伊藤伸二の吃音(どもり)相談室

「どもり」の語り部・伊藤伸二(日本吃音臨床研究会代表)が、吃音(どもり)について語ります。

ことば文学賞

ことば文学賞作品 1998年

 ことば文学賞は、大阪吃音教室が主催しています。応募できるのは、大阪吃音教室の会員と、「スタタリング・ナウ」の購読者です。どもる人は自分の吃音の体験を、どもる子どもの親は自分の子どもの吃音について思うことを、ことばの教室担当者や言語聴覚士は担当する子どものことを、書きます。吃音だけではなく、ことば、生き方など、幅広い内容で募集しています。 何を書いてもいいが基本ですが、ここ最近は基本テーマを決めて募集しています。昨年は「吃音と家族」、今年は「吃音でよかったこと」です。「吃音でよかったこと」なんて、僕たちらしいテーマだと思います。どもりは悪いもの、劣ったもの、恥ずかしいもの、隠すべきもの、という一般常識から外れたところに、僕たちはいます。吃音とともに豊かに生きることを目指しているのです。
 今日は、昨日の続きです。「スタタリング・ナウ」の購読者のことばの教室担当者が担当している子どもが書いてくれました。

   
優しい人
                    佐々木ゆき (中学2年生)
 私のクラスの子に、牛島さんというすごく優しい人がいます。みんなのことを考えていてくれて、正義感もあって、性格もとてもいい、理想の性格です。その子と親しくなって、一番印象深かった出来事は、去年のことでした。
 国語の時間、3学期の成績をつけるための本読みがありました。『うらしまたろう』の文の一部分を、出席番号順に読んでいくのです。5行もありました。そして寒くもないのに震えが全力疾走で駆け回り、止まりませんでした。周りの人にわかるくらい私の心臓は連続逆上がりをして回っていました。すらすら読んでいるみんなが、自分とはちがう世界の人みたいで、自分が箱に閉じ込められた小人のように遠くはかなく感じました。とにかく、一に練習、二に練習というので、みんなの読んでいるのに合わせ、自分も小声で何回も何回も眩いて読み回しました。
 男子が終わりました。読んで練習している場合じゃないとまで思い始めて、どうしようと、放心状態になりました。そしてまた、(はっ)と我に返って読まなければいけないことに気がつき、肩を小さくしながら読みました。どんどん順番が近づき、私の前の人が腰を下ろしました。
 ピーンと張りつめた中、私はゆっくりと立ち、いっぱい息を吸い、第一声の『そ』に願いをたくしました。「…っ」、ダメです。のどが押さえられるようで、気持ちが空回りして声となって出てきません。もう一回、気をとりなおしてがんばろうと自分をはげましました。
 「…っ。…っ。…っ」
 額と背中とお尻と、体中に汗が放出しまくって今すぐ光のようにこの場を過ぎ去りたいと思いました。けれどあきらめませんでした。何回もくり返し、やっと出たのが、「その山」という言葉でした。この調子でもっと言いたい、読み切りたいと思ってまた何回もチャレンジしましたが、それっきり出なく、国語の先生に、「もういいよ」と同情され、重い腰をいすにゆっくり置きました。
 私はうまくしゃべれないからといって同情されるのは一番キライです。なのに、とうとう同情されてしまいました。私は終わったという気のゆるみと、自分が言えなかったということへのくやしさと、同情されてしまった悲しさで、鼻水と涙が止まりませんでした。タオルが水にひたしたようにぐちゃぐちゃになりました。こんなふうになっている自分がとてもいやになりました。
 長かった国語の時間が終わり、何時間がたった頃、牛島さんが私の所に寄って来てこんなことを言いました。
 「ゆきちゃんはしゃべるのがちょっと苦手なの?」
 私は、(ああ。またやっぱり言われた)と思いました。なぜかは、私が何かでしゃべれなくなったときは、いっつもこんなふうに『なんでしゃべれなくなるの?』と、聞かれるのです。そんなのは、私さえも知らないのに答えられません。
 私は一応、「あー、うん」と言っておきました。そうしたら、「そっか。けどそれもゆきちゃんの個性だよ」と言われました。私はそれを聞き、びっくりしました。今までそんなこと、言われてもなく、考えたこともありませんでした。そして心臓からピンク色の何かが出てくるような感じがしました。すごくうれしくてたまらなくなりました。
 牛島さんは、私がつまってしまうということを、同情や偏見じゃなく、個性として見てくれたのです。この言葉を聞いて、私は少し自分に、自信を持ちました。今まではやっぱり、自分に引け目を感じ、自分で同情されるのがいやだと思い続けているのに、いつの間にか自分が自分を同情していることに、やっと気がっきました。
 牛島さんはそれを気づかせてくれた、やっぱり理想の人です。私はあんなやわらかくてピンク色のあたたかい心を持っている牛島さんはすばらしいと思っています。つまるしゃべり方は個性、そう思えば今まで何を求め、悩んできたんだろうと思いました。

【高橋徹さんのコメント】
 「優しい人」もいい作品です。国語の時間の、順番に回ってくる本読みの不安と失敗した現実、そして友だちのやさしいことばに自信を回復していったお話でした。易しい文章できちっと書かれていました。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/09/26

ことば文学賞作品 1998年

 昨日に続き、「スタタリング・ナウ」(1998.8.15 NO.48)で掲載していることば文学賞受賞作品を紹介します。選者の高橋徹さんのコメントつきです。大阪吃音教室のミーティングは、昔は、ここで書かれているアピオ大阪で開いていました。その後、應典院に移り、そして今は、アネックスパル法円坂になっています。毎週金曜日、同じ時間に同じ場所で会い続ける、これがセルフヘルプグループのミーティングです。 

   
うまいもんはうまい
                                 曽我部政信
 私は毎週金曜日アピオ大阪に行く。大阪吃音教室に参加するためだ。昼3時すぎに明石近くのアパートを出るのだが、阪神高速はいつも渋滞していて2時間くらいかかる。着くとだいたい5時を少し回っている。例会は6時45分からだ。例会が始まるまでは、ほとんど車の中で来るときに買った缶コーヒーを飲みながら読書をして時間をつぶす。
 当然そのうち腹が減ってくる。近くに食べ物屋がたくさんあるが車椅子なので店の出入口に段差があったり、店内が狭かったりして店に迷惑がられるのが面倒くさいのでアピオ大阪内のレストランに入る。
 表の陳列ケースを覗くと、私の好きな焼肉定食があるのでこれを食おうと決めて店内に入る。
 ウエイトレスに何にしましょうか、と聞かれる。私は焼肉定食と言おうとするのだが、(ヤ)の音が苦手だ。独り言ではすらすらヤキニク、ヤキニクと出るが相手がいるとやはり100%(ヤ)の音がでてこない。
 あわててメニューを探すがメニューも置いていない。いつも言いにくい言葉の物を注文するときはメニューを指で示しこれと注文する。メニューも置いていないとはサービスの悪い店だ。
大阪吃音教室が例会で利用している会館なのだから、メニューぐらい置いておけ、とウエイトレスを心の中で叱る。考えるふりをしながらエート、エートと何度も言ってみるがやはり(ヤ)が出てきそうにない。
 しかたなくあまり食べたくないが、自分にとって言いやすい言葉で海老フライ定食と言ってしまう。待っている間となりの人が焼肉定食を食べているのを見ると本当にうまそうに見えてくる。海老フライ定食を食べるときも、食べた後も本当は焼肉定食が食べたかったのに(ヤ)の音が出てこなかった自分が情けなくなり自己嫌悪に陥ってしまう。ということを何週も繰り返した。
 しかし今日は違う。無性に焼肉定食が食いたい。それもメニューがあるいつも自分が利用している店ではなく、夢に出てきた憎らしいアピオ大阪の焼肉定食が。
 前に東京のテレビ局のバラエティ番組の中で、食べ物をどれだけ言葉を崩して注文し相手に通じるかということをやっていた。たしかアイスコーヒーを関西ではレーコと言うがレーコ、アーコ、ウーコ、ウンコとか注文していき、結構言葉をあやふやにしても相手に通じていた。
 その時はただおもしろくてへらへら笑っただけだった。今回は自分が同じことをすることになった。ただレーコとウンコは似ているけど、焼肉とウンコでは言葉が似てない。ヤキニクに似た発音で言いやすい言葉を探すが出てこない。そこで最初(ヤ)が出ないのだから(ヤあキいニいクう)の(ヤ)をとばして(あきにく)で注文してみよう。そう思いレストランに入りウエイトレスに少し早口で(あきにく定食)と注文する。何のことはない簡単に通じてしまった。
 こんなことならもっと前から実践してみればよかった。そして夢にまでみたアピオ大阪の焼肉定食を食べることができた。隣の人が食べているのを見ているときはすごくボリュームがあっていい肉を使っているように見えたが、自分のテーブルにくると何のことはないただの安いバラ肉だった。
 しかし、焼肉は大好きだし、これは焼肉定食ではなく私だけのスペシャルメニュー(あきにく定食)なのである。大変満足している。これで毎週アピオ大阪の焼肉定食が食えるようになったので、吃音教室に参加する楽しみがまた増えた。

【高橋徹さんのコメント】
 「うまいもんはうまい」は、実になんでもない小品です。自分の問題だけにしぼって格闘する姿、知恵を働かせる姿が書かれています。ことばの最初の音だけを省略しても通じるということは、他の作品にも書かれているように、珍しいことではありませんが、この文章全体が易しいことばで詳細に書かれていました。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/09/25

ことば文学賞作品 1998年

 「スタタリング・ナウ」(1998.8.15 NO.48)で掲載していることば文学賞受賞作品を紹介します。選者の高橋徹さんのコメントつきです。

   
ことばよ
                          西村芳和
ことば ことば ことば
もし呪うことができるなら
僕はことばを呪いたい
映画『八ツ墓村』のように
頭にロウソクを突き刺し
桜並木を疾走して
ことばを
次から次へと
叩き斬ってしまいたい
尽きることなく押し寄せることばを
そして最後に
ことばの神を引っつかまえて
5寸釘で打ち付けてやりたい

その時ことばは
やっぱり断末魔の叫びを
ことばを使って発するのだろうか
そうだとすれば
僕はその断末魔の叫びのことばを
また生け捕りにして
またまた5寸釘で打ち付け
その断末魔の叫びのことばの
そのまた叫びのことばを
生け捕りにしなければならない
つまり終わりがない
もしかするとことばは
こうして何度も滅ぼされそうになりながら
生き続け繁殖し続けているのかもしれない

それにしてもことばよ
たまにはことばを使わず
その姿を顕してみせろ

そして
僕と勝負しろ

ことばよ
僕の前に現れ出るのがコワイのか
コワクないなら今すぐ出て来い

ことばよ
勝負だ

【高橋徹さんのコメント】
 「ことばよ」は、まずその発想、展開の仕方、ことばの使い方、構成、どれをとっても吃音者の問題を扱う詩としては出色の出来栄えでした。想像するに、どもりの問題をもっている方々は、それぞれことばに対してえも言えない気持ちを抱えていることでしょう。人間が音として発するだけのことばを、作者はポエジーという、詩的な考え方の中で、まるで不思議な独立して存在するものであるかのごとくイメージした。大層力強いものを感じました。ことばとの闘争心をもつ人、どもる人でないと、またときにはことばへの激しい憎しみがないと、こんな表現はできないと思いました。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/09/24

吃音の体験の宝庫〜ことば文学賞〜

 昨日の巻頭言に続き、第1回ことば文学賞の選考をお願いした高橋徹さんの「ことば文学賞選考にあたって」の文章を紹介します。高橋さんが選んでくださった作品は、順次紹介していきます。これまで集まった作品はたくさんあります。ことば文学賞応募作品だけでなく、僕たちは、これまで自分の体験を書いてきました。これらの体験は、書いた本人にとっては、自分の体験の整理になり、後に続く人たちには、今後の生きるヒントとなるでしょう。まさに、体験の宝庫なのです。

 選考は、朝日新聞・学芸部の記者として文芸欄を長年担当してこられ、現在は朝日カルチャーセンターで講師をしておられる、詩人の高橋徹さんにお願いしました。大阪吃音教室で開いている「文章教室」の講師を長年してくださっている方でもあります。
 高橋徹さんは、選考委員を快く引き受けてくださり、表彰式を兼ねた「文章教室」で、11編の応募作全ての講評と、受賞のいきさつの話をしてくださいました。

    
ことば文学賞選考にあたって
                高橋徹(詩人・朝日カルチャーセンター講師)

 「ことば文学賞を創設しました。11編、文章や詩が集まっているから、審査をして欲しい」
 こういう依頼を受けました。大役と言えば大役です。
 でも、皆様方の作品についてはもう5、6年になりますか、ずっと拝見しているものですから、たぶんお役に立つことができるであろうと思いました。
 私の場合は、発音することはまあ支障なくできていると自分で思っているのですが、ともあれ、ことばを文字にし、あるいは作品にして、それがいつのまにか自分の生業(なりわい)のごときものになった。それは単に生業ではなくて、自分の生き方を貫いているひとつの道として文章というもの、あるいは詩というものがあります。
 したがって、「ことば文学賞」という賞をお作りになったとお聞きしたとき、なんだか頭にパッと灯がともって、ちかちかとその灯がまたたいて、「ああ、喜んで引き受けますよ」と、たぶんお答えしたと思います。
 やはり、ことばを自分の生きる一番大事なものとしている者にとりましては、ことばに関わる場を持つことは大層幸せだと思っていますから、お引き受けしました。
 そうして、作品が送られてきて、早速開きました。あっと驚きましたのは、筆者の名前がないんです。「あれあれ?」と思うと同時に「ああ、なるほど」と思いました。たぶん、大阪吃音教室当局としては、「高橋という男はこちらで比較的よく、お話をしたり、皆さん方と若干の交流を持ったりしている、したがって作者の名前があれば、あるいは高橋はその名前にほだされたりしたらいかんな」と、恐らくそういう配慮で名前が伏せてあったと思います。私は私で、そのことは「良かった」と思っています。
 まさか、もうこんな年になって、そんなに人様の友情や感情を大事にして、その本質を踏み外すようなことはまずないと思っています。ないとは思っていますが、私も人間ですからあるいは、名前があったら、ひかれるかもわかりません。そういう私の配慮を一切させないようにして下さった当局に対して、私はむしろ感謝をしたい。感謝すると同時に、これは非常に深い配慮のもとにこの賞の設定が行われ、かつ、私に審査員を頼まれたということを、改めて感じたわけです。
 同時に、名前があることによって、非常にその人を意識するあまり、その人の作品が大層いいのに、「ああ、この人の作品がいいと思っているのは、僕がこの人に対して個人的にひかれているから、作品そのものはそうでもないのに、大層いいように錯覚しているのではないだろうか」という、そんな逆の奇妙な差別をすることにもなりかねないわけです。したがって、いずれにせよ名前がなかったことは、選者にとってはありがたいことであったと、改めて思いました。
 そんな風にして、冷静に作品11編を読ませていただきました。ただし、私は文章作品に対して優劣をつけるという考え方には、もともと疑問を持っています。俗にいう「うまい、へた」という言い方は許されないし、そういうことをすべきではない、と思っています。よく言うことですが、その人らしさが、その人らしいことばで書かれている。しかも一読して明快である。いや一読明快でなくても、その人が言わんとすることが読む者の胸にちゃんと伝わってくる。それはすなわち名文であると私は思っています。
 でも、こうして賞が設定され、応募された。そして、入賞するか、しないかは、応募されたときに自ら割り切っておられると考えれば、それはそれでまたいいわけです。したがって今回、一所懸命読ませていただきました。そして私は基準として、無意識のうちにこう考えていました。それは、当然ながら、どもりと自分、あるいはことばと自分。自分はそれにどう関わってきたのか、あるいはどのように苦しんできたのか、どうつきあってきたのか、まずそこのところが書かれていないと問題外である。おそらく、そのことはどなたもお書きになっているであろう。そして、そのことが自分にとって一体どういうことであるのか、生きてきたその歳月の中でどういう意味があったのだろうか、という点についても筆が及んでいれば、それは最高の出来であろうと考えました。   「スタタリング・ナウ」(1998.8.15 NO.48)

    
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/09/23




 

文章を書くことのすすめ〜ことば文学賞のはじまり

 いつまでこの厳しい暑さが続くのだろうかと思っていましたが、一気に秋になったようで、朝晩は肌寒いくらいです。「吃音の夏」と僕たちが呼ぶ夏の大きなイベントを、今年は3年ぶりに開催しました。7月末、千葉市での「親・教師・言語聴覚士のための吃音講習会」、8月、滋賀県彦根市荒神山での「吃音親子サマーキャンプ」、新型コロナウイルスが感染拡大していた時期で、どちらも開催をギリギリまで迷いましたが、参加希望者とスタッフの覚悟と熱意に背中を押され、開催しました。
 終わった今、開催できて本当によかったと思っています。その報告をしていたので、これまでの「スタタリング・ナウ」を紹介することがストップしていました。今日から、元に戻ります。今日は、「スタタリング・ナウ」(1998.8.15 NO.48)の巻頭言を紹介します。
 この、ことば文学賞は、今年で25回目となりました。原稿募集はすでに締め切られていて、2022年10月8・9日、大阪で開催する、新・吃音ショートコースの場で、受賞発表の予定です。長く続いているこの取り組みの意義について書いています。
 僕は、今回紹介する、「ふだん記運動」の橋本義夫さんの物語が大好きで、書くことを人に勧めるときにはいつも紹介しています。

   
ことば文学賞
                日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二

 自分史を書くことがブームになって久しい。そのブームよりもかなり前の1957年頃。「ふだん記」運動として自分史を書くことをすすめていた人がいた。橋本義夫さんは、ご自身を重い吃音だといい、50歳から文章を書き始めた。

 『私は少年後期から、ひどいドモリになった。壮年期まで続き、自由にしゃべれたのは幼少時代と晩年だけであった。もしも人生の盛りにこの障害がなかったら、全く違った方向を歩み、「みんなの文章」などすすめなかったであろう。肝心な時に言語が鎖につながれ、その間にした仕事は、どれもみな捕囚の仕事だった。言語の自由がなかったが、せめて文章の自由でもと、指導者もなく、「50からの独学」に入った。
 言語障害の身になると、普通にしゃべれることは、どのくらいありがたいことかが分かる。文章もそうである。名文、美文そんなものどうでもよい。そんなもの一般人には書けない相談である。普通の生活に必要な言葉のように、当たり前のことを何でも記録できるという、そのことがもっとも大切であり、もっともありがたいことである』
   『だれもが書ける文章―自分史のすすめ―』橋本義夫 講談社現代新書 522

 橋本さんはかつて、文章というものは、名文、美文を標準にして書かなければならないと思いこんでいたために、劣等感、恥ずかしさなどが先立ち、書く気も起こらず、またとても書けるはずがないとあきらめ、メモ以外書かなかったと言う。
 「もう長く生きるわけではない。必要なことは書かなければ消えてしまう」
 50歳になり、ふとこう気づき、恥をかくつもりで書きはじめた。重い吃音のために、人とは交わらず、ひとりでこつこつと書く生活が続いた。
 毎日毎日書き続けた。人の喜びや悲しみのときにはつとめて書き、その当事者に贈った。さらに、自分の書くことで得た経験を周りの人に話すようにもなった。
 「不幸、失敗、困難、自責のことを書けば、誰も嘲るものはいない。自分の思うこと感じることをそのまま、自分の方法で書けばよい。私でさえも文章が書ける。書き始めたら繰り返せば誰でも書ける」
 橋本さんは、誰もが書ける文章作法を提唱し、日本全国に「みんなの文章」運動を巻き起こした。
 この運動によって、孤独な生活が一変した。「ふだん記」グループが全国に炎のように広がったのだった。70歳をすぎて、全国を駆け回り話す姿は、吃音のために、ことばが鎖につながれた人間の、最後の戦いであったのだろう。
 この呼びかけに応じて、私たちが自分史を書き始めて15年。大阪吃音教室では、年に数回、「文章教室」を開いて書くことに取り組んできた。
 自分を表現するひとつの手段として、書く習慣を持ちたかった。さらには、後に続く人のためにも書かなくてはならないと思った。
 この度私たちが、『ことば文学賞』を創設したのは、自分史を書こうと取り組み始めたときの熱気をもう一度取り戻したかったからだ。また、どもる人、どもらない人の別なく、幅広い多くの人々と、書くことを通して、吃音やことばについて考えたいと願ったからだ。
 私たちどもる人間は、ことばに苦しんできたと言いながら、ことばを大切にし、ことばについて深く考えてきたかと言えば、こころもとない。
 どもりに悩んだ私たち、人一倍ことばと格闘してきた私たちは、ことばについてもっと関心をもち、それを文章にしていきたいと改めて思う。
 橋本義夫さんの「ふだん記」運動に代わって、私たちの「ことばの文学賞」が発展していくことが、同じ吃音仲間である、橋本さんの遺志を継ぐことになるのだろう。(「スタタリング・ナウ」1998.8.15 NO.48)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/09/22
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