伊藤伸二の吃音(どもり)相談室

「どもり」の語り部・伊藤伸二(日本吃音臨床研究会代表)が、吃音(どもり)について語ります。

2023年01月

吃音終身保険

 1月も今日で終わり。1年の1/12が過ぎたことになります。寒さも厳しく、春が待ち遠しいです。島根スタタリングフォーラムのことを紹介してきましたが、次は、僕たちがずっと続けている吃音親子サマーキャンプでの話です。吃音親子サマーキャンプは、今年の夏、32回を迎えますが、これまで本当にたくさんのどもる子どもや保護者、担当者と出会ってきました。不思議なことに、その出会いが30年後の今につながっている人も少なくありません。ありがたい出会いをいただき、感謝しています。
 今日は、「スタタリング・ナウ」NO.61(1999年9月)の巻頭言です。

   
吃音終身保険
                日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二

 「僕、最近だんだん国語の朗読ができなくなってきて困っているんです。それと自分の名前がとても言いにくいんです。このままだったら将来どうなるかだんだんと不安になってきました。本は読みましたが、なかなかできそうにありません」
 高校1年生からの率直な電話だった。
「うーん…君がどもって読んだとき、友だちは?」
「笑わないし、最後まで聞いてくれます。クラスがとてもよくて、みんないい奴です」
「それでも君がそんなに苦しかったら当てないでとお願いしたらどう。僕はそうしたよ」
「僕も、あんまり苦しいから担任の先生に相談したんです。すると気持ちは分かるが、今逃げていてはいけないよと言われて…」
「うーん。その担任の先生は君の辛さは分かってくれているんだ。その上でそう言うのは、まあ、ひとつの考えではあるね…」
「君が、こうして電話するの、すごいことだよ」
「だって誰にも相談できないし」
「ごめんね。君の期待する話ができなくて」
「いいえ。とても気持ちが楽になりました。また、電話していいですか」
 吃音を治したいという気持ちに寄り添いながら、30分ほど話した。「吃音に悩む10代の君たちへ」の章の最後に、ひとりで悩まないで、いつでも電話をかけてくれていいよと書いてよかった。

 「私は、伊藤伸二編著『吃音者宣言』第5章に登場したKです。おなつかしゅうございます。今回メールを送ることを非常にためらいました。私としては、中学の時吃音宣言をしておきながら、実は逃げの人生を送っていたことを、伊藤さんに告げることは私にとってとても辛い作業だったからです。最近逃げている自分を自覚し、意識的に生活の中で逃げない選択を少しずつしています。やはり、現役の成人のどもる人間として、吃音と向き合い、最初からやり直すつもりです。伊藤伸二という一人の人間に会える日がきっと来ると信じてこれから生活していきます」
 23年前、ことばの教室の事例報告として紹介された、当時中学生だったKさんが私を思い出してくれての、うれしいうれしいメールだった。

 小学校4年生から3年連続して吃音親子サマーキャンプに参加した美穂ちゃんは、家族と吃音についてオープンに話すようになり、少しずつ明るく元気になっているようだった。美穂ちゃんが作文教室でこんな作文を書いた。
 「私はどもりが大嫌いです。どもりのせいで友達に笑われたり、電話でもインターホンでもつらい思いをいっぱいしてきました。学校での自己紹介や○○発表、国語の本読みなど嫌なことがいっぱいあります…」
 作文の最後には、このキャンプに来てどもりながら頑張っている他の子を見て、もしどもりが治らなくても、前向きに生きていきたいと思ったと締めくくっている。しかし、将来幼稚園の先生になりたいとの夢をもつ美穂ちゃんが、小さい子どもからもどもりを指摘され、真似をされた経験は辛いことだったのだろう。それが、昨年「私は私」と書いていた美穂ちゃんが、今年は「どもりなんて大嫌い」の作文になったのだろう。揺れに揺れている気持ちを率直に作文に書けるのはうれしい。

 美穂ちゃんのこの作文からふと浮かんだことをキャンプの最後のあいさつで私は冗談まじりに、しかし本気で口にしている。
 「介護保険が始まりますが、日本吃音臨床研究会では吃音終身保険をつくりました。キャンプに参加したみなさんは、自動的に保険に入っています。子どもが、今はよくても思春期、就職、結婚と吃音に関して悩むことがあるでしょう。悩んだり、困ったときはいつでも相談を受けることができる保険です」

 電話をかけてきた高校1年生、EメールをくれたKさん、そして小学6年生の美穂ちゃん。吃音を受け入れようと思いつつ、否定する気持ちも沸き上がる。その中で揺れて、悩んでいる。それでいいんだ。私も本当にどもりと和解できたのは、国際大会を開いた43歳の時だった。吃音を受容するのはそんなに簡単なことではない。
 どこまで役に立てるか分からないが、今回、日本吃音臨床研究会が発行する冊子『吃音と上手につきあうための吃音相談室』の読者にも、いつでも相談にのりますと書いていた。その人が必要なら私の命のある限り、その人と向き合いたいと思う。(「スタタリング・ナウ」NO.61 1999年9月)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/01/31

吃音親子サマーキャンプが蒔いた種〜島根スタタリングフォーラム〜 4

 このシリーズの最後です。島根スタタリングフォーラムに参加した人の感想を紹介します。

島根スタタリングフォーラムの企画・運営に関わって
                  江津市立津宮小学校通級指導教室 宇野正一

 フォーラム終了後、たくさんの方からアンケートや感想を寄せていただきました。ほとんどの人が「参加してよかった。今後も続けて欲しい。ぜひ参加したい」との意見を下さいました。その中のごく一部ですが、紹介しましょう。

◇子どものどもりの原因がもしかしたら自分にあったのではないか。乳幼児期に必要な基本的信頼感というところが少し欠けていたのではないかと常に感じていましたが、「いつからでも取り戻せるし、この2日間、子どものために時間をとってこの場にいること、それで十分です。子どもたちにも母親の自分への思いが通じているはずです」ということばにとても救われた気持ちになりました。子どもも2日目の話し合いの時間、しっかり自分の吃音について自覚していることが分かり、これからはもっとオープンに吃音について親子で話し合えるような気がしたし、またよいきっかけになったと思います。

◇私も小さいうちから吃音ということがあり、子どもだけのためでなく、自分自身にも何かみつかるのではと期待して参加しました。
 1日目の講演で同じ障害を持つ者として「ああ、そうだなあ。これは私も同じ」と思ったり、私自身もう治ったと思っていたのに、話の中で、どもりは治らない、大人はうまく喋れるようにごまかしているから治っているように見えるのだと言われた時はガーンと頭をたたかれたような気分になり、ショックでした。でも、自己開示や自分で吃音を自覚することの大切さを聞いて、納得して気も落ち着きました。わが子は今のところほとんど吃音は出なくて今子ども自身が吃音を意識しているかどうか分からない状態なので、改めて自覚しなくてもよいのではとも思いますが、このフォーラムで思春期を迎える前に吃音についてオープンに話しておこうという話を聞きました。この点については親としてまだよく分からない状態です。
 次に2日目の座談会ではお母さんたちの生の声を聞いて、みんな同じようなことで悩みを持っているのだなあと思いました。子どもに吃音が出た時は私自身が吃音だっただけに私のためにそうなったのではないかととても苦しみました。が、いろんな意見を聞いて、今から思えば逆に私自身が吃音だったから子どもの気持ちも分かるなどとちょっと救われているところもあるなあと思い直しました。昨日のお母さんたちとの話を聞いて自分の気持ちを聞いてもらうだけでもきっとよい出会いだったんだろうと感じています。そういう意味でも今回のような吃音だけの親子が集まるようなフォーラムが開かれるとよいと思います。
 子どもに昨日先生と何を話をしてどう感じたか聞きましたが、よく分からないという答えがきました。子どもがどう思い、何を考えているか、だんだんと話さなくなっています。講演の中で、お母さん自身が自分のこと、自分の失敗も話していったらといいとありました。思春期の子どもの対応についてはよく分かりませんが、吃音と上手につきあうガイドブックを参考にしていこうと思っています。

◇自ら吃音に悩んできた人のことばは重くしっかりと響きました。吃音と向き合えているように思えたとしても、スキャットマン・ジョンのように、「大きな象がずっと後ろにいるのにいないふりをしていた」とか50歳になっても妻にも子にも吃音について話せなかった人がいるとか、田中角栄氏の扇子、木の実ナナさんの「おにいちゃん」など、大人の吃音の方の体験をたくさん話していただき、このように心の片隅からどもりが消えることはないということで、これからわが子が行くであろう険しい道に胸が締め付けられるようでした。
 学級崩壊の前に家庭崩壊、家庭のコミュニケーション不足に危機感を持っているとの話がありましたが、全く同感で、親子で飾ることなく本音で話し合い、今日は仕事でこんなところへ行った、こんな失敗をした、こんなことで落ちこんでいるなどと、子ども相手にもこんな些細なことでも言い合い、愚痴をこぼし、将来子どもたちが困った時やつらい時、迷わず弱音を吐ける家庭にしたいと思いました。それこそ、どもり方がおかしかったと一緒に笑えるようになれたらと思います。自己開示は私たち親子はとても苦手です。些細なことでも言語化する練習をして、互いが自己開示していかないと、私たちは将来家庭崩壊のような気がします。愛情不足ではなく愛情表現不足という話、過干渉はいけないが過保護は大切でいくら愛情をかけてもやりすぎではないという愛情表現をからだ・ことばで豊富に表現していこうと思いました。
 今回の合宿で、家族そろっての参加が何組かありました。とてもうらやましく思いました。男性である伊藤さんの体験、辛さ、半生の生きざま、どもりの男の子を持つ同じ男性の父親として是非知ってほしかった。しかし、この合宿に参加された方々と同じようにどもりとつき合い、一緒に涙する人たちがこれだけいらっしゃること、またその子どもたちを本当にわが子のように気にかけて下さることばの教室の先生方がいらっしゃること、そのことが今の私たちを支えて下さるのだと思い、とてもありがたく思いました。

◇「私も吃音で悩んできました」。伊藤さんが自己紹介をされた時、何か今までとは違う気がして身を乗り出すようにして聞き入っていました。
 担任の先生から「行ってみませんか」と誘いを受け、「はい、出席します」と言ったものの、どんなことをするのだろう、どれだけの人が来ているのだろうと半信半疑でした。でも、この時点で参加してよかったと思いました。今まで「どうしてどもるようになったんだろう」「きっと私に何か問題があるのだろう」「かわいそうだなあ」「治るのだろうか」と、ひとりで悩み続けていたことひとつひとつに対して、話の中から答えをみつけることができました。「一生治らないかもしれません」と言われたのはショックでした。「大丈夫だよ。大きくなれば治るでしょう」と周りから言われていたので…。
 今、子どもは、自分がどもることを多少なりとも気にしているのでしょう。「言いにくい」と言うことはあってもそれが「どもり」だよと教えてやることもありませんでした。私自身が子どもが「どもる」ということを否定したかったのだと思います。今までなるべくふれないようにしていた「どもり」ということば。
 1日目の研修が終わった時に、「○○の話し方はどもりというんだよ」と初めて本人に言った時、「ふうーん」「ちょっと話しにくいけどね」「あんまり気にしていないよ」と言われ、ホッとしました。とは言え、これから大きくなるにつれ「どもり」について周りの友だちからの反応など悩まされることもあると思いますが、今の気持ちが否定されないよう、大らかな気持ちで育ってほしいと思います。
 そしてうれしかったこと、楽しかったこと、悲しかったこと、何でも話をたくさんしてほしいと思います。そのために「自己開示」。親自身がオープンに語りかけていくよう家庭での会話を大切にしていきたいと思います。
 2日間の研修を通して「どもり」についての知識を得たこともよかったのですが、それ以上に、同じ悩みを持つ方と話ができたこと、話を聞けたことが私にとって一番でした。

◇どもりについては無知なまま今回のフォーラムに参加しましたが、そこには今現在精一杯どもりと向き合っている子どもたちとその親御さんがいて、皆さんの一生懸命な姿を見ているうちに、ことばの教室の担当者として、もっともっと力を出すべきだし、磨かなくてはいけないという気持ちになりました。
 伊藤さんは、自分もどもりに苦しみ、孤独な少年時代を送ってこられたことで、素直で生々しい人の気持ちを赤裸々に聞かせて下さいました。それまで私の中では、どもりということばにふれず、何も言わずにそっと…という対応の仕方があったのに、どんどんどもりをことばに出して一緒に考えることがその人をありのままに受け入れることなんだと分かり、感激したと同時に、立派な専門書に書かれていることを何の考えもなしに鵜呑みにしていたことを反省しました。
 どもりに限らず、何かの悩みと向き合うことは怖いことで、その一歩を踏み出せるような勇気と周りの理解と受容がとても大切だと思いました。
 自分が違う悩みで誰にも打ち明けられずに苦しんでいると考えたら、「早く言って楽になりたい」「誰かに分かってほしいけど、拒否されたらどうしよう」等様々な思いが交錯して結局言えないかもしれません。その時に、勇気を出して言えた人が「そのままでも、ぼくの君へ対する思いは変わらないよ。いいんだよ、そのままで」と受け入れてくれたらどれだけ救われるだろうかと思います。だから、自分もそうでありたいです。私のこともいっぱい分かってもらえるように、思いをどんどん表現していくべきだし、相手のハートを感じて、いつでも真剣に思っていたいです。
 「どもりのある幼児に、どういうきっかけで自覚させたら?どんなことばをかけたらいいんだろう…?」と思い、尋ねると「心から沸き上がることばを素直に出せばいい」と言われました。初めは「吃音を治す方法が知りたいのに…」と思いましたが、よく考えたら、きっとその子の悩みを本気で考え、真剣に向き合えば、愛情がことばに乗って発せられ、きっとその子の心に届くのではないかと分かりました。一緒に過ごした皆さんの姿をずっと忘れず、私も自分を好きでいたいです。たくさんの愛のパワーを感じさせていただきました。(「スタタリング・ナウ」NO.60 1999年8月)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/01/30

吃音親子サマーキャンプが蒔いた種〜島根スタタリングフォーラム〜 3

 プログラムが始まったら、もう進むしかない、そうして1日目が終わり、2日目になりました。どう切り出したらいいのか迷っていたことばの教室の担当者を前に、子どもたちは自分の吃音について語り始めました。保護者も、これまであまり話せなかった思いを、話し始めました。 それぞれのセルフヘルプグループができたようでした。吃音についての話し合いという文化は、島根にしっかりと根付き、昨年の島根スタタリングフォーラムのプログラムの中でも、大切な時間となっていました。今年、島根スタタリングフォーラムは、25回目を迎えます。
 昨日のつづきを紹介します。

島根スタタリングフォーラムの企画・運営に関わって
                  江津市立津宮小学校通級指導教室 宇野正一

子どもたちの思い

 翌日は4名のことばの教室担当者が2グループで話し合いを持つことになりました。
 2年生以上の子ども6人と教室担当者の3人が入って「自分の話し方」についての話し合いをしました。6人は大体が違う市町村から集まってきていたので、もちろんこのキャンプで初めて出会いました。そしてほとんどが「どもる」ということについて初めて話をするようでした。それだけにみんな緊張ぎみでした。
 中1のSさんが「友だちはあんまり気にしていないみたい…。6年生の時に先生がクラスのみんなに話してくれてから気が楽になった。みんなが知ってくれて気持ちが楽になった」という話をしました。
 小2のT君も「今は(自分がつっかえてしゃべるということを)し、し、し、知ってる人も知らない人もいると思う。み、み、み、みんなには知ってほしい。誰かから言ってほしい」と気持ちを話してくれました。
 それに対してNちゃんは小さな声で「みんな(自分の話し方は)知っている。…知られたくなかった。…今、すごく嫌」と話してくれました。
 同じようにつっかえるしゃべり方の仲間でもいろんなことを思っているんだなと、お互いに感じているようでした。それぞれ「吃音」ということで通級教室に通ってきてはいるけれど、教室担当者とこういう話をしたことがないようでした。
 Sさんは「そういう話は直接しなくても、この教室に同じような人が通っている、っていうだけでなんかいい気がする」と言いました。Sさんは、毎週担当の先生と折り紙をしながらいろいろ話をするのを楽しみにして通っていたようです。
 Nちゃんは、最近通級を始めたばかりで、まだ2回くらいしか教室に通っていません。「これからこんな話を教室の先生と話してみたい?」と聞くと、首を横に振りました。「ここだからこんな話ができる」のだそうです。
 クラスの中、学校の中では「どもっているのは自分一人」と感じることの多い中、こうした集まりで、あの子もこの子もと思うことで、気持ちが楽になるという部分もあるようでした。また、どの子どもも伊藤さんのように、大人でどもる人の話を聞いたのは初めてのようでした。「びっくりした」という素直な一言も聞けました。
 約1時間、お互いに話すことばがたくさんあったわけではありませんが、始まる前より断然子ども同士の距離が短くなっているのを感じました。

親の思い

 2日目の、親と伊藤さんの座談会。
 1日目の話を踏まえて、聞き足りなかったことを聞いたり、自分のさまざまな思いを出し合いないがら、自分の子どもとこれから向き合っていくパワーをもらえたような気がしました。
 エリクソンのライフサイクル論についての質疑応答から始まりました。
 自分の子育てや子どもとのかかわりについて「あれではいけなかった」と自分を責める親。
「そんなことはない。その時は一生懸命していたこと。そんな自分をほめてあげよう。基本的信頼感は、親と子どもとの間のことを言うが、親が自分自身に対して持つ信頼感でもある」と伊藤さん。
 そして、伊藤さん自身のお母さんの話もされました。伊藤さんがお母さんのことを思って書いたという詩「母へのレクイエム」を朗読されると、多くのお母さんが涙しながら聞いていました。
 涙を流しながら、また大笑いをしながら、今の我が子のこと、これまでの子育てのことを話されるお母さん方を見ていると自分の思いを語ること、それを聞いてくれる人がいることの大切さを改めて感じました。もちろんそれは通級指導教室が担っている部分でもあるのでしょうが、親子が通ってきて、何時間指導するよりも、今回のような場を提供することがどれだけ大きな意味を持つかということを感じました。本当に分かり合える人たちに囲まれて、今まで十分には語ることができなかったかも知れない思いを語ること、これがキャンプならではできることだと感じました。

おわりに
 今回のスタタリングフォーラムの参加者は、子どもが32名(そのうちどもる子どもが16名)、大人が54名(親21名、成人吃音者が1名、教室担当者・保育関係者32名)の合計86名でした。予想を上回る参加者数でした。
 「今までやったことないから、やってみないと分からない」と変な開き直りから出発した今回の企画。フォーラム中は、「こんなことじゃあ…」と落ち込んだり、「ここはこうすべき、あそこはこうじゃないと…」と反省したりの2日間でしたが、2日目が終わって解散直後には、自分自身でも「やってよかった」という思いで一杯でした。「やってみないと分からない」ことは「やってみたら分かった」ことでもありました。
 今回は、これまでになかった初めての経験ということで、(悪い言い方ですが)「何でもあり」だったと思います。目標の「親同士のつながり」は「つける」ところまで行きませんでした。でもそのきっかけにはなったことでしょう。
 そして、終わってしばらくたって今、こんなことを思っています。一発花火をあげることは派手でいいけど、「やったね!よかった、よかった。じゃあ、これでおしまい」とするのはもったいないということ。通級指導教室で通ってくる子どもや親に提供するサービスは、花火を見せることではなく、種をまいて水をやること。
 「吃音親子サマーキャンプ10年間の実践が小さな種を島根にまいた」
 この伊藤さんのことば。その小さな種をいろんな方から栄養をいただきながら大きく育てていきたいと、今、感じています。(「スタタリング・ナウ」NO.60 1999年8月) 


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/01/29

吃音親子サマーキャンプが蒔いた種〜島根スタタリングフォーラム〜 2

 昨日のつづきです。何もない所から始まる第一回目の島根スタタリングフォーラム。担当者たちの手探りの様子が綴られています。心配なことはたくさんあるけれど、とにかく始めよう。動き出したら、わくわくしてきた。僕たちも、そんな思いをしながら、第一歩を歩き出したことがたくさんあります。
 「初恋の人」は、この夜、翌日の子どもたちの吃音についての話し合いについて、担当者同士で話し合っているときに出たものでした。初めてのことに取り組む高揚感の中で、僕も何かに背中を押されるようにして、話したようです。あの場が、僕にそんな気持ちを起こさせてくれたのでしょう。
 「スタタリング・ナウ」NO.60(1999年8月)の紹介です。

島根スタタリングフォーラムの企画・運営に関わって
                   江津市立津宮小学校通級指導教室 宇野正一

キャンプ当日〜とにかく始まった〜

 さて当日。大きなかばんを抱えてたくさんの親子や通級教室担当者、保育関係者が続々とやってきます。その皆さんの表情は、ちょっと硬いという印象でした。
 大人は伊藤伸二さんの講演。講演は、静かな感じから次第に伊藤さんの話に引き込まれて、大変充実した2時間だったようです。
 子どもは、すけさん(島根県立青少年の家の木村真介さん)とレクリェーション活動。子どもたちはすぐに仲良く楽しく遊び始めました。ところが教室担当者のほとんどは伊藤さんの講演の方に行って、子どもと関わってくれている人がいません。このキャンプは親子のためのキャンプで、ことばの教室の担当者の研修会ではないのに…?と思いつつ、島根県ではこのような吃音に関しての研修の機会が少ないことの裏返しでもあるのだと感じ、教室の担当者が講演を聞きに行くのも仕方がないかと思いました。
 夕食。フォーラムがスタートしてはじめの失敗感をここで持ちました。会場の国立三瓶青年の家の食事はバイキング方式で、それぞれが自由に食堂へ行って食べます。参加者は全員「島根スタタリングフォーラム」と書いた名札をつけていましたが、みんながばらばらに座って食事をとっていました。参加した親子はそれぞれ家族で、教室担当者は担当者同士で。「親同士のつながり」と思いつつ、夕食までのところで親同士が知り合うことのできる時間・企画が設定されていませんでした。宿泊の部屋割は各地からの家族を混ぜるようにしましたが、「あとはそれぞれ仲良くなってね」といった状態でした。参加者が最初に出会うところで、互いに知り合い、仲良くなれる活動が必要でした。夜にはキャンドルの集いがあり、楽しい時間を過ごせましたが、このような時間をフォーラムのはじめにもってくる必要があったようです。

子どもとどもることについて話をする必要性

 大きな懸案事項が一つありました。2日目のプログラムの中に、「子どもの話し合い 自分の話し方についての思いを出し合う」がありました。
 子どもの思いを引き出したり話し合わせたりを誰が担当するのか? そのような話し合いが必要なのか?「子どもとどもることについての話をする」ことの意義について、私自身はいろいろなところで話を聞いて自分の教室でもするようにしてきましたが、担当者によって思いも取り組みもさまざまです。そこで夜の懇親会(教室担当者限定でしたが)をしながら少しまじめに「なぜ、子どもとどもりの話をするべきなのか?」というテーマで話し合いました。

 「社会人になって、新人の研修プログラムで吃音と初めて向き合い悩む人。入社して4か月後に、得意先とのちょっとしたトラブルで会社を辞めてしまう人。小学校時代は元気で明るい子どもだったのに、その後学校へ行けなくなってしまう子ども。これらの事例が最近目立って多くなってきた。
 話を聞くとその全てが、子どもにどもりを意識させてはいけないと、どもりについて話し合っていない。本人も吃音について直面しないできた。触れたくないもの、できればこっそりと治したいものに向き合うことはとても難しい。とりわけ思春期はそれでなくても嵐のような時代。そのときに、どもりと初めて直面することは難しい。学童期にどもりと向き合うことで、直面しなければならない時に向き合える力が蓄えられる。
 学童期こそどもりをオープに話題にし、それなりの直面をしておく必要がある」

 伊藤さんの、何故、吃音をオープンにして話し合うのかの話にうなずきながらも、どう話のきっかけを切り出そうか、これまであまり話し合ってこなかった担当者にとっては難しいことのようでした。
 その懇親会では講演とはまた一味違った伊藤さんの話を聞くこともできました。「小さな炎―初恋の人」の話題はここで盛り上がったことでした。話し合いは深夜3時を回っていたようです。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/01/28

吃音親子サマーキャンプが蒔いた種〜島根スタタリングフォーラム〜

 「どもりの語り部」の巻頭言を書いた「スタタリング・ナウ」NO.60では、島根で始まったどもる子どもや親のための吃音キャンプを特集していました。最初の企画・運営の担当だった宇野さんの報告です。
 島根スタタリングフォーラムと名付けられたキャンプのはじまりを、僕はよく覚えています。
その頃、僕は年末年始を、玉造温泉の保養ホームで過ごしていました。そのことを知った島根県のことばの教室担当者から連絡があり、年末に、研修会をしようということになったのです。 12月28日くらいだったと思います。こんな時に研修会なんてと思ったのですが、会場の雑賀小学校にはたくさんの人が集まってくださいました。そして、夜の懇親会の場で、島根でもキャンプをしようということになったのです。ちょうど、島根県のことばを育てる親の会の30周年ということもあり、その記念事業として計画はすすんでいきました。その中心にいた宇野さんの報告です。

島根スタタリングフォーラムの企画・運営に関わって
    江津市立津宮小学校通級指導教室 宇野正一

はじめに

 島根県ことばを育てる親の会は、1999年に30周年を迎え、その30周年の記念事業の一つとして「島根スタタリングフォーラム」の計画が進められました。私は会場である国立三瓶青年の家に近い通級指導教室の担当者ということで企画・運営についての事務局を任されました。
 「日本吃音臨床研究会の伊藤さんと直接連絡をとって内容について詰めて欲しい。長年吃音キャンプをしておられるからたくさん聞いてより良い企画を立てて下さい」
 先輩の先生方からいろいろとアドバイスをいただきながらも、なかなか相談の電話ができませんでした。昨年末に伊藤さんとお会いする機会があり、夜の宴会の部でも隣の席でご一緒させていただいていましたので、優しい人柄は分かっているつもりでも「やあ、こんにちは!」と言えるほどではなかったのでした。「たくさん聞いて」と言われても、何をどう聞けばいいのだろう。何も叩き台なしに「どうしましょう?」と尋ねるのもあまりにも失礼だろうし…。頭の中でもやもやするばかりでした。
 まずは、日本吃音臨床研究会のホームページを見ました。吃音親子サマーキャンプの情報がありましたが、あまりに盛りだくさんの感じがして、ますますプレッシャーになってきました。(とんでもないことを引き受けてしまった…)
 とりあえず、私のことも覚えていないかもしれないのでと電子メールを送りました。
 「メールは毎日膨大な量がきます。頻繁に見ないことがあるので、急ぎの場合は電話かFAXで」という返事でした。

島根でできること〜2つの目標〜

 1泊2日でどんなことができるだろう。日本吃音臨床研究会のサマーキャンプと同じことなどできるわけがない。私自身がどもる子どもだけを集めて何かしたことなんてない。やったことがないから、やってみるしかない。なんていう訳の分からない理屈で素案を送ると、「大筋はこれでいいんじゃないでしょうか。私自身の動きが見えたのでそのように準備します」と伊藤さん。「もっとこういうことを入れてみたら? ここはこういう内容がいいよ」との指摘を期待していた私としては、さらにプレッシャーを強める結果となりました。
 (本当にこれでいいのだろうか?)
 それでも案内を送ると、次々参加申し込みがやってきす。当初、親子・教員合わせて60名の計画のところ、100名近い申し込みになり、またまたプレッシャーが強まってしまいました。
 そんな状態でも当日は確実に近づきます。伊藤さんから吃音親子サマーキャンプの資料を送ってもらうと、スタッフの打ち合わせの資料や参加者へのしおり、注意事項など、かなりの会議と準備を重ねられることが分かりました。
 今回の島根スタタリングフォーラムは…。
 「しょうがない!とりあえずやろう」
 しおりと教室担当者用の資料は作りました。教室での指導よりも…といった感じでした。
 とにかく次の2つのことを今回のフォーラムの目標にしました。

◇親に、成人吃音者としての伊藤さんに出会ってもらい、生のどもりについての話を聞いてもらう
◇県内の親同士のつながりをつける


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/01/27

どもりの語り部

 僕たちが、どもる子どものためにと1990年から始めた吃音親子サマーキャンプ。始めた頃は、どもる子どもに特化したキャンプはどこにもなく、画期的なものでした。スタッフとして参加したことばの教室の担当者が満を持して自分の地元で開催するなどして、少しずつ広がっていきました。僕を講師にした吃音キャンプも始まりました。
 島根、静岡、岡山、群馬、沖縄、千葉など、多いときなど、毎週末、どこかのキャンプに参加していたこともありました。
 吃音親子サマーキャンプの、他にはない大きな特徴は、スタッフの中に成人のどもる人がたくさんいることです。どもる人が自らの体験を語り、どもりながら自分らしく生きている姿を見せることの大きな副産物を実感しながら、31回まで続いてきました。
 2023年も、8月18・19・20日、滋賀県の荒神山自然の家で開催します。
 今日は、全国に吃音キャンプが広がる一歩となった、島根スタタリングフォーラムについて書いています。1999年8月の「スタタリング・ナウ」NO.60から、巻頭言を紹介します。

どもりの語り部
       日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二

 今年も熱い夏の盛り、広島原爆の日が来た。
 秋葉忠利広島市長の平和宣言は、核兵器廃絶の闘いの先頭を切る被爆者への感謝を述べた後、3つのことを大きな足跡として讃えた。ひとつは被爆し絶望の中にありながらもなお生き続ける道を選んだこと。ふたつは被爆者の声がその後の原爆使用の抑制につながったこと。そして第3に、復讐や敵対という人類滅亡につながる道ではなく、未来を見据え、「新しい」世界の考え方を提示し実行してきたことだ。平和宣言はこれらに対する感謝に満ちたものとなっていた。
 同じように家族の多くを戦争で亡くし、その悲惨さを体験しながら、絶対平和を訴え、反戦運動の先頭に立つ人々と、結果として戦争につながりかねない道に加担する立場に立つ人々がいる。戦争の悲惨さを経験しながら、何故このような大きな違いがあるのか、広島の平和宣言に出会うたびに疑問に思ってきた。
 かつての吃音民間矯正所の草創期の設立者たちは、自らが吃音に苦闘してきた人々だ。吃音者としての体験から、吃音から起こる悲劇を言い、吃音は治さなければならないと訴える。
 日本でも諸外国でも吃音に悩み、吃音と苦闘した人々が言語病理学の世界に入り、臨床家や研究者になった例は少なくない。自分自身が悩んできたからと、吃音そのものにこだわり、吃音の軽減、治癒を目指す人は多い。治らない現実に戦略的として吃音受容に言及する人はいるが、自らの体験を通して、私のように「どもっていても大丈夫」と言い切る人はほとんどいない。
 何故少ないのか、これも広島同様私には不思議でならない。
  あなたはあなたのままでいい
  あなたはひとりではない
  あなたには力がある
 セルフヘルプグループの中で育ってきたこのメッセージが、吃音に限らず生き辛さを抱えたセルフヘルプグループにつながる人々をどれだけ勇気づけてきたことか。これから私たちのように悩むことがあるかもしれない子どもたちに、このメッセージを伝えたい。その思いをもって、10年前に、私たちは吃音親子サマーキャンプを始めたのだった。
 吃音をそのまま肯定し『どもっているあなたのままでいい』と言い切る、数少ないどもる人間として。
 今年も90名が参加するキャンプになった。どもる子どもだけのキャンプは例がなく、その体験を話すたびに、私たちもぜひやりたいということばの教室の関係者も出てきた。私たちも全国各地でこのようなキャンプができればとも思う。アメリカやインドなどでもどもる子どものためのキャンプは行われている。しかし、これらのキャンプと私たちのキャンプとでは決定的な違いがある。アメリカやインドのスタッフは専門家が中心だが、私たちは、ことばの教室の教師、言語聴覚士、どもる人が一体となって取り組む。主体はむしろどもる人で、セルフヘルプグループの文化が色濃く反映されている。
 10年前スタートしたこの小さな試みが、そしてその試みを様々な場面で紹介してきたことが、島根県のスタタリングフォーラムとして実現した。私も企画の段階から加わらせていただいた。そして、実際に体験してみて、成人のどもる人間としての生の声のもつ力を思った。親をはじめとする吃音に関わる人々が、生のどもる成人と出会うことの意味を思った。しかし、一方で体験者であれば誰でもいいということにならないということも。吃音の悩みと悲惨さを訴え、吃音を治しましょうという人であれば、私たちの失敗は全く生かされないことになるからだ。吃音を否定し、吃音を隠し、話すことから逃げ続けた失敗は、私たちの代で終わらせたい。
 声高に戦争反対を言うのではなく、自分たちの被爆体験を語り継ごうとした広島の多くの語り部たちの存在が秋葉市長の言う原爆を使わせない方向につながることを願いたい。
 吃音と共に豊かに生きる私たちの仲間が『どもりの語り部』として語り続ける必要があるのではないだろうか。そう考えると、日本吃音臨床研究会の存在意義は広島にも似て決して小さなものではない。(「スタタリング・ナウ」NO.60  1999年8月)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/01/26

村田喜代子さんと吃音

 1999年秋、筑波大学の石隈利紀さんを講師に「論理療法と吃音」のテーマで吃音ショートコースを開催しました。これは、後に金子書房から「やわらかに生きる 論理療法と吃音」として出版しました。その吃音ショートコースの最終日に来てくださったのが、特別ゲストの芥川賞作家・村田喜代子さんでした。
 村田さんは、新聞のコラム記事に、「吃音礼讃」と題したエッセイ風の文章を書いておられました。まさに、論理療法の実践ともいえる内容でした。残念ながら、そのコラムがいつのものなのか、日付の記載がありません。冊子『吃音と上手につきあうための吃音相談室』の紹介を続けてきましたが、その「スタタリング・ナウ」NO.59の最終ページに紹介している新聞記事なので、1999年秋の少し前のものだと思われます。
 村田さんは、僕たちの吃音ショートコースで、ご自分の吃音にまつわる体験を話してくださいました。タ行が苦手な村田さん、「私の辞書に、タ行のことばはない」とか、「編集者が田中さんだったとき、旅先では友だちにまず電話して、その友だちを呼び出し、友だちに編集者に電話してもらっていた。だから、友だちは大切にした」などの話が印象に残っています。「スタタリング・ナウ」1999.7.17 NO.59に掲載されていたそのコラムを紹介します。
 村田さんの吃音ショートコースでのお話は、金子書房の「やわらかに生きる 論理療法と吃音」に掲載しています。

   
吃音礼讃
             村田喜代子(作家


スタナウ57〜62 新聞記事_0005 村田喜代子吃音礼賛 家の子供に聞くと、いま学校で吃音の子供は少ないらしい。昔は町にも学校にも結構いた。私もその一人で、身内にもいる。時代はスマート、早口文化で、テレビ・ラジオのアナウンサーから一般人まで、速い口調でしゃべる。社会の進展と共に、天然痘の終息宣言のように、吃音も長い歴史の幕を閉じるのか。
 と思っていると、見知らぬ吃音の女性から電話がかかってきた。どうやって治したのか、相談の電話である。吃音は外見上は言葉がつかえて出にくい状態だが、原因は発声時の呼吸の乱れにある。気分を落ち着けるといいのだが、そこのところが、なにか生理的と言うか、本能的と言うか、手に負えない感じである。だから私もまだ、吃音が治ってはいない。「早くから周囲の人に、吃音宣言をしていると、不思議に吃らないですよ」とアドバイス。
 羞恥心を捨てる。何が恥ずかしいのか。興奮した時はどもる。盛大にどもったあとなど、かくも情熱的にしゃべったことに、一種人間的な感動を覚える。「ナナハンで走ったような気分もします」と言うと、相手も笑い出した。
 どもる者とどもらない者。二つの系流をふとたどってみたくなる。「原始時代に火山が爆発して、その時にアッーと驚いてウ、ウ、ウワアッと叫んだ人間と、叫ばなかった人間がいたんじゃないですか。その叫んだほうの原始人の子孫かもしれない」
 だが噴火のショックもはるか昔になり、しだいに(叫んだ人の)血も薄れる。それでこんなにいまは吃音が減った。電話のむこうの女性も、ほとんどことばはつっかえない。軽い、もっとどもろうよと心の声がする。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/01/25

冊子『吃音と上手につきあうための吃音相談室』に寄せて 5

 昨日に続いて、感想の紹介です。今日は、安藤百枝さんの感想です。安藤さんとのお付き合いは長く、本当に、いろいろな場でたくさんのことを話しました。今、紹介している冊子『吃音と上手につきあうための吃音相談室』の前身の『どもりの相談』制作のときは、何度も合宿をしましたが、いつも一緒でした。どもる子どもの保護者としての視点と、その後言語障害を学び、言語聴覚士として臨床に携わってこられた経験を活かした、的確な指摘は、僕にとって、とてもいい刺激でした。今回の文章も、穏やかで、にこやかな安藤さんの顔や声が浮かんでくるようです。

試される臨床家としての人間性と力量
  安藤百枝(小平市立障害者福祉センター・言語聴覚士)


 重いガイドブックである。100ページあまりの冊子なのに、読みごたえ十分で中身はずっしりと重い。導入として書かれている基本構想が、自分の体験をおりまぜながら全編の根っこに芯のように貫かれており、伊藤さんの吃音に対する思い入れと哲学が随所に感じられる。琴線にふれることばがあふれている。
 やさしい語り口調で書かれているのも読み易い。あえて難を言わせてもらえれば、語り口調のためか、伝えたい事が多いためか、少しダラダラと長いような気もする。特に「お母さんへ」の章を読んでいる時そう感じた。消化するのに時間がかかった。でも、全体を読み終えてみると、そんなことはどうでもいいような気になった。
 吃音にめげそうになっている人や、我が子の吃音に悩んでいるお母さんには、何よりの福音書だと思う。吃音でない人たちもいろいろなことにぶつかった時読み返してみると、心あたたかくなり、希望がもてるような気がする。読み返すたびに、それまで気づかなかった事が見えてきて目の前が開けるような気がする。
 「吃音と上手につきあうための」というより「自分らしく、心豊かに生きるためのガイドブック」とした方がよいかもしれない。
 ことばの教室の先生や学級担任、そしてスピーチセラピストは、どもる子どもを指導する以前に、「吃音」そのものをどのように受け止めて子どもたちを支えていったら良いのか、示唆に富んだことばがあふれている。それをどのように消化し、実践するか、臨床家としての我々の人間性と力量が試される。
 伊藤さんとのつき合いは25年以上になる。
 大阪教育大学ではじめて会った時、彼は「治らないどもりをどうするか」と、どもりながら楽しそうに話していた。あの当時の彼のエネルギーと目の輝きは、25歳でエリクソンの言う学童期を卒業して劣等感から抜け出した彼が、遅れてやってきた思春期の真っ只中で、アイデンティティを確立していた時期だったのだ。当時の彼を思い返してみると「なるほど、そうだったのか」とうなずける。
 それからの彼の活動が目をみはるものであったことは本に書いてある通り、いや、それ以上のものであったが、「吃音者宣言」を発表した頃の彼の活動に対しては、批判的な声もいくつか耳にした。確かにあの当時、熱心さのあまり吃音への考え方、取り組み方を同じボルテージで共有しなければ、別の仲間のように扱われるという印象を相手に(特に、治すことにこだわっている人たちに)与えていたこともあったと思う。
 しかし、その後の活動の中で、彼は今の考え方を確立し、吃音を治すことにこだわり続ける人も受け入れた上で、自分たちのような生き方も選択肢のひとつとして頭の隅において欲しい…と書いている。このことばも含めて、「吃音に悩んでいる十代の君たちへ」の章は、神経をゆさぶられる思いで読んだ。体の底から湧き出る声を聞いた思いがする。
 「吃音相談室」を読んだ内容についての感想以前に、自分の体験に基づいてこれだけのものを書き上げた伊藤さんの、吃音と共に歩み成長した生き方に思いを馳せ、胸を熱くしてしまった。読後、しばらく放心状態であった。  
 21歳まであれほど忌み嫌い、悩んだ吃音も、今や彼にとって生きる喜びであり、生きる姿勢なのだ。吃音に本気で悩み、そして惚れ込んで、はじめて深く吃音をつかみ得るのだ、ということを実感的に感じさせてくれた。
 彼は時々、「どもりでよかった」と言う。キザなセリフだと思った時期もあったが、それは彼の生の声だったのだと気づかされた。私もいま、素直にそのことばにうなずき、彼がどもりでよかったと、心からそう思う。
 『伊藤さん、どもりでいてくれてありがとう!!』(「スタタリング・ナウ」1999.7.17 NO.59)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/01/24

冊子『吃音と上手につきあうための吃音相談室』に寄せて 4

 「12人のおかしな大阪人」の芝居のことを書いたので、少し間が空いてしまいました。
 先日に続いて、冊子『吃音と上手につきあうための吃音相談室』に寄せられた感想を紹介します。まず、吃音親子サマーキャンプに参加していた保護者の感想です。
 保護者にとっても、どもる子ども本人にとっても、大切な冊子になっていることが伝わってきて、うれしいです。

何度も読み返したい
  八坂もえ(東京都)

 娘の早穂も小学6年生になり、来年は中学生。これから思春期を迎え、難しい年頃になります。「吃音に悩んでいる十代の君たちへ」は、伊藤さんの幼少の頃からの体験を踏まえて話されていて、とても分かりやすかったです。
 一応、早穂にも読ませたのですが、感想を聞くと「うーん、伊藤さんも大変だったんだなあ。後の方の話は長すぎてよく読まなかった」という返事で、残念ながらまだ今の娘にはおっしゃりたいメッセージを理解することは難しいようです。しかし、これから娘が自分の吃音と向き合う中で、何度も読み返しては何かを感じ取り、自分らしく豊かに生きるにはどうしたらいいかを考えさせてくれる、そんな道しるべになってくれることと思います。
 「お母さんへ」を読んで、私も吃音親子サマーキャンプに2回参加して、吃音のことを知り、子どもとどう向き合えばよいのか分かったつもりでいたのに、自分と重ね合わせて、はっとさせられる箇所がいくつかあり、改めてとても参考になりました。

 〜親から頼まれた仕事をやりとげ、心から認めてもらえると、子どもは満足感や成功感を味わうことができ、そこから自信が生まれ、意欲が育ち、どもっても逃げずに仕事をやりとげようとする姿勢を造っていく〜

 娘は幼稚園の頃、友だちから「なんで、あーあーって言うの?」と言われたり、友だちの家のインターホンで自分の名前が言えずに泣きながら帰ってきたこともあり、そのころからなんか話しにくいということを感じていたようです。この時に、伊藤さんの提唱する、「吃音の早期自覚教育」のことを知っていたら…と思います。小学校低学年の時も、仲良しの友達に電話するのさえ、かける前から何度も練習し、私が娘の背中をそっとさすって「八坂」の「や」を耳元で一緒に言ってあげたり、毎回ピアノのおけいこに行く時もインターホンで「八坂」って言えないから嫌だ、嫌だと言ってまして、日常生活のささいなことで実際、ことばが出にくくて困っている娘を前にして、本に書いてあるように、「この子は、どもるからおつかいに行かせたら可哀想だ」と思い込んでいました。
 それが2年前、初めて吃音親子サマーキャンプに参加して、「吃音は治る、治らないということではない。娘の吃音を認め、そのままの娘を受け入れる」ということを学び、それなら娘には、どもりながらも前向きに頑張ってほしいという思いが強くなり、電話、おつかいなど、日常生活のささいなことを避けている娘に、どこかイライラして、去年のサマーキャンプではその気持ちを親の話し合いの中で聞いてもらいました。そのときに、無理をせず、子どもの力を信じて見守りましょうということになり、娘が自分からその気になるまで無理じいをするのをやめました。娘は今でも電話やおつかいを避けています。
 幼い頃、タイミングよく家庭の中での自分の役割に満足感や成功感を味わっていたら、あるいは娘の生きる姿勢も今とは違ったかもしれませんが、今となっては過去のことは仕方ないので、これからでも娘に小さなことから無理なく用事を頼んでやりとげたことに心から認めて満足感や成功感を味わせてあげたいと思いました。

 〜お母さんも全身で語りかけるし、子どもの語りかけてくるのを全身で聞いてあげましょう。その中で、初めて通じ合うということは、うれしいことなんだな。楽しいことなんだなという実感が生まれます〜

 ことばが出にくい状態のとき、娘の話したことで意味がよく分からなくて、何か聞き返したり、質問したりすると、急に機嫌が悪くなったり、「もういい」と話をやめてしまうことがよくあり、私もどこか遠慮して意味がよく分からなくても「そうなの」とあいづちを打って聞き流していることがありました。以前、娘とそのことで喧嘩になり、「ママは早穂ちゃんの話がちゃんと聞きたいから質問しているのよ。じゃあ、ただ意味も分からずうんうんって言ってもらう方がいいの!」と言ってからは、娘も最後まで話すようになりました。
 しかし、今でもちょっと聞き返したりしただけで、怒った顔をしたり、不機嫌になるときがあります。思えば、そんなときは、私が娘の話の内容よりも今日はスムーズに話している、今日はちょっとことばで出にくいなあと吃音の方に気をとられていたような気がします。これからは、吃音の症状に気をとられずに、娘が何を話しているのか、そのことに気持ちを向けてみようと思いました。そして、伊藤さんが書いておられるように、娘の話でよく分からないことがあるときは、「早穂ちゃん言いたかったのはこういうことなのかな?」と娘の話をちゃんと受け止めたことが伝わるようにしていこうと思いました。そして、そんな私とのやりとりの中で、娘が「通じ合う」ものを感じてくれて、会話って楽しいんだな、どもってもいいからもっともっといろんな人とお喋りしたいなと思ってくれるよう、私もより良い聞き手になりたいと思います。
 本の中に、「自分らしく豊かに生きるには、吃音を受け入れ、自己を肯定して生きることが大切」とあります。私たち家族も吃音親子サマーキャンプに参加していろいろ学び、家庭内でも吃音をオープンにし、「どもってもいいのよ。そのままのあなたでいい」と娘に伝え、早穂も「どもる」「吃音」ということばを自らから使えるようになり、自分の吃音と向き合ってはいるのですが、吃音を受け入れ、自己を肯定しているかというと、まだそこまでには至っていないようです。
 「吃音に悩んでいる十代の君たちへ」の中で書かれている価値を広げることの大切さを娘に分かってほしいと思います。どもって恥をかいても、それに耐えた、逃げないで最後まで頑張った、そんな自分を認め、いっぱい褒めることができるようになってほしい。自分の今できる範囲で一生懸命頑張ったんだから、他の人が自分をどう思ったかなんて気にせずに「よくやった、それでいいんだ」と思えるようになってほしいと思います。そのためには、私もどもった、どもらないで話せた、ではなく、娘の頑張った気持ちを、耐えた気持ちをその都度認め、いっぱい褒めてあげたいと思いました。
 この本は、娘の吃音に対する私の心の持ちようを教えてくれ、娘だけでなく私にとっても、何度も読み返していきたいものだと思いました。(「スタタリング・ナウ」1999.7.17 NO.59)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/01/23

芝居『12人のおかしな大阪人 2023』

 昨日、大阪市内の松下IMPホールで、『12人のおかしな大阪人』の芝居を観てきました。東京にいるときに偶然みつけたこの芝居、タイトルに惹かれました。
 ヘンリーフォンダ主演の映画『12人の怒れる男たち』から来ているに違いないと思いました。この芝居は、僕にとって竹内敏晴さんとの思い出のひとつです。

 『12人の怒れる男たち』を大阪弁でやってみたら、おもしろいんじゃないかと、竹内敏晴さんの演出で、應典院で上演したのです。
 竹内さんが亡くなるまで、約10年間、竹内敏晴さんの定例レッスンとして、「からだとことばのレッスン」の大阪事務局をしていたのですが、毎年3月に、一年間のまとめとして、公開レッスンをしていました。公開レッスンは、1年間、レッスンに通ってきていた人たちが、レッスンの成果を披露し、新たな課題をみつけるために、観客を巻き込んでの芝居の上演と観客とともに行うレッスンで構成されていました。取り上げた芝居は、たくさんあり、『12人の怒れる男たち』は、そのひとつでした。
 陪審員たちが、ある事件の話をする会議室での出来事で、場面展開のない、せりふだけで芝居が進んでいくこの芝居、はじめ、竹内さんは公開レッスンで取り上げることに難色を示されました。でも、みんなの「やってみたい」という希望が強く、上演することになりました。ある殺人事件の被告人の有罪・無罪の評決を決めるのですが、僕は、最後まで「有罪」と主張する役でした。ところが、本番で僕は、「無罪」と叫んでしまったのです。その瞬間、舞台上は静まりかえりました。舞台に出ていた出演者に、臨機応変にそこを切り抜ける余裕を持った人はいなくて、そのまま芝居は流れていきました。「なんでやねん、違うやろ。ずっと有罪と言ってたんとちゃうん?」というつっこみが欲しかった場面でした。
 こんな思い出のある芝居ですが、今回、みつけた芝居も大阪人とあるので、独特の大阪弁や関西人らしいやりとりを期待していました。

12人のおかしな大阪人 パンフレット_0001 今回の芝居のチラシには、こう書いてあります。

「12人の大阪人が、とある場所に集められた。
 性別、年齢、職業、環境…全てがばらばらな12人が集められた理由は、ある一人の男性が亡くなった事件。被告人はなくなった男性とつきあっていた女性だった。
 陪審員として集められた12人は、彼女が有罪か無罪かをめぐり、激しい議論を繰り広げる!
 …はずが、大阪人のノリ全開の話し合いは、ボケとつっこみが飛び交い、マシンガントークが停まらない! 個性の強い陪審員たちは勝手に話し始め、話は脱線しまくり、脇道に逸れ続ける。
 笑いっぱなしで時には涙あり?な12人の大阪人による審議は、果たして評決を導き出せるのだろうか…!?
 2021年、26年ぶりに再演された異色作が、リクエストにお応えして三度目の上演。
 さらに今回は28年ぶりに東京でも上演いたします!! お見逃しなく!!」

 見終わった感想は、「おもしろかった」です。役者さんの誰ひとり知りませんが、スピーディーにリズムよく展開していくのがおもしろく、よく笑いました。日常で使う大阪弁も随所にあって、あっという間の110分でした。
12人のおかしな大阪人 パンフレット_0002 僕たちが「親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会」の実行委員会などで、集まって話しているときの会話も、こんな感じで、「突っ込み」が飛び交い、いつも笑いながらの話し合いです。僕たちにとってはごく日常なのですが、もしそれを聞いている周りの人がいたとしたら、今回の芝居のようにおもしろいと思うだろうなあと思いました。大阪人は、みんな漫才師かと言われることがあるようですが、それと似ています。
 僕は冗談を言うのが大好きです。第1回世界大会の実行委員会のときも、笑いが常にあふれていました。それが高じて、カウンセリングの場でも、許されそうだったら笑いをとっていました。長く、ベーシック・エンカウンターグループのファシリテーターをしていましたが、そのときも、九州大学の村山正治先生と僕が組んだグループでは、いつも大笑いする場面がありました。懐かしい思い出です。
 観る一方だった芝居ですが、竹内敏晴さんのおかげで、大きな芝居の主役をさせてもらったこともあり、舞台に立つことも好きになりました。チームを組んで何かひとつのことを達成するという過程が好きだし、表現することも好きです。小学2年生の秋の学芸会での出来事を帳消しにしておつりがたっぷりあるくらい、芝居は大好きなものになりました。 残念ながら、もう舞台に立つ機会はありませんが、有名な舞台だけでなく、このような舞台もできるだけ観にいこうと思わせてくれる、とてもおもしろい舞台でした。
 残念ながら、『12人のおかしな大阪人』、今日が最終日です。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/01/22
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