伊藤伸二の吃音(どもり)相談室

「どもり」の語り部・伊藤伸二(日本吃音臨床研究会代表)が、吃音(どもり)について語ります。

2023年05月

第32回 吃音親子サマーキャンプ、開催します

32回目を迎える吃音親子サマーキャンプのご案内

 昨年の今日、悩みに悩み、迷いに迷った末に、吃音親子サマーキャンプの開催を決め、「今年は、開催します」とブログに書きました。
 案内も申し込み書も何もできていない状態でしたが、とりあえず、日程だけを知らせました。開催を決めた後から、感染者数が徐々に増え、開催を決めた覚悟が揺らぐような感染大爆発が起こり感染者が増えていきます。開催2週間前に、申し込んでくださった方全員に電話をして、参加の意思確認をしました。「参加します!」という声に後押しされて、準備に力を注ぎました。開催前日は、過去最多を更新しましたが、「もうやるっきゃない」の心境でした。
 子どもとして長年キャンプに参加し、卒業してからスタッフとして参加を続けてくれているスタッフの一人が、「この場にいるだけで、もう涙が出てきそうです」と話していましたが、共通の思いだったと思います。いつもの劇の稽古と上演は、形を変え、工夫して、小さなお芝居に取り組みました。開催できなかった年に卒業を迎えた子どもたちも含めて6人の卒業式も行いました。6人の卒業生と保護者の話を聞いていて、無理をしてでも開催してよかったとしみじみと思います。みんな、素晴らしいスピーチでした。
 あれから1年。昨年と同じ今日、今年の吃音親子サマーキャンプの開催案内のお知らせをします。今年は、コロナ前と同じプログラムで開催しようと準備しています。僕たちのキャンプの3つの大きな特徴は、吃音についての話し合いと、声や表現のレッスンのための演劇の練習と上演、そして親の学習会です。スタッフによる事前合宿も、演劇を担当してくださる渡辺貴裕さんのスケジュールに合わせて行います。若いスタッフが参加してくれます。

 明日から6月。「吃音の夏」と、僕たちが呼んでいるシーズンの到来です。
 吃音親子サマーキャンプは、今年、32回目を迎えます。
 ひとりで吃音に悩んでいたとき、同じようにどもる仲間に出会えた喜びは、何にも代えがたいものでした。その仲間といっぱい話し、いっぱい聞き、新しい価値観に出会い、僕もがんばってみようと行動を変えるきっかけをもらいました。もっと小さい頃に、子どもの頃に出会えていたら、そう思って、どもる子どもたちのためのサマーキャンプをしようと、吃音親子サマーキャンプを始めました。たくさんのどもる子どもたちに出会いました。連れてきてくれた保護者、手弁当でかけつけてくれたどもる大人やことばの教室担当者や言語聴覚士などの臨床家、大勢の力が 集まって、吃音親子サマーキャンプは、32年の歴史を重ねてきました。

  あなたはひとりではない
  あなたはあなたのままでいい
  あなたには力がある
 このことを伝えたくて、続けてきました。

 今年の日程は、次のとおりです。
  日時 2023年8月18・19・20日
       18日13時から20日13時まで
  場所 滋賀県彦根市荒神山自然の家
  参加費 17000円(どもる子どもと大人も同額)   
同行のきょうだい 14000円
  内容  吃音についての話し合い
      ことばに向き合うための劇の練習と上演
      親の学習会
 ホームページに詳しい案内と参加にあたっての注意事項、申し込み書があります。
 みなさんのご参加をお待ちしています。

 このブログでは、過去の「スタタリング・ナウ」を紹介してきましたが、今回は特別に、昨年の吃音親子サマーキャンプの後のキャンプ報告のスタタリング・ナウの巻頭言を紹介します。

  
嗚呼、サマキャン卒業式
                 日本吃音臨床研究会会長 伊藤伸二

◆高校の剣道部の部長を吃音を理由に断ったことが、今でも心に残っている。前回のキャンプの時、「どもるところ、見せないんじゃないの」と言われたことも気になっていた。キャンプでもどもりたくないままなのかと、思った。大学受験の面接はビデオ撮影で、どもりまくったが、合格した。やっと、吃音と向き合えたと思った。今回、劇のナレーター役に初めて挑戦した。これまで逃げてきた、アドリブの効かないナレーターに挑戦したことで、やっと卒業の資格があると思った。
◆吃音とつき合えるようになったが、発表に時間がかかり、言いたいことが全部しゃべれなかった。好きだった絵や文章で工夫し、補ってきたが、それ自体が楽しくなり、大学でデザインの方向に進んだ。話し合いや作文を通して、吃音について考え、自分で気づいていなかった気持ちや考えに気づけた。私はどもるのはすごく嫌だったが、話をしたり発表することは好きだったんだと気づいた。
◆年上の子たちと仲良くしていたので、みんなが卒業してしまったら、僕ひとりで卒業式かと思っていたが、コロナのおかげで、一緒に卒業できてよかった。物心ついたときから、サマキャンに参加しているので、吃音に対する考え方、捉え方が、自分のからだに染みついている。吃音は、自分のからだの中にあるものと思っている。
◆小3までいたアメリカのことばの教室では、吃音を治すという考えで、訓練したが、治らなかった。日本に帰り、参加したサマキャンの考え方は全然違っていて、心が軽くなり、話し合いが楽しかった。吃音は、僕には、出身地のようなものだ。出身地は、性格に影響を与えるようだ。「吃音だから、やめよう」ではなく、「吃音だとしても、やる」と、チャレンジした方がいいと思えるようになった。みんなも吃音だからと逃げないで欲しい。
◆小2の時、本を紹介する授業ですごくどもって、周りからいろいろ言われてから、人前で話せなくなった。悩んでいたときにサマキャンに参加した。学校の友だちに、吃音のことを打ち明けても、本当の心の底は見せられない。けれど、ここは心が開ける。サマキャンに来ないと味わえなかったことだ。1年間、蓄積していたものを一気に友だちの前で話せる話し合いが一番の楽しみだった。ここでしかできない経験なので、一回一回大切にしてほしい。今しかない話し合いを楽しんで下さい。
◆小2からどもり出し、なぜ、自分がどもるのだろうかと思っていた。小3で初めてサマーキャンプに参加してどもりのことをたくさん勉強し、友だちができてよかった。小5は、学校の林間学校と重なり林間に行った。でも、続けて参加してきたサマキャンの方が、僕には大切だったと、今思う。来年は、スタッフとして参加したい。
 
 卒業生は、5分を超えるスピーチを、メモをもたず、自分のことばで語った。そして、自分の吃音とのつきあいの経験をもとに、後輩への応援のメッセージを贈っていた。8年、12年と継続して参加してきた重みのある卒業生の語りを聞きながら、私は、阿部莉菜さんのことを想っていた。
 宮城県女川町からキャンプに参加した時は、転校生からひどいいじめに合い、4月からずっと不登校になっていた。3日間のキャンプで「どもっても、大丈夫」と作文を書いて、キャンプの翌日から学校へ行くようになった。将来は、福祉の仕事をしたいと夢を語っていたが、2011年3月11日、東日本大震災の津波にのみ込まれ、卒業式も、語っていた将来の夢も、叶わなかった。
 私は、今年の吃音親子サマーキャンプが終わってすぐに、被災地や震災遺構を尋ねる旅に出た。知人や親戚の人に会い、莉菜さんと母親の容子さんのことをいっぱい語り、墓参りもできた。生きていれば、卒業式で彼女は何を語っただろうか。素敵などもる先輩として、後輩たちにたくさんのことを語っただろう、語りたかったことだろう。
 私は、今後、今年の6人の卒業生を含め、阿部莉菜さんのことをずっと語り続けていきたい。(2022年10月)

 
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/5/31

第1回 臨床家のための吃音講習会〜どもる子どもへの支援のあり方を探る〜

 2001年8月1・2日、岐阜大学で行われた臨床家のための吃音講習会についての報告です。
「スタタリング・ナウ」2001.10.20 NO.86 から紹介します。

第1回 臨床家のための吃音講習会〜どもる子どもへの支援のあり方を探る〜

主催 日本吃音臨床研究会/岐阜吃音臨床研究会/岡山吃音臨床研究会/大阪吃音臨床研究会
日時 2001.8.1〜2
会場 岐阜大学(岐阜市柳戸1-1)

 2001年8月1日、岐阜市は、日本最高気温39.7度を記録した。暑い岐阜で、熱い講習会が開かれていた。第1回臨床家のための吃音講習会に、150名近い参加があった。この講習会の意図したもの、準備から当日までのできごと、参加者の生の声から、講習会の概要を報告したい。

第1日目8月1日(水)
 講座 どもる子どもをもつ親への支援
     「初回面接で親に何を伝えるか」村瀬忍(岐阜大学助教授)
 講座 どもる子どもにかかわる教師への支援
     「学級担任、教師へのコンサルテーションを中心に」水町俊郎(愛媛大学教授)
 実践発表
    1 上野雅子(岐阜吃音臨床研究会会員・保護者)
    2 結城敬(成人吃音者・外科医)
    3 青山新吾(備前市伊部小学校教諭)
第2日目8月2日(木)
 講座掘 ,匹發觧劼匹發里海箸个悗了抉
     「レッスンをとおして」特別ゲスト 竹内敏晴(元宮城教育大学教授・演出家)
 講座検(1)学童期の子どもへの支援 伊藤伸二
    (2)ティーチイン どもる子どもへの支援水町俊郎・村瀬忍・竹内敏晴・伊藤伸二


  吃音講習会を振り返って
                 岐阜大学教育学部 助教授 村瀬忍

 地球温暖化現象をうけて日中の気温が40度にも届きそうな真夏。決して交通の便がいいとはいえない岐阜大学で行われる吃音講習会に果たして人が集まるだろうか。準備スタッフの不安をよそに、第1回吃音講習会には150人近くもの参加者がありました。第1回目という重い使命をうけて開催された講習会を振り返り、この講習会は何を提供したのか、また、今後にどのような課題を残したのかについて振り返ってみたいと思います。
 今回の講習会では、参加者の方々の要望を把握する目的で、参加申込書に「メッセージ」という欄を設け、吃音やどもる子どもとのかかわり、吃音臨床について考えていることや感じていることなどを記入していただきました。うれしいことにこの欄には多くのことばを寄せていただくことができましたが、中でも多かったのは、どもる子どもに対して何をどう指導していったらよいのかわからないというものでした。
 吃音指導といっても子どもとただ遊んでいるだけのようだ、楽に話せるようになるための指導方法がわからない、何かしてあげたいのに何もできなくて悩んでいる等々、どもる子どもを目の前にして支援に悩む先生方の苦悩が伝わってきました。
 吃音研究の歴史はわからないの積み重ねです。例えば、すべてとまで言わなくても、せめて半数くらいのどもる子どもに有効な治療法があるのかと問われれば、現在のところまだ見つかっていないと答えるしかありません。そして、こうした「わからない」は、現実の問題として、臨床家の先生方の苦悩に反映されていることを実感しました。
 今回の講習会の大きな目的は、「どもる子どもの指導をどもりを治すということから少し離れた視点で考えてみよう」と提言することだったと考えています。これは、吃音を治す努力が真にどもる子どもを救うことにつながるのかどうか、参加者に問いかけたものでもありました。
 参加申込者に書かれたメッセージの内容から推察すると、「講習会は子どもを流暢にするための何か具体的な指導方法を提示してくれるのだろう」と期待して参加された方も少なくはなかったように思われます。話しづらくて苦しいと訴えてくる子どもに何かをと考える臨床家の思いは素直なものですし、子どもの思いを受け止めようとする臨床家ほど、どうすることもできないもどかしさは大きいものと考えます。しかし、講習会は子どものことばの非流暢に対して直接できることをテーマに取り上げませんでした。にもかかわらず、講習会直後に参加者の方々からいただいた感想には「参加してよかった」との声が多く聞かれました。主催者としては講習会はまずまず成功だったと胸をなでおろす一方で、参加者の先生方のもどかしい気持ちに対して講習会はどう答えたのかを反省しておきたいとも思いました。
 詳しい内容は後の頁に譲ることにして、講座では研究者、臨床家、吃音を経験する本人や親がそれぞれの立場から意見を述べました。これらには、おおまかにいって次の3点の主張があったと私は考えます。
 まず第一に、吃音のことばの問題はなおりにくいという事実があること、第二には、吃音とは、ことばの問題とその問題に対する本人の心理的反応とが複雑に絡み合った、複合的な問題であること、第三には、どもったままでいいことを指導者自身が納得し、吃音のある生活をどもる子どもと、そして親やどもる子どもをとりまく人々とともに考えていくことが必要であることです。
 私たちはこうしたことを研究や経験での裏付けをもって説明しながら、参加者に吃音指導における発想の転換を呼びかけたのです。
 参加者の感想についての詳細もここでは省略しますが、新しい方向性を得てよかったという参加者が多かったことは、大雑把に言って「どもったままでいい」という提言への共感があったのだと考えます。
 これは講習会の目的であり、その意味では講習会は成功だったわけですが、一方でこれが、吃音の指導はことばの流暢性の改善に効果がないものだというお墨付きになっただけであってはならないと考えています。すなわち、子どもとただ遊んでいるだけで指導時間を過ごすことを容認したわけではないのです。専門的な立場から吃音が治らないことを親と子に告げ、吃音のある生活を考えていく指導は、ともすると言語指導の場だけでことばの非流暢を直接に扱う指導より、はるかにダイナミックで複雑なものではないかと私は考えています。方向性は得たものの、実際の指導でとまどっておられる先生もおられても決しておかしくはないでしょう。
 また、印象的な参加者の意見に、「どもったままでいいとはわかっていても、それを自分がどこまで確信をもって信じられるか心配である」というものがありました。このことばが示しているように、今後講習会の提言の重要性を実証していくという課題が、私たちにも参加者にも残されたのではないかと考えています。そして、この課題を消化していくプロセスで生れるもどかしさや疑問に、今後の講習会は答えていく責務があるのではないかと、暑い夏を振り返りました。
 最後に、今回の講習会の開催は地元新聞にとりあげられました。さらに、朝日新聞に吃音についての特集記事が掲載されることになりました。吃音の問題への対処は、まず正しい知識をもつことが基本です。どもる人・どもる子どもの抱える問題に対して、社会的な理解を得ていくためのきっかけに、この講習会はなったのではないかと考えています。(つづく) 
                
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/05/30

酷暑の中、岐阜大学で開催した、臨床家のための吃音講習会 2001年〜原点は「どもってもいい」〜

第1回 臨床家のための吃音講習会 2001年〜原点は、「どもってもいい」〜

 日本吃音臨床研究会のホームページに、今年の親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会の案内を掲載しました。今年で10回目になります。10回を重ねてきたのかと感慨深いです。
 この吃音講習会の前身というか、4回開催した吃音講習会があります。そのときは、臨床家のための吃音講習会という名前でした。第1回は、岐阜大学で開催しました。その日の岐阜は、最高気温が39.7度で日本最高でした。暑い、熱い講習会を特集した「スタタリング・ナウ」2001.10.20 NO.86を紹介します。ことばの教室担当者の熱気があふれた吃音講習会でした。目の前にいるどもる子どもたちに、担当者として何ができるか、を真剣に考えた2日間でした。主催した僕たちの思いの底には、「どもりながらもその人らしい豊かな人生は送れる」「吃音は不便なことがあるかも知れないが、決して不幸なことではない」「どもってもいい」が流れていたのです。

  
どもってもいい
                 日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二

 「吃音はどう治すかではなくて、どう生きるかにつきる」
 21歳までの私の吃音の苦しみの中で考えたこと、セルフヘルプ・グループの創立以来の活動の中から得た、このひとつの問題提起をもって私は、今から26年前の秋、全国吃音巡回相談会の旅に出ていた。これまでと全く違う吃音に対する考えが、どう受け止められるか、緊張と不安の旅立ちは、北海道の帯広への空の旅の揺れに揺れて怖かったことと共に記憶から消えない。
 それから26年、この考え方も整理され、具体的なプログラムも提示して、様々な実践を続けてきた。世間の吃音への取り組みはどう変わったか。残念ながら、吃音症状の軽減と消失、つまり吃音を治すことを目指す吃音へのアプローチの大きな流れは今も変わらずゆうゆうと流れている。私の提起は、その大きな大河の流れの、小さな一滴に過ぎないのかと、無力感と空しさがわくこともある。それでも、これまで続けてこれたのは、同じ地点に立つ大勢の仲間と、吃音に悩む人々にとって、この道こそが、幸せの人生につながるのだという確信があるからだ。
 日本吃音臨床研究会の活動も、どもる子どものための吃音親子サマーキャンプや、どもる人、臨床家、どもる子どもをもつ親が幅広く集まる吃音ショートコースなど、輪が大きく広がっている。テレビ、新聞雑誌などでも取り上げられるようになった。日本吃音臨床研究会の会員やサマーキャンプ参加者の飛躍的な増加などから、吃音を治すのではなく、吃音と上手につきあうという私たちの提案に耳を傾けて下さる人が、少しずつだが増えてきているとは実感できる。ことばの教室の担当者とのつき合いも随分と深くなり広がってもいる。つき合いが深くなるにつれて、吃音は難しい、どう指導したらいいか迷いがあるなど臨床現場での悩みもよく聞くようになった。他の言語障害は、障害そのものに対する認識や臨床が人によってそれほど大きくは変わらない。しかし、こと吃音に関しては、吃音をどうしても治さなければならないと主張する人と、私たちのように、治そうとするのではなく、吃音と上手につき合うことを一緒に学ぼうというのでは大きく違う。
 学校へ行けない、と引きこもる思春期の子どもと面接する機会がここ数年とても多くなった。吃音親子サマーキャンプに誘っても、親の強いすすめにもかかわらず、かたくなに参加しない思春期の子どもを前にして、学童期の子どもの指導の重要性を痛切に考えるようになった。従来の吃音指導ではいけないと考える人達も増えている。
 「吃音の症状の軽減や消失を究極の目標としている、従来の吃音観をもち続ける限り、吃音の臨床は進展しない。古い吃音観を転換し、新しい視点に立った子どもへの支援の在り方を探る必要がある」
 このように現在の吃音の臨床研究に疑問をもつ人々がそれぞれの思いを語り合い、新たな道を探ろうと、「臨床家のための吃音講習会」を開いた。
 ひとりひとりは多少の違いがあるのは当然のことだが、どもる子どもの充実した生活、子どもの幸せを願い、吃音を症状の問題だと狭く考えない人たちだ。大きな流れの中で共通するものを大切にしていきたい。違いを際立たせるのではなく、できるだけ共通するものを確認していきたい。ひとつの方向を見据えながらの講習会は恐らく我が国では初めてのことだろう。
 熱い思いをもって岐阜を中心に準備が始まった。当初の予想をはるかに上回る、150名近い人々がこの輪の中に入って下さった。ぎっしりとうまった会場をみながら、吃音だけをテーマにした講習会にこれほど多くの方々が関心を示して下さり、熱心に耳を傾けて下さる姿に、吃音に悩んできた者として、また、これまで賛同者もあまりいない孤独な戦いを余儀なくされてきた、私の吃音への取り組みの歴史を振り返ると、熱いものが込み上げてくる。
 これまでの、「吃音は治さなければならない」との主張は、「吃音であれば決して有意義な人生は送れない」という前提に根差している。「吃音と上手につき合う」という主張は、「どもりながらもその人らしい豊かな人生は送れる」という前提に立つ。
 「吃音は不便なことがあるかも知れないが、決して不幸なことではない」「どもってもいい」とこれからも語り続けていきたい。(「スタタリング・ナウ」2001.10.20 NO.86)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/05/29

吃音の夏

 親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会と吃音親子サマーキャンプ、僕たちが大切にしている大きなイベントの準備が本格的に始まりました。もうすぐ、ホームページ上に掲載予定です。これらのイベントが夏に集中しているので、いつからか、僕たちは、「吃音の夏」と呼んでいました。その原点が、ここにあったのだと、「スタタリング・ナウ」2001.9.22 NO.85の巻頭言を読んで、思いました。
 このときは、第30回全国難聴・言語障害教育研究協議会全国大会島根大会と、どもる人の世界大会ベルギー大会の日程が重なっていました。そのほか、この年は、岐阜で開催した第1回臨床家のための吃音講習会(親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会)、記念講演を頼まれた第25回九州地区難聴・言語障害教育研究会熊本大会、吃音親子サマーキャンプがありました。読み返してみて、とてもハードなスケジュールだったことに我ながらびっくりしています。まだ、若かったのでしょう、濃密な時間を過ごしました。
 今年の「吃音の夏」は、どんな出会いがあるのか、じっくりと味わいたいと楽しみにしています。

  
吃音の夏
                   日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二

 からだがふたつあればいいのに。こんなに選択に迷うことも珍しかった。吃音の国際的な活動を選ぶか、どもる子どもの教育の全国大会を選ぶか。
 国際大会は、第一回大会の開催者として、国際吃音連盟の礎を作り、ドイツ、アメリカの大会に参加し、スウェーデン、南アフリカ大会の6年間は参加していない。海外の人々は、世界大会を初めて開いた人を特別の思いで評価はしてくれるが、6年間も参加していないと忘れられた存在になってしまう。少しあせりにも似た思いもあって、今回のベルギー大会は是非とも参加したかった。
 日程が重なって、第30回全国公立学校難聴・言語障害教育研究協議会全国大会島根大会の、吃音分科会のコーディネーターの依頼を受けていた。島根県の言語障害学級の担当者が団結して開く、どもる子どもたちのキャンプ、島根スタタリングフォーラムにかかわって3年になり、島根のことばの教室の人達とはとてもかかわりが深い。その人たちが開く全国大会である島根大会のコーディネーターも、以前から依頼を受けており、断りたくない。すると、今度は第25回九州地区難聴・言語障害教育研究会熊本大会の記念講演と吃音分科会のコーディネーターの依頼があった。国内の言語障害児教育の大きな行事が続いたため、ベルギー大会への参加は潔くあきらめることができた。
 島根大会は素晴らしかった。「子どもたちが自分らしく暮らしていくための支援のあり方」のテーマが、基調提案、記念講演、シンポジウムに一貫して見事に流れていた。「子どもの障害を軽減、改善することが本当にその子どもの幸せや暮らしの充実につながるのか?」という、ことばの教室担当者自らへの問いかけだ。私がずっと主張してきたことでもある。せっかく流れるテーマを、吃音分科会ではさらに一歩踏み込みたい。分科会は5時間あり、全国のことばの教室の皆さんとかなりつっこんだやりとりができた。
 島根に続いて岐阜県では、臨床家のための吃音講習会を開いた。日本吃音臨床研究会と岐阜吃音臨床研究会を中心に、岡山、大阪の人達が企画して運営したもので、以前から開きたかったものだ。当初、60名の参加を予定して計画を立てたが、全国から約170名が参加して下さった。臨床家が、吃音だけをテーマに2日間集中して取り組んだ。最高気温39.7度という記録的な暑さの中、クーラーが止まるというアクシデントの中で、どもる子どもへの支援、子どもの親への支援、担当する教師への支援、子どものことばへの支援への提案がなされた。参加者のアンケートには、「これまでに参加した研修会にはない、熱い思いをもてた、充実した講習会だった」と感想が寄せられた。
 すぐに続いた熊本大会。記念講演は荷が重かったが、『言語障害児・者として生きてきて見えてきたもの』と題して2時間、自分の吃音人生を振り返り、言語障害児教育に期待することを話した。講演会は一般にも公開され、450名ほどが参加された。個人の体験は一般化はできず、ひとりよがりになるかも知れないと前置きして吃音で悩んできた中から考えてきたこと、見えてきたことを話した。次の日の言語障害学級の担当者が参加する吃音分科会では、ふたつの事例報告をもとに話し合った。主張が明確なコーディネーターであるために、論点は明確になり、私としては、充実した分科会だった。
 続いて、第12回吃音親子サマーキャンプ。よもや昨年のような146名という多い参加はないだろうと思っていたのが153名の申し込みで、急遽キャンセルが入ったが、140名の大きなキャンプになった。今年、作者のミヒャエル・エンデが亡くなり、その追悼のようなかたちになった演劇『モモ』は、大人も子どもも楽しめた。今年は劇が一番楽しかったと高校生が言ったのが印象に残る。子どもたちの吃音についての2回にわたる話し合い、親の話し合いは、それぞれのグループで深まっていた。子どもたちの、どもりについてもっと話し合いたいという感想も、うれしい。一緒に真剣に取り組む劇の練習。親は親で子どもたちの前で演じるパフォーマンスの練習。子どもの時代に帰って2時間びっしりと練習する姿は印象的だった。涙があふれ、大きな笑いに包まれ、「来年も絶対に参加する」と子どもたちは言いながら、それぞれの生活に帰っていった。
 吃音の臨床家、研究者、保護者、吃音の子ども、本人が幅広く集まり、吃音をテーマに人生を考える。日本吃音臨床研究会の活動趣旨が凝集した、今年の熱い、暑い、吃音の夏はこうして終わった。(「スタタリング・ナウ」2001.9.22 NO.85)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/05/27

大阪吃音教室 日曜例会「吃音を考える会」〜桂花團治さんを迎えて〜

 大阪吃音教室の特別講座が続きます。
 今日は、新潟五泉市の禅の老師、櫛谷宗則さんをお迎えし、「吃音によって倒れた者は吃音によって起きる」とのタイトルでお話をお聞きします。
 毎回、そうですが、櫛谷さんのお話の演題は、それだけで深い意味を感じます。吃音のもつ本質的なところを理解していただいているからこそ生まれた演題だと思っています。

大阪吃音教室 特別講座_0001 さらに、日曜日、5月28日、落語家の桂花團治さんをお迎えします。どもる人は、話すことが少ない仕事を選ぶのではないかと思われがちですが、意外と話すことの多い職業を選ぶ人も少なくありません。長いお付き合いになる落語家の桂文福さんもそのお一人です。
 今回の桂花團治さんは、小学校時代、夜尿、吃音、赤面で悩んだそうです。その後、出会った落語の世界が人生の転機となり、現在に至っておられます。甲高い声に対するコンプレックスから、大蔵流狂言を学び、舞台でも活躍されています。発声、姿勢、呼吸法の研究がライフワークとなり、自身の経験から導き出したコミュニケーション論を、教育機関でお話されています。
 日曜日の特別例会、ご参加ください。
        日時 5月28日(日)13時30分〜17時
        会場 アネックスパル法円坂 3階8号室

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/05/26

大阪吃音教室特別講座「鬱と吃音から見えてきたもの」〜感想〜

大阪吃音教室特別講座
  「鬱(うつ)と吃音から見えてきたもの」〜感想〜

    講師  平井雷太さん(セルフラーニング研究所所長) 
    聞き手 伊藤伸二

 平井雷太さんのインタビューを聞いての感想を紹介します。


  
セルフラーニング
                     東野晃之(44歳)団体職員

 平井さんの話のキーワードは、「できる、できないを考えない」「とりあえずやる」だった。例えば、何か課題があるとき、やってみたい、できるようになりたいという気持ちがあるなら、自分が「デキル」「デキナイ」を決めつけずにまずやってみる。やってみる中で何ができて、何ができないかが自覚でき、できないことがどうしてできるようになるのか、できるようになる仕組みを自分で作っていくようになる。やる前から、あれこれと考えるから結局やらなくなる。やらない理由に、やる気が起こらないからとよく言うが、「やる気がない=やらない」ではなく、やりたくない状態になったからこそ、それでもできる状態を体験するチャンスで、ここで「やる気が育つ」。できない状態がなければ、できる状態は訪れない。できない自覚がセルフラーニング(自分で決めたことを自分で実現していく)のはじまり。つまり、やる気のない状態こそ、やる気が起きていく道、「できない状態を自覚することこそ、できるようになっていく道」であるという。
 自分の体験を振り返ると、電話が苦手でできなかった頃、「今日は気分が乗らない」とか「明日でも構わないか」とか、何かと理由をつけては電話をかけるのを避けていた。就職して営業職に就き電話は避けられなくなって、毎日毎日恐れながらも電話をとり、かけ続けた。うまく対応できず、失敗して落ち込んだりもしたが、そのうち電話への気づきがあったり、話す工夫も少しずつだが、できるようになった。今でもどもることはあるが、以前に比べ随分楽に電話ができるようになった。これを平井さんの話から整理すると、恐れていた電話が仕事上避けられなくなって直面さぜるを得なくなり、数多く電話のやりとりを体験したことでできなかった状態を自覚でき、自分なりの電話対処法が身につけられたのだろう。やろうとしてもなかなか実行できなかったり、続けられなかった経験を思い起こすと、できない状態に対する否定的な考えやできない自分へのさまざまな思い込みがあったようだ。例えば、「誰もができることができないのは、自分が劣っているからだ」「そんな自分だけができない状態には耐えられない」「だからできそうもないこと、耐えられないことはやめてしまおう」…こんな思い込みが自分を消極的にしていたようである。できないことは悪いことではない。あれこれ考えず、やってみてできない自覚がセルフラーニング(自分で決めたことを自分で実現していく)はじまりである。平井さんの話はさまざまな気づきの余韻を残して終わった。

  あれも自分、これも自分
                         徳田和史(54歳)会社員

 特別講座のテーマ、「うつと吃音から見えてきたもの」に惹かれた。私は吃音に加えて最近、自己診断ではあるがうつ症状の気配を感じていたからである。
 平井さんは、大学卒業後は吃音であるが故に就職を嫌い、駆け落ちしてヨーロッパに渡った。帰国後陶芸の道に入ったが、26歳以降躁うつを繰り返し、この間、危ないことも数回あったらしい。平井さんの体験談で私にとって印象深かったのは、うつの状態の中でも一つの決まり事を毎日行い、その継続の中で自分を幅広くとらえることができれば、自分を楽にすることができるということであった。
 人間の心的状態には波があり、波の最上部と最下部の振幅がある程度拡がれば躁になったりうつになったりするのだと思うが、波の最上部を躁とし最下部をうつとしたとき、人間どうしても波の中心線から上を通常の自分と思い、下部を異質の自分と思うらしい。そのようにとらえると波の最下部(うつ)に陥ったとき、異質の自分から脱したくなるのであるが、平井さんは、中心線を軸に最上部も自分、最下部も自分であると認識すれば、つまり波の振幅の全てが自分であると思えば楽になると。
 又、平井さんは自分の体験から、うつは治らない、うつのままを受け入れる、その結果落ち込めば、落ち込むのも一つの能力だと考えればいいとも言う。
 平井さんは、波の最上部も自分、最下部も自分であると認識する手段として、一つのことを毎日継続することだと言う。平井さん自身は、うつ症状だった当時、息子さんと一緒に走ることを日課とし淡々とこなしたそうだ。うつのときも走り、躁のときも走る。この毎日走ることが波長の中心線となり、高い波も低い波も客観的に見ることができると言うのである。
 吃音にも波がある。調子のいいときもあれば調子の悪いときもある。そういえば私も吃音ですごく悩んでいた頃、調子のいいときの自分が本来の自分の姿であり、調子の悪いときは仮の姿だと自分を二分していた。人間というもの、思考・感情がある限り、高揚するときもあれば落ち込むときもある。問題は、この幅広い領域の自分を受け入れる要因となる中心線を自分にどう設定するかである。平井さんは、走ることでもいいし書くことでもいい、何かを決めることがキーポイントだと言っていた。又、継続している中で、やる気がなくなったときが勝負であり、そのときにやることの意味を求めずにそのまま続けることが大切なのだと。なるほどと思った。やる気のある調子のいいときの自分だけを見ていては半分の自分しか見ていないことになる。やる気のないときの自分も見ておく必要がある。
 自分の中に中心線を設定し、調子のいいときの自分も認め調子の悪いときの自分も認める。大袈裟に言えば、正義の自分も認め不義の自分も認める。自分というものを都合がいい面ばかりでなく都合が悪い面でもとらえ、これも自分なのだと幅広い自分を認識できればずいぶん楽になれる。今回の講座は私にこのことを教えてくれた。(「スタタリング・ナウ」2001.8.23 NO.84) この号は、今回で終了です。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/05/25

岡山で、4年ぶりに吃音相談会

岡山で、4年ぶりに吃音相談会

岡山相談会 今年で何回目になるのでしょうか。コロナ前まで、毎年、この季節に、岡山で吃音相談会を開催してきました。岡山言友会の植山文雄さんが中心になって、企画してくれて、僕はずっと講師として行っています。コロナの影響を受け、2020年から開催中止になっていましたが、今年ようやく復活です。
 植山さんが、吃音相談会の案内チラシを送ってくださいました。
 近くにお住まいの方、ぜひ、お出かけください。

日時  2023年6月11日(日) 13時〜16時30分
会場  岡山市立福祉文化会館 3階 講習室
参加費 500円
対象 吃音で悩んでいる人、どもる子どもやどもる人の家族、吃音臨床に携わっている人、
   吃音問題に関心のある人
問い合わせ 植山文雄さん 090−4805−1905 まで

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/05/24

大阪吃音教室特別講座 「鬱と吃音から見えてきたもの」 3 

大阪吃音教室特別講座
  「鬱(うつ)と吃音から見えてきたもの」 3

    講師  平井雷太さん(セルフラーニング研究所所長) 
    聞き手 伊藤伸二

 昨日のつづきです。平井雷太さんへのインタビューは、今回で最後です。いろんなことを正直に語ってくださいました。「自分で決めたことを、自分で実現するのが大人」だと、平井さんは定義づけました。僕もそうありたいです。インタビューの後、平井さんが実践しておられた考現学に平井さんが書かれた文章があるので、それもあわせて紹介します。

◇うつと、つきあう
伊藤 それで、うつになったのは何か原因があるんですか。

平井 ヤマギシ会という共同体があって、半年だけ入ってた。26才のときにそこの特別講習研鑽会(特講)というのを受けた。その特講を受けてなかったら、長男も生まれてないでしょ、たぶん。それまで子どもなんて欲しいと思ってなかったから。それを受けて、世の中まんざらでもないと思っちゃって、感動した。で、ヤマギシを出たあと、そううつ病が始まったんです。ヤマギシを出たあとは、お先まっくら。やることないし。

伊藤 ヤマギシにいる間はよかったんですね、それなりに。

平井 よかったのは最初の3ケ月くらいですか。後はそこを出ることしか考えてなかった。(実際に)やってみると、おかしいとこや変なことが見えてきちゃう。やる人はやってるから、一概にはヤマギシは問題だとは言えませんが、僕には合わなかった。ヤマギシを出たのが8月末で、子どもが産まれたのが9月25日です。無一文で、子どもが産まれたときは夢も希望も何もないし、一番逆らっていた実家に居候(いそうろう)していたし、最悪だったです。

伊藤 どうして子どもを育てていけるだろうかと。

平井 というか、どうすんのよ、この子、みたいな。子どもが産まれて捨てたくなっちゃう親の気分がよくわかりますよ。僕にとっては、よく死ななかったな、と思うぐらい、一番ひどかったときです。それから、財団法人「S」へ行った。ずーっとうつで、やる気も何にもなかった。ただ惰性で仕事やってた。

伊藤 どんな状態なんですか。

平井 ほんとに、生きるしかばねみたい。だけど、働いてる所が、裏口入学やってるとんでもないところだった。相手に問題があったり、待遇がひどかったりと、問題があると元気になるんですね。どうにかしなくちゃいけないなあと思う。「S」は半年でやめたが、いる間に労働規約を作った。だから、僕にとってうつでいられるときは、本当に波風のないとき。そのあと、塾を始めるんですが、ヤマギシを出たあとっていうのは、躁(そう)とうつが交互に来てる。春・夏は躁で元気、秋風が吹くころになると、落ち込んで起きれなくなって、人と会うのもいやで困っちゃう。10以上はそんな波が続いたですね。でもあとで考えると、うつは良かったです。

伊藤 どういうふうに?

平井 一番ひどいときに精神科に行って、僕がどういうふうに苦しいと延々としゃべって、むこうは「ふーん」「へー」「それで」みたいな感じでカルテに書くわけです。つっけんどんで、こんな医者と二度と会いたくないと思った。「じゃ、薬出しとくから」と袋いっぱい薬をくれた。これを飲んだらまたあの医者に会わなきゃいけないと思って、薬を捨てた。それで「いいや、うつ病のままで」と、治すのをあきらあた。どうしてかというとね。躁が来れば起きれる。うつだから起きれないと思ってたわけ。「あきらめる」って、うつのままで起きるってことです。僕が、うつであることを起きれない理由にしてる。「〜だから、何かができない」は自分で決めてる。それを、そのままでやる。それでも自分だけでは、できっこないなと思ったから、息子と約束した。「お父さんと一緒に、あしたから、朝走ろうか?」と。息子が「うん」と言うもんで、息子との約束だけは守ろうと思った。どんなひどい状態でも、息子と走ることだけはしようと思った。息子がいたおかげがありますよ、かなり。
 子どもがプリントをやっていると、すぐ壁にぶっかってやりたくなくなる。やる気なんてなくてもいい。どうやったらやる気が起こるとかという話ではなくて、やる気のないままやればよいだけの話です。やる気で飯食ったりふろに入ったりしない。やる気と、やることは別だって分けて考える考え方はうっのときにできたんです。やる気がなくなった、そこからが勝負なんです。二度寝はしない、6時半に起きるって決める。それまでに目が覚めても布団に入っている。目が覚めたとき6時半だったら起きる。理屈抜きなんです。これが考えずに行動する練習です。
 うつのときは、何でもいいからやることです。ジグソーパズルでも、簡単にはできないプラモデルの大きいのを買ってきて延々とやり続けるとか。

伊藤 息子さんと一緒に走るってことは自分で決めた。何かを決めるというのは大事なんですね。

平井 決めるというのは、キーワードです。だから、子どもたちは僕と教室で毎日やることを決める。あらかじめ決めてると、できなくなる。うまくいかなくなる。だから、親には勉強しろと言うなと口止めをします。子どもに全部任せてみると、すぐできなくなる。頑張る子は頑張っちゃうけど、頑張って疲れれば頑張れなくなる。だから、決めたことを淡々とやるんです。毎月の通信を100ケ月出したとき、大人になる定義が浮かびました。「自分で決めたことを、自分で実現するのが大人」だと。
 今、毎日書くと自分で決めて、自分で続けていく。ふと浮かんだことを、人に見せることを前提に毎日書く。これが今している「考現学」です。

 平井雷太さんが全国のたくさんの仲間とネットワークを作っていらっしゃる表現の場が考現学です。平井さん自身が、大阪吃音教室で話して下さった後に書かれた考現学をご紹介しましょう。

  どもりで「やさしさ暴力」を発見する
〜「やる・やらない」はやる気と関係ないんです〜

                           平井雷太

 伊藤伸二さんのお誘いで、大阪スタタリングプロジェクトの大阪吃音教室の特別講座で、「鬱と吃音から見えてきたもの」をテーマに話してきました。
 普段、参加者が25名前後のところ、長野、広島、長崎、東京からも参加があって、参加者は40名を越えていました。吃音ではない人も結構参加されていて、2次会、3次会で話していると、どの人が吃音であるかは説明を受けないとよく分かりません。
 伊藤さんがまず私を紹介してくれたのですが、伊藤さんが私を知ったきっかけは、「いじめられっ子のひとりごと」という詞ということでした。
 2001年度「大阪吃音教室へのお誘い」のチラシを見ると、そこには「楽しいインタビューゲーム」と2回もあり、ビックリしました。しかし、それよりも驚いたのは、毎週金曜日の同じ時間にビッシリと学習予定が網羅されていたことです。話すのが苦手ということが、人を自発的、能動的な学習者にしていく。その典型を見た思いがしました。
 また、伊藤さんは会で私を紹介するときに、「いじめられっ子のひとりごと」の詞を紹介してから、ご自分の話をされました。小学校2年生のときに学芸会で当然主役は自分がすると思っていたところ、台詞のない役になってしまい、そのときの屈辱がバネになって、どもりがラィフワークになったということでした。そして、伊藤さんから「教師が私に主役をさせなかったことを、教師が不当な扱いをしたと思っていたが、平井さんの詞を読んで、もしかすると、あれはどもったらかわいそうという教師の配慮だったのかもしれない。私はよくいじめられたが、平井さんは優しくされた。それが屈辱だったと言っていますが、平井さんは母性本能をくすぐられる子どもだったんしょうね?」と聞かれました。どもりでいじめられたことよりも、どもりで情けをかけられての屈辱感のほうしか覚えていない。なぜなのでしょう?伊藤さんと私のこの違いはどこから来ているのだろうかと不思議に思って、考現学を書きはじめたばかりだったのですが、即座にその場で伊藤さんに電話をかけて聞いてみました。
 「伊藤さんは、『教師が私に主役をさせなかったことで、教師が不当な扱いをした。ないがしろにしたと思った』と言っていましたけど、どうしてそう思ったんですか?」すると、「僕は小2のそのときまで、明るく元気で活発で、勉強もできたから、浦島太郎の劇で、当然、浦島か亀の役だと思っていましたから」と伊藤さん。「えっ!そうだったら、伊藤さんはそれまで自分がどもりであることを自覚していなかったんですか?!」と驚いて聞き返すと、伊藤さんは「全然、自覚していなかった。主役になれなかったことで、どもりのくせにと言われ、いじめられるようになった」と話されたのです。
 それを聞いて、私がいじめられなかったのは、おとなしくて、内気で、消極的で、いじめるにも値しない存在だったから、情けをかけられ、配慮されてきたのかと、思わず納得してしまいました。でも、そのおかげで、「やさしさ暴力」の存在を発見してしまったのですから、何が幸いするかわかりません。(「スタタリング・ナウ」2001.8.23 NO.84)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/05/23

大阪吃音教室特別講座「鬱と吃音から見えてきたもの」2

大阪吃音教室特別講座
  「鬱(うつ)と吃音から見えてきたもの」 2
            講師   平井雷太さん(セルフラーニング研究所所長) 
            聞き手  伊藤伸二

 優しさ暴力ということばは、インパクトがありました。僕はそれまで、小学2年生のときの学芸会でセリフのある役を外された経験を、担任教師からの不当な差別だと考えていました。担任教師本人に確かめたわけではないので、本当のところはわかりませんが、どもったらかわいそうだとの、優しい配慮だったといえるかもしれない。そう思えたのは、平井さんの詩がきっかけです。どちらにしても、僕は大きく傷ついたのですが。優しさの暴力について、平井さんに尋ねていきました。

◇優しさの暴力
伊藤 僕の個人的な興味でお聞きします。まず、「優しさの心の傷」を「配慮」とし、人の配慮が人を傷つけることがあると、とらえていいですか?
 僕は今まで全然気づかずにきたけれど、平井さんの優しさの傷という詩を読んで、「ああ、配慮が人を傷つけるんだ」と、鮮明に浮かび上がってきました。小学2年の学芸会で、どもるためにせりふのある役を与えられなかったことが、僕がどもりに悩んで、現在もどもりにこだわっている原因なんですけど、そのときは教師が「不当な扱い」をしたと、ずっと思ってた。ところが、この詩に出会って、「教師は、せりふの少ない役を与えて自信をなくすのを防ごうと、配慮をしたのかもしれない」と考えることもできる。そうすると、僕はその配慮によってものすごく傷ついて悩んできたことになる。そんなことと何か通じますか。

平井 今、僕が教育をやることになったのは恐らく、先生方や親が子どもたちにやっていることは全部配慮だと思ったからです。良かれと思って、だれも傷つけようと思ってやる人はいないのに、相手のことを考えることで全部傷ついていくわけです。「教えない」と言っているのも、教えることも「配慮」ですから。子どもの将来のために良かれと思って宿題も出すし、体罰もする。大義名分があって、正義の名のもとに全部暴力が行われている、というふうに考えてます。どもりで、ものすごいいやなこととして印象に残っているのは、配慮です。優しくしてくれたことばかりなんです。どもりでいじめられたことでは、あんまり傷ついてないんです。「このやろう」「ぶっ殺してやろうか」と思ったぐらいだから。

伊藤 実際にいじめられたこともあるんですか。

平井 ある。バカにされても、「ふざけるな」と思えばいい。要するにバカにするやつは、自分より低い人間、品格がないだけの話で、そんなことは別にどうってことない。だけど、僕の親友、僕の好きな女の子、身近な人がいろいろ気を使って、「代わりにキップ買ってあげようか」、「電話をかけてあげようか」と、言われるのがいやだった。
 だから、逆に一番僕が良かったと思っている美術の教師は、5分とか10分とか沈黙がずーと続いても、僕に当て続けた。その教師だけが僕を人間扱いしたと思ってる。そういうふうに思ってるから、気を使う、人として見てない、見下してるのかどうなのか、に非常に敏感だった。その美術の教師だけは、授業が始まったら僕に当てる。それは「どもりに立ち向かえ」みたいにしてたんでしょう。あれはかなり良かったですね。最初は嫌だったけど、僕がこれだけの時間独占できるんだと。(笑い)

伊藤 独占してたと思えたんですか。

平井 だってその時間、「みんな、ざまーみろ」ってことじゃない。僕が一人で全員の注目を浴びるわけだし、言うことないですよね。そのために授業がすごい遅れても当て続けるんだもんね。そういうのって、堂々とどもれる。

伊藤 嫌だというわけではないんですか。

平井 最初嫌でもね、やってるうちに快感になってくるね。わかってるのに当てるわけですね。

伊藤 オレの責任じゃないわけだ、当てるのは。

平井 当てた人の責任なんだから、うまくやる必要もないわけ。だから、だんだん開き直ってきますね。「この教師はなんだ」と最初は思ったけど、そのうちおもしろくなってきた。そのとき、どれくらいどもってどうだったか、あんまり記憶にないんだけど、とにかく行ったら毎時間当てられることだけは覚えてる。だけど、初めて人間扱いされたと思った。いじめてるんじゃないですね、ぜったいにこれは。

伊藤 そういう信頼があったわけですね。

平井 いや、いじめてるんかな、ちがうと思うけどな(笑い)。皆の時間を犠牲にしてまで、教師がわざわざそんなことしないよね。

伊藤 そのころは、それくらいどもってたんですか。

平井 今でもどもりますよ。たとえばさっき、「平野」から来たって言ったでしょ。「駒川中野」と言うとどもりそうだから、「平野」と言ったの。(笑い)

伊藤 それは僕たちと一緒だ。今でもそういうふうにどもるときってあるんですか。

平井 いくらでもある。すしやに行って、「……」今もどもって出ない。ア行がだめなんです。「……」

伊藤 「あじ」がいまおいしいですけど。

平井 今「あなご」と言おうとしてた(笑い)。好きなんだけど、困るんだよね、これが。どもりなんて、治んないですよー。

伊藤 これだけ、方々でいっばい講座を開いて、講演をしたり、いろんなことをやっててもですか。

平井 だから、考えなかったら、あんまりどもってるようには見えないですよね。何か決まったことを言わなきゃいけないと、すごいどもる。とにかく頭をあんまり使わない練習を、日々やってる。

伊藤 僕はどもったときに、そんな優しさを受けた記憶がないんですね。平井さんはぽっちゃりして母性本能をくすぐるような子だったんですか。僕はどうなんだろうな。優しくされた記憶が全くない。

平井 優しさの暴力を一番感じたのは18のとき。僕は長崎県で生まれ、3つで東京に養子に来た。自分の本当の親を知ったのが18のとき。それも親からじゃなくて、2階に下宿していた学生から聞いた。そのとき、そのことを僕の周りの者は全員知ってた。だれも言わなかった。ずっとテニスばかりやってて、高校3年になってひまになって、今の親が本当の親じゃないかもしれない、と、ちょっとだけ思って、それで冗談半分に、下宿の学生に「オレの親はどう考えても本当の親じゃないみたいなんだけど」と言ったら、「えー、知らないの、お前」って言われた。学校の教師、近所の子、八百屋まで、僕の周り中全部知ってる。これが僕にとっては優しさ暴力ですね。みんな僕のことを考えて言わないんだから。
 そのときに、思いやりとは何か、と思った。僕は人間として扱われてないと思った。それがいろいろ考え始めるきっかけですね。だから、それはそれで考えるきっかけになって良かったですね。それまでは本当にテニス馬鹿で、テニスしか、してない。どもってても、そのことはただの悩みで、伊藤さんみたいにこうやってどもる人の会を作るエネルギーはない。

伊藤 平井さんにとって、子どものときから思春期にかけて、どもりはどんな影響を自分に与えたと思いますか。

平井 さっき言った美術の教師に出会ったのが中学3年のとき。それまでは、学校は恥をかかされる場所だった。赤面対人恐怖で、道歩いてたって電信柱に「赤面」「対人恐怖」「どもり」って見るだけで、どきっとしてたもんね。

伊藤 ああ、あれ嫌でしたね。

平井 小学校の通信簿は「内気である」、「言われたことしかしない。自発性がない」。そりゃそうです。授業中手を挙げたことないから、ほとんど。指されりゃ、それなりに答えてたけど。何か言おうかな、と思っただけで言えなくなる状態を想像するでしょ。それでどんどんしゃべらなくなった。通信簿にそういうふうに書かれ続けてきた。今思えば、ものすごい役に立っていますね、書かれたことが。
 通信簿にぼろくそ書くのは、いい子になってもらいたい、という教師の配慮でしょ。いじめようと思って指摘しているのではないでしょ。だけどよく考えると、6年間指導し続けても何も変わらないってことでしょ(笑い)。指摘する側が馬鹿だよね。だから、指摘ということにはほとんど意味がない、ということを学ぶためには、あの6年間は意味があったなと、過ぎてから思う。そのときは本当に僕は内向的で、内弁慶だから、家の中では悪態ついてすごかったけど。外へ出るとおとなしくて、本当にいい子で。一人っ子でね、弱々しくて。そりゃ、助けたくなるじゃないですか。だから、自分は内気だ、みたいに人格形成されてるって思い込んじゃうよね、自分で。(「スタタリング・ナウ」2001.8.23 NO.84)

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/05/22

大阪吃音教室特別講座

 大阪吃音教室は、前期と後期にわかれ、あらかじめスケジュールが決まっています。もちろん、参加者によって臨機応変に対応しています。各講座の担当は、大阪吃音教室の仲間が、自分も勉強しつつ、当日も参加者と共に作り上げています。
 その中で、特別講座と呼ばれるものが年間いくつか設定されています。昨日、紹介した、5月26日の櫛谷宗則さんの「吃音によって倒れた者は吃音によって起きる」もその中のひとつです。
 「スタタリング・ナウ」2001.8.23 NO.84で紹介している平井雷太さんも、特別講座の講師として来ていただきました。「鬱(うつ)と吃音から見えてきたもの」とのタイトルのインタビュー記事を紹介します。平井さんは、僕が、小学2年のときの学芸会での体験を意味づけてくれた人です。

大阪吃音教室特別講座
  「鬱(うつ)と吃音から見えてきたもの」
     講師  平井雷太さん(セルフラーニング研究所所長) 
     聞き手 伊藤伸二


平井雷太さん紹介
 1949年、長埼県生まれ。早稲田大学政経学科卒業。ノルウェー農業体験、公文数学教育センター、スイス・サマースクールなどの教育現場を体験する。1980年、セルフラーニングシステムを実現可能にする「らくだ教材」の製作に着手。1990年より「押しつけない、命令しない、強制しない」関係を伝える講座としてニュースクール講座を実施。平井さんは、子どもの頃どもり、いじめられっ子だった。また思春期以降はうつに悩んだ。『見えない学校、教えない教育』(日本評論社)など著書多数。

  いじめられっ子のひとりごと
もし私がいじめられっ子でなかったら、
くやしさ、くちおしさ、無念さを
学ぶことはしなかった
いじめっ子たちをしかとすることが
最大の抵抗であることを
学ぶこともなかった
しかし
もっと私を傷つけたのは
やさしい子どもたちだった
私がどもると
私のそばで一生懸命助けてくれた子ども
私のかわりに本を読んであげようかと
出席の代弁をしてあげようかと
この屈辱にくらべれば
肉体的な苦痛などどうということはなかった
いじめの傷はいえても
やさしさの傷がいえることはなかった

伊藤 この詩をあるきっかけで読んで、平井さんに会いたいと思っていました。その数カ月後、大阪府立図書館で平井さんのエッセイの本を見つけ、とても共感する部分があり、改めて会いたいなあと思っているとチャンスは巡ってくるものですね。その後、何度か会う機会があり、「僕たちのセルフヘルプグループのミーティングに来てもらえませんか」と先だってお話したら、「いいよ」と言って下さって、今日の講座が実現しました。大阪吃音教室でする「インタビューゲーム」を考えた人でもあります。

◇考えない、がテーマ
平井 平井雷太です。今、週3回は東京にいて「スクールらくだ」で、下は4才、上は5、60才の生徒の対応をしています。私の長男が25才で、彼が4才のときから教材を作っており、21年ぐらいこの仕事をやってます。延べで2700人くらいの生徒と対応しています。10年ほど前に、僕の教材をフリースクールの教材として、ある出版社が全国展開しようと思ったら、1年目に70教室できて2年目に全部つぶれた。教材があればだれでも指導できるのかと思ったら、全然そうはいかなくて、「教えない教育」とは何か、自分で自分のやってることがわからないから、始めた講座が学師養成講座です。「教師」ではなくて「学師」。教師に教わるんじゃなくて、学ぶ人をどうやって育てられるか。それを10年以上して、その中でインタビューゲームが生まれた。去年はその講座を200回くらいしました。
 僕は、どもりのことと関係するんですが、ほとんど悩みの元は考えることだと思ってる。31のときから就職しないと決めて、なりゆきにまかせて、自分のやることは自分で決めない。「頭を使わない」「考えない」が、とても重要なキーワードなんです。
 考えずにしゃべりますから、何をしゃべるかわかりませんが、よろしく。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/05/21
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