伊藤伸二の吃音(どもり)相談室

「どもり」の語り部・伊藤伸二(日本吃音臨床研究会代表)が、吃音(どもり)について語ります。

2023年11月

ことばの教室担当者から見た、吃音親子サマーキャンプという場

 毎月発行しているニュースレター「スタタリング・ナウ」の10月号と11月号は、今夏の吃音親子サマーキャンプを特集しました。10月号は、参加者として、そして卒業後はスタッフとして、参加を続けている森田さんが、サマーキャンプ全体を報告し、11月号は参加した人たちの感想を特集しました。
 サマーキャンプには、どもる子ども、その保護者やきょうだい、どもる大人、ことばの教室担当者や言語聴覚士、そして、吃音と何の関係もないけれど、ことばや声、生きることや表現することに関心のある人など、さまざまな人が対等の立場で参加しています。仕事としてどもる子どもと出会っていることばの教室担当者の目から見たサマーキャンプを、「スタタリング・ナウ」2002.10.20 NO.98 で掲載しています。紹介します。

サマキャンへ行こう!
  第13回吃音親子サマーキャンプに参加して

             神戸市立稗田小学校きこえとことばの教室 桑田省吾

はじめに―目からウロコ―
 「よかった。見方や考え方が変わった」
 参加した子どもや保護者から、多くの感想が寄せられるサマーキャンプだが、これまでこのサマキャンに遭遇して最も目のウロコを落としたのは、ことばの教室の教員や病院等のスピーチセラピストではないか。
 「当然行く、それが一番の楽しみだから」と、私も今年で2度目のキャンプに参加した。
 私はことばの教室担当の教員。ことばの教室には、どもる子とその保護者が教室に通ってくる。毎日遅くまで個別での指導やお母さん方との話し合いに明け暮れ、保護者の心配が早く無くなって欲しいと願っている。子どもたちには、「今日は調子いいやん。その調子で学校でもがんばって」とか、「どもる自分を受け入れて、自分を好きになるんやで」、などと言いながら、帰した後、これでいいんだろうかとも思ったりしている。
 私たちも、ことばの教室に通級する子どもの療育キャンプは毎年行うが、あるとき、今後のキャンプのありかたについて話し合っていると、「まずは吃音親子サマーキャンプに行ってみなきゃね」と何人かに言われた。「たった3日のキャンプに一体何があるんかいな」と、半信半疑だった。そこで何を教えてもらえるのか。どんなしくみで、どんなメニューなのか。子どものどんなためになるのか。などと頭でっかちで考えていた。キャンプを経験した今、迷うような思いは吹っ飛び、日頃のことばの教室での指導観も大きく変わった。まだ2度しか参加していない私が、その意義やしくみを解釈するのはまだまだおこがましいが、サマキャンの経験をレポートすることで、なんで"教員(私)の目からウロコが"かを察していただけたらと思う。

いざ彦根の荒神山へ
 翌日から新学期が始まるという日程の悪さに、昨年よりは大幅に参加者が減ると思いきや、はるばる沖縄からの4人家族含め140名ほどの参加があった。
 私は、前日から興奮して眠れず、行く道中も1年前のことを思い出しながら気持ちはどんどんキャンプに向かって深まっていった。ふと空海さんがなぜ人里離れた高野山にみんなを集わせたのか、分かる気がした。行き帰りの道中もまた思いふくらむ大切な時間だ。
 期待や不安を胸に河瀬駅に集合する。昨年は初参加だったので、トレードマークの黄色い旗を探す側で、迎えてもらう温かさに驚いた。今年は旗を持って迎える側になった。次々に到着し、あいさっをして下さる参加者の温かさに、これまた驚かされた。1年振りの顔と顔を見合わせ、歓声や歓談が巻き起こり、初参加の人もそのうれしそうな様子に引き込まれていく。
 最初、伊藤伸二さんから単純明快なキャンプの趣旨説明が行われた。(伊藤さんが参加者全体にキャンプの説明をするのはこの場面だけだったように思う)
◎したくないことはしない。
◎世話する側もされる側もない。
 この2点だけで、あとはご自由に。「そうか、キャンプってホントはそうだったんだ」。何かストンと腑に落ちるものがあった。さあ、今年も楽しむぞ。
 出会いの広場。いくつかの質問に、答えの同じ者が集まる。「アンタもそうだったのか」の連帯感。そしてミニ運動会。各チームの選手代表が、特設ステージへ。みんなの応援の中で全力を尽くして持てる技を競い合う。といっても砲丸投げならぬ、風船飛ばしとかなんだが。進行役のことばの教室の教員松本進さんも、身障センターの言語聴覚士伊藤照良さんも、どもりながらの司会進行だ。どもるそのこと自体を楽しんでいるような雰囲気がみんなに伝わり、身も心もすっかりリラックスで、みんなとてもいい笑顔になってくる。
夕食は自由席。いくつもの輪が自然にでき、最初の食事から盛り上がる。食後のフリータイムは、おしゃべり、ゲーム、のんびりごろごろと、さまざま。ふと近くにいる人と自然におしゃべりが。もう、荒神山とそこに集う人達全体がサマキャンの色に染まっている。(「スタタリング・ナウ」2002.10.20 NO.98)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/11/30

変わる力

 しばらくブログをお休みしました。体調を崩したわけではなく、目の前の仕事が多くて、気がついたら、1週間経っていたという感じです。そしてもうひとつ、気がついたら、11月ももう終わりです。クリスマスソングが流れ、おせちの予約のお知らせが出て、時間の経つのが早すぎると実感しています。
 今日は、「スタタリング・ナウ」2002.10.20 NO.98 の巻頭言を紹介します。20年も前に書いたものですが、改めて読み返してみて、今とその思いは変わらないなあと思います。どもる子ども、どもる人、人のもつ変わる力を信じて、それを支え、促していくことを続けていきたいです。ここに登場する井田君、藤堂君、いい青年になり、自分の人生をしっかり歩いています。
 では、巻頭言の「変わる力」です。

   
変わる力
               日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二


 「吃音は変化し、その人自身も変わる」
 吃音には、波現象があり、自然治癒もある。吃音が軽くなったり、治ったかのような状態になるのは、言語訓練によって起こるよりも、その人に内在する変わる力によるものだと私は信じている。
 吃音を悪いものとして、吃音を隠し、どもることから逃げていた時には変化がなかったが、21歳のとき、初恋の人と出会い、人間関係を閉ざしていた堅い扉が開いてから私は変わっていった。どもる事実を認めると、まず、気持ちに変化が起こり、どもっていてもあまり悩まなくなった。そして、気がついたら、吃音も変わっていた。このプロセスは、私に限ったことではなく、吃音治療を目指さない、私たちのセルフヘルプグループに集う人たちに共通する体験だと言える。
 8月中旬の『臨床家のための吃音講習会』で私は、Z軸について講義をした。その時、このプロセスは、誤解を恐れずに言うと『自然治癒力』のなせることで、それを促すのがZ軸へのアプローチだと説明した。
 幼児期の吃音の自然治癒はよく知られているが、学童期以降も、軽くなったり、治ったかのような状態になるのは、自然治癒と考えていい。言語訓練を受けずとも、吃音を否定的にとらえずに、日常生活を誠実に生きれば、そしてそれが充実し楽しいものであれば、自然治癒力は働く。その人のもっている内在する力で、吃音そのものも、考え方も変わっていく。それはすでに、セルフヘルプグループや吃音親子サマーキャンプで実証済みだが、『臨床家のための吃音講習会』の1週間後の吃音親子サマーキャンプで、あまりにもそれを裏付ける、象徴的な子どもたちに出会った。
 私は吃音についての話し合いでは、小学校4年生8人のグループ(男女各4人ずっ、初参加と複数参加が各4人ずつ)を担当した。「どもることは悪いことなのか」「なぜ急にどもり始めたのか」「どもりは病気か、くせか」と、子どもたちは、日頃疑問に思っていることをテーマに話し合っていく。その話し合いは実に興味深かったが、その中心に井田君がいた。
 小学2年のとき初めてキャンプに参加したときの彼は、緊張ぎみで、よくどもっていた。特に劇のセリフの練習では、跳びはねるようにしてやっと声が出るほどに、目立つ吃音であった。本人も「2年の頃はすごくどもっていたで」と言う。その彼が、2年振りの参加で、「ぼくな、どもり、治ってん」と言うほどに変わっていた。「優太、2年のとき、跳びはねるようにしてどもっていたん覚えてるか。何で治ったと思うの」と聞いてみた。「そうやなあ。友だちができたことかなあ」と、彼は、自分の吃音が軽くなった事を分析した。
 母親に聞いてみると、こんな説明をした。
 「ひどくどもっていた2年の時は、いじめやからかいがあり、学校は緊張状態にあった。それが、学級が彼の吃音を認め、クラスの子どもたちがどもっても聞いてくれるようになって、早く言えとか、なんでそんな話し方やと言わなくなった。また、言い返す力もついてきた。吃音が治ったわけではないが、確かにどもることは少なくなった。少しどもってもほとんど気にしないでよくしゃべる。学校生活以外でも水泳や、習字など自分がしたい習い事に一生懸命になり、それぞれが自分の居場所になり、楽しい、充実した生活を送っているので、忙しくて、吃音を気にする暇がなくなったのではないか。それでもキャンプは是非行きたいと言う」
 彼の変化は、ことばの教室や病院で言語訓練を受けたからではない。ただ、どもることを受け入れてくれる人たちとの日常生活が、楽しく充実していたからだ。
 一方、吃音そのものに変化はなくても、気持ちが大きく変化し、吃音が問題にならなくなった子がいる。
 藤堂君は、吃音を治すためにと、小学2年生から、大きな総合病院の精神科に週に2回のペースで通い始める。小学4年生になっても吃音症状に変化がないので、担当の医師は精神安定剤の服用をすすめた。親は、薬を常用することへの不安や恐れから私のところに相談に訪れた。そして、薬を飲むことも、病院への通院もやめ、大人に交じって、私たちの大阪吃音教室に参加し始めた。「どもってもいい」とのメッセージをいっぱいに受け、どもりながらも、ぐんぐん元気になっていった彼は、キャンプの作文でこう書いた。
 「どもっているから発表できない、意見が言えないと思っていたが、どもりを隠そうとしていた自分のせいだったのだ。早くなおれ、という気持ちが、別にいいじゃないかという気持ちに変わりました」
 小学6年生のこの洞察力はまぶしい。子どもたちは、それぞれ、これほどまでに変わる力をもっている。この力は、子どもが本来もっている力なのだ。どもる事実を認め、人が人とふれあい、じかに関わっていくことが変わる力を育てる。私たち大人にできることは、少なくとも子どもの変わる力の足を引っ張るのではなく、子どもたちの変わる力を支え、促すことだと思う。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/11/29

子どもへの支援 子どもの苦戦を支援する 4 石隈利紀さんの講演より  

 石隈利紀さんの講演を紹介してきました。とりあえず、今回で、講演の前半が終了です。「スタタリング・ナウ」では、講演の前半を紹介していました。2001年の講演ですが、あらためて読み返すことができてとても勉強になりました。ここ10年ほどで急速に関心が広がった、レジリエンスやポジティブ心理学と共通することが多く、今取り組んでいることの整理に役に立っています。
 後半部分については、また後日紹介できればと考えています。人はひとりひとり違う、このことを改めて思います。そして、子どもも私たちも、幸せになるような支援のあり方を考えていきたいものです。

  
子どもの苦戦を支援する
              筑波大学心理学系教授 石隈利紀


子どもの個性を大切に

 子どもの苦戦をサポートする上で、大切にするのが、一人ひとりの子どもの個性と私たち援助する大人の個性です。まず子どもの個性についてお話します。

(1)個性とは美しいデコボコ
 個性と言うと何かカッコよすぎますけれど、他の言葉で言えば「個人差」です。背の高い人もいるし、低い人もいる。スポーツが上手な人も、苦手な人もいる。人と話すのが好きな人も、苦手な人もいる。それぞれ自分のいろんなところを合わせて、その人です。
 他の言い方で言えば、個性は「デコボコ」だと思うのです。一人ひとりが違うということは輝きでもあるし、しんどいことでもあるし、「違うこと」そのことですよね。私は美しきデコボコ、愛すべきデコボコと言っていますけれども、そのデコボコのあたり具合では嫌な思いをすることも、お互いあるわけです。
 「ものをはっきり言えていいね」ってある人のことを誉めると、一緒に仕事をしている人は、「あんなにズケズケ言われてオレは傷ついている」と言います。それぞれの立場によって、デコボコとのつき合い方が違います。
 個性が美しい、すばらしいと言う前に、「みんな違う」という現実を認め、お互いの個性を認めようということです。お互いの違いがうまく生かせて、大切に出来ることをちょっとでもお互いに工夫しましょう。
 子どもの個性を理解するとき、子どもの興味、関心、どんなことが好きか、特技、あるいは身体のこと、性格のこととかが鍵になります。自分が関わる子どもについてそういうのを1つか2つ言えるといいですよね。
 自分のお子さんとか生徒さんは、こういうことに関心を持っていますよと。多分、みなさん言えると思うのですが、それをいつもチェックして、子どもが今何に関心を持っているのか知りたいなあと思います。

(2)子どもの得意な学習スタイルを生かす
 子どもの得意な学習や行動のスタイルは、子どもの苦戦において役に立つ能力であり、自分で自分を助ける資源、『自助資源』です。ちなみに、私達、子どもの苦戦を援助するサポーターは、子どもの援助資源です。子どもが自分の自助資源に気づき、伸ばすことを援助すること、そして援助資源を活用すること、これが援助の鍵を握ります。
 子どもの学習や行動のスタイルを、子どもの個性や自助資源という視点からお話します。一人ひとりの子どもは、勉強の方法の得意・不得意のパターン、つまり学習スタイルをもっています。子どもの学習スタイルは、子どもの個性の大切な一面です。
 第一に、言葉で表現するのが得意な子どもがいます。言葉のやりとりが、自分の表現や学習の重要な方法になります。一方、言葉以外の方法、具体的な物を操作するなど非言語的なやりとりが得意な子どもがいます。この場合は、言葉に頼り過ぎないで、絵や図や具体的なものを使うと、学習が進みます。私達も、ダンスを覚えるとき、ステップごとに、「右腕をあげて」と鍵になる言葉がある方が覚えやすい人と、見様見真似でやる方が楽な人といますよね。
 第二に、耳で聞く方と目で見る方の得意、不得意があります。小学校の5年生になって、急に忘れ物が増えた子どもが学級に何人かいました。4年生までは宿題を先生が全部黒板に書いていて、5年生の担任は書きませんでした。「先生は口で言うから、みんなよく聞いてね」って。それでOKな子どもはいいですが、目で見て確認して実行する学習スタイルの子どもは、宿題が黒板に書かれないことで、忘れることが増えたようです。先生がもう1回黒板に書くようになって、やってくるようになった。
 もう一つの例です。私はカウンセリングでも、「来週までこういうことをして下さいね」と宿題を出すことがあります。例えば、ある高校生は、学校を休んで、夜遅くまで起きていて、朝遅くまで寝ている、いわゆる昼夜逆転の生活が、少しずつ治ってきました。「自分の生活を安定させる」という目標を高校生と二人で立てます。そこで、何時に起きて、朝ごはんは何時に食べて、お昼ごはん何時に食べて、夜何時に寝たか、毎日の簡単な表を作ってもらうことになります。約束を言葉で言うことで実行できる生徒もいるし、約束をカードにすると実行できる生徒もいます。その生徒の場合、カードにその子にやって欲しいことを書いて、持って帰ってもらいました。
 第三に、重要な学習スタイルとして情報を処理するスタイルがあります。情報を一つひとつ順番に処理していく方式を継次処理と言います。そして情報を全体的に処理する方式を同時処理と言います。
 先ほどの小学2年生は「車」という文字を書くとき、「車」という文字全体をじっくりみてから、「田」と書いて、次にその上と下に「十」を書きましたね。この子どもは、同時処理型の学習スタイルです。
 私たち大人は、自分が好きな情報処理の仕方で子どもに教えることが多い。子どもの勉強の方法が先生の教え方と合うとは限りません。子どもの好きなやり方、得意なやり方を理解して、できるだけ合わせるといい。「君は、全体とパーツを見て、理解するのが得意なのだね」と、子ども自身が自分の学習スタイルに気づくよう援助するといい。小学生で、作文を文字で書くのが苦手な子どもには、早めにパソコンとかを教えるといい場合があります。また作文をじっくり書けない子どもに対する援助の仕方としては、作文を口で言ってもらってテープに入れるという方法もあります。作文の宿題で、作文をテープで提出するのも、先生に認めてもらえるといいですね。

(3)子どもの得意な行動の方法や問題解決スタイルを生かす
 子どもの行動の仕方とは、一人の時間の過し方、友達や、先生や大人とのつき合い方、集団とのつき合い方などです。これらは、子どもの個性の大切な一面です。ストレス対処の方法や援助を求める方法など問題解決のスタイルも、百人百様です。
 第一に、友達とのつき合い方です。友達はたくさんいる方がいいと、「世界中の人と仲よくなりなさい」とまで、言われます。これらの言葉は、考えてみたらあまり現実的ではありません。もちろん多くの人と仲良くすることは、いいことだと思います。でも一人ひとりの子どもには、その子どもの友達の作り方がある。20人友達がいる子どもの方が、2人しか友達がいない子どもよりいいという訳ではないですね。その子どもが、自分が今ちょうどいいと感じられる友達のつき合い方をすればいいのです。そういった意味では、直接会う方法の他に、Eメールとか、携帯電話とか、コミュニケーションの道具や方法が増えたことは、いいことかもしれません。その子どもの得意な表現の方法を生かすことが大切です。
 ただ、Eメールや携帯電話は、実際はそれほど仲よしにならなくても、何回か交流していると、とても仲よくなった気持ちになることもあるので、心配です。
 第二に、ストレス対処の方法です。自分一人でボーとしている、友達に電話する、好きな物を食べるなどいろいろです。私達が子どものストレス対処の仕方をよく知って、大事にしてあげるといいですね。そして子ども自身が、「僕はこうすればストレスが減るのだ」と自覚すると得です。子どもがストレスをためて、何かをやって元気になったとき、お母さんやお父さんが見ていて、「それは元気になるのにいい方法だね」って言ってあげると、子どもが気がつきやすいのですよ。ストレスがたまると、何かを蹴飛ばすという方法もあります。蹴飛ばすものが、だんだんお金のかからないものに変わっていけばいい。昔から青春ドラマで、何か嫌なことがあったら、校庭に出て、杉か松かをたたいていました。こういうのは、昔から私たちはやってきたのです。最近の子どもはキレやすいと言うけど、多分、キレ方が下手なのではないかと思うのです。ナイフを持つ前に、何か蹴飛ばせばいいし、他の友達としゃべって、ストレスが減るんだったら、それもいい。ストレスにつき合う方法を見つけるのに苦労している子どもが多いのかもしれません。
 「ストレスをどうやって減らすか、今日はみんなで話し合いましょう」という授業をしたらどうでしょう。まず先生が自分のストレス対処の方法を紹介します。その後、生徒達に自分のストレス対処法を発表してもらいます。「ペットと遊ぶ」「ゲームをする」「バットを振る」などなど。そのとき、どの方法もいい方法だという原則です。自分や他の人を傷つけるものは除いてです。子どもがいろんなストレス対処法があるということに気づき、自分で使える対処法を増やしていくことを目指します。
 自分に合った学習スタイル、行動スタイル、ストレス対処スタイルは、頼りになる自助資源です。子どもの個性は、何かで1番でなきゃいけないとか、これやると負けない、とかいうものではないと私は思います。個性とは、自分らしさのことです。他の人と比べてみた特徴(背が高いなど)よりも、自分という個人の中での特徴(強い学習スタイルや得意なストレス対処法など)の方が、援助につながりやすいと思います。
 私たち援助者が子どもの個性、とくに自助資源を知っていると、その子どもがすごくつらくて自分の力を発揮できなくているとき、援助するきっかけになります。
 学校の先生、親御さん、近所の人など、子どもと一緒にあるいは近くに暮らしている人は、本人の自助資源がよく見えますね。援助の力が一番あるそういう人達がチームになり、そこにカウンセラーも入ると、子どもはたくさん得をすると思います。(「スタタリング・ナウ」NO.95 2002.7.20)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/11/19

子どもへの支援 子どもの苦戦を支援する 3 石隈利紀さんの講演より

 子どもの苦戦を支援するために、石隈さんは、〈贈り物〉ということばで、サポートをわかりやすく説明されました。〈贈り物〉は、もらってうれしい、役に立つものです。情報、情緒、評価、道具の4つの贈り物を、相手にどううまく手渡すか、が大切です。
 石隈さんの話の中で、ここには出てきませんが、〈元気グッズ〉というのがありました。自分にとって、元気になるようなグッズです。石隈さんは、確か、そのとき、相談に来ていた学生から、何年後かにもらった感謝の手紙が、〈元気グッズ〉の一つだとおっしゃっていたように記憶しています。〈贈り物〉が、その人にとっての〈元気グッズ〉になったら、こんなにうれしいことはありません。僕は吃音親子サマーキャンプで、子どもたちが、1年間の出来事を話してくれ、それが月刊紙の『スタタリング・ナウ』などで紹介されると、何度も何度も読み返しています。子どもたちの1年の成長が僕に元気をくれます。
 では、昨日のつづきです。

  
子どもの苦戦を支援する
              筑波大学心理学系教授 石隈利紀


4種類の贈り物(サポート)

 子どもの苦戦を具体的にどうサポートしていくか。4種類の贈り物を紹介します。

(1)情報という贈り物
 苦戦している子どもにとって、情報はとても心強い贈り物です。カウンセリングでは、情報を提供することを情報的サポートと呼びます。例えば、高等学校を途中で辞めた男子が、私の大学の教育相談室に来ました。カウンセリングを担当した私は、その子の気持ちの整理を手伝いながら、大検(大学受験資格検定試験)について話しました。その子は大検を受けて合格し、大学をめざしています。この子にとっては、大検の情報は将来への希望をつなぐものになりました。また不登校ぎみの中学生は、ペットが大好きで、世話をよくしていました。担任の先生から、ペットの美容師(トリマー)になる学校について聞き、その学校を見学してから、生活が落ち着き、勉強にも取り組むようになりました。
 私達が子どもをサポートするときに、その子どもに必要な、その子にとって得になる情報をタイムリーに提供することが大切です。今は情報がたくさんあふれていますが、苦戦している子どもが何かを決めるときに役立つ情報がタイムリーにあるとは限らないですね。そういう意味で、お父さんにしろお母さんにしろ、学校の先生にしろ、スクールカウンセラーにしろ、子どもにとって得な情報はないかなというアンテナを張っておくといいですね。今日の講演会も、お友達からの情報で来られた方もいらっしゃると思います。

(2)情緒という贈り物
 苦戦している子どもにとって、「頑張っているね」とか「大丈夫だよ」という情緒的な声かけは、とても嬉しいものです。情緒的な声かけをすることを、情緒的サポートと呼びます。
 「大丈夫だよ」とか「頑張ってね」という声かけは知っていると思います。なるべくレパートリーを増やした方がいいと思います。特に「頑張ってね」は、言われて嬉しいときと、ムカつくときとありませんか? カウンセリングの業界では、落ち込んでいる人に励ましてはいけないというのが決まりです。
 落ち込んでいる人は多くの場合、基本的に真面目なのです。頑張り屋さんです。一生懸命やってうまくいかないから、こうすれば良かったのにと自分を責めているから、落ちこんでいる。ですから、「頑張ってね」って言ったら、失礼です。もう頑張ってるんですから。「頑張ってね」の言葉以外でどの言葉だとその人は元気になるのか、というのを探してみるといいですね。

(3)評価という贈り物
 「評価」という言葉は、随分嫌われ者になっています。でもその人が元気になる評価の贈り方があります。その人の行動についてフィードバックすることを、評価的サポートと言います。とくに上手になってきていること、一生懸命にやっていることについてのフィードバックは、効果的です。
 私の知人で、挨拶が苦手な子どもが、少し練習して最近、私と会って「おはようございます」と元気に挨拶してくれます。それで、私は、「君のおはようございますは、とっても気持ちがいいね」と、フィードバックします。評価を贈っているのです。
 フィードバックすることを、恐れてはいけないということです。確かにどのようなフィードバックが相手を元気にするかはむずかしい。その人が喜ぶように、工夫は必要です。でも私達何か評価っていうのを恐れすぎて、適切なフィードバックを減らしてしまうと、子どもにとっても損ですね。
 私がずっとカウンセリングを担当している、人間関係が苦手で、苦戦している30代の男性のことです。お医者さんの薬をもらいながら、とてもいい仕事をしています。その人との面接の何回目かに、「ごめんなさい、今日都合でいけません」と、約束の5分前に電話がかかってきました。私は、きちんと連絡してくれたことが嬉しくて、「ああ、どうもありがとう。連絡をくれなかったら心配するところだったよ」って言いました。その後、都合で来られないとき、連絡してくれるようになりました。その人にとって、遅れるときに必ず連絡するという、大げさに言えば社会で生きていく上で大切な能力に対する、私のフィードバックという贈り物は有効だったのです。
 その人が元気になる、気持ちが良くなるだけではない。その人の出来ることが1個増えるために、私達は「それをしてくれて、ありがとう」とタイムリーにフィードバックできるといいなと思います。

(4)道具という贈り物
 相手が道具として便利に使えるもの・・例えばお金、時間です。苦戦している相手に、お金や時間などを提供する現実的な援助を、道具的サポートと言います。
 これに関しては、私には苦い経験があります。私の次男は今小学校3年生です。9年前、夏の暑いとき、妻のお腹が大きくて、次男は11月に産まれたのです。私は次男の誕生にとても感動しました。
 夏、暑いときにお腹に赤ちゃんがいる妊婦さんは、布団の上げ下げが大変です。私はカウンセリングやっていますから、口はうまいわけですよ。情緒的なサポートは「いつもありがとう。ほんとにありがとう!」とか、「大変だね」とか十分なのです。そうすると、妻から言われました。「口はいいから、手を使って!」つまり情緒的なサポートはもういいから道具的なサポートをちょうだいと!。その後布団の上げ下げ、食器のかたづけはやりました。
 子どもの環境を子どもにとって良い方向で調整するのも、道具的サポートです。環境は人が生きていくうえで、重要な道具と言えますから。
 例えば、学級のタロウ君とサトシ君が大げんかをしたのを担任の先生が見ていました。先にしかけたタロウ君が「あー、まずかったな!」と言い、サトシ君と仲直りしたいようです。サトシ君も仲直りをしてもいいと思っているのではないかと、先生はサトシ君の様子から考えました。そこで、「今日、先生ね、明日の研究授業の準備でコピーたくさんしなきゃいけないから、手伝ってくれない」と、タロウ君とサトシ君に別々に言いました。2人は先生の手伝いで出くわすわけです。2人は何も喋らず、むっとしてコピーの手伝いをします。終わったあと、「先生、2人にアイスクリームでもおごろう」と帰りにアイスクリームを買って、3人で食べました。タロウ君とサトシ君に話す機会ができ、そこでタロウ君が、「昨日はゴメン」と言う。これは、仲直りの設定をしたというわけですね。
 このようにドラマのようにうまくいくかどうか、分かりません。でも先生にしろ親御さんにしろ、大人は、学校や家族の人間関係、雰囲気など、子どもが育つ環境に対して大きな影響力をもっています。環境がその子どもにとって、少しでも生きやすくなるようにという、道具的サポートは重要です。道具的なサポートは、みなさん何気なくやってらっしゃるんだと思います。
 情報、情緒、評価、道具の4つの贈り物がうまく重なり合って、その子どもが元気になったり、できることがちょっと増えるといいなと思います。(「スタタリング・ナウ」NO.95 2002.7.20)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/11/18

子どもへの支援 子どもの苦戦を支援する 2 石隈利紀さんの講演より

やわらかに生きる表紙 石隈さんと初めてお会いしたのは、1999年秋の吃音ショートコースでした。東京での仕事を終え、新幹線に飛び乗り、会場である滋賀県のりっとう山荘に来てくださいました。2泊3日の吃音ショートコースは、真剣な中に笑いのあふれる石隈さんの講義、演習が続き、最終日に、石隈さんと僕の対談がありました。この対談は、本当に楽しくおもしろく、すてきな時間でした。石隈さんが、僕たちのフィールドで話を展開して下さったのが印象的でした。
 この対談を含めて、吃音ショートコースでの石隈さんによる、論理療法のワークショップの記録は、金子書房『やわらかに生きる〜論理療法と吃音に学ぶ〜』に収録されています。論理療法について、一番わかりやすい本になっていると思います。論理療法で学んだABC理論は、あのときから現在まで、日常生活で起こる不安や、いらだち、怒りなどのマイナスの感情への対処にとても役に立っています。
 では、昨日のつづきです。

   
子どもの苦戦を支援する
              筑波大学心理学系教授 石隈利紀


子どもの危機
 もう一つは、子どもの危機です。子どもも大人も、大変な問題で心の状態が揺さぶられるような危険な状況においこまれることがあります。人は自分の力や周りの助けを借りて解決しようとします。それでも、その問題から逃げることも、解決することもできないとき、「危機」になるのです。危機状況では、日頃できることができなくなります。危機は、この文字が示すように、成長のチャンスでもあります。まず危機状況でのサポートについてお話して、それから子どもが出会う危機的な状況をいくつかご紹介します。

(1)危機状況でのサポート
 2001年、大阪教育大学附属池田小学校で事件が起こったとき、まず私が思ったのは、この事件に出会った子どもたち、親御さんと、先生の心の状況です。このような事件に遭遇した人々は、悲しみや辛さが消えないで、なかなか思うようにいかないのではないかと思われます。つまり、多くの人が危機的な状況にあると言えます。こういう危機的な状況で必要なことは、心のバランスを取り戻すことです。そのためには一般論ですが、次のことが必要です。
〆、何が起こっているかということを理解する。
∈、自分の中で起きている悲しみや怒りを、安心できる場所で表現する。
 低学年の子どもの場合には、どういう感情か分からないが何か苦しい場合に、「友達がけがをしたから悲しいんだね。恐いんだね」と言うように、こちらが感情に名前をつけてあげることも効果的です。何か辛いことが起こった直後に、こういうことが起こったのだよと説明して、気持ちを表現するのをサポートすることです。心のバランスを取り戻すサポートです。
 「カウンセリング」と「危機状況でのサポート」の違いについて話します。
 カウンセリングというと、子どもや大人が問題状況の中で、自分の役割の固い鎧や狭い考えで身動きできないとき、その固い状況が少し揺れながら成長していくのを援助するということですね。中学校を出た後、「どうしようか」といろいろ迷います。心が揺れます。いいことですね。子どもは、自分の将来について揺れながら成長するのです。
 一方、事件に出くわしたり、大切な人と別れたりという危機状況にいるときには、すでに心が大きく揺れています。ですから、大きな揺れを小さくするのが「危機状況サポート」の方向になります。揺れをとりあえず、小さくして元のバランスを取り戻すのを援助するということが大事です。すごく不安定な状況になった場合には、とりあえず、誰か、親御さんとか、先生とか、親しい人が側にいてあげて、揺れが小さくなるようにサポートするというのが、大事なのです。
 1つ覚えておきたいのは、悲しい、怒っているなどの感情表現の仕方は、一人ひとり違うということです。なかなか今、悲しいというのが言えなくて後で表現する子どももいます。
 こういう事件があって思うのは、子どもたちや先生方や親御さんが、心のバランスを取り戻して、元の学校生活に戻るのを邪魔してはいけないということです。残念ながら日本の学校では、こういう危機が起こった後の対処に慣れていません。なぜ危機が起きたのかの議論が、事件の直後から盛んになります。その議論はちょっと待ってほしい。その前に、やることがある。子どもや先生やご家族の大きな心の揺れを少しでも小さくする方が、まず大事なのです。子どもたちの心の安定感がどうやったら早く戻るのか大切だと思います。
 なぜこういうことを強調するかと言いますと、日本では、マスコミの多くの方は、心のバランスを取り戻すことの意義についてよくご存じないのではないかと思います。同時に、私たちカウンセリングや学校教育関係者が、十分お伝えできていないあと思っています。危機状況の子どもにマイクを向けるのは、論外です。
 それでは、子どもが出会う危機について説明します。

(2)子どもが出会う危機的な状況
/甘外傷(トラウマ)になるできごと
 予期しにくい、また対処できにくい、そして気持ちが圧倒されるようなできごとは、危機状況の引き金になりやすいと言われています。子どもにとって心的外傷になるできごとには、家族の病気や死、親の失業、両親の離婚、虐待、ひどいいじめ、そして自然災害などがあります。阪神淡路大震災では、自分の生命の危機と同時に、家族や友達の死や大けが、自分が生き延びたことへの罪悪感、友達との別れなどが重なり、多くの子どもにとって大変な危機状況になりました。

発達課題に伴う危機
 子どもは発達していく過程で、いろいろな課題に取り組みます。その発達課題の取り組みがうまくいかず、危機になることがあります。例えば思春期において身体の変化を受け入れるという課題は、結構重い課題です。私の子どもの頃は、思春期は中学2、3年生でした。ニキビができ出したり、女の子の初潮があったり、男の子に精通があったり、身体が急に大きくなる。これが中学2、3年生に起きていたというのは、ラッキーです。それまでにある程度、勉強のこととか、友達のことが安定してから思春期が来ていたのです。
 今の子どもたちは、思春期が小学5年生ころ、早い子は4年生で、身体が大人になり始めます。まだ勉強の方も友達の方も心の発達の方も、たくさんの課題が進行中のときに、思春期がドーンと来てしまうのです。思春期で身体が大きくなったり、性的関心が強くなったり、どちらに向いていいか分からない。かなり、しんどい思春期を過ごしている子どもが多いようです。思春期における身体の変化を受け入れることがとても大変で、人と会うのが辛くなったりなど、苦しい思いをしている子どもがいます。
 多くの子どもは、発達課題やそれに伴う苦戦を、自分の力とか、周りのサポートで乗り越えていきます。しかし、子どもが成長の節目で、気持ちが急に不安定になり危機的な状況になったら、誰か側についていて、その子どもの揺れが小さくなるようにしっかりと支えてあげる必要があります。

3惺酸験茲箜惷箸篌験の失敗に伴う危機
 学業や受験の失敗に伴う危機で難しいのは、本人にとってはすごく大変な失敗だけれども、周りからは、そんなに大きな失敗に見えないときもあることです。例えば、小学4年生まで100点ばっかりとっていた子どもが、5年生になって急に70点、80点になってがっかりしている。でも他から見るとクラスの平均点よりだいぶ上で、ぜいたくだと思われる。あるいは、頑張っているから大丈夫だと思われる。ところが、その子にとっては70点、80点はすごくショックで、危機になるかもしれないのです。
 勉強や受験の失敗は「周りから客観的に見て」ではなくて、「その子どもにとってどれだけ痛手か」です。勉強や仕事で失敗があったときに、すごく大きな傷、とくに自尊心の傷になりかけているときには、周りが理解してサポートするというのが大事です。
 また人生のステップの「移行」が、危機の一つのポイントになります。小学校、中学校の入学、学校の卒業、就職。人生の次のステップに進む「移行」のときは、誰にとっても大きな困難が伴います。このとき、周りがサポートすることが大事です。
 「移行」の大変さは、大人にとってもそうです。課長に昇進し、はつらつとしているはずなのに、元気がないのは、新しい役割に「移行」することが大変なので、自分の力が出せずに、情緒的に不安定になっているのかもしれません。つまり「移行」のときの困難も、子どもや大人の危機になる可能性があります。

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 自分に何らかの障害、病気があることを理解して自分とつき合うのは、エネルギーがいることです。特に障害や病気について告知、障害や病気の進行は、危機状況になる可能性があります。そういうときのショックをどうサポートするかは、大きい課題です。(「スタタリング・ナウ」NO.95 2002.7.20)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/11/17

子どもへの支援 子どもの苦戦を支援する 1 石隈利紀さんの講演より

 「スタタリング・ナウ」NO.95 2002.7.20 では、日本吃音臨床研究会、朝日新聞厚生文化事業団、大阪青少年活動財団との共催で行った教育講演会を報告しています。講師は、石隈利紀さん。演題は、「一人ひとりの子どもを生かし、援助者が生きるサポート〜みんなが資源、みんなで支援〜」でした。
 石隈さんとのお付き合いも長くなりました。最初、吃音ショートコースのゲストとしてきてくださったのが、1999年、滋賀県のりっとう山荘でした。夜遅く到着される石隈さんを、外に出て待っていたことが懐かしいです。
 その後、今回紹介する教育講演会、最初のシリーズの吃音講習会、今も続いている親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会でも、講師としてきていただきました。腰の低い、フレンドリーな姿勢は、今も、最初の出会いの頃と全く変わりません。

  
子どもの苦戦を支援する
            筑波大学心理学系教授 石隈利紀


 2001年6月30日、朝日新聞厚生文化事業団、大阪青少年活動財団などとの共催で、筑波大学心理学系教授・石隈利紀さんをお迎えして、《教育講演会》一人ひとりの子どもを生かし、援助者が生きるサポート〜みんなが資源、みんなで支援〜を開催しました。3時間の講演の前半部分を紹介します。

子どもと環境との折り合い
 不登校の子どもが増えています。いろいろなタイプの苦戦をしている子どもがたくさんいます。子どもはどんなふうに苦戦しているか考えるときに、今の子どもは弱くなったとか親が悪いとか、いろいろな説明があります。それぞれに納得しても、納得しきれないですね。子どもの苦戦についていくつかの整理の仕方があると思いますが、今日は「折り合い」と「危機」という2つのとらえ方で子どもの苦戦のお話をします。
 例えば、昔、不登校のカウンセリングに関する研究で、こういう性格の子どもが学校を休みやすいというのがあったのですが、それでは不登校についてよく分かりません。子どもが学校に来なくなるのはいろいろな要因がありますから、簡単ではありません。
 子どもの不登校で言えることは、子どもと学級・学校との「折り合い」がうまくいっていないということです。これが不登校を理解する出発点です。
 子どもの環境に合わせる力が弱い。環境の方が、その子どもに合わせる柔軟性がない。その両方かもしれない。いろいろな場合があると思います。最初から、家族が悪いから不登校になったと決めるのは、よくない。その子どもと学級や学校との折り合いについて理解しながら、学校や家族が「その子どもと学校や学級との折り合いがうまくいくためには、どうしたらいいか」を考えるのです。
 折り合いがついているかは、3点でチェックします。

1.その場所にいて楽しい。
2.知り合い、友達など人間関係がある程度ある。
3.そこで課題に取り組んでいる、何か自分で意味を見い出せることをしている。例えば、勉強をしたり、友達を増やしたりして、1歩でも成長している。

 子どもが学校との折り合いがある程度いいというのは、その子がある程度学校生活を楽しんで、人間関係がある程度あって、成長しているということです。
 不登校の要因は複雑ですが、不登校になることだけを説明すれば、けがをする、歩いていてこけることだと思います。こけたら痛いですから、暫く休んだ方がいい、キズを治した方がいいです。こけたのは、その子どもがひょっとしたら歩く力が不十分だったからか、あるいはその子どもが歩いた道が穴ぼこだらけだったからか、道が堅すぎたからか、は分かりませんけれども、休むようになったことは、心のけがと言えます。
 だったら、けがは治した方がいいし、けがしたときは無理しない方がいい。でも、けががだんだん治ってきたら、学校に戻るもよし、学校以外のところでもいい。どうやったら自分が歩いて行けるか、どういうふうに歩いて行きたいのかを、自分のペースの中で考えていくといいですね。
 また、歩き始めるのはとっても不安ですし、恐いです。恐くて当たり前です。そのときに、誰かがそばにいて、いっしょに歩いてくれるといいなと思います。
 その子どもの力だけじゃなくて、子どもと学校のどの辺の折り合いが悪かったかをまず理解すると、その子どもや学級をサポートしていくヒントになります。

勉強の仕方や行動の仕方
(1)勉強の仕方
 小学2年生の男の子が「車」という漢字を書いたときのことです。まず「車」という字をじっと見ました。そして「日」を横に2つ書いて「田」を書きました。さらに、「車」をじっと見て、「あっ。十が2つある」と、「田」の上に1つ、下に1つ「十」を加えました。
 この子は、ものごとを部分と全体で理解すること、いろいろなことを同時に見て、同時的に処理するというやり方が得意です。でも、書き順は全然だめです。
 小学校で漢字を教えるときは、「書き順で、1つずつやる」のがやりやすい子どもと、「とにかく形を真似してごらん」と言う方がやりやすい子どもがいることは知っておきたいことです。
 「その子どもが頑張って勉強するか、しないか」ではなくて、「その子どもがやりやすい、得意な勉強の仕方は何だろう?」・・これこそが、私たち大人が考えなければならない問いですね。
 勉強しんどそうだから、今ちょっと休んだ方がいいよは大事なことですが、これで全部ではないのです。その子どもが少し元気が出てきたら、どういう勉強のやり方がこの子にはいいのかな、この子あんまり漢字好きそうじゃないけど、時々楽しそうにしている、なぜだろう、と考えるのです。
 私たちは「今日はやる気があったのだ」と思ってしまいますけど、やる気だけで考えると、子どもの姿を見逃しますね。逆に、子どもができたとき、「やればできるじゃない。日頃さぼっているのでは?」と余計恐いことを言いかねません。
 子どもが勉強で苦しんでいるときには、その子の勉強の仕方とこちらの教え方との折り合いが悪いのかもしれないことを頭の中に入れておくといいと思います。

(2)行動の仕方
 その子どもの得意なやり方、スタイルは、勉強に関する学習スタイルだけでなく、行動の仕方とか友達の作り方にもあります。
 ある小学5年生は、勉強も良くできるし読書が好きで、小学4年生までは学級ですごく誉められていました。でも5年生になるとなかなか誉めてもらえない。その子はおとなしくて外で運動したり、友達をたくさん作るのは得意ではない。だけど、5年生の学級担任は、「友達は多い方がいいからたくさん作りましょう。休み時間は本なんか読まないで外で遊びましょう」というタイプの先生です。その子どもは大苦戦です!よく子どもと担任の先生の相性と言いますが、子どもと担任の先生と折り合いがつきにくいときとつきやすいときとがありますよね。そういうところで子どもの折り合い行動のスタイルを見ていけます。その結果、子どもへのサポートが上手になるといいなと思います。
 学校との折り合いがつかない場合は、その子どもがひ弱だということではなくて、その子どもの得意なやり方と学校のものごとの進め方がどこか合わないのではないか。折り合えるところが工夫によって増えないか、と考えるのです。子どもと学校が折り合えるよう工夫をしましょう、そう言いたいのです。
 子ども達のサポートにおいて、方向性からいくと、子どもが環境に折り合う力を伸ばすという方向と、環境が様々な子どもと折り合う柔軟性を伸ばすという方向があります。双方向での援助が必要です。
 今、学校や地域に問われていることは、いろんな子どもが暮らしやすいように、いかにして柔軟性を高めるかです。学校は、何でもできる一流の場所になるのではなく、いろいろな子どもが楽しみながら成長できるような柔軟な場所になるといいなと思います。それが、子どもと環境との折り合いということです。(「スタタリング・ナウ」NO.95 2002.7.20)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/11/16

子どもへの支援

 先日、三重県津市で、今回で最後だという中学校の同窓会が開かれました。何ひとつ楽しい思い出のない中学校の同窓会に参加するなんて、考えられないことでしたが、楽しいひとときでした。同級生が偶然にみつけてくれた『新・吃音者宣言』についての、『週刊エコノミスト』(毎日新聞社)での芹沢俊介さんの書評のおかげです。ファックスでその記事が多くの同窓生に紹介され、強引に僕を同窓会に引っ張り出してくれたのです。いやいやながら、大きな不安を抱えて参加した同窓会で、友だちは一人もいなかったと思っていた僕に、「伊藤と一緒に、お伊勢さんまで自転車で行ったな」と声をかけてくれる人がいたりして、クラスの中に確かに存在していたのだと思えるようになりました。
 中学3年生の担任は、石田先生で、まだ存命ですが、さすがに2023年の今回の同窓会でお会いすることはできませんでした。2002年の「スタタリング・ナウ」NO.95には、石田先生が登場します。吃音に深く悩むようになったきっかけのエピソード、今は、先生が子どもに語りかけることばは大切だということを伝えるときの導入に使わせてもらっています。

  
子どもへの支援
             日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二


 「お前は、嫌な奴だなあ。自首してきたら少しでも罪が軽くなると思ったのか?」
 中学3年生の時の担任教師の、見下し威圧するような姿勢と、一喝したこのことばが私を射る。さらに、その学期の通信簿の行動の記録の〈正義感〉の項目欄に、赤い大きな×が入れられていた。
 「卑怯な嫌な奴! 正義感のない最低の人間!」
 ことばだけでなく、後々まで残る通信簿でのこの烙印は、ずっと私を苦しめた。長い間、この卑怯な最低の自分が好きになれなかった。
 この教師のことばに、態度にどれだけ傷ついたことだろう。少しは残っていた勉強への、まじめさや意欲はこれで完全に消えた。その日からますます映画館に入り浸り、夜の町を彷徨った。学校生活の中での勉強も、遊びも、楽しさも、私には無縁になった。
 自分がひねくれており、甘えであり、言い訳だとは分かっている。でも、私を罵倒する前に、こう聞いて欲しかったとの思いは残る。
 「この補導週間には、絶対に映画には行くなよと、あれだけ言っておいたのに、伊藤、お前はまた映画館で補導された。警察が見回ることを知っていながら、映画館に行くとは・・。そんなにまでして行くには、そうせざるを得ない何か理由があるのか?」
 教師になりたての血気盛んな熱血教師に、このような問いかけは無理だったのだろうが、もし、このように問いかけてくれていたら、私は、どもることへの悩み、苦しみ、学校が怖いことなどを一気に若い担任に話していただろう。それを聞いてもらえば、随分と楽になったかもしれない。学校が好きになったかもしれない。勉強しないで、映画館に入り浸るのは、映画好きではあったが、週に2回も行くほどのことではなかったのだから。学校が楽しければ、友達がいたら、警察に追いかけられてまで映画館に入り浸らなかったろう。今から思えばだが、警察につかまり、担任教師に叱られても、こう担任が問いかけてくれるのを待っていたのかもしれないとさえ思う。
 いつ、当てられるか針のむしろに座っているような、どもることへの恐怖と不安。誰にも分かってもらえない、この苦しさや苛立ち。学校では孤立し、家庭ではことごとく母親に反抗し、家族と対立していた。学校にも、家庭にも居場所がなかった私には、映画館だけが安心していられる唯一の居場所だった。『夢と冒険と愛』自分にはとても実現しそうにない空想の世界がそこにはあった。一時的な逃げであっても、あの当時の私には、映画の世界が、生き延びる術だったのだ。
 この担任教師のひとことで、屈折した私の心は、さらにずたずたになり、「あの教師だけは許せない」と言い掛かりのような思いを、ずっと持ち続けた。その担任教師と、今年の5月4日、42年振りに再会した。三重県の津市で開かれた中学校の同窓会に参加したのだ。一昨年、ガンとの闘いから生還した担任に、励ましの手紙を出してくれという同級生からの連絡をもらったが、手紙を書く気にはなれなかった。それから一年、同窓会に担任教師は参加するという。今度は、同窓会の前に、思春期の吃音の苦しみを綴った『新・吃音者宣言』の本を、手紙を添えて送った。すぐに返事が来た。「君のことは良く覚えている。君の活躍がうれしい」との手紙をもらっての再会だった。
 「当時、おれも教師になりたてで、血気盛んで、いい教師になろうと一所懸命だった。お前達をよく怒ったなあ。伊藤、お前はよう映画館でつかまっていたなあ」
 「嫌な奴だ」と吐き捨てたこと、通信簿の〈正義感〉の項目に赤い×を入れたことを、この担任は覚えていて、こう言っているのだろうか。
 揺れる思春期に、大人である教師のことばは子どもにここまで大きな影響を与える。私が吃音に深く悩むきっかけとなったエピソードのひとつだ。
 一方、私を長い間励まし続けたことばがある。小学校1年生の1学期の半ば、山奥から地方都市の中心に引っ越して来た、不安一杯の私に、担任教師はいつもどもりながらも元気なだけがとりえの私を誉めてくれた。
 『大きな声で返事ができることクラス随一である』
 通信簿の所見欄に書かれたこのことばが、どれだけ私を励まし続けてくれたことだろう。吃音に悩み、だんだんと消極的になり、元気がなくなり、声が小さくなっていく。でも、あんなに元気な頃もあった。いつか、その頃のボクに戻れるんだ。そう思って自分を支えることができたのは、通信簿のこの所見だった。
 この夏、臨床家のための吃音講習会で、どもる子どもへの支援の在り方について学び合う。どもることで苦戦をしている子どもたちに、大人の私たちは何ができるだろうか。(「スタタリング・ナウ」NO.95 2002.7.20)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/11/15

国立特別支援教育総合研究所での研修

 神奈川県久里浜にある、国立特別支援教育総合研究所の講師として呼んでもらうようになって、30年以上になるでしょうか。コロナ前までは、久里浜まで出向いて、対面で、丸一日、吃音の話をしていました。対面で話せたのは、2020年3月まで。全国一斉休校が始まる直前のことで、久里浜が対面をやめるぎりぎりセーフで対面による研修を終え、乗った帰りの新幹線では、車両に僕ひとりだった光景は忘れられません。それ以降は、Zoomになっています。
 2023年度は、10月30日(月)の朝9時から午後4時過ぎまでの講義でした。90分の講義を午前に2コマ、午後に2コマ、計4コマです。最初はとてもZoomで4コマなんて無理だろうと思っていたのですが、なんとかなるものですね。少し慣れてきました。でも、やっぱり、僕は対面で、ひとりひとりの表情を確認しながら対話をして話をすすめる方が断然好きです。
 今回、事前にたくさんの資料を用意し、一通り読んでもらって、講義の当日を迎えました。当日用のパワーポイントも用意しましたが、まずは、事前の資料を読み、またこれまで受けてきた研修で感じたことをもとに、ひとりひとりから質問を出してもらい、それに答える形ですすめました。僕が話したいと思って、パワーポイントを用意した内容とほぼ共通の内容の質問をしていただき、僕が言いたかったこと、伝えたかったことを、受講者の方のニーズに沿った形で話すことができました。的確な、いい質問をしてくださった、今年の受講者の方に感謝です。
久里浜集合写真
・吃音とどもり、どう違うのか。
・吃音親子サマーキャンプの目的ときっかけについて
・幼児は、吃音を意識していないのではないかと思うが、意識させることは必要だろうか。
・幼児の吃音指導で、大事なことは何か。
・どもる人が吃音を隠さずにどもれるようになるには、周囲の理解が大事だと思う。世の中の人にどう理解してもらったらいいか。
・吃音の予防教育とは。
・資料にあった、健康生成論、レジリエンス、ポジティブ心理学について説明してほしい。
・通常学級の担任に、配慮をお願いするときに、注意した方がいいことは何か。
・子どもの吃音を治したいと思っている親に、どう寄り添えばいいか。
・自己肯定、他者信頼、他者貢献と、共同体感覚の関係について。
・竹内敏晴さんのことが出てきたが、演劇の手法を取り入れているのか。 

 これらたくさんの質問に、丁寧に答えていると、時間はあっという間に過ぎていきます。 最後に、感想を聞かせていただきました。

・すんなりと入ってきた。
・夫もどもりながら生きている。これを障害といっていいのか。
・ひとりずつ違うから、ひとりずつ対応しなくてはいけない。
・自分にあてはめると、支援に活かせると思った。
・上司、同僚と共有したい。
・読書介助犬の話がおもしろかった。非認知能力を育てたい。
・対話は、どもるどもらないに関係なく、大切だ。
・劣等感を取り除くのではなく、つきあえる程度にやわらかくするという話が印象的。
・子どもと一緒に、生き方をみつけていきたいと思う。
・「どう治すかではなく、どう生きるかだ」のことばは、インパクトがあった。
・ことばの教室に来ているのに、吃音の話を避ける子がいる。そのことどう対話をしていこうかと思っているが、なんか可能性が見えたような気がする。

 いろいろなことを感じていただけたようです。同じを話を聞いても、人によって感じるところは異なります。多分、同じ話でも、聞くときの状態によっても違うのでしょう。それぞれが、自分の感じたことを大切に、これからの毎日に何か生かしていけるようなきっかけとなっていたら、僕はとてもうれしいです。
 最後に記念の集合写真を、画面越しに撮りました。
 早く、対面で、お話ができたらと願います。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/11/14

障害を生きる 6 病気や障害とどう向き合うか〜河辺美智子さんの体験から〜

 今日で河辺さんの体験の紹介は終わりです。
 僕は、大学や専門学校の講義の中で、僕が出演したテレビ番組を見せていたのですが、セルフヘルプグループの活動を説明する時には、NHKの福祉番組『週刊ボランティア』をよく見せていました。そこには、大阪セルプヘルプ支援センターの活動と、大阪吃音教室の活動が紹介されているのですが、大阪セルプヘルプ支援センターの紹介では、河辺さんが、電話当番で応対している場面が出てきます。毎年、彼女を見続けていたので、いつも出会っているような錯覚を覚えていました。僕の中では、その場面の彼女のままストップしています。数年前、大阪セルフヘルプ支援センターの古い仲間が集まったときは、出会えなかったので、随分長いこと会っていないことになります。今回、こうして紹介ができて、とても懐かしい気持ちになっています。できたらお会いしたいとの気持ちが膨らみます。
 河辺さんはできるだけ脳を使うこと、そのために新しいことや自分のしたいことを自分で選んですることだと言い、考えて、選んで、実行しています。それが、自分が自分の人生の主人公になることだと思います。僕は糖尿病と心臓病はあるものの、今は元気です。この元気を持続させるためにも、好奇心を常に持ち続け、新しいことに挑戦したいと考えています。「吃音を治す、改善する」からは言語訓練以外考えられず、全く発展はありませんが、「吃音と共に豊かに生きる」には、とても大きな鉱脈があります。かつての論理療法、認知行動療法、交流分析、アサーションなどに加えて、最近では、レジリエンス、ナラティヴ・アプローチ、当事者研究、医療社会学者のアーロン・アントノフスキーの健康生成論、オープンダイアローグ、ポジティブ心理学など、学ぶことがたくさんあって、僕の好奇心の炎はますます燃えさかっています。これも全て吃音のおかげだと感謝しているのです。では、河辺さんの「病い」から学んだ提案に耳を傾けます。

  
病気や障害とどう向き合うか 5
                      河辺美智子(61歳)


ひとりひとり皆違う
 私の体験の話はひとまず終わります。
 私が一番お話したいことは、医療の主人公は患者であるということです。
 医者は手術をすすめましたが、私は断り続けました。決定権は私にあるのです。また、「患者はみんな違うんだ」という接し方をしてほしかった。
 それから、セルフヘルプグループに行くと、共に悩んで共に考えて、共に喜ぶ、この共にということが大切です。医者も患者も共に人間同士として、根底は、共に人間どうしとして接してほしいと私は思います。

生きる意欲と意志
 「ここまで病気がふりかかってくると、それぞれの場面で絶望すると思うけれど、ここまで勉強して、今こんなに明るい表情でお喋りしているエネルギーというのは、どこから、なぜ出てくるんでしょうか?」
 とは、よく質問を受けるのですが、その意欲、意志も脳なんだと思います。私はそこが壊れてなかったんでしょうね。高次脳機能障害の人って、みんな意欲がなくなる、やりたいという気持ちがなくなる。自分ができないということが分からない。それを受け入れられない場合が多いのです。私の場合は、まず自分ができないということを受け入れた。受け入れたことで、やろうという意欲が強く残った。障害者として産まれてきてるから、子どものときから、そういう意欲は脳の中に強くあったのだと思います。
 小学校の時代から体育、運動はできない。中学校のときに、体育ができないからと「1」とつけられた。なんで産まれたときから心臓が悪くて体育ができない人間に体育を「1」とつけないといけないんや。そういう思いを12歳のころからもっていました。
 私の娘が12歳のときに、体育に「3」とつけられましたが、理不尽なことだとは本人は何も考えないでしょうね。私はずっと考えていた。体育が「1」だったから、公立へは行けないので、行かせてもらえる私立に行った。そこに短大があったんですけど、結婚もできないだろうから、何か仕事をみつけないとだめやと、父は薬学部に行かせようとしました。私もそのつもりだったのですが、高校3年のころに急に社会福祉を考え出した。私は薬学部に行きたくない。高校の3年くらいからものすごく勉強し出した。英語と国語と社会があるからそれだけ勉強した。程度の低い高校だったから、英語は全部100点だった。国語も、100点ではもったいないから150点をあげると言ってくれた。行きたい大学に合格しました。
 私の通った私立の高校からそんな大学に行ったことないんです。卒業式のとき、いい成績の人に何か賞をあげるんだけど、私はその中に入らなかったんです。体育ができなかったからというだけで。だから校長はごめんなさいとものすごく頭をさげていましたね。
 自分の意欲、意志は、産まれたとき小さいときからあった。勉強したいと思ったときには、強い意欲が出てくると思っていた。産まれたときからの障害者だから、それが根底にあったから、ヘルペス脳炎になった後遺症にも強かったんだろうと思います。壊れた脳でも、壊れていない脳がなんぼか残っていたから。
 私の体験からいって、脳は使った方がいいですね。慣れたことばかりしないで、新しいこと、新しいことをずっとやっていった方がいいですね。そしたら、脳の遊んでいた分を使うことになる。医学的なことは知りませんが、体験から言いますと、脳は、まだ全然分からない広大な宇宙だと思います。ものすごい優秀な脳をみんな持っていると思うので、遊ばせている脳を使って、楽しみにまでもっていったら生活が充実してくると思う。

まとめにかえて
 高次脳機能障害になって、これまでできていたことができなくならなかったら、絵なんか全く描かなかったでしょうし、ピアノも弾いたりしようと思わなかったことでしょう。今は、美術館に行くのがものすごく好きになった。あんまり絵をじっと見ているから、後ろの人が怒るくらいです。目をどう描いているか、鼻をどう描いているかまで、じっとみている。
私の障害は、外見上その障害が見えない。親戚の葬式に行ったときに、周りから親しげに声をかけられても、顔はなんとなく分かっても関係が分からない。
最初は、過去を捨てられなかったから、過去の方へ戻って戻ってと思っていました。今はできることなら、自分の過去のことは捨てて、新しいところへ行こうと思って、絵を描いたり音楽を聴いたりしています。
だから、言語訓練にしても、できなくなったことを取り戻すという、紙に描いた絵の名前を言わせるような訓練ではなくて、私がやったことのないことに取り組ませて欲しかった。自分の名前も分からないひどい障害者であっても、自分がやりたいことでリハビリをしてほしかった。
 新しく手にした歎異抄に私は感動したから、その後、歎異抄をもっと読んで理解したいと、朝日カルチャーセンターに行き、辞書で調べたり、訳してあるのを何回も何回も読みました。これはとてもいい、リハビリになりました。絵を描くことも、ピアノを弾くこともそうでした。みんな、病気になったからやり始めたことです。だから、本当にこれからその人の一番やりたいことをみつけてあげて、新しいことに取り組ませて欲しいですね。人間ひとりひとり、顔はみんな違うでしょう。あれはみんな脳が違うからで、だから、自分の脳は自分の脳そのもの、ほかの脳とは違うのです。
 今日はみなさんよく聞いて下さり、話したいと思う質問をみなさんがして下さり、いいリハビリになりました。

 (話の後の質問も文の中に挿入しました。文責は編集部にあります。しっかり聞いて下さり、的確な質問をして下さったことがありがたかったと、河辺さんが帰り際に言われたことが印象的でした)(「スタタリング・ナウ」2002.6.15 NO.94)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/11/13

障害を生きる 5 病気や障害とどう向き合うか〜河辺美智子さんの体験から〜

 心臓病、ヘルペス脳炎、さらに乳がん。次々に試練が襲う、文章で読んでいると悲壮感が漂いますが、河辺さんの話を聞いたときも、笑いながら僕たちに語りかけ、僕たちも笑って聞いていたために、他の人の病気の体験を紹介しているような感じさえして、重苦しさがまったくありませんでした。改めて、文章を読んでみると、やはり壮絶な人生だったのだなあと思いますが、今の自分の状態をちゃんと把握して、今までなんとかしてきたのだから今度もなんとかなるだろうという、アーロン・アントノフスキーが提唱した、健康生成論のSOC(センス・オブ・コヒアランス)の処理可能感も持っている、そんなふうに感じます。
 新しいことに取り組むと、脳が活性化されます。僕も、日々、新しい出会いを楽しみ、対話を続けていきたいと思っています。

病気や障害とどう向き合うか 4
                        河辺美智子(61歳)


映画がリハビリ
 本やテレビよりも、映画が一番リハビリによかったですね。今日も映画を見てきたんです。最初、映画が全然分からなかった。人物が多いとか、ストーリーがころころ変わるものは分からない。映画の題名も主人公の名前も覚えられない。どこの映画館で何という映画を見てきたのと言われても言えない。でも、どう感じたか、毎日日記に書いていました。映画だけでなく、テレビの番組の感想も書いています。映画で勉強したことで、ものすごくリハビリになりました。今でも、映画の題名は覚えられないし、書けない。最初、分からなかったけれど、今は分かるようになってきました。もう今は1回で十分分かるようになってきた。
 洋画は、下の字幕がなかなか読めない、読んですっと考えないといけないでしょ。日本の映画が先に分かるようになりました。
 映画で何が楽しいかというと、右脳が残ってたからでしょうね。映画の景色とか絵とか音楽を見せてくれてる。だから最初、意味が分からなかったときは、音楽、景色、絵、人物を見てました。適当に字幕は読んで音楽を聴いて楽しんでいた。
 私は脳の10分の1しか使ってないと思います。皆さんも10分の9くらい遊んでいるのではないでしょうか。もったいないですね。

高次脳機能障害者の会
 自分がかつて活動していた、大阪セルフヘルプ支援センターに教えてもらって、頭部外傷や、病気による後遺症をもつ若者と家族の会に入りました。その会に入って、自分のこの後遺症が、高次脳機能障害ということも分かってきました。
 私は過去のことの記憶はゼロに近い。どこが壊れて、どこに入っているのか、分からないが、新しい記憶は入ってきます。ところが、高次脳機能障害のほとんどの人は記憶が入りにくい。ヘルペス脳炎の人は5人いるけど、私以外の4人は記憶障害です。20代、30代の人が多いんだけど、結局、離婚になって、両親が世話している。両親が世話できないくらい暴力をふるい出したら、仕方ないから、どこか病院かに入れてもらえる所を探さないといけない。医学は進歩していくけれども、進歩したから、医学の進歩と同時に生き辛くなって生きている人が増えてきたといえるでしょう。
 精神障害者か、身体障害者か、ふたつに分けているが、高次脳機能障害者は理解されにくい。前はヘルペス脳炎や脳内出血なんかも治療できなくて死んでいた。私も、心臓の手術の後でなかったら、ものすごい高熱ですからヘルペス脳炎で死んでいたでしょうね。医学の進歩と共に後遺症からくる障害者が増えるでしょうね。私なんか、子どものころからずっと障害者と言われ、心臓手術を受けてやっと健常者になったが、5年の短い期間だけ、ヘルペス脳炎の後遺症の障害で、障害者です。運命ですかね。自然かな。

新しいものに取り組む
 今は、やっと自分でいろんなことができるようになりましたが、後遺症は残っています。痛みも残っており、嗅覚もゼロに近い。そういう状態は続いているけれど、不思議なものですね、右脳が残っていたため、「ことば」を絵を描いて覚えている内に、絵を描くのが好きになって、今では、絵ばかり描いてるんです。
 それと、ピァノなんて、親にさせられて嫌々仕方なく学生時代にちょっとだけ勉強しただけなのに、前のまま下手なまま能力が残ってました。不思議ですね。自分の名前も書けない人間が、鍵盤をみて、「へ長調やからここからや」と言ったんですって。ここからやと言って、手をちゃんとそこへ持っていったらしい。そういうものは壊されなかった右脳に入れていたんでしょうね。前はそれほどでもなかったのに、本当に音楽が好きになり、コンサートに行ったり、CDを聞いたり、テレビを見ても音楽番組ばかりです。ピアノは、誰も使いませんから、私ひとりで楽しんでます。
 絵を描くということと音楽が好きになったことが、新しい生き方として自分がみつけたと思っています。

今度は乳癌に
 こうして、自分の新しい楽しみをみつけ、ああ、やっとヘルペス脳炎の後遺症とつきあっていけるなあと思っていましたら、今度、乳癌になったんです。
 2年前に、前からどうもおかしいと分かってたんですが、乳癌ならまた手術だ。手術がもう嫌で、入院するのも嫌だったから、行かなかった。ところが、娘たちが「乳癌はすごくたくさんの人がなるのに、ヘルペス脳炎は200人しかならない。そのお母さんはきっと違うと思う。診てもらうだけでも行って、違うと言われたら安心やから」と言われて、行きました。
 医師は、「これは癌と違うと思うけどなあ」と言いいながらも、私を見て、「年やから、検査しましょう」と、検査をしました。すぐ結果が出てきたが、医師は自分から何も言わないから、「乳癌ですか?」と私が聞くと「はい、そうや」で、癌が発見されました。娘も本当にびっくりしていました。
 これからの手術は、患者本人が決めるんですね。
 「あなたの癌には、この手術の方法と、こういうやり方があります。この病院でできるのは、この方法だけです。この方法だったら、ほかの病院を紹介します。もっとほかのやり方の所もあります」
 これは乳癌だけじゃなくて、どの癌でも、治療の仕方が変わってきましたから、ほんとうに本人が決める時代だと思いました。
 私はやっと絵を描くことやピアノを弾く趣味ができたのに、乳房を全部とってしまうと腕がうまくあがらない。温存療法にしたけれど、リンパは結局25本くらいとり、結局手はうんとあげにくくなって、リハビリもしないといけなくなりました。転移の可能性が高いからと、抗ガン剤10クールをすすめられましたが、断りました。ホルモン療法も効果がある場合があると言われたので、その薬だけをもらっています。
 転移した人の8割は3年以内に転移するらしいのですが、私は、それから2年たちました。
(「スタタリング・ナウ」2002.6.15 NO.94)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/11/12
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