東日本大震災の被災地と震災遺構を訪ねる旅 3 宮古市・たろう観光ホテル

 宮城県女川町から吃音親子サマーキャンプに来ていた、阿部莉菜さん関連の話は一応終えて、被災地と震災遺構を訪ねる旅の話に移ります。
 名古屋港から仙台港にフェリーで渡り、そこから車で北上して、僕たちは、岩手県宮古市のホテルに滞在しました。
たろう観光ホテル全景たろう観光ホテル 鉄骨 宮古市の伝承館として挙げられている中で、11年前、映像で見たことがある、たろう観光ホテルを選びました。ガイドさんに案内してもらって、「学ぶ防災」の宮古防潮堤と、津波遺構「たろう観光ホテル〜もの言わぬ語り部として〜」に行きました。
 一緒に回ったのは、僕たちと小学生の子ども2人を含めた4人家族でした。まず、防潮堤の上に立ちました。高い防潮堤です。でも、波は、この防潮堤を越えていったのです。次に、たろう観光ホテルに行きました。鉄骨がむき出しになっていますが、当時のまま残されていました。ホテルの中に入らせてもらい、社長が従業員を高台に避難させ、自分ひとりが残って、ホテルから録画した映像を、社長がいた部屋で見せてもらいました。
防潮堤 防潮堤は、そこに住む人々を津波から守ってくれるものと思っていましたが、映像を見ると、防潮堤が高いので、こちらに住んでいる人には、海が見えません。今、映像を見ている私たちには、防潮堤の向こうに大きな津波が迫っているのが見えます。「早く、逃げて!」と叫びたくなります。しかし、防潮堤のこちら側では、普通に車は走っているし、普段の生活そのままでした。消防車も走っていましたが、この後、走っていた消防車は、津波に巻き込まれたとのこでした。生々しい映像でした。震災直後、たくさんの映像が、テレビに流れましたが、そのとき見た映像とは違うものを感じました。時折、揺れる画面に、撮影している社長の恐怖も映し出されているようでした。ガイドさんも被災者のひとりでした。防潮堤のおかげで助かったと、彼は言っていました。「防潮堤は、津波が町を襲ってくるのを遅れさせてくれるし、和らげてくれる。しかし、それがあるから大丈夫という油断の気持ちを住人に与えることにもなってしまった。地震が起きたら、高いところへ避難するという基本的なことが大切なんです」と彼は話しました。
 その後、たろう庵という、たろう観光ホテルの社長が新しく高台に作ったホテルに行きました。応援したくなります。
浄土ヶ浜 近くの観光地、浄土ヶ浜にも行きました。それまで曇り空だったのですが、着いたとたんにきれいな青空が広がりました。浄土に似ているから、この名前がついたとのことでしたが、浄土とやらに行ったことがないので、どこが似ているのか分かりませんでした。
三陸鉄道 宮古駅に寄り、三陸鉄道を走る電車を見ました。今、全線開通しているとのことで、一両編成のこの電車にも乗ってみようと思いました。
 そのほか、宮古市市民交流センター防災プラザ、宮古震災メモリアルパーク中の浜に行きました。中の浜はキャンプ場だったところで、トイレや炊事場が遺構として残されていました。穏やかな湾で、キャンプ場としてたくさんの人が楽しんでいただろうなと想像できます。津波のすごさをいたるところで感じ取ることができました。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/09/14