伊藤伸二の吃音(どもり)相談室

「どもり」の語り部・伊藤伸二(日本吃音臨床研究会代表)が、吃音(どもり)について語ります。

2023年04月

自分を語ること

 誕生日を迎えたことを書いて、改めて、僕は自分を語ることで今まで歩んできたのだなあと思いました。そのものズバリのタイトルで、巻頭言を書いています。「スタタリング・ナウ」2001.4.21 NO.80 を紹介します。自分を語ることは生きることです。

  
自分を語ること
             日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二

 先日神戸で行われた吃音相談会で一貫して流れていたテーマが、自分のことを語ることだった。
 今年大学に進学した青年が、体験発表の中で、子どもの頃から自分の悩みである吃音について語ることがなかったことが辛かったと話した。家族は吃音については一切隠し、その話題を出してはいけない雰囲気だったと言う。吃音について、家族に話せなかったことが、その青年の吃音の悩みをさらに深いものにした。
 グループ相談では、私は、5歳、小学4年生、中学2年生の親を受け持った。3人とも、相談に行ったこども病院や児童相談所などで、子どもに吃音を意識させないことが一番大事だと言われ、家庭で吃音について一切話してはいけないとずっと思ってきた。
 電話での子どもの吃音の相談でも、必ずといっていいほど、「吃音を意識させないでそっとしておけば、その内治りますよ」と指導されている。
 自分のことを語らずに、人は自分に気づき、他人のことを理解できるだろうか。人間の営みとして、一番基本の大切なことが、いわゆる専門家の一言で阻まれている。何を根拠に、その内に治ると専門家はいうのか、家庭で吃音を話題にしてはいけないというのか、青年の体験発表、親の相談を受けながら胸が痛くなった。どうしてこのようなことがいまだに繰り返されているのか、意識させてはいけないと指導する専門機関に怒りすら込み上げてきたのだった。
 一方、その前日の大阪吃音教室では、親には吃音に悩んでいると心配をかけたくない、自分の弱みを親にも話せないが話題になった。吃音に悩んでいない振りをする方が、家族の間が平和なのだと彼は言う。大阪吃音教室に行くことも隠している。話してそれを聞いてくれる親なら、話したいと思うだろう。現実に吃音教室では悩みを話しているのだから。
 親は子どもに吃音を意識させてはいけないと話題にせず、どもる本人は親を心配させたくないと悩みを話さない。大切なことに触れない。
 自分を語るということは、行動を起こすエネルギーになる。今月号で体験談を寄せて下さった教師の森田宏明さんは、卒業式を控えて不安な気持ちを子どもに語った。その後の彼の行動、子どもたちに名前を呼ぶ練習に立ち会ってもらうことにつながっている。担任教師が、担任する子どもに名前が言えない不安を言う。子どもが親に吃音の悩みを言うのとは訳が違う。教師として素晴らしいことだと思う。同じく教師の平田由貴さんの場合も、不安で夜眠れなくなった苦しみを私に語ったことが、紹介した石川県の教育センターの相談課長の徳田健一さんに電話してみるという行動につながっている。
 自分を率直に語り、受け止められたことで、次に何かやってみようかという大きな力が入ってくる。語った相手から具体的なアドバイスがなくても、語ったことによって自分で自分を後押しする力となって返ってくる。
 人は自分らしく生き、行動したいと願いながら、頭の中だけで堂々巡りをすることが多い。一歩がなかなか踏み出せない。そんなとき、他者に、自分の悩みや揺れている気持ちや困っていることを話すことによって、ちょっと自分のことが整理でき、ちょっと動いてみようかという勇気がわいてくる。
 自分を語れる場は、現代、最も必要とされているのではないだろうか。
 昨年、龍谷大学のエンカウンター実習6日間の集中講義を引き受けた。合宿による、日常生活から分離された遠い場所で、自ら語りたいと参加費を払ってのベーシック・エンカウンターグループとは違って、メンバーは、選択科目の単位を履修している同級生だ。まこれはとても難しい。まあうまくいかなかったとしても、これはファシリテーターの私の力量というよりは、大学の授業としての企画そのものが無理なのだとも思っていた。
 ところが、朝の9時から夕方の6時20分まで、6日間におよぶベーシック・エンカウンターのファシリテーターを経験してみて、私の先入観、思い込みは打ち砕かれた。普段、学生たちは何の悩みもないかのように屈託なく笑い、日常の会話を交わす。情報伝達のことばのやりとりが人間関係というものだと割り切れば、それはそれでいいのだろう。しかし、真剣に聞いてくれる安全な場所では、こんなことまで話してもいいのかと思えるほど率直に自分のこと、家族のことを話した。そしてその中での自分の位置を探りながら、悩みながら模索している。その姿に、私は感動した。もちろんこの場で話し合われることはこの場だけに限り、決して外には話さないという守秘義務に関しては毎回強調して始めたが。
 人は、情報伝達のやりとりだけでは生きていけない。自分の気持ちや考えを探り探り、それを口に出していくことが必要なのだ。ある学生がこれまでの家族のしがらみである行動できずにいたのだが、そのことを話し、その後実際に行動した。その結果を、後で手紙で知らせてきた。グループの中で話をしなければ、その人にとってほとんど行動を起こさない事柄であったろうと思うとき、自分が語ることとその後の新たな行動が、私にとっては結びつくのだ。(「スタタリング・ナウ」2001.4.21 NO.80)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/04/30

79歳の誕生日を迎えました

 4月28日、今日は僕の誕生日でした。79歳になりました。
 自分でも、びっくりするくらいの年齢を重ねました。
小学校2年生までは、どもっていましたが、明るく元気で活発でした。小学2年の秋に、学芸会でセリフのある役を外されて、吃音に強い劣等感をもち、勉強も遊びもスポーツもしなくなり、友だちもいなかった僕は、社会人として生きる姿が想像もできませんでした。
 どもりを治さないと自分の人生はないと思い、21歳のとき、東京正生学院で、30日間、合宿生活を送りました。しかし、どもりは治らず、僕は、どもる覚悟を決め、吃音とともに豊かに生きる選択をしました。その後、どもる人のセルフヘルプグループを作り、世界大会を開き、吃音親子サマーキャンプを続けてきました。
 根拠なく、63歳ぐらいで「野垂れ死にする」イメージをもっていた僕ですが、思いがけず幸せに長生きしています。この年齢になって、吃音親子サマーキャンプや吃音講習会を一緒に取り組んでくれる、大勢の仲間がいること、鹿児島県や千葉県などで、ことばの教室の研修会の講師として呼んでいただけること、すべて吃音のおかげだと、吃音に感謝しているのです。おまけの、付録の余生が、ご褒美のようにも感じられます。

伸二4.28ブログ用写真 1 吃音に関する研修会や講演会で、僕はよく自分の人生を語ることから始めます。僕の体験を通して、吃音の問題は何かということを話しています。
 あれほど悩み苦しんだ吃音が、今は、僕にとってなくてはならない大切な人生のテーマになっています。吃音に定年はありません。命の続く限り、吃音とともに生き、僕の人生を通しての吃音哲学を磨き、伝えていけたらと思います。僕の目の前の人と対話をしていくことが、今、僕にできる最大のことだと感じています。一時期、治ってしまうのではないかと恐れるくらいどもらなくなったのですが、幸いにも、今また、以前よりかなりどもるようになりました。吃音を生き切ることができそうです。
 どれだけの時間が残されているのかわかりませんが、これからの日々、吃音哲学に役立つことを学び続けるとともに、子どもの頃からの放浪癖のままに、行きたい所に行き、したいことをし、食べたいものを食べ、会いたい人に会い、悔いのないように生きていきます。
 幸い、体調も万全です。新・吃音ショートコース、吃音講習会、吃音親子サマーキャンプと、今年度もイベントが続きます。そして、このブログも続けていきます。どうぞ、お付き合いください。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/04/28

吃音キャンプIN山口

 吃音親子サマーキャンプの常連スタッフだった山口の溝部さん。いつか地元の山口で吃音キャンプを開きたいという願いをもっていました。日本吃音臨床研究会の山口支部はないので、山口県難聴言語教室親の会連絡協議会と山口県特殊教育連盟難聴・言語障害教育研究部(県下ことばの教室教員の研究会)の有志で進めた、とあります。島根や千葉などでも、吃音親子サマーキャンプに参加したことのある人が中心になって、キャンプが続いています。
 「スタタリング・ナウ」2001.3.17 NO.79に掲載した、山口の吃音キャンプの様子を紹介します。

吃音キャンプIN山口
   報告者:山口県防府市立佐波小学校ことば・きこえの教室幼児担当 溝部貴代美

はじめに

 いつの日か日本吃音臨床研究会主催の吃音親子サマーキャンプが私の年中行事の1つとなっています。山口県から滋賀県までの道中はとても楽しみです。なぜなら行きは「今年はどんな子どもたちに出会えるのかな?」と思いますし、帰りには「絶対来年も行くぞ」と思うからです。
 そんな楽しいキャンプがついに山口県で初めて実現しました。といっても、日本吃音臨床研究会の山口支局はないので、企画や運営については、山口県難聴言語教室親の会連絡協議会と山口県特殊教育連盟難聴・言語障害教育研究部(県下ことばの教室教員の研究会)の有志で進めました。
 参加者はことばの教室に通級しているどもる子どもの11家族(兄弟姉妹も含め幼児8名、児童12名)をはじめ、保護者15名、ボランティア8名、スタッフ24名、総勢67名でした。
 私が個人的に体験し、見聞きしたことを中心に、キャンプの報告をします。

 《第1日目》
開会の集い 仲間作りゲーム
 10月末の気候も手伝ってあいにくの雨模様でしたが、子どもたちにとっては全く関係なかったようです。名前ビンゴや4つの窓などのゲームに大人も子どもも大盛り上がりでした。初めて出会ったのにすぐに打ち解けて、ワイワイ楽しく過ごしました。

活動.哀襦璽彝萋亜]辰傾腓ぢ1幕
 子どもたちはグループごとに分かれ、ボランティアのお兄さんお姉さんたちとキャンプファイヤーの出し物の練習に一生懸命!?グループによっては鬼ごっこやかくれんぼなど、部屋の中で大騒ぎのグループもあったとか。
 それに対して保護者は、岡本・高校教諭(ことばの教室通級児OB)の話にじっと耳を傾け、質疑や我が子の相談などで、定刻をオーバーしても熱心に話し合っておられました。このような話でした。

・週1回通級していたが、クラスの他の子が勉強しているのに、自分だけがバスに乗って、こっそり抜け出して行くのが嫌だった。しかし、今思えば自分にとっていい時間だったし、母親にとってもいいところだったと思う。
・小学校のあいだは常にどもりを気にしていた。七夕の飾りつけや神社で「どもらないようにしてください」と祈った。しかし、どもりのことでいじめられた記憶はない。小学5年から変わったと思う。それまでは下を向いて歩く子だったが、勉強に目覚め、前を見始めたかなと思った。
・「どもる子ということを意識しないようにつとめていた」「直してあげようと思わないようにした」「他の場面を作るよう努力した」と母親は先日話してくれた。キャンプ、リンゴ狩り、スポーツなど、「他のことで自信をつけてやりたい」と思ったらしい。
・高校、大学時代は、どもりを治そうではなく、これが自分でどう付き合っていこうかと思っていた。人によって向き合い方は違うけれど、いろいろな戦い方をしているのではないかなと思う。
・進路は、教師、福祉、心理などの人と接する仕事をしたいと思った。どもりは何とかなるだろうと考えていた。しかし、教育実習の時どもりを意識した。研究授業の台本を徹夜で原稿用紙20枚ぐらい書いて覚えた。そうしないと不安だった。
・現在授業で、生徒たちは私の話し方をつまると言うが、話が分からないとは言わない。上手にとは思わないで、分かるように言おうと思えば楽でどもりも出にくい。今はどもりを何とも思っていない。しかし苦しむ時期はあるし、苦しむ時期も必要ではないかと思う。そうでないと進歩がない。

楽しかったキャンプファイヤー
 いよいよ子どもたちの発表の時!
 女の子グループは歌やゲームで可愛らしい出し物。男の子グループは、マイクの争奪戦で、特に、クイズコーナーではわれ先に答えを言いたいようで、「ハイハイ」と一斉に手が挙がっていました。「ことばの教室では発表をしたがらないあの子が活発に手を挙げているではないか」と思わず涙ぐんでしまいそうな場面も見られました。このキャンプに参加している人たちはみんな発表を聞いてくれるという安心感、どもっても一生懸命話をしている自分以外の子どもがいるという仲間意識など、子どもたち自身の力で、大人の手がほとんど入っていない自然な状態で、どもりを受け止める何かを感じ取ってくれたのではないかとうれしく思いました。日本吃音臨床研究会の吃音親子サマーキャンプで肌で感じた「仲間がいることの大切さ」や「キャンプが一つの装置の働きをしていること」がふるさと山口の地においても感じることとなりました。あっという間に楽しい時間が過ぎ、クライマックスは火の神様登場。一人一人のキャンドルに火が灯され、静粛なムードで幕を閉じました。

夜の密談?懇談会
 子どもたちの寝静まった後、誰ということもなく密かに大人たちが1つの棟に集まり、時には大声で笑ったり、時にはヒソヒソ話で小グループになったり、ウンウンと頭を上下に振ってうなずきながら話に聞き入ったり、と楽しいおしゃべりの時間が3時間、人によっては明け方まで続きました。
 子どもたちがキャンプファイヤーの場面で感じたように、大人たちも暗黙の雰囲気で何かを感じたようです。山口県は東西南北に広がり、交通の便が悪く、どもる子どもを持つ親同士で話し合う機会が持ちにくく、自分の子ども以外のどもる子どもと出会う機会がありませんでした。しかし今回、この懇談会がその機会となり、有意義な時間がもてました。保護者同士の話し合いの場としても、ことばの教室担当者としても、保護者と肩の力を抜いて話ができたことはありがたいことでした。

 《第2日目》
活動:プラホビー・親の話し合い2幕
 ハイキングの予定が、天候不順で予定を変更して、子どもたちはプラホビーという活動。これは子どもたちが好きな絵やことばを台紙に書き、レンジでチンすると縮小され、キーホルダーができるというものです。幼児にも簡単に作ることができ、しかも記念に残るといううれしいおみやげとなりました。
 保護者やスタッフは、「岡本先生の話をまだ聞きたい」「昨夜の話し合いでも話し足らない」という意見が多く、10人程度のグループに分かれて話し合いをすることになりました。一人一人の悩みや意見が具体的に出され、そのことについて岡本先生や上田敬介先生(山口県身体障害者センター)、ことばの教室担当者、保護者でもある成人のどもる人など、いろいろな立場の方々からのアドバイスや体験談を話していただきました。

野外炊飯
 グループでカレーライスを作りました。危なっかしい手つきで頑張る子どもたちの包丁さばき。お母さんの表情はちょっぴり不安そうでしたが、やさしく見守ってくれていました。
 それぞれのグループで協力したり役割分担をしたりしながら完成を待ちます。ルーが煮えるまでの待ち時間、子どもたちは大自然の野山が遊び場となり、ズボンや上着を汚しながら遊んでいました。
 さあ食事の時間!お味のほうは甘いカレーもあれば、激辛のカレーもあれば、お焦げ入りのご飯もあれば、といった具合にバリエーション豊かなカレーでしたが、おいしく楽しくいただきました。

解散の集い
 後日報告集(文集)を作成するために、子どもたち、保護者、スタッフなど参加者全員に感想文を書いてもらいました。話したことや感じたことを文に書いてまとめるという作業は難しいことですが、新鮮な気持ちを残しておくという意味でも大切な活動でした。保護者の感想文の一部を紹介します。

・キャンプと聞いた時から、この日を指折り楽しみにしてきました。親の方も同じ悩みを持つ者どうしでいろんな話ができ、またどもりとうまくつき合いながら頑張っていらっしゃるお話を聞き、とても心強い思いでした。私自身も10数年どもることを隠しながらいた自分と、そのカラを打ち破った自分との違いを、つまりながらも皆さんの前でお話できたことは、また一歩、自分に勝てたと思っています。岡本先生が話されていたように自分との戦いですが、楽しく戦っています。逃げたり隠れていても何の解決にもならないことを、身をもって教えてくれたのは子どもだと思っています。子どもも、どもりとうまくつき合ってくれると確信しています。(小学2年生のお母さん)
・最初、子どもはキャンプへの参加にあまり気乗りしないようでしたが、同じ班のお友達と電話番号を交換するほど意気投合し、とても楽しかったようです。私も主人も、子育てに関する意見のくい違いが多くあるので、先生方、親の会の方々の貴重な意見をおうかがいすることができてとても参考になりました。悩んでいるのは自分だけじゃないということがわかり、親子ともども、気が楽になり心強く感じました。(1年生のお母さん)
・子どもは幼児で他のお兄ちゃんたちとうまくやっていけるか少し不安でしたが、他の子のリードのおかげで楽しくやっている姿を見て安心しました。吃音について岡本さんの話、先生、同じ立場のお父さん、お母さんの話を聞いて、吃音はおおらかな気持ちで長くつき合っていくことを教えていただきました。自分自身の心の中のもやもやが晴れたような気分です。これからの子どもへの接し方も少しは変わり、ちょっとずつでもいい方向に進めばいいなと思っています。(幼児のお母さん)

 その後、子ども代表、保護者代表、ボランティア代表の方々が感想を言いました。その中でも私が印象に残ったのは、子ども代表のAくんのことばです。
 「別のキャンプに行くと何でそんなしゃべり方なのかと馬鹿にされるけど、このキャンプでは何も言われなかった。だからキャンプに来て良かった」
 このことばを聞いて胸がジーンとしました。

おわりに
 1泊2日という短いキャンプでしたが、充実したキャンプになりました。子どもたちの胸の奥に自信や希望、彼らの行く先で出会う困難に立ち向かうことのできるパワーの源など何かを感じてくれていればと期待しています。また、保護者やことばの教室担当者にとっても、子どもとの接し方を反省したり、子どもの見方を考え直したりする良い機会となりました。また、子ども同士の関わりの中から、子どもたちの新しい部分が発見できたり、意外な行動を見せつけられたり、ことばの教室では見せない表情を見せてもらったりと収穫が多かったように思います。このキャンプで子どもたちから得たパワーを糧に、今後のよりよい支援を考えていきたいと感じました。
(「スタタリング・ナウ」2001.3.17 NO.79)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/04/27

第3回ことば文学賞 2

 昨日は、最優秀賞作品を紹介しましたが、今日は優秀賞作品です。日本吃音臨床研究会の「スタタリング・ナウ」購読者の作品です。
 2023年度のことば文学賞も、今、作品募集中です。6月24・25日に開催する新・吃音ショートコースで受賞発表を行います。応募資格は、大阪スタタリングプロジェクトおよび日本吃音臨床研究会のメンバーです。吃音について、ことばについて、生き方について、綴ってみませんか。詳しくは、大阪吃音教室のホームページをご覧ください。

第3回ことば文学賞・優秀賞作品
   押入れの中から
                   高田健一35才(公務員 東京都在住)

 先生のタバコの煙が教室内に充満している。教えたとおりにギターを弾けないといらいらし、タバコを吸い始める。口調は柔らかだが、タバコの煙が先生になり代わって責め立てる。
 「いや、うちの二歳のやんちゃ坊主が練習の邪魔をするんですよ」と弁解したいところであるが、子どもが生まれてくる前と後の練習時間に差はない。むしろ時間を大切にするようになり、練習の密度も濃くなった。しかし音物が好きなやんちゃ坊主のおかげで、少なくとも我が家では練習ができないので、昼間、職場の中にある重油のにおいがきついボイラー室で練習することにしている。確かに職場では、「がんばっているね」と応援してくれる人もいるが、やっかみも多いと聞いている。直接、「昼休みに職場で好きなギターを練習することが、あなたにとって迷惑ですか」とお伺いをたてたわけではない。どもる人特有の感受性の強さで、職場の同僚の冷たい視線を感じる時がある。しかし30歳から始めたギターも5年間続けることができた。今が楽しい。
 小学生の頃、兄のまねをしてギターを習いに行った。しかし、もともと飽きっぽい性格なので、すぐに挫折し、ギターは押入れの中に入りっぱなしであった。
 中学校、高校と特に何の特技も取り柄もない人間であり、その上高校も中退したものだから、本当に吃音以外は何の特徴もない人間であった。ギターとともに暗い押入れに入っていた。
 いつの間にか大検を受けて合格し、大学に進学した。大学では言語障害児教育を専攻したが、なぜか少年院の教官になっていた。朝礼では百人もの少年の前で人員の報告を行うが、難発の吃音で恥ずかしいなんてもんじゃない。けど少年院の少年達は、弱味を見せることが下手なことが多いので、案外いい見本になっていたのかもしれない。朝礼時の難発型報告は、私の朝の日課になっていた。少年の中には応援してくれる者もいた。
 少年院は、大阪生まれで東京育ちの私と何の関係もない茨城県にあり、特に趣味もない者にとって、何か思いにふけったり、時たまエッチなビデオを鑑賞したりすること以外やりたいことが見当たらなかった。地元の子供たちのボランティアや手話サークルなどといろいろ参加してはみたものの、どれも長続きはしなかった。女性との出会いを求めていたのだから仕方がない。
 そんなある日、職場の仲間と嫌いなカラオケに行き、歌ってみたところ自分の歌のうまさ、声のよさを体感した。もちろん職場の仲間もほめてくれた。歌を歌うときはどもらないものだから調子に乗って何曲も歌い続けた。歌をどもらずに歌えることは気持ちがいいが、これがどもる人にとってマイナスな効果を生む結果となることも多い。
 「歌うように話せばどもらないんだ。」
 歌うようにリズムをつけて、メロディをつけて話すなんてできるわけがない。しばらくまた吃音と闘うことになった。
 吃音を恨むことは今でも多い。社会人になってますます強くなってきた。「人間はでこぼこで、どんな人でも60点位のものだ」と言われるが、吃音はマイナス40点として、いつも私の心の隅に置かれている。そのことばは、私にとって何の励みにもならなかった。少年たちの前で行う難発型報告でも、さっき「朝の日課となっていた」と強がってみたものの、ビデオの一時停止がかかり、血管がぷっつん切れるほどのつらさは二度と味わいたくないと思う。
 そんな中、押入れからギターを取り出して、ボロン、ボロンと弾いて歌うようになっていった。
 歌うときの声は普段話をしているときの声と違う。よく通る声だ。時々少年たちの講話の時間に弾き語りをする。自己満足の世界に陶酔しているようだが、くだらない説教より少年たちの評判も上々であった。
 楽器は正直なもので、毎日演奏していないといい音を出してくれない。しかも管弦楽ならなんでもそうだが、大きな音を出せば、出すほど、楽器の音が生きてくるらしい。人の感受性を微妙に表現してくれるし、言葉に代わるコミュニケーションの手段である。
 場所は変わったが、二十年ぶりに押入れのギターを取り出し、7畳半のアパートの手が届く所に置くようになった。
 7年間の茨城の勤務を終え、東京に戻ってきてからは、若い頃全く興味がなかったジャズにはまっている。ジャズは原曲をもとに、その人なりにアドリブ、つまり即興演奏を行う音楽である。だから会話と同じで、相手の演奏をよく聞いていないといけない。リズムも合わせないと、演奏がバラバラになり、聞き苦しいものになる。ましてギターはサックスやトランペットなどと違って呼吸楽器ではないので、やたらと長いフレーズを弾き続けることもできる。
 しかし人の話と同じで、息を吸い、吐きながら、そしてたまには深呼吸を入れるほどの間をあけて演奏するのが、、聞いている方にも心地がよい。
 またギターは腹に抱える楽器で、しかも人間にくっついている部分が多い楽器でもある。気持ちをこめれば、相手に対してことば以上に自分の気持ちが伝わる。もちろん私の場合、初心者以上中級者未満の腕なので、演奏もどもる。しかし、吃音矯正と違い、練習すればするほどどもる回数は減るようである。吃音については半ばあきらめている状態であるが、ギターを抱えて、腹の底から、心の底から自分の出したい音をどもってもいいから表現してみたい。そんな気がする。
 私のように楽譜もろくに読めない者が、30歳を過ぎて、ジャズギターを始めた。ことばの出にくい一人の人間と一人では音の出せない物体が、20年もの時を隔てて再会し、生き返ったようにことばをしゃべる。もっと若い頃から始めれば、プロとして女の子から「きゃーきゃー」「ひーひー」言われるほどうまくなっていたのかもしれないが、今となってはもう遅い。でも自分の名前が言いづらいおやじにしか出せない音だってあるはずだ。
 そういえば、押入れから出ていたギターも私の心の中と同じようにずいぶん埃をかぶっていた。ネックは曲がって弾きづらいが、音は毎日弾き続けているので、次第に良くなってきた。中性脂肪がたまり、臆病になる心と老いていく体を背中から押していってくれるような力強い音も出せるし、ギター特有の繊細な響きもそれなりに出してくれる。音数は少なくていい。曲を通して、聞いている人に気持ちが伝わるように、一つ一つの音に魂をこめて弾いていきたい。そう思えるようになったのも、吃音のおかげかもしれない。

《選者・高橋徹さんのコメント》
 御作「押し入れの中から」は、吃音者と音楽とのかかわりを描いて、まことにユニークでした。このような視点の作品は初めてでした。歌うことから、ジャズ・ギターへ。とりわけジャズ・ギターのところは大兄ならではの深いところにまで筆が及んでいました。文句なしに優秀賞でした。

 高田さんは東京にお住まいで、大阪吃音教室での受賞には参加していただけませんでした。選者の高橋徹さんからいただいた上記コメントと共に、受賞をお知らせしました。とても喜んで下さいました。また、受賞の知らせを聞いたときの気持ちを聞かせて下さいとお願いし、次の文を綴っていただきました。

 日本吃音臨床研究会からの小包を開け、中から受賞の知らせを見た瞬間、この「ことば文学賞」への応募を勧めてくれた妻と二人抱き合って喜びました。
 東京在住で日本吃音臨床研究会の活動も直接参加したことはありませんが、今回自分の吃音を表現でき、結果的に自分の今までを振り返ることができました。私の作品は、吃音に対して前向きに取り組んでいる様子を伝えたものではありません。私は吃音から逃げたい時は逃げているし、常にどもらずうまく話そうとしています。吃音に対して真正面からぶつかって、はね返されるのが怖くて、35歳の今でも吃音とはうまくつき合えません。そんな大人が夢中になれるギターと再会し、ジャズという音楽に出会ってしまったというものです。自分の中で具体的に何かが変わったわけでもありません。したがって、吃音に対して目を反らせた内容かもしれませんが、文を書いている間、なぜかとても幸せな気分になりました。本当にありがとうございました。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/04/26

第3回ことば文学賞

 ―自分の気持ちや思いを表現するとき、また他者とのやりとりの中で、ことばの大切さを痛感します。ことばや吃音について、どもる方もそうでない方も多くの方々とさまざまな視点から語り合ったり表現の場を持ちたいと思います。ことばや吃音に関する日頃の思いを文章に綴ってお寄せ下さい。―
 こうして、ことば文学賞の作品募集が始まります。
 今日、紹介するのは、2000年度、第3回ことば文学賞の受賞作品です。大阪スタタリングプロジェクトの主催ですが、『スタタリング・ナウ』の読者も応募対象となっています。東京都にお住まいの高田健一さんが応募して下さり、入賞されました。その作品は、明日、紹介します。
 まず、最優秀賞作品からです。

第3回ことば文学賞・最優秀賞作品
   吃音笑い話 便器に向かって「失礼します」
            金森正晃35歳(高野山金剛峯寺本山事務担当、僧侶)

 今さら言うことでもないが私はどもる。子どもの頃からどもっていたが、大人になってもやっぱりどもる。どもる、どもる、どもる。そう私はドモリなのである。
 私は10歳の時どもっていた。20歳の時も、30歳の時もやっぱりどもっていた。どもる、どもる、どもる。そう私はドモリなのである。
 私は全ての言葉によくどもる。でもどもりにくい言葉と、どもりやすい言葉がある。私が最も苦手な言葉。どもって絶対素直には出てこない言葉。それは「イ段」。イ母音で始まる言葉なのである。
 イ、キ、シ、チ、ニ、ヒ、ミ、イ、リ、イ。この音で始まる言葉は、どう頑張っても素直に出てきてはくれない。私を子どもの頃からいつも困らせ悩ませている。
 私は現在、和歌山県に住んでいるが、出身は島根県簸川郡斐川町三絡(しまねけんひかわぐんひかわちょうみつがね)という所。どの部分を取ってもイ音で始まる地名なのである。私にはこんな地名言えるはずもなく、子どもの頃から本当に困っていた。いまだに絶対住みたくはない我が懐かしき故郷である。
 私は故郷に帰ろうとすれば、これまたチケットを取るのに大変である。飛行機で帰れば出雲(いずも)空港、電車で帰っても出雲駅。私はこの故郷にしばらく帰っていない。こんな場所、帰ってやるもんか。
 そんなこんなで生まれ故郷を離れた私だが、故郷を離れたからと言って問題が解決した訳ではない。そう私は今でもどもり続けているのだ。いつも私から離れない、私を悩ます言葉、それはイ母音で始まる色んな言葉。
 私はどもりながら大人になった。どもりと一緒に大人になった。そして職場に勤め始めた。もちろん、どもりを連れ添ってである。
 勤続13年、私はいまだに職場の中で「失礼します」という言葉が言えない。最初のシの音がどうしても素直に出てこないのだ。少し私の職場での出来事を話そう。これはドモリのとても可笑しく、そしてとても悲しいユーモアたっぷりの話である。お気に入りのスキャットマン・ジョンのCDを聴きながら、さあ話し始めよう。
 ある日、私は職場で机に向かっている。書類の整理も終わり、ゆっくりとコーヒーを飲みながら出陣の時を待っている。そう、今からこの書類を持って上司の部屋に行かなければならない。目指す部屋は「企画室長室」(きかくしつちょうしつ)。私の役目は室長室に入り、この書類の内容を室長に説明し、室長の承諾を得ることにある。私にはとても難しいことだ。成功する確率は極めて低い。さあ、今回はうまくいく事を祈って。いざ、出陣だ。
 少し大きめのマグカップの中のコーヒーを飲み干し、書類を手に持ち部屋を出る。ゆっくりと廊下を歩きながら目的地に向かう。ゆっくりと歩いたのにもかかわらず約3分で「企画室長室」の前に到着。ついに来てしまった。ここからが問題である。高鳴る鼓動を押さえ「大丈夫だ、大丈夫だ。」と自分に言い聞かせ、ドアの前に立つ。「・・・・・」。駄目だ、言葉が出ない。ドアが開けられない。今回もやっぱり駄目だったか。こうなると、もうどうすることも出来ない。よし、別の手を考えよう。誰かがこの部屋に用事で来るのを待とう。その人と一緒に部屋に入れば問題はない。五分待つ。誰も来ない。更に五分待つ。やっぱり誰も来ない。絶体絶命である。私は意を決しなければならなくなった。もう助けを待っている時間はない。自分の力で切り抜けてゆかねばならないのだ。さあ部屋に入るぞ!
 「トン・トン・トン」。先ず、ドアを軽くノックしてみる。すると中から「はい、どうぞ」と室長の声。さあ、言うぞ!「・・・・・」。駄目だ、言葉が出てこない。再び中から「はい、どうぞ、入りなさい」の声。入りなさいと言われても入れないから困っているのに。「・・・シ・シ・・・」。顔を引きつらせ、身体に力を入れ、足で地面を叩く。「・・・シ・シ・・・」。やっぱりどもって言葉が出てこない。エーイ、開けてしまえ。「ガタン」とドアを開けた後は、「シ・シ・シ・シ・・・」と、ひたすらシを連呼しながら室長の机の前に至る。私が「失礼します」の次に言わなければならない言葉、それは「室長、企画の資料をお持ちしました。」だ。“室長”も“企画”も“資料”も、何でこんなに続くんだ。こんな言葉大嫌いだ。
 「シ・シ・シ・シ・室長・・・あのあのあのあの・・・」。室長の机の前で再び、顔を引きつらせ、身体に力を入れ、足で地面を叩きながら、それでも言葉が出てこない。資料の細かい説明など出来る訳がない。こうなりゃ、もう早めに逃げるしかない。
「あのあのあのあの・・・」と連呼しながら書類を室長の机の上に投げ捨て、ドアの所に向かう。早々に部屋を出たいのであるが、ここでまた一つ、問題があるのだ。そうだ、私にはあの忌まわしき言葉、今度は「失礼しました」が待っているのだ。「シ・シ・シ・シ・・・」どもりながらドアをバタンと閉める。ドアを閉め終わって、しばらくしてから「・・・っっれいしました」と、カチコチに硬直している身体から、やっとの思いで言葉が出る。
 毎度の事ながら今回も最低最悪だった。いつもながら少し自分がイヤになる。約一分問、自己嫌悪に浸る。しかし、いつまでも落ち込んでなどいられない。こんな事でいちいち落ち込んでいたら身体が幾つあってもたりはしない。なんせこんな事は私にとっては日常茶飯事。“ドモリ”とは、もう30数年来の付き合いの仲良しである。
 でも取りあえず書類も無事、室長に渡したことだし、まあ、いいか。いつもながら直ぐに開き直ってしまうのである。悩んだって始まらない。私にとっては、「それはそれで良し」なのである。
 しかし、とにかく疲れた。ホッとしたら急にオシッコに行きたくなった。トイレに行こう。トイレの入り口の所で、トイレのドアを開けながら言ってみる。「失礼します」。スムーズに口から言葉が出る。何だ、簡単に言えるじゃないか。オシッコをしながら便器に向かって「失礼します、失礼します、失礼します」。いくらでも言える。横の便器にも言ってみよう。右の便器に向かって「失礼します、失礼します、失礼します」。左の便器に向かって「失礼します、失礼します、失礼します」。
 上司の前ではどもって言えない。トイレの便器には簡単に言える。そうだ、これからは上司のことをトイレの便器だと思うことにしよう。便器だ、便器だ、トイレの便器だ。これならもう大丈夫だ。いかん。職場で上司に向かってオシッコは出来ない。やっぱり私は「失礼します」は言えない。
 スキャットマン・ジョンの歌が鳴り響いている。これが私の職場でのよくある出来事の話だ。おかしいだろ。ドモリの君も、ドモリじゃない君も笑ってくれたかな。だからドモリは楽しいんだ。
 私はイの音で始まる大概の言葉は、本当に嫌いだが、でも中には好きな言葉もある。それは「しあわせ」と「きぼう」という言葉だ。私はドモリを通じて沢山の人から多くの幸せと希望を貰った。「しあわせ」「きぼう」。この2つの言葉は、警えどんなにどもってでも、自分の言葉で人に伝えたい。ドモリで良かった。ドモリに感謝する。

《選者の高橋徹さんのコメント》
 自分自身に即してより具体的に書かれていたのがよかった。これは、どもりのとてもおかしく、そしてとても悲しい、ユーモアたっぷりの話である。悲劇的な話を喜劇的なタッチで書いた手法が説得力をもった。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/04/25

どもる権利

 今年は、桜の開花がとても早く、僕の住むマンションの桜も一気に咲いて、あっという間に散ってしまいました。今はつつじ、そして早くも藤の花が咲いていると聞きます。
 春真っ盛りですが、僕は、この春の初め、早春の頃には多くの思い出があります。嫌いだった早春が好きになったことから始まる「スタタリング・ナウ」2001.3.17 NO.79の巻頭言を紹介します。

  
どもる権利
              日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二

 早春は、私の一番嫌いな季節だった。
 小学校5年生の頃から、多くの知らない人と出会う中学校での最初の自己紹介に怯えていた。自分の名前が言えずに立ち往生している姿が、すぐに思い浮かぶ。自己紹介は何度も経験してきたことだからだ。言いようのない不安感が、中学生になりたくないとの思いを膨らませる。このまま、春がこないで欲しい。しかし、確実に小学校の卒業式はやってきた。この早春の季節に。
 今でもこの頃になると、あの頃の不安や恐れがよみがえり、胸がキューンとなるが、今はこの早春が一番好きな季節になった。それは、1965年の秋につくったどもる人のセルフヘルプグループの、半年後の発会式の準備を、この頃に胸を躍らせながらしていたからだ。もし、この経験がなかったら、今でも私は早春を嫌い続けていただろう。
 その卒業式を控え、卒業生の名前が言えるだろうか強い不安に襲われ、電話をかけてきた人がいる。小学校、中学校のふたりの教師からだ。
 厳粛な雰囲気の卒業式の場で、担任教師がひとりひとりの生徒の名前を読み上げていく。「青名・・赤松・・」ところが、「徳田」のところで「と」がどうしても出ない。1秒、2秒と時間がすぎていく。壇上に進もうとするが、名前が呼ばれないので歩き出せない生徒。ざわめきと困惑の表情の参列者。その中で真っ赤になり立ち往生している担任教師。恐らく二人はこのような場面を想像したのだろう。
 小学校の教師は、これまでどもることを隠して来たが、この際、自らの吃音を公表しようかどうか迷っている。2年間で築き上げてきた子どもとの信頼関係がそう考えさせたようだ。中学校の教師は、明日から始まる卒業式の練習に不安が広がる。胸苦しい強い不安に目が覚めその後眠れなくなったと言う。
 うまく無事に名前が言えて、あの不安が何だったんだろうと思えるように、何とか切り抜けられたらいいなあと思う。しかし、そうならず、生徒の名前が言えずに実際に立ち往生した場合、その人が考える最悪の場面になったとしたら、どんな選択肢があるか。
 ひどい難発の状態になっても、時間がかかっても最後まで声が出るまで言おうとする。あるいは、「とととととととと・徳田」と連発して無理やり声を出す。あるいは、同僚や教頭に代わりに言ってもらうなど。
 仮にそうなったとしたら、気持ちのいい状態ではないが、本当に最悪だろうか。普段の教育は精一杯し、生徒からも保護者、教師仲間からも信頼を得ているのだ。卒業式のひとつの場面で立ち往生したとしても、それを恥じることはない。こうなれば自分を語るチャンスだと考えたい。率直にその時の状態について認め、自分の吃音について語るのだ。
 どもる人間が、教師として生きて来た苦しみや喜び。君たちの名前は読めなかったけれど、精一杯教師として努力してきたこと。卒業式で、名前が言えずに、周りの驚き、困惑、あるいは冷たい目にさらされながら、人間としてその場に立ち尽くした時の気持ち。
 ことさら明るく語ることはないが、暗く重くならない教師の率直な自己開示が、生徒の心に染みて、これから波乱の思春期・青年期に旅立つ子どもたちへの素晴らしい応援歌となるのではないか。
 どもる子ども、どもる人とは、何か。私はこう定義をしたい。
 「吃音を通して、からだとことば、人間関係、生きることなどを考え、行動するテーマを与えられた人のことである」
 吃音を通して、考えてきたこと、行ってきたことを卒業式の日に、子どもたちに手渡す。子どもたちに、ひとつのモデルを示したことになる。
 ここまで書いて来て、私はふと島崎藤村の『破戒』の主人公・丑松が、父の戒めを破り、自分の担任する子どもたちに被差別部落の出身であることを告白する場面が鮮やかに浮かびあがってきた。小学生高学年から中学生にかけて、何度も何度もその部分を読み返しては涙を流し、丸暗記していたセリフが。
 「・・・皆さん許して下さい。私はエタです。これまで皆さんに隠してきたことを許して下さい・・・」
 どもる人間には、どもる権利があるのだ。(「スタタリング・ナウ」2001.3.17 NO.79)

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/04/24

瘢痕(はんこん)

 應典院・コモンズフェスタでの桂文福さんと僕の対談を紹介してきました。この対談は、「スタタリングナウ」NO.77とNO.78の2号に分けて掲載しました。NO.78の巻頭言が紹介できていなかったので、今日は、2201.2.17 に「瘢痕」とのタイトルで書いた巻頭言を紹介します。

  
瘢痕
                 日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二

 「文福さんは、30年もプロとして喋る仕事をされてきて、話す訓練をいやと言うほどされてきたと思いますが、それでも吃音は治りませんか?」
 桂文福さんに不躾な質問をしてみた。「治りまへんな」文福さんの答えは明快だった。
 昔の人々は、災害などの損害を被りながらも、自然をねじ伏せるのではなく、折り合いをつけ、つきあう知恵を育んできた。ところが現代人は、自然を自分の都合の良いように克服しようと、自然を破壊してきた。様々な環境破壊が、人間を、暮らしをむしばみ始めてやっと、人間はその愚かさに気づき始めた。では、人間のことばやこころについてはどうだろう。
 クローン人間が現実のものになりつつあり、宇宙旅行さえも実現しそうな現代。神経生理学的な研究や、高度な情報技術を駆使すれば、吃音は治るのではないか。多くの人の自然な思いかもしれない。
 まして、吃音は全く喋れないのではなく、時には流暢に喋れる。ある人にとっては、言わば、限りなくいわゆる普通に近い。あと一歩のことだから、なんとかなるのではないか、努力すれば治せるのではないかと考えてしまうのだろう。吃音に悩んだ私たちは、治りたいと思い詰め、治す努力を続けた。そしてますます悩みを深め、吃音を隠し、話すことを避けた。この日常生活に及ぼす影響に気づき、私は30年近くも前に、『吃音を治す努力の否定』を提起した。が、いまだに、インターネット上でも「吃音は治る、治せるのに、治ることを否定するとは何事か」と筋違いな批判をされている。
 自らの生活を一所懸命生き、結果として吃音が治った状態になることはあるだろうが、治そうとばかり考え、そのための努力をした人が治ったというのは私は知らない。治るものなら治るにこしたことはないが、現実に治す方法はない。
 吃音に悩んできた人にとって吃音が治るとは、人が空気を吸うように、自然に話せることだと言っていい。周りの人が吃音と気づかない、つまり98%は話せても、ある特定の音が出にくい2%で悩む人は、この2%が受け入れられずに悩んでいる。
 ことばの発達途上の吃音は、40%ほどは自然消失する。しかし、時間をかけて自分の中に入ってきた吃音が、小学生まで持ち越すと、これはもうその人の一部になり切っている。そのからだの一部になっている吃音が、跡形もなく消えることは恐らくないだろう。
 アメリカの言語病理学者、フレデリック・マレーさんは、それを火山に例えた。噴火が収まったかに見えても、いつ噴火しても不思議はないという。マレーさんも、今は流暢に話して死火山のようだが、大噴火したらお手上げだと笑っておられた。(『スタタリング・ナウ』39号)
 私は、かなりどもっていた21歳の頃と比べ、講義や講演など大勢の前ではほとんどどもらなくなった。
 しかし、ここ2年私は変わった。普段だけでなく、講演や大学などの授業でもかなりどもるようになった。昨年の秋、島根県で『自分を好きになる子に育てるために』の講演の時、《初恋の人》の文章を朗読した。このエッセイには、「自分と他者を遠ざけてきた吃音…」など、たくさんの「他者」が出てくる。「たたた・」となればいいが、ぐっと詰まって「た」が出ない。講演の中程から「他者」を瞬間に「人」に言い換えた。短い文章だが、普段の倍の時間がかかったろう。
 「嫌なことはしない。嫌な人とはつきあわない」
を生活の信条にできる、勝手気ままな生活を送っているので、ストレスがあるわけでも、将来への不安があるわけでもない。人前で話すことが多い私がなぜこのように最近どもるようになったのか、全く見当がつかない。吃音を治したいとはこれっぽっちも思っていないから、これはこれで自分らしくて悪くはないが、吃音の不思議さを思う。
 父もそうだった。吃音を治したいと謡曲を始め、その師範となり謡曲を生業とした。腹式呼吸の達人だった。お弟子さんに教えるときや、人前で話す時は、ほとんどどもらないが、家族の前ではよくどもった。
 吃音が治る、治せるという人は、文福さんや父や私にどんな訓練をしてくれるのか。私たちがどんな努力をすればいいのか。治せるというのなら、その方法を教えて欲しい。教えてもらっても文福さんも父も私もしないだろうけれども。
 癒痕(はんこん・皮膚の腫れ物や傷などが治癒したあとに残るあと―広辞苑)は、消えることはない。 (「スタタリング・ナウ」2201.2.17 NO.78)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/04/22

應典院・コモンズフェスタ2000 どもりを個性に 桂文福オリジナルの落語家人生 6

 應典院で開催されたコモンズフェスタでの、文福さんと僕の対談を紹介してきました。2時間15分に及ぶ対談は、今、読み返してみても、文福さんの温かい人柄があふれている、楽しい時間でした。
 参加された方の感想を紹介します。

優しさに包まれ、パワーを吸収した
                              坂上和子

 桂文福さんの公演録を読み、再びあの優しさに包まれたお人柄を思い出しています。本当に親子3人で出席してよかったです。息子は小学5年生ですが、子どもにたくさんのメッセージをいただき、帰ってきてからの1ヵ月は、文福さんのパワーを十分に吸収した様子でした。まずしばらくは「気持ちがむちゃくちゃ楽になった」と言って、毎日「学校で今日は何回発表した」と私に報告していました。機関銃のように勢いよくしゃべる子どもを横目に“おいおい、そんなに早く治るなよ”と寂しいような感情がわいてきたのですが、誰に報告するともなく、しばらく様子を見ることにしました。そして、やはり効果は1カ月足らず、尻すぼみで、またかっこ悪さを自覚しながら日々戦っているようです。定期的に大阪へ通えたらいいだろうなと切実に思いました。でも、昨年、吃音ショートコースに参加できたおかげで、子どもの将来を少し客観的に考えることができるようになり、親としての心構えは準備OKのような気がします。皆さん、お年を召される順に魅力的だと思いました。うちの子は、まだ笑うしかない状態でどもっちゃっていますが、あたたかく見守っていこうと思います。


文福さんから貰った大きな力
                    金森正晃(和歌山県・高野山)

 私は現在、僧侶として和歌山県の高野山に住んでいる。11月6日。待ちに待ったその日は、あの和歌山が生んだスーパースター、桂文福さんに会えるというので朝からウキウキワクワク。一日中落ち着かず、仕事を少し早目に切り上げて大阪へ向かった。
 少し早目に出発したが、5分の遅刻。もう既にお弟子さんの"桂ちゃん好"さんの前座トークがはじまっていた。しかし文福さんの登場はまだ、ギリギリ間に合ったという感じだ。少しすると、派手なピンクの羽織姿で文福さんの登場。
 よ、待ってました!
 前半は文福さんの落語、後半は文福さんと伊藤さんの対談という形であったが、落語も対談も、とにかく文福さんの話はおもしろかった。中でも和歌山弁ネタの話は、和歌山の高野山に住む私にとっては、とても可笑しく久しぶりに腹を抱えて笑った。さすが文福師匠、やっぱり一流の噺家さんである。
 和歌山の人はザ行の音が発音できず、ザ行を含む音はどうしてもダ行になってしまう。ぞう(象)がドウ、ぞうきん(雑巾)がドウキン、れいぞうこ(冷蔵庫)がレイドウコというふうにである。文福さんも故郷を離れ、落語界に入門された頃には、この和歌山弁のせいで随分困ったそうだ。そんなことをおもしろ可笑しく話していただいた。
 実は私自身も高野山に住み始めた頃には、和歌山弁には随分と困った。私の場合、文福さんとは全く反対で、和歌山弁が聞き取れなくて困ったのである。更に、私は島根県出身なので言葉は田舎丸出しの出雲弁、それもどもりながら話すのであるから全く意味不明になってしまう。そんな私も和歌山高野山に住むようになって、はや20年、今ではすっかり和歌山の人間である。高野山が好きで、熊野の森が好きで、有田の海が好きで、和歌山全体が好きだ。そして和歌山の人たちが大好きだ。文福さんはその和歌山が生んだスーパースターなのである。
 伊藤さんとの対談の中で、文福さんは自分の吃音についていろいろと話して下さった。そのお話の中で、文福さんも私たち同様、子どもの頃から吃音に悩み苦しまれていたことを知った。しかし、さすが文福さんである。吃音のことについて話していても、決して重たい暗い雰囲気にはならず、会場から笑いの声が途絶えることのない楽しいものであった。まるで文福さんと伊藤さんの漫才のような対談であった。
 文福さんは不思議なことに高座の上で落語をされている時は全くと言っていいほど、どもらない。私も今まで文福さんがどもる人だなんて知らなかったほどだ。でも、高座を降りて普段の会話になると、よくどもるという。伊藤さんが初めて文福さんから電話をもらった時は、吃音の相談の電話だと勘違いしたぐらい、電話では特にどもるそうである。そんな文福さんが30年近くも落語を続けてこられ、ついには弟子を持ち、“師匠”と呼ばれるようになるには並大抵の努力ではない。文福さんは“努力”の人である。文福さんを常に支えていたものは「落語が誰よりも大好きだ」という一途な思いである。人は誰しも決して諦めずに、自分の心の中に、強い信念を持ち、そして自分自身に絶対的な自信を持ち、目標へと向かってゆくことが大切なのだろう。
 話芸の達人、落語家としての文福さんの成功は、私たち吃音を持つ者に大きな勇気と希望を与えてくれた。私たちは誰しもが文福さんのようになれる。それは決して落語家になれるという意味ではない。あらゆる分野において成功しうる可能性を誰しもが持っているということである。私は今回の吃音を通じての文福さんとの出会いに心から感動した。吃音を受け入れ、吃音と上手につきあっている文福さんは、決して吃音を芸風にしたり、売り物にしたりはしない。それが文福さんの魅力だ。
 私はこの4月、住み慣れた和歌山高野山を去る。兵庫県の湯村温泉の近くに“春来(はるき)”という過疎の村で、今まで住職のいなかった小さな村の小さな寺“萬福寺”に住職として入寺する。これから先、いろいろと大変だと思うが、がんばってみるつもりである。
 “寄席”とは、どんなものでも決して排除せず、全てのものが寄り集まる処であると文福さんは云う。お年寄りも若い方も子どもたちも、そして動物や小鳥までもが寄り集まる処。それが寄席なのである。お寺も同じであると私も思う。私のお寺も、そんなみんなが寄り集まるような寺にしたい。そしてこの寺の名前の如く、萬(よろず)の福を多くの人が持ち帰っていただけるような、お寺にしたい。それが私の夢である。
 今回、文福さんからは、笑いとともに大きな力を貰った。文福さんに心から感謝する。そして、私を20年間、育ててくれた愛する和歌山高野山に心から感謝する。みんな是非、来年から私の寺に遊びに来てほしい。それが私がこれから作る“萬福寄席”なのである。
(「スタタリング・ナウ」2001年2月17日 NO.78)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/04/21

どもりを個性に 桂文福オリジナルの落語家人生 5

 應典院で開催されたコモンズフェスタでの、文福さんと僕の対談を紹介していますが、今回で最終です。2時間15分、本当にしゃべりっぱなしだったのではないでしょうか。このときのイベントには、遠くからどもる子どもたちもたくさん参加していました。最後の子どもたちへのメッセージは、文福さんらしい、温かい、優しい、そして心強いメッセージでした。
 「スタタリング・ナウ」編集のために、テープを何度か聞き直し、そのときにもまた、笑わせてもらいましたが、今回も久しぶりに文福節を堪能しました。
 
應典院・コモンズフェスタ2000
  どもりを個性に 桂文福オリジナルの落語家人生


ここまでよう来たな

文福 今日はこういう『どもりを個性に』というテーマやからいろいろ言わせてもらったけれど。結局、誰かがひとりでも痛みを感じたら、笑いにはならん。
 和歌山の芸人の県人会を作ったのも、おととし、カレーの事件がきっかけです。和歌山の園部地区に、テレビのワイドショーが話を広げて、レポーターや記者を送り込んでくる。見てる人は初めは園部地区に住んでいる人がかわいそうやと思ってたけど、だんだんマヒして、連続ドラマみたいになって来る。あるとき、「文福さん、僕、和歌山の出身ですと、和歌山市園部となっている名刺を出したら、あの園部かとえらい話が盛り上がって、商談とかまとまってね」と言った人がいた。「ああ、そうかい」と言って、僕はその名刺をびりっと破った。こんなん和歌山の恥や。
 それで、なんとか芸人として和歌山のイメージアップせないかんという、僕のコメントが新聞に3つか4つ出たんです。それを読んだ和歌山の出身の芸人が「文福さん、一緒にやりましょう」と言ってくれて去年できました。神戸の地震でもコントなんかすると受けるけど、やっぱり当事者はええ気せんからね。誰かのことを押さえ付けて、笑いをとったりするのはもってのほかやと思います。だから、話の中では悲惨な事故や事件は扱わんとこと思ってます。新作落語をつくるときもやめとこと思ってます。そういうポリシーはあるんです。どもりのお陰で、多少人の痛みがあるから、そういう発想をするんやと思うんですけどね。
 僕は緊張したら目がチック症になるんです。シャイとか照れ屋からきたんでしょう。ビートたけしさんもそうやけど、シャイなんです。ぼんちおさむさんもやし、結構います。チック症も心の病気とまではいかんかもしれんけど、まあどもりと通じるものがあるんでしょうね。なんでそうなったんか、今だに原因も分からないし、親のせいにしたことない。この世界に飛び込んで、初めはみんなびっくりしたし、心配もかけたけど、今はもうようやってるやないかと思ってくれてる。僕としては29年間振り返ったら、まあここまでよう来たなと思います。うまい落語家だとか立派な師匠とか、そんな気は全然ないけど、来年30年になるけど、よう30年間もこの世界におったなと思います。

文福 コモンズフェスタ1伊藤 あっという間に2時間15分が、笑いと涙の2時間15分が過ぎてしまいました。ありがとうございました。質問がありましたら。

文福 今回は、もう仕事っていう気は全然ありません、仲間という気で来ています。伊藤さんとはなんべんも電話で喋っているのに、つい会ったら、どもりについて、なんでもあれもこれも喋ってしまわないかんような気がして、ひとり喋り過ぎました。

どもる子どもたちへのメッセージ

会場から 今日は、前の方にどもる子どもさんとか、どもる子どもをもつ親の方が参加されているので、文福さんからその人たちへのメッセージをお願いします。

文福 周りがもっと理解せなあかんでしょうね。僕も授業中に、「この問題、分かる人?」て言われて、一応分かってるから手を挙げる、でも、手を挙げてる子が多いと、どもると自分で分かってるから手をそうっと下げる。先生が「お前、いっこも手をあげへんな。分かってるんか。お前、いっこもよう答えへんな」とよく言われた。ちくしょうと思いました。周りが理解して、ひとりで悩まないで、どもってもええんちゃうかと思えばいい。喋り方でも歩き方でも特徴があって、みんなそれぞれや。みかんはみかん、桃は桃で味が違う。みかんとりんごとどっちがおいしいと言ったって、それ人によって違う。みんなそれぞれ自分の特徴や個性やと思って。足を引きずったのもそういう歩き方やしね。喋るのも僕はそういう喋り方をするんだ。これが私なんだ。確かに本もちゃんと読みたいと思うし、はきはき喋りたいと思うけれども。きれいに読んでも心がこもらんと読んでも何もならんし。つまりながらも一所懸命で説得力があったらそれでええんであってね。
 自分のことばに自信をもって。腹から声を出す。心から喋る。ただ、どもったりすると周りが変に笑うでしょ。相手が笑ってると、笑わしてるわ、受けてるわと勘違いをする連中がいる。うちの一門に頭の毛の薄い子がいて、芸名がこけ枝というんやけど。「私、こけ枝でございまして」と言ったらみんな笑う。ほんまこけしみたいにまるい円満な顔をしている。「師匠、よかったですわ、僕、落語の世界で」と言う。大学や普通の会社へ行ったら慰安会なんかでもこの頭やったら受ける。慰安会で受けても何の得にもならない。
 弟子のちゃん好なんか男前の部類です。逆に男前やということでコンプレックスがあった。鏡の前で顔をこうやって、こうやって、そんなんせんでも自然にやっているうちになってくるんやと言った。その点、こけし君なんかは、何もせんでも、「えー」と言ったらみんな笑ってくれるし、お客さんが和む。プロになってよかった。
 池のめだかさんも、小さいのをギャグにしてるけど、自分が小さいのは構へんねん、プロやからね。百も承知や。そやけど、学校で小さい子に「めだか、ちび豆」とあだ名をつけたりして、また職場ではげの人を笑い者にしても、なんぼ周りで笑っても、その人本人は他人を笑わす気はないからね。僕らは、プロやから笑ってもらってかまへんけど、皆さんの場合は、10人おって9人が笑っても、一人が後でちくしょうと泣いてたとしたら、その小学校の教室はほんま寂しい教室やね。みんなが10人とも笑わんとあかんよね。
 周りの理解も大事やし、本人も仮に笑われたって負けない、「かまへんわ、これは俺の特徴や」と強い気持ちを持ってもらわんとしゃあないね。落ち込んでしゅんとなるより、「僕はどもるけど、その代わり心優しいんだ、ハートをもってるぞ」と言い聞かせてね。心をこめてこれを言うたんだという気持ちを持ってたらいいと思う。今日は、ほんま小学生の君らが来てくれてうれしいね。

伊藤 遠いところは、広島から、福井から、来てくれました。

文福 ほんま、いやー、うれしいね。伊藤さんがこういう会を作ったおかげで、みなさんも何かを学んでいこうというのができてるでしょ。どもりを治す、矯正するところじゃなくて、「どもってもええよ、僕もそうやったんよ、楽しくやってるよ、キャンプにおいで」。そういうのを作ったのがすごいことやし、そこに来れる子どもさんは立派なもんや。どもりをどうしよう、どもりの子を持ってどうしようという親もいるだろうけれど、来てくれて、うれしい。
 今日は僕ばっかり喋ってもたけど、自信をもって、まあ和歌山弁では、おいやんっていうんやけど、こんなおいやんでもどもってたけど、今なんとか人前で喋る仕事をやってますし、自分で探したら自分を生かせる道があると思う。何も喋る仕事が立派とは違うんだよ。どんな仕事でもいいよ。自分を行かせる道を探して下さい。自分を生かせる道で自信を持って、これは俺や、これは私や、これは私の特徴だと。さっきの伯鶴さんみたいに、目が見えないことをハンディやと言わず、個性だ、キャラクターだ、私はそういうキャラクターを持っている人間だと思ってね。えらい長時間、ありがとうございました。

伊藤 ありがとうございました。(「スタタリング・ナウ」2001年2月17日 NO.78)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/04/20

どもりを個性に 桂文福オリジナルの落語家人生 4

 應典院で開催されたコモンズフェスタでの、文福さんと僕の対談の紹介のつづきです。読み返してみても、本当にたくさん話してくださったんだなあと思います。河内音頭も歌ってくださいました。
 
應典院・コモンズフェスタ2000
  どもりを個性に 桂文福オリジナルの落語家人生


どもりを恨んだこと

文福 これもおもろい話やけど、大横綱の北の湖関。あの人は強すぎて人気ないと言われたけど、ハートのあったかい人で、大好きな人です。北の湖関に一回会いたいなあと、北の海関の稽古を見終わって、喫茶店に行ったら北の湖関がいた。その時、ABCの乾アナウンサーが「文福ちゃん、わしな、北の湖関の後援会の人、よう知ってるんや。こんど飲みに行くけど、一緒にけえへんか。好きやろ」「お願いします」で飲む席に行ったんです。
 いきなり「横綱」と声をかけられなくて、一緒に来られていた闘竜関と、「文福さん、まあ一杯飲もう」「俺、相撲好きやねん。闘竜も好きやねん」「なんや、あんた。口がうまいな」「ほんまでっせ、加古川出身で、宝殿中学校出て、本名、田中賢二やろ」「わあ、よう知ってくれてる」「わあ、乾杯」と、闘竜関とは盛り上がってわーと飲んだんです。
 「文福ちゃん、横綱の横へ行こ」という頃には、こちらはもうべろべろです。緊張してるのとべろべろで。僕は横綱と同じ28年生まれやから、28が誇りですと言おうとしたんやけど、「ににににににぱちぱちぱち…」。そしたら横綱が「師匠、もうちょっと落ち着いて」、で話にならなかった。
 情けのうて、情けのうて。何も言えなくて、帰ってから、ほんまに落ち込んだ。
 「今日ほどどもりを恨んだことはない。せっかく北の湖関と出会ったのに、どもって何も喋れんかった」
と嫁さんに話した。次の日、乾アナウンサーに会ったら、「よかった。横綱、大喜びやったで」「なんででっか」「河内音頭やってくれて、音頭で横綱の生い立ちをやって、横綱の奥さんの名前もおりこんでやってくれて」と言うんです。僕、酔うてたから、無意識に河内音頭をやったんですね。北の湖関の生い立ちをざあっとやって、そういえば途中でなんか手拍子でやったのを少しは覚えているけど、べろべろに、酔うてるから、横綱と飲むなんてめったにないことやから、何も覚えてない。横綱が喜んでくれたことを知ったから、朝、駅前でお酒買って稽古場へ行って、「横綱、昨日はどうも」とお礼に行こうと思ったら、また、闘竜関が、「よう来てくれた」と出てきてくれたけど、また僕の方は「あわあわあわあわ…」ですわ。(爆笑)

ここで河内音頭を
文福 コモンズフェスタ3
 『本日、お越しの皆様へ〜日本吃音臨床研究会その名、会長の伊藤さん〜、皆様方の気持ちがひとつに今日は楽しい集会で〜笑う門には福来る 笑う門には文福で〜、皆様方もがんばろう〜 みかんはみかんで、柿は柿〜 メロンはメロン トマトはトマト それぞれに味があるからうれしいんだ〜 みんなの味を大切に 仲良く元気に 歩んでいこう〜』

 こんなんです。いろいろありますが。極度の緊張とかね、小学校、中学校のときもね、これはもう誰のせいとも言えませんしね。伊藤さん、どもりになったのは、誰かのせいだというのはありますか。

伊藤 親父がどもりでしたね。でも、そのせいだとは言えないけれど。分かりませんね。

文福 身内とかご兄弟とかは?

伊藤 四人の子どもがいますが、誰もどもりません。僕だけです。

文福 うちも兄弟どもりませんしね。お袋はばーっと喋るし、親父は、極端なシャイでものあんまり言わん。そのシャイなところが似たのかな。ほんで、ぐわーと思うところがおかんに似たのかな。両方とってますんやけどね。どもるというのは周りになかった。ただ、昔、砂塚秀夫さんの主演で「俺はども安」という番組があった。

伊藤 あれ、僕も嫌でした。「どどっとどもって人を斬る!!」という初めのセリフが。

文福 「ててててまえ、しししし生国・・・俺はども安!チャチャチャーン」
 当時は、テレビであれができたんやね。今は、どもりとかめくらとかちんばとか放送コードにひっかかるから。古典落語の中にはそんなん多いんです。おしとかいうことばもね。そんなんは、僕らはせんとこと思って。何もわざわざそんな話をせんでも他になんぼでもいろんな話があるのにね、あえて、「これは放送ではできへんから、今日の寄席で、そうっとやっとこうやんか」。僕は、そうっとやるという根性が嫌いなんです。ここだけはええというのはちゃうでと。あえてこんなんやらんでもええ。目の不自由な人の話をやって、最後まで聞いたらええ話というのは、あるんです。景清という、戦国時代の武将が自分の目が見えると義経を目の仇にするというので、目をくりぬいて、清水さんに奉納したという逸話があったんです。あるとき目の不自由な職人が清水さんに行って、景清公の目を観音さんから与えてもらって、目があいて、という落語があるんです。最後まで聞いてると、観音様のおかげで目があいて、という目がないとこから目ができて、誠におめでたいお話でした。ハッピーエンドに終わる話なんやけど、途中ではえらい目に合うシーンがないと話にならん。「どめくらが!」とか、そんなシーンがあってこんちくしょうと思う、そんな場面があるばっかりに放送ではできません。でも、全部聞いたらそれなりにええ話なんやけど、落語などには人の欠陥を言うのが多いんです。古典とか文化とか伝統とかいうのを隠れみのにしてはびこってる場合が多い。あえてせんでもええんちゃうかと僕らは思ってる。どもりを扱った小咄も、あるんですよ。

伊藤 あるんですか。

文福 あるんですよ。どもりの道具屋と言うてね。おもしろいですよ。「道具屋、のこぎり見せてくれ」と言うときに、「おおおおい、どどどど道具屋、ののののののこぎり、みみみみみ見せてくれ」「ままままま真似すな」というおもしろいんですけど。受けるけどね、僕自身もやっぱりやるの嫌ですね。

どもってて笑える話

文福 どもってて笑えるのは、文珍さんから聞いた話にこんなんがあります。文珍さんが梅田から阪急に乗った時に、たまたま同級生に会った。その人もどもるらしい。「おい、お前、久しぶり」そしたら、文珍さんは有名になってるし、よけいに「ううう・・」となった。「お前、どこに住んでるねん」と言われても声が出ない。「どこ、住んでるねん。遊びに行くわ。俺、武庫荘、武庫荘。お前、どこや?」「ううううっ…」。車掌がその時、「十三、十三」。「ここや!」。ずっと一駅の間、十三が出えへんかったんやね。そこに助け舟の「十三、十三」。笑えるけど、どもりの僕らにはちょっと悲しいね。
 そうかと思うと、もうひとつの話。阪急で梅田から京都へ行くとき。もう電車のドアがもう閉まるというときに、「たばこ買うて来い。ピースやピース」と言われた人が、ピースのピが出ない。売店で、力んで大きな声で「ピピピピ、ピー」と言うたら、電車が出ていった。それも聞いたとき、作り話やろけれど、笑った。ピピピとどもったのはほんまの話やろけど、後は芸人がつくったんでしょうが、よう出来てるでしょ。
 そんな話はようけあるんですわ。今、みなさん、笑ってるけど、ほんまに笑えない人がいたらあかん。だから、僕らがやっている「真の笑いは平等の心から」というモットーに反するわね。(「スタタリング・ナウ」2001年2月17日 NO.78)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/04/19
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