからかいやいじめが始まった。「どもりのくせに偉そうに言うな!」。ケンカをすると必ずこのことばが浴びせられ、ますます自信を失っていった。発言しない、人前に立てない人間になっていった。私のどもりの旅はこうして始まったのだった。
 今年の夏は東京で、秋は名古屋で『ほらんばか』という芝居の、セリフの多い狂気の青年を演じた。6月からの竹内敏晴さんのきびしい稽古に導かれて、夏の終わりに舞台を終えた時、ことばに言い表せないほどの充実感が私を包んだ。これは、学芸会でセリフのある役を外されたことで悩み始めた、私のどもりの旅の一つの終わりを意味した。
 こうして私の旅はひとまず終わったが、この体験を私だけのものにしたくない。秋に予定されていた3日間の竹内さんのレッスンを、私と同じような体験をしてきたどもる人たちの「公開レッスン&上演」とできないか。竹内さんにお願いしたが、「うーん」と稔って良い返事をいただけなかった。1日半の稽古で舞台に立たせるのは、構成・演出の立場からは、当然なのだ。それでも、なんとか大阪のどもる仲間と舞台に立ちたかった。
 結局、お忙しい中、やりくりして本舞台の2週間前にも2日稽古日をとって下さり、どもる人が大勢の観客の前で舞台に立つことが実現した。
 稽古の途中で配役も変わり、新たな台本が渡され、配役が確定してからの3日間。24名の出演者は、竹内さんに魔法をかけられたように役に集中していく。会場の舞台構成、照明のテストを繰り返すうちに、みんなプロの劇団員になったようで、うきうきし、祭りの中心にいる華やかさと喜びがあふれていた。
 上演当日。予想をはるかに上回る入場者。高まる緊張の中で、ひとりひとりが輝いて、稽古のときよりも一段と声が、動きがはちきれる。みんな見事だった。観客も予想外の出来だったのだろう、興奮しながら「プロ顔負けの芝居だった」と何人もが言って下さった。たくさんのアンケートが回収され、その全てが温かい声にあふれていた。
 本舞台は、観客と一体となって歌を歌い、からだを動かし、あっと言う間に終わったが、感動は直後の打ち上げ会で最高潮となった。
 ひとりひとりが自分の体験を自分のことばで語り、その後に何人もがその人への感想を言う。それが実に細かい5日間の変化や舞台を見ているのに驚いた。私は、これまで竹内さんの公開レッスンの舞台を3度経験し、打ち上げ会も3度目だが、そのどれとも違う温かなものが流れていた。本来、公開レッスンはひとりひとりが主役で、ひとりひとりが自分の課題に取り組み、舞台で輝けば良い。誤解を恐れず極端に言ってしまえば、他人のことなどかまっていられないのだ。
 大阪での舞台は、ひとりひとりが、他の出演者のひとりひとりをみつめ、みんなが一緒に輝こうとしていた。良かったところ、まだ課題として残るところを遠慮なく出し合い、ドジをすると自分も笑われるのを覚悟で遠慮なく声を出して笑う。それが常にいい雰囲気を作っていた。
 ひとりひとりの動きをみんながよく見、その変化を我がことのように喜び、それを口にした。打ち上げ会でひとりひとりの他者へのコメントは、しっかりと見ていないと出せないものばかりだった。24名の仲間とのこの経験は、何物にも変え難い宝物となった。
 今回もまた、どもりで本当に良かったと思った。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/11/22

吃音ショートコース(講師:谷川俊太郎さん、竹内敏晴さん)に初めて参加された方の感想

 吃音ショートコースの報告を紹介しました。今日は、そのショートコースに参加された人の感想です。3人とも、初参加の人でした。

  
先輩との出会い・吃音ショートコースでの出会い
                           奥村咲恵
 今の私は、吃音について考えることはあっても悩むことは少なくなった。
 今年の2月から大阪市立総合医療センターの言語科に通院していること。3月から入部した演劇部で足の不自由な先輩と出会ったこと。そして、9月の吃音ショートコースの3日間が、私の考えを大きく変えてくれたからだ。
 私が「どもる」ことに直面したのはアルバイトを始めた高校3年生のときだ。それまでは本読みや発表のとき以外はそこまで不便さを感じることもなかったし、「大人になれば直る」と信じていた。
 しかし、アルバイトをしてから、「いらっしゃいませ」の「い」が出てこない、値段が言えない、一番困ったのが電話だった。言いたいときに、言いたいことばで、言いたい速さで言えない辛さ、家で泣いたことも何度もあった。
 「本当に大人になったら直るのか?」そう思うと、自分の将来が不安になった。今まで3つほどアルバイトをしてきたが、どれもことばの壁が大きく私の前をふさいでいた。「どもりがなかったら…」考えるのはそればかり。
 「よし、短大を卒業するまでにどもりを治そう!」と強い決心で行った病院。初めの何回かは泣いて話すことも多かった。1回目から完全に症状を消すことはできないことを知らされ、吃音についての知識を教えてもらった。そのことで、逆に気持ちが楽になった。
 同じ頃、演劇部に入部して、体に障害を持っている先輩との出会いも、私の吃音に対する考え方を変えるものになった。それまでは、「みんな当たり前のようにことばをスラスラ喋ることができるのに、なぜ私だけそれができないのか」との気持ちがあった。しかし逆に私は、当たり前のように手や足を動かすことができる。みんなと一緒に走って遊ぶことだってできる。当たり前のことが当たり前ではない人だっている。そのことに気がついた。
 目の見えない人や、耳の聞こえない人だっている。スラスラ喋ることができなくても、私の喋るのを真剣に聞いてくれる人がたくさんいる。そう思うと、私の悩みが小さなものになった。彼女とお互いの障害について話したことはないが、自分がしたいことに積極的で、体に障害があっても決してそのせいにはしない彼女の存在は、自然に私の考えを変えた。こういうこともあって、私なりに吃音を受け入れ始めていた。
 そんな時、大阪市立総合医療センターの先生から吃音ショートコースを紹介された。最初は、あまり乗り気ではなかったが、話を聞くうちに、今の私にとってこの時期に吃音ショートコースに参加することはきっと大切なことだと自分でも思うようになった。少し不安はあったが、楽しみながら駅についたが、桜井駅から大和路までのマイクロバスの中で、不安な気持ちでいっぱいになり、私は涙ぐんでいた。バスの中は自分より明らかに年齢が上の方ばかりだったからだ。20歳になったとはいってもまだまだ子どもで、大人の人達とうまくやっていけるのか、私はここに来るべきだったのかと思ったほどだ。ところが、大和路に着き、出会いの広場でゲームをしてからだんだん不安な気持ちも消え、いつしか硬直した顔も自然と普段の自分の表情になってきた。
 このように始まった私の吃音ショートコースも2泊3日を終え、電車の中、1日たった今でもショートコースのことが頭から離れない。私にとってこの時期の参加はとても意味のあることだった。
 新たな気づきがあった。「私は人に話をするのがあまりに下手だ」と痛感したことだ。今までは、初対面の人に対してどもらないで話そうと必死だったが、吃音ショートコースではどもったっていい。それなのに、私の伝えたいことの、10分の1も相手に伝わっていなかったのではないかと思う。吃音とは関係ない部分で、改めてそのことに気づくことができた。
 不安だった将来も、成人のどもる人を見ていると、明るい方が多く、なんとかなるだろうという気持ちにもなった。ぼんやりとした私の将来に少し明かりがみえた気がする。
 吃音ショートコースに参加して、「ことば」に興味をもつようになった。今まで苦手だった「ことば」と深く関わっていきたいと思う気持ちや多くの人と接していきたいと思うようにもなった。就職を考えたとき、一時はなるべく接客のない仕事と思っていたが、今はたくさんの人と出会う仕事がしたいと思う。吃音ショートコースは私を成長させてくれた。「行ってよかった」
 
これからの指導はもっと楽しくなりそう
                  中村泰子(静岡県・ことばの教室)
 私は、ことばの教室の担当となって9年目を迎えました。
 私は小学校高学年の頃から緊張するとうまく話せなくなるという悩みがありました。言語障害児教育のある大学に進学し、吃音について学びましたが、納得できるものがなかったこと、自分に自信が持てなかったことを理由に言語障害児教育から離れてしまいました。
 その後、結婚し子どもを育てていく中で、自信を取り戻してきた頃、再び言語障害児教育に携わることになりました。
 担当になって一番指導に悩んだのは、吃音指導でした。自分も同じ気持ちを抱えてきたのに、指導となると自信が持てませんでした。いろいろな本を参考にして取り組んでみるのですが、納得できるものはなかなかありませんでした。そして、個人指導に限界を感じていた頃、吃音児同士のグループ遊びを始めました。仲間に出会わせ、さまざまな活動に挑戦させていくという方法は、子どもにも担当にも大変楽しい時間でした。
 今、思えば、この方法が日本吃音臨床研究会や大阪吃音教室の人たちが大切にしている考え方なのだと納得できる気がします。しかし、当時は、子どもと吃音に向き合うことは十分できず、吃音を意識させることが悪化させることになるのではないかという不安がありました。でも、吃音を意識することはいずれ避けて通れないことだとも分かっていました。
 あるとき、高学年のどもる子どもを続けて教育相談することになりました。思い切って吃音のことを話してみると、子どもたちはどもるときの心境やどもりにまつわる悩みを話してくれました。自分でどもりを乗り越えていくためにはもっとどもりについて話さなくてはだめなんだと実感させられたできごとでした。
 それから日本吃音臨床研究会との出会いがあり、今まで手探りで続けてきた指導に少しずつ自信が持てるようになってきました。今回は、自分の吃音指導をさらに確信したいという思いで参加の参加でした。日本吃音臨床研究会の考え方、大阪吃音教室の皆さんの明るく前向きな姿勢に触れ、これまでの吃音を何とかしようという思いは穏やかに溶けていくような気がしました。吃音と格闘するのではなく、吃音を受け入れて、共に歩いていけばいいのだと素直に思うことができました。これからの指導はもっと楽しくなりそうな気がして、うれしくなりました。

 いじめられ体験と共通するもの
                     谷口あけみ(九州看護福祉大学助手)
 プログラムの中で一番心に残ったものは、《成人吃音者のための講座》でした。「吃音を公表するかどうか」について、いろいろな意見が出されましたが、私はそれを聞いていて質問しました。
 「自分は吃音ではないが、相手がどもっていたら『あれっ?』と思うかもしれないが、話の内容が伝われば問題ないと思う。どもっているかよりも相手が緊張しているかの方が対話する上で問題だと思う。しかし、『吃音を公表すれば精神的に楽になる』という意見がこれだけ出るのは、皆さん、吃音だと断らずに会話をすると、『あれっ?』程度ではない、拒否的な、嫌な反応が多いということでしょうか?」
 「実際は嫌な反応はそんなに多くないかも知れないが、過去にすごく嫌な思いをして、そこから抜けられず、相手のちょっとした表情やことばでも敏感に感じて傷ついてしまうのかもしれない」
 返されたこの意見を聞いたとき、自分の体験と重ねて、すごく分かった気がしました。私は小学校のとき、いじめにあい、小学校5年生の稚拙な頭で「どうやって自殺しようか」とまで考えました。偶然、転校できたので、救われましたが、しばらく人が怖くて、ビクビクしていました。自分がどうしたいのかよりも、相手がどう出るか、そのことで頭がいっぱいでした。幸い立ち直れたので、「あのときの体験があったから、いじめられることがどんなに辛いか、ひとりぼっちの辛さも分かり、『私は絶対にいじめる側にはならない』と言える。いい経験だったのかもしれない」と思えるが、この気持ちになれたのは10年以上後です。あの経験を再びしたいとは思わないし、わが子にはあの体験、ああいう気持ちは味わわせたくない。この感じは吃音の人の気持ちと似ている部分があるかな、と思いました。
 とても楽しく、3日間よく笑いました。私は大阪の友人はいないのでびっくりしました。大阪の人って、みんなあんなに楽しい人ばかりなら、今の夫ともし離婚したら、次の相手は是非大阪の人にしようと思います。
 学会に行くと、人の考えを聞いて、勉強になるが、とても疲れます。今度もそういうパターンを予測して参加しましたが、全然違いました。人の話を聞くことだけに終わらず、他の人の話に触発されて、私もいろんなことを考えました。頭を使いましたが、学会疲れのようではありません。皆さんにパワーをもらい、「よっしゃあ、私も明日からまた頑張るぞ!!」と勇気凛々で帰りました。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/11/21

香川 吃音のつどい 3

 いつのまにか、「香川 吃音のつどい」でお話してから、1週間が過ぎてしまいました。つどいの前日は、暑い日でしたが、当日は朝から雨。1週間後の昨日の土曜日もいい天気でしたが、今日の日曜日は雨でした。日ごとに、冬が近づいているのを感じます。

香川つどい 看板修正 香川県高松市の香川大学教育学部で開催された「香川 吃音のづとい」、久しぶりに、成人のどもる人を対象とした講演でした。参加者の中には、どもる子どもも、その保護者も、香川大学の学生もいました。主催の香川言友会が、これまでも、出前授業として、学生を対象に自分たちの体験を伝えてきたという実績があるようでした。
 香川言友会の事務局で、毎日新聞高松支局にお勤めの佐々木さんが、そのときの報告をされている記事が掲載されましたので、紹介します。
 合わせて、写真を紹介します。手作り感あふれるつどいの案内看板、講演後のグループでの話し合いの様子などです。
 終わってからの懇談会の話も、僕にとって、刺激があり、とても有意義でした。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/11/20
香川つどい 伸二とスライド香川つどい グループ香川集い伸二横顔

吃音当事者ら、高松でつどい /香川
毎日新聞 2022/11/17 地方版 有料記事 321文字
 どもって思うように話せない吃音(きつおん)者らが集まる「第4回香川吃音のつどい」(香川言友会(げんゆうかい)主催)が13日、高松市幸町1の香川大学教育学部であった。 日本吃音臨床研究会会長の伊藤伸二さんが「吃音と上手につき合う」をテーマに講演し、当事者やその家族ら約40人が参加した。

 吃音は言葉が出づらかったり、出なかったりする言語障害。100人に1人にあるとされ、連発(ぼぼぼくは)、伸発(ぼ――くは)、難発(……ぼくは)の症状がある。

 伊藤さんは講演で、「当事者は吃音のために劣等感を抱きがちだ」と指摘し、「症状を治すことは難しいが、自己否定の感情は変えられる。どもる自分を認め、自己肯定感を持って生きてほしい」と語った。【佐々木雅彦】

香川 吃音のつどい 2

 香川大学は、高松市の中心部に近い所にありました。その教育学部の講義室で、「香川 吃音のつどい」が開催されました。香川言友会の事務局をしている佐々木さんは、毎日新聞高松支局に勤めておられ、ご自身が吃音です。何度かメールでやりとりをし、僕の自宅まで来てくれて、最終的な打ち合わせをしました。
 当日の日曜日、朝からあいにくの雨模様でしたが、始まる頃には小雨になり、終わった頃には、青空も見えていました。
 会場の講義室は、なんだか懐かしい感じがしました。大学での講義を思い出しました。岡山からも、知っている人が4人も参加していました。毎年、岡山には行っていたのですが、コロナになってからは中止になっていたので、久しぶりに会いました。
 最近、僕は、ことばの教室担当者や言語聴覚士向けに話すことが多く、成人のどもる人向けに話をするのは、久しぶりでした。パワーポイントの資料は用意しましたが、できるだけそれに頼らず、一番伝えたいと思うことを話していきました。「吃音を否定しないでほしい」、これが、僕が一番言いたいことです。
 僕の話が約2時間と少し、その後は、5グループに分かれて、話を聞いた感想や質問を話し合う時間でした。グループごとに出された話題を発表してくださいました。そして、最後に、僕が質問を受けて話をしました。
 講演後、スタッフが残って、懇談会を持ちました。ここでも、たくさんの質問が出ました。午後1時から始まった会が終わり、会場を出たのは、午後7時少し前でした。しっかりと聞いてくださる聞き手の前で、自分の考えていることを話すことができること、幸せに思いました。
 たくさん用意したスライドのごく一部を紹介します。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/11/17

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高松市・香川大学で開催された「香川 吃音のつどい」での講演

 11月13日、香川大学で、「香川 吃音のつどい」が開催されました。香川言友会の主催で、僕は、「吃音と上手につき合う」とのタイトルで講演しました。最近は、ことばの教室担当者や言語聴覚士を対象とした講演・講義がほとんどで、成人のどもる人を対象に話すことはなくなっていました。なので、本当に久しぶりにどもる人向けに話をしました。
 10月20日に掲載されたつどいの案内記事と、つどい翌日の共同通信社の記事を、まず紹介します。写真は、共同通信社の記者が撮影したくれたものです。

来月13日に「吃音のつどい」 当事者や家族に参加呼びかけ 高松 /香川
毎日新聞 2022/10/20
 

 どもって思うように話せない吃音(きつおん)者や関係者らが集まる「第4回香川吃音のつどい」が11月13日午後1時から、高松市幸町1の香川大学教育学部611講義室(北6号館)である。日本吃音臨床研究会会長の伊藤伸二さんの講演の後、参加者らがグループトークで語り合う。主催は香川言友(げんゆう)会で、香川県教育委員会と同大学教育学部の後援。当事者や家族、支援者、関心のある人たちに参加を呼びかけている。

 吃音は、言葉の一部が出づらかったり、出なかったりする言語障害。100人に1人にあるとされる。連発(ぼぼぼくは)、伸発(ぼ――くは)、難発(……くは)の症状がある。からかわれ奇異な目で見られた体験から、話すことに消極的になり、社会に適応できなくなる人もいる。

 香川言友会は当事者の自助団体で会員約15人。例会を毎月1回開いているほか、香川大学などで吃音出前講座を行っている。「吃音のつどい」は、多くの人に吃音を知ってもらおうとこれまで3回開いている。

 今回のつどいは四国労働金庫社会貢献活動助成対象事業。講師の伊藤さんは大阪府在住の当事者。吃音と上手につき合うことを探り、言語訓練に換わる吃音臨床を提案している。参加申し込みは11月6日までに香川言友会事務局(080・8469・7815)かメール(genkagawa4@gmail.com)へ。参加無料。【佐々木雅彦】

「吃音を否定しないで」 臨床研究会会長、高松で講演
共同通信社 2022/11/13 18:27


伊藤さんの記事 (002)縮小 講演する日本吃音臨床研究会会長の伊藤伸二さん=13日午後、高松市c KYODONEWS 講演する日本吃音臨床研究会会長の伊藤伸二さん=13日午後、高松市
 思うようにスムーズに話せない「吃音」がある人の自助団体が13日、高松市で集会を開いた。
 日本吃音臨床研究会(大阪府寝屋川市)会長で自身も当事者の伊藤伸二さん(78)が講演し、「自分の吃音を否定しないで認めた上で、上手に付き合って生きてほしい」と呼びかけた。

 吃音があっても豊かに生きようと、当事者や家族らが参加し2020年4月に発足した香川言友会(香川県善通寺市)が主催。会場となった香川大の幸町キャンパスには約40人が集まった。

 日本吃音臨床研究会は伊藤さんが1994年に設立した。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/11/15

大阪吃音教室 昨日の講座は、東野会長の当事者研究

吃音教室 当事者研究 東野1 昨日の大阪吃音教室は、年に一度の当事者研究でした。昨日、登場したのは、大阪吃音教室の会長、東野晃之さんでした。事前に、A4の紙2枚の年表を送ってもらっていました。 東野さんは、中学1年生の春、どもり始めました。昨日まで普通にしゃべれていたのに、ある日突然しゃべれなくなる。思春期まっただ中に自分の身に起こったことは、容易には受け入れられないものだったようです。僕のように物心ついたころからどもっていて、普通にしゃべっていた時期がない人間は、戻るべき姿が想像できないのですが、東野さんの場合は、明確に想像できるから、いつか元に戻るという意識を捨てきれなかったようです。お父さんが病気で早く亡くなられ、母子家庭で育ったことは聞いていました。長男として、さまざまなプレッシャーも吃音に影響していたことでしょう。
 中学1年生でどもるようになって、大きな不安の中で、東野さんが大阪吃音教室を訪れたのは、高校2年生のときでした。NHKの全国青年の主張コンクールで最優秀賞をとったのがどもる人だったことで、そんな人もいるのだと思っていた頃に、新聞記事で集まりをみつけ、弟に頼んで代わりに電話してもらって問い合わせをし、初めて大阪吃音教室に参加しました。そのころ例会でしていたことは、発声練習とスピーチの練習でした。単調でおもしろくなく、だんだん参加しなくなります。それでも、つながりは切れることなく続き、「吃音者宣言」に出会い、1986年、京都で開かれた第1回世界大会に参加し、世界大会の翌年から大阪吃音教室が今のスタイルである、金曜日開催になったときに、会長になって、以後35年、ほぼ皆勤で参加しています。会長としての責任感からだけでは、なかなかできることではありません。東野さんは、継続してきたことについて、「おもしろかった。学ぶことが本当に楽しかった。刺激的だった」と言いました。
吃音教室 当事者研究 東野2 自分の人生を語る機会はそうあるものではありません。聞き手がいて、周りに同席する仲間がいる。そのような大阪吃音教室の当事者研究という場で、新たな視点で自分をみつめることができます。新しい意味づけをすることもできます。これまでの人生をじっくりと振り返ることは意味のあることだといえます。そして、参加してその場にいる人は、ひとりの人の人生を聞くことで、自分のことと重ね合わせ、自分の人生を振り返ります。 大阪吃音教室の中には、豊かな時間が流れました。
 僕も考えてみれば、57年間、ずっと継続して活動しています。やっぱり、僕も楽しいから続けているのだといえます。誰かのため、何かのためだけなら、続くものではありません。吃音という狭い入り口から入って進んでいくと、中には、広い深い世界が待っていた、そんな気がしています。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/11/12
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