伊藤伸二の吃音(どもり)相談室

「どもり」の語り部・伊藤伸二(日本吃音臨床研究会代表)が、吃音(どもり)について語ります。

2022年09月

〈とりあえず主義〉と〈言い置く主義〉

 僕の好きな精神科医、なだいなださんの、この〈とりあえず主義〉を読んだとき、そうだ、僕も同じだと、うれしくなりました。他人を変えることなどできないし、大勢の人に何かを伝えることもできない。でも、僕の目の前の人、僕に連絡をしてきた人には、精一杯、関わりたい。〈とりあえず主義〉と〈言い置く主義〉は、そんな僕の思いを言い表してくれている大切なことです。

      
とりあえず言い置く
                    日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二

「ぼくはまだ未熟な医者です。もっと勉強しなければなりません。でも、勉強はそう簡単なものではなく、上には上があります。先輩をみて、せめてあれくらいの腕をもちたいと思っても、なかなか辿り着けません。かといってそこに辿り着いてから治療しようと思えば、その間、僕は医者としては働けません。未熟だけれど、とりあえず未熟なままで治療するほかはないのです。
 また、この病気はこうすれば治る、と自信がもてれば問題はないが、やってみなければ分からないのが治療です。この薬はこれまで同じようなケースでは効いていた。だから今度もとりあえず使ってみようと薬を出す。効かなければその時考えよう。8割方は効く薬を出すが、効かないことも有り得る。目の前のケースが効く人なのかそうでないかは、神のみぞ知るです」
               ―とりあえず主義とは―『ちくま』1998.10

 精神科医・なだいなださんは、このようにとりあえず行動する生活の姿勢をとりあえず主義といい、自らを《とりあえず主義者》という。
 私も、なださん同様、《とりあえず主義者》だが、さらに《言い置く主義者》でもある。
 大阪教育大学・特殊教育特別専攻科の集中講義で、吃音親子サマーキャンプの体験を話した時、途中で帰った高校生のことにも触れた。すると、人にはそれぞれ時期があり、花でもその成長を待たなければならない。性急にその高校生に迫りすぎたのではないか、との率直な指摘があった。
 吃音に悩み、何かを求めてきた4人の高校生に、その時は誰が時期尚早か判断できず、4人にとりあえず、キャンプを勧めたのだった。明らかに、集団に入るのはまだ厳しすぎると思う例も時にはあるが、それほど多くはないからだ。
 個人面接や大阪の吃音教室で、吃音について、私たちのこれまでの実践や考えてきたことを話す。とても共感し理解してくれる人もいるが、反発する人もいる。これまで信じてきた考えと、かなり違う主張は、自らの体験を通さなければ、受け入れることは難しい。吃音に悩む人に向き合ったとき、私がその人に何ができるかとても心もとない。「吃音症状」を軽くしたり、治したり、どもり方を変えるなど、とてもできないことだから、それはできませんとはっきりと言うことができる。また、吃音は治らないとは言えないまでも、私たちの吃音は治らなかったと、大勢のどもる人の体験をそのまま事実として伝えることはできる。治らなかったものを治らなかったとは言えても、「〜ができる」は、本人が行動しなければならないことだけに、言い切ることは難しい。
 「吃音は治らずとも、自分らしく吃音と共に生きることはできる。それを一緒に考え、行動することには私たちも一緒につきあえる」
 こう言われても、これまで、吃音が治らないと人生はないとまで思い詰めてきた人にとって、容易には受け入れられないことだろう。それを承知の上で、分かってもらえるかどうか分からないけれども、とりあえずは言ってみる。このように「言い置く」ことしか私にはできないのだ。
 20数年前までは、吃音に悩む人を前にして、自己の体験、多くのどもる人の体験をもとに、提案というより、「吃音を受け入れよう」と、説得をしてきたように思う。今は、とてもそのようなことはできなくなっている。
 人が他者の吃音を治したり、軽くしたり、どもり方を変えたりできないのと同じように、どもる人の生き方にっいて、他者が変えることはできない。
 私たちは自らの体験を語り、できるだけ多くの人の体験を紹介することしかない。その体験を知った人が、何に気づき、どう動くかは、その人自身のことなのだ。私たちの情報提供や提案に反発しても、私たちの考えは、体験はとりあえず伝える。
 その人が何かの壁にぶつかったり、吃音と直面せざるを得なくなったときがチャンスだ。その機会がその人に訪れた時、私たちが言ったことを思い出してくれればいい。時期尚早かどうかは、その人が決めてくれるものだと信じて、今日も、とりあえず言い置くことを続けている。(「スタタリング・ナウ」1998.10.17 NO.50)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/09/29

吃音親子サマーキャンプという場の力

 コロナの感染大爆発、そして、前日には感染者数過去最多を更新した8月19・20・21日、滋賀県彦根市の荒神山自然の家で、第31回吃音親子サマーキャンプを開催しました。2020年、2021年は中止したのですが、今年は3年ぶりに開催しました。ギリギリまで迷って、最終的には、参加を希望する人たちやスタッフの熱意に背中を押されて決断しました。ブログで、無事に終わったことを報告しましたが、参加しての感想がぽつぽつと届いています。読ませていただきながら、夏の3日間を思い出し、開催してよかったなと思っています。
 今日紹介するのは、1998年の第9回吃音親子サマーキャンプが終わって書いた巻頭言です。

     
直面すること
               日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二

 「学校へ行くのが苦しい。いつ当てられるかと思うと、緊張してお腹が痛くなる」
 こう話す女子高校生の話は、2か月前の面接のときに、F君が話してくれたのとほぼ同じようなことだ。F君は、じっと聞く姿勢になるが、すぐに自分には関係ないというような姿勢に変わり、下を向いてしまう。
 自分と同じような悩みを、別の人が言っている。関心がないはずはない。自分を変えたいと思う一方で、これまで隠し、逃げてきた自らの問題に直面することが怖い。話し合いの2時間の間、彼はこの葛藤の中にいた。それは、その場にいた彼のからだが語っていた。F君は、サマーキャンプの直前まで、参加するかどうか迷っていた。「嫌になったら帰ればいいさ」の私のことばに救われるように参加を決意したのだったが、結局、2日目の朝早く、本当に途中で帰ってしまった。
 対人緊張や吃音に悩んでいることを親に決して知られたくないと、F君は吃音のキャンプであることを親に内緒にして参加した。
 途中で帰ることが、今の彼にとっては、精一杯の自己表現であり、生き延びるためには必要だったのだろう。途中で帰ったが、少なくとも2時間、F君は同じような悩みや体験をもつ高校生の話を聞いていた。またその夜、同じ悩みをもつ高校生と少しは話せた。そのことを何かのきっかけにして欲しいと願う。
 このF君の姿は、私の21歳頃の姿そのものだ。何かが出来ないのをすべて吃音のせいにし、それなりにバランスをとってきた私にとって、吃音を隠し、話すことから逃げる方が楽だった。吃音に直面することでこのバランスが崩れてしまうのが怖い。憧れの吃音矯正所の門を前にして、立ちすくみ、1時間以上も、ぐるぐると矯正所の周りをうろついたのはそのことへの恐れだったのだろう。
 キャンプの始まる前の1か月間に、偶然に4名の高校生の面接をした。タイミングがよかったのでキャンプへの参加を勧めた。親も、懸命に勧めたが、参加したのは2名で、そのうちの1名、F君は途中で帰ってしまった。
 「どもったままでいいというようなキャンプは傷のなめ合いだ。そんなところには絶対行きたくない」
 参加を頭から拒否した高校生の言い分だ。吃音に深刻に悩み、学校へ行けなくなっているにもかかわらず、治してくれるところならともかく、自らの吃音に自ら直面しなければならないようなことには拒絶反応を起こす。
 これら高校生に共通しているのは、吃音に直面してこなかったために、吃音を否定し、どもっている自己を否定していることだ。思春期・青年期に吃音に悩むのは、自分が何者か、何ができるか掴めないことにある。エリクソンの言う自己同一性が確立されないのだ。
 昨年、これらの高校生と同じように、必ず吃音を治すと、高額な横隔膜バンドを購入し、治す努力をしていたS君は、母親が一人でも参加するという熱意におされて参加した。彼は途中で帰ることなく、本人のことばによれば、3日間を耐えた。そして、今年も参加したが、「キャンプは僕の命の恩人だ。昨年、このキャンプに来なければ、僕はどうなっていたか分からない」と何度も“命の恩人”を口にした。彼はキャンプで吃音と直面せざるを得なくなり、この1年で彼は変わった。だから、F君が途中で帰ったことを、S君は自分のことのように悔しがっていた。
 小学校3年生からキャンプに参加しているMさん。ゆっくりした口調で話すため、のんびりやさんと思われているが、どもる人間としての、本当の自分をクラスの友達に知ってもらいたいと、あえて自分のどもりを作文に書いてみんなの前で読み上げた。
 吃音を隠し、吃音に直面することを避ける高校生と、どもる自己を否定せず、あえて吃音を公表する中学生。思春期の前段階である学童期に、吃音と直面することの意義を思う。
 吃音と直面するとは、単にどもる症状を再現したり、吃音についてオープンに話せばそれで済むということではもちろんない。(「スタタリング・ナウ」1998.9.19 NO.49)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/09/28

ことば文学賞作品 1998年

 ことば文学賞は、大阪吃音教室が主催しています。応募できるのは、大阪吃音教室の会員と、「スタタリング・ナウ」の購読者です。どもる人は自分の吃音の体験を、どもる子どもの親は自分の子どもの吃音について思うことを、ことばの教室担当者や言語聴覚士は担当する子どものことを、書きます。吃音だけではなく、ことば、生き方など、幅広い内容で募集しています。 何を書いてもいいが基本ですが、ここ最近は基本テーマを決めて募集しています。昨年は「吃音と家族」、今年は「吃音でよかったこと」です。「吃音でよかったこと」なんて、僕たちらしいテーマだと思います。どもりは悪いもの、劣ったもの、恥ずかしいもの、隠すべきもの、という一般常識から外れたところに、僕たちはいます。吃音とともに豊かに生きることを目指しているのです。
 今日は、昨日の続きです。「スタタリング・ナウ」の購読者のことばの教室担当者が担当している子どもが書いてくれました。

   
優しい人
                    佐々木ゆき (中学2年生)
 私のクラスの子に、牛島さんというすごく優しい人がいます。みんなのことを考えていてくれて、正義感もあって、性格もとてもいい、理想の性格です。その子と親しくなって、一番印象深かった出来事は、去年のことでした。
 国語の時間、3学期の成績をつけるための本読みがありました。『うらしまたろう』の文の一部分を、出席番号順に読んでいくのです。5行もありました。そして寒くもないのに震えが全力疾走で駆け回り、止まりませんでした。周りの人にわかるくらい私の心臓は連続逆上がりをして回っていました。すらすら読んでいるみんなが、自分とはちがう世界の人みたいで、自分が箱に閉じ込められた小人のように遠くはかなく感じました。とにかく、一に練習、二に練習というので、みんなの読んでいるのに合わせ、自分も小声で何回も何回も眩いて読み回しました。
 男子が終わりました。読んで練習している場合じゃないとまで思い始めて、どうしようと、放心状態になりました。そしてまた、(はっ)と我に返って読まなければいけないことに気がつき、肩を小さくしながら読みました。どんどん順番が近づき、私の前の人が腰を下ろしました。
 ピーンと張りつめた中、私はゆっくりと立ち、いっぱい息を吸い、第一声の『そ』に願いをたくしました。「…っ」、ダメです。のどが押さえられるようで、気持ちが空回りして声となって出てきません。もう一回、気をとりなおしてがんばろうと自分をはげましました。
 「…っ。…っ。…っ」
 額と背中とお尻と、体中に汗が放出しまくって今すぐ光のようにこの場を過ぎ去りたいと思いました。けれどあきらめませんでした。何回もくり返し、やっと出たのが、「その山」という言葉でした。この調子でもっと言いたい、読み切りたいと思ってまた何回もチャレンジしましたが、それっきり出なく、国語の先生に、「もういいよ」と同情され、重い腰をいすにゆっくり置きました。
 私はうまくしゃべれないからといって同情されるのは一番キライです。なのに、とうとう同情されてしまいました。私は終わったという気のゆるみと、自分が言えなかったということへのくやしさと、同情されてしまった悲しさで、鼻水と涙が止まりませんでした。タオルが水にひたしたようにぐちゃぐちゃになりました。こんなふうになっている自分がとてもいやになりました。
 長かった国語の時間が終わり、何時間がたった頃、牛島さんが私の所に寄って来てこんなことを言いました。
 「ゆきちゃんはしゃべるのがちょっと苦手なの?」
 私は、(ああ。またやっぱり言われた)と思いました。なぜかは、私が何かでしゃべれなくなったときは、いっつもこんなふうに『なんでしゃべれなくなるの?』と、聞かれるのです。そんなのは、私さえも知らないのに答えられません。
 私は一応、「あー、うん」と言っておきました。そうしたら、「そっか。けどそれもゆきちゃんの個性だよ」と言われました。私はそれを聞き、びっくりしました。今までそんなこと、言われてもなく、考えたこともありませんでした。そして心臓からピンク色の何かが出てくるような感じがしました。すごくうれしくてたまらなくなりました。
 牛島さんは、私がつまってしまうということを、同情や偏見じゃなく、個性として見てくれたのです。この言葉を聞いて、私は少し自分に、自信を持ちました。今まではやっぱり、自分に引け目を感じ、自分で同情されるのがいやだと思い続けているのに、いつの間にか自分が自分を同情していることに、やっと気がっきました。
 牛島さんはそれを気づかせてくれた、やっぱり理想の人です。私はあんなやわらかくてピンク色のあたたかい心を持っている牛島さんはすばらしいと思っています。つまるしゃべり方は個性、そう思えば今まで何を求め、悩んできたんだろうと思いました。

【高橋徹さんのコメント】
 「優しい人」もいい作品です。国語の時間の、順番に回ってくる本読みの不安と失敗した現実、そして友だちのやさしいことばに自信を回復していったお話でした。易しい文章できちっと書かれていました。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/09/26

ことば文学賞作品 1998年

 昨日に続き、「スタタリング・ナウ」(1998.8.15 NO.48)で掲載していることば文学賞受賞作品を紹介します。選者の高橋徹さんのコメントつきです。大阪吃音教室のミーティングは、昔は、ここで書かれているアピオ大阪で開いていました。その後、應典院に移り、そして今は、アネックスパル法円坂になっています。毎週金曜日、同じ時間に同じ場所で会い続ける、これがセルフヘルプグループのミーティングです。 

   
うまいもんはうまい
                                 曽我部政信
 私は毎週金曜日アピオ大阪に行く。大阪吃音教室に参加するためだ。昼3時すぎに明石近くのアパートを出るのだが、阪神高速はいつも渋滞していて2時間くらいかかる。着くとだいたい5時を少し回っている。例会は6時45分からだ。例会が始まるまでは、ほとんど車の中で来るときに買った缶コーヒーを飲みながら読書をして時間をつぶす。
 当然そのうち腹が減ってくる。近くに食べ物屋がたくさんあるが車椅子なので店の出入口に段差があったり、店内が狭かったりして店に迷惑がられるのが面倒くさいのでアピオ大阪内のレストランに入る。
 表の陳列ケースを覗くと、私の好きな焼肉定食があるのでこれを食おうと決めて店内に入る。
 ウエイトレスに何にしましょうか、と聞かれる。私は焼肉定食と言おうとするのだが、(ヤ)の音が苦手だ。独り言ではすらすらヤキニク、ヤキニクと出るが相手がいるとやはり100%(ヤ)の音がでてこない。
 あわててメニューを探すがメニューも置いていない。いつも言いにくい言葉の物を注文するときはメニューを指で示しこれと注文する。メニューも置いていないとはサービスの悪い店だ。
大阪吃音教室が例会で利用している会館なのだから、メニューぐらい置いておけ、とウエイトレスを心の中で叱る。考えるふりをしながらエート、エートと何度も言ってみるがやはり(ヤ)が出てきそうにない。
 しかたなくあまり食べたくないが、自分にとって言いやすい言葉で海老フライ定食と言ってしまう。待っている間となりの人が焼肉定食を食べているのを見ると本当にうまそうに見えてくる。海老フライ定食を食べるときも、食べた後も本当は焼肉定食が食べたかったのに(ヤ)の音が出てこなかった自分が情けなくなり自己嫌悪に陥ってしまう。ということを何週も繰り返した。
 しかし今日は違う。無性に焼肉定食が食いたい。それもメニューがあるいつも自分が利用している店ではなく、夢に出てきた憎らしいアピオ大阪の焼肉定食が。
 前に東京のテレビ局のバラエティ番組の中で、食べ物をどれだけ言葉を崩して注文し相手に通じるかということをやっていた。たしかアイスコーヒーを関西ではレーコと言うがレーコ、アーコ、ウーコ、ウンコとか注文していき、結構言葉をあやふやにしても相手に通じていた。
 その時はただおもしろくてへらへら笑っただけだった。今回は自分が同じことをすることになった。ただレーコとウンコは似ているけど、焼肉とウンコでは言葉が似てない。ヤキニクに似た発音で言いやすい言葉を探すが出てこない。そこで最初(ヤ)が出ないのだから(ヤあキいニいクう)の(ヤ)をとばして(あきにく)で注文してみよう。そう思いレストランに入りウエイトレスに少し早口で(あきにく定食)と注文する。何のことはない簡単に通じてしまった。
 こんなことならもっと前から実践してみればよかった。そして夢にまでみたアピオ大阪の焼肉定食を食べることができた。隣の人が食べているのを見ているときはすごくボリュームがあっていい肉を使っているように見えたが、自分のテーブルにくると何のことはないただの安いバラ肉だった。
 しかし、焼肉は大好きだし、これは焼肉定食ではなく私だけのスペシャルメニュー(あきにく定食)なのである。大変満足している。これで毎週アピオ大阪の焼肉定食が食えるようになったので、吃音教室に参加する楽しみがまた増えた。

【高橋徹さんのコメント】
 「うまいもんはうまい」は、実になんでもない小品です。自分の問題だけにしぼって格闘する姿、知恵を働かせる姿が書かれています。ことばの最初の音だけを省略しても通じるということは、他の作品にも書かれているように、珍しいことではありませんが、この文章全体が易しいことばで詳細に書かれていました。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/09/25

ことば文学賞作品 1998年

 「スタタリング・ナウ」(1998.8.15 NO.48)で掲載していることば文学賞受賞作品を紹介します。選者の高橋徹さんのコメントつきです。

   
ことばよ
                          西村芳和
ことば ことば ことば
もし呪うことができるなら
僕はことばを呪いたい
映画『八ツ墓村』のように
頭にロウソクを突き刺し
桜並木を疾走して
ことばを
次から次へと
叩き斬ってしまいたい
尽きることなく押し寄せることばを
そして最後に
ことばの神を引っつかまえて
5寸釘で打ち付けてやりたい

その時ことばは
やっぱり断末魔の叫びを
ことばを使って発するのだろうか
そうだとすれば
僕はその断末魔の叫びのことばを
また生け捕りにして
またまた5寸釘で打ち付け
その断末魔の叫びのことばの
そのまた叫びのことばを
生け捕りにしなければならない
つまり終わりがない
もしかするとことばは
こうして何度も滅ぼされそうになりながら
生き続け繁殖し続けているのかもしれない

それにしてもことばよ
たまにはことばを使わず
その姿を顕してみせろ

そして
僕と勝負しろ

ことばよ
僕の前に現れ出るのがコワイのか
コワクないなら今すぐ出て来い

ことばよ
勝負だ

【高橋徹さんのコメント】
 「ことばよ」は、まずその発想、展開の仕方、ことばの使い方、構成、どれをとっても吃音者の問題を扱う詩としては出色の出来栄えでした。想像するに、どもりの問題をもっている方々は、それぞれことばに対してえも言えない気持ちを抱えていることでしょう。人間が音として発するだけのことばを、作者はポエジーという、詩的な考え方の中で、まるで不思議な独立して存在するものであるかのごとくイメージした。大層力強いものを感じました。ことばとの闘争心をもつ人、どもる人でないと、またときにはことばへの激しい憎しみがないと、こんな表現はできないと思いました。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/09/24

吃音の体験の宝庫〜ことば文学賞〜

 昨日の巻頭言に続き、第1回ことば文学賞の選考をお願いした高橋徹さんの「ことば文学賞選考にあたって」の文章を紹介します。高橋さんが選んでくださった作品は、順次紹介していきます。これまで集まった作品はたくさんあります。ことば文学賞応募作品だけでなく、僕たちは、これまで自分の体験を書いてきました。これらの体験は、書いた本人にとっては、自分の体験の整理になり、後に続く人たちには、今後の生きるヒントとなるでしょう。まさに、体験の宝庫なのです。

 選考は、朝日新聞・学芸部の記者として文芸欄を長年担当してこられ、現在は朝日カルチャーセンターで講師をしておられる、詩人の高橋徹さんにお願いしました。大阪吃音教室で開いている「文章教室」の講師を長年してくださっている方でもあります。
 高橋徹さんは、選考委員を快く引き受けてくださり、表彰式を兼ねた「文章教室」で、11編の応募作全ての講評と、受賞のいきさつの話をしてくださいました。

    
ことば文学賞選考にあたって
                高橋徹(詩人・朝日カルチャーセンター講師)

 「ことば文学賞を創設しました。11編、文章や詩が集まっているから、審査をして欲しい」
 こういう依頼を受けました。大役と言えば大役です。
 でも、皆様方の作品についてはもう5、6年になりますか、ずっと拝見しているものですから、たぶんお役に立つことができるであろうと思いました。
 私の場合は、発音することはまあ支障なくできていると自分で思っているのですが、ともあれ、ことばを文字にし、あるいは作品にして、それがいつのまにか自分の生業(なりわい)のごときものになった。それは単に生業ではなくて、自分の生き方を貫いているひとつの道として文章というもの、あるいは詩というものがあります。
 したがって、「ことば文学賞」という賞をお作りになったとお聞きしたとき、なんだか頭にパッと灯がともって、ちかちかとその灯がまたたいて、「ああ、喜んで引き受けますよ」と、たぶんお答えしたと思います。
 やはり、ことばを自分の生きる一番大事なものとしている者にとりましては、ことばに関わる場を持つことは大層幸せだと思っていますから、お引き受けしました。
 そうして、作品が送られてきて、早速開きました。あっと驚きましたのは、筆者の名前がないんです。「あれあれ?」と思うと同時に「ああ、なるほど」と思いました。たぶん、大阪吃音教室当局としては、「高橋という男はこちらで比較的よく、お話をしたり、皆さん方と若干の交流を持ったりしている、したがって作者の名前があれば、あるいは高橋はその名前にほだされたりしたらいかんな」と、恐らくそういう配慮で名前が伏せてあったと思います。私は私で、そのことは「良かった」と思っています。
 まさか、もうこんな年になって、そんなに人様の友情や感情を大事にして、その本質を踏み外すようなことはまずないと思っています。ないとは思っていますが、私も人間ですからあるいは、名前があったら、ひかれるかもわかりません。そういう私の配慮を一切させないようにして下さった当局に対して、私はむしろ感謝をしたい。感謝すると同時に、これは非常に深い配慮のもとにこの賞の設定が行われ、かつ、私に審査員を頼まれたということを、改めて感じたわけです。
 同時に、名前があることによって、非常にその人を意識するあまり、その人の作品が大層いいのに、「ああ、この人の作品がいいと思っているのは、僕がこの人に対して個人的にひかれているから、作品そのものはそうでもないのに、大層いいように錯覚しているのではないだろうか」という、そんな逆の奇妙な差別をすることにもなりかねないわけです。したがって、いずれにせよ名前がなかったことは、選者にとってはありがたいことであったと、改めて思いました。
 そんな風にして、冷静に作品11編を読ませていただきました。ただし、私は文章作品に対して優劣をつけるという考え方には、もともと疑問を持っています。俗にいう「うまい、へた」という言い方は許されないし、そういうことをすべきではない、と思っています。よく言うことですが、その人らしさが、その人らしいことばで書かれている。しかも一読して明快である。いや一読明快でなくても、その人が言わんとすることが読む者の胸にちゃんと伝わってくる。それはすなわち名文であると私は思っています。
 でも、こうして賞が設定され、応募された。そして、入賞するか、しないかは、応募されたときに自ら割り切っておられると考えれば、それはそれでまたいいわけです。したがって今回、一所懸命読ませていただきました。そして私は基準として、無意識のうちにこう考えていました。それは、当然ながら、どもりと自分、あるいはことばと自分。自分はそれにどう関わってきたのか、あるいはどのように苦しんできたのか、どうつきあってきたのか、まずそこのところが書かれていないと問題外である。おそらく、そのことはどなたもお書きになっているであろう。そして、そのことが自分にとって一体どういうことであるのか、生きてきたその歳月の中でどういう意味があったのだろうか、という点についても筆が及んでいれば、それは最高の出来であろうと考えました。   「スタタリング・ナウ」(1998.8.15 NO.48)

    
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/09/23




 

文章を書くことのすすめ〜ことば文学賞のはじまり

 いつまでこの厳しい暑さが続くのだろうかと思っていましたが、一気に秋になったようで、朝晩は肌寒いくらいです。「吃音の夏」と僕たちが呼ぶ夏の大きなイベントを、今年は3年ぶりに開催しました。7月末、千葉市での「親・教師・言語聴覚士のための吃音講習会」、8月、滋賀県彦根市荒神山での「吃音親子サマーキャンプ」、新型コロナウイルスが感染拡大していた時期で、どちらも開催をギリギリまで迷いましたが、参加希望者とスタッフの覚悟と熱意に背中を押され、開催しました。
 終わった今、開催できて本当によかったと思っています。その報告をしていたので、これまでの「スタタリング・ナウ」を紹介することがストップしていました。今日から、元に戻ります。今日は、「スタタリング・ナウ」(1998.8.15 NO.48)の巻頭言を紹介します。
 この、ことば文学賞は、今年で25回目となりました。原稿募集はすでに締め切られていて、2022年10月8・9日、大阪で開催する、新・吃音ショートコースの場で、受賞発表の予定です。長く続いているこの取り組みの意義について書いています。
 僕は、今回紹介する、「ふだん記運動」の橋本義夫さんの物語が大好きで、書くことを人に勧めるときにはいつも紹介しています。

   
ことば文学賞
                日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二

 自分史を書くことがブームになって久しい。そのブームよりもかなり前の1957年頃。「ふだん記」運動として自分史を書くことをすすめていた人がいた。橋本義夫さんは、ご自身を重い吃音だといい、50歳から文章を書き始めた。

 『私は少年後期から、ひどいドモリになった。壮年期まで続き、自由にしゃべれたのは幼少時代と晩年だけであった。もしも人生の盛りにこの障害がなかったら、全く違った方向を歩み、「みんなの文章」などすすめなかったであろう。肝心な時に言語が鎖につながれ、その間にした仕事は、どれもみな捕囚の仕事だった。言語の自由がなかったが、せめて文章の自由でもと、指導者もなく、「50からの独学」に入った。
 言語障害の身になると、普通にしゃべれることは、どのくらいありがたいことかが分かる。文章もそうである。名文、美文そんなものどうでもよい。そんなもの一般人には書けない相談である。普通の生活に必要な言葉のように、当たり前のことを何でも記録できるという、そのことがもっとも大切であり、もっともありがたいことである』
   『だれもが書ける文章―自分史のすすめ―』橋本義夫 講談社現代新書 522

 橋本さんはかつて、文章というものは、名文、美文を標準にして書かなければならないと思いこんでいたために、劣等感、恥ずかしさなどが先立ち、書く気も起こらず、またとても書けるはずがないとあきらめ、メモ以外書かなかったと言う。
 「もう長く生きるわけではない。必要なことは書かなければ消えてしまう」
 50歳になり、ふとこう気づき、恥をかくつもりで書きはじめた。重い吃音のために、人とは交わらず、ひとりでこつこつと書く生活が続いた。
 毎日毎日書き続けた。人の喜びや悲しみのときにはつとめて書き、その当事者に贈った。さらに、自分の書くことで得た経験を周りの人に話すようにもなった。
 「不幸、失敗、困難、自責のことを書けば、誰も嘲るものはいない。自分の思うこと感じることをそのまま、自分の方法で書けばよい。私でさえも文章が書ける。書き始めたら繰り返せば誰でも書ける」
 橋本さんは、誰もが書ける文章作法を提唱し、日本全国に「みんなの文章」運動を巻き起こした。
 この運動によって、孤独な生活が一変した。「ふだん記」グループが全国に炎のように広がったのだった。70歳をすぎて、全国を駆け回り話す姿は、吃音のために、ことばが鎖につながれた人間の、最後の戦いであったのだろう。
 この呼びかけに応じて、私たちが自分史を書き始めて15年。大阪吃音教室では、年に数回、「文章教室」を開いて書くことに取り組んできた。
 自分を表現するひとつの手段として、書く習慣を持ちたかった。さらには、後に続く人のためにも書かなくてはならないと思った。
 この度私たちが、『ことば文学賞』を創設したのは、自分史を書こうと取り組み始めたときの熱気をもう一度取り戻したかったからだ。また、どもる人、どもらない人の別なく、幅広い多くの人々と、書くことを通して、吃音やことばについて考えたいと願ったからだ。
 私たちどもる人間は、ことばに苦しんできたと言いながら、ことばを大切にし、ことばについて深く考えてきたかと言えば、こころもとない。
 どもりに悩んだ私たち、人一倍ことばと格闘してきた私たちは、ことばについてもっと関心をもち、それを文章にしていきたいと改めて思う。
 橋本義夫さんの「ふだん記」運動に代わって、私たちの「ことばの文学賞」が発展していくことが、同じ吃音仲間である、橋本さんの遺志を継ぐことになるのだろう。(「スタタリング・ナウ」1998.8.15 NO.48)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/09/22

【ご案内】新・吃音ショートコース〜吃音を切り口にして、生きることを考えるワークショップ

【ご案内】新・吃音ショートコース

 10月8・9日、新・吃音ショートコースを、3年ぶりに開催します。
 吃音を切り口にして、生きることを考えるワークショップです。
 参加者の、話したいこと、してみたいことなど、要望・リクエストに合わせてプログラムを考える、柔軟な企画になっています。ゆっくりと、じっくりと、自分のこと、吃音のこと、生きること、これまでのこと、これからのこと、どもる子どもとの関わりについて、考えてみませんか。「吃音哲学」にどっぷりと浸かりましょう。
 案内文を掲載します。

2022年度 新・吃音ショートコース
  吃音哲学 吃音の豊かな世界へのご招待


 新型コロナウイルスは、医療、教育、福祉、経済、文化、スポーツなど、様々な分野に大きな影響を与えました。私たちも、この2年間、すべての活動がストップしましたが、今年は、3年ぶりに、吃音講習会も、吃音親子サマーキャンプも開催しました。改めて、直接に出会って、相手の表情を見ながら、やりとりをすることの大切さを感じました。
 この間、私たちは、新型コロナウイルスとのつき合い方を学んできました。特徴を把握することができるようになってきたのです。吃音は、新型コロナウイルスのように未知なものではありません。長年の研究・臨床が進んで、対処法は明らかです。これまで学んできた、論理療法、アサーション・トレーニング、交流分析、認知行動療法、ゲシュタルト療法、当事者研究、内観、建設的な生き方、トランスパーソナル、からだとことばのレッスン、笑いとユーモア、サイコドラマなどをもとに、日常生活に、これからの人生設計に、また、どもる子どもの支援にどう活かすかを探っていくことが、今できることであり、しなければならないことなのです。
 新・吃音ショートコースは、現在、どもることで困っていることだけでなく、こう考え、こう取り組めば、より楽しくより豊かに生きることができるという視点から、生活や人生を見つめ直す場にできればと考えています。吃音を切り口にして、生きることを考えていきます。それが「吃音哲学」なのです。
 最初からきちんとしたプログラムができているわけではありません。とりあえずのおおざっぱな流れはあるものの、参加者の希望や要望で、柔軟に企画します。
 今、ここで感じたことを率直に出し合い、対話を通して自分に気づき、他者に気づいていく、そんな時間を共有していただければと思います。
 事前に希望、要望、提案をしていただければ、それに沿ったプログラムを組み立てます。直(じか)の出会いの中で、自分のこと、グループのこと、どもる子どもへの支援のあり方など、生活、人生を振り返り、今後の展望を考えましょう。

日時 2022年10月8日(土)13:00〜22:00
        10月9日(日) 9:00〜17:00
場所 寝屋川市立市民会館
    〒572-0848 寝屋川市秦町41-1 TEL 072-823-1221
       最寄り駅:京阪電鉄「寝屋川市駅」駅 東口下車後、徒歩15分
主催 日本吃音臨床研究会 
    〒572-0850  寝屋川市打上高塚町1-2-1526  TEL/FAX 072-820-8244
参加費 5,000円(宿泊費・食事代は各自ご負担下さい)
     宿泊の場合のホテルは、各自でご予約下さい。寝屋川市駅近くにもありますが、大阪市内、枚方市内でも便利です。
参加申し込み方法 〔樵亜´⊇蚕蝓´E渡暖峭罅´そ蠡亜´ゥ廛蹈哀薀爐砲弔い討隆望や要望 Φ媛擦亡悗垢觴遡筺,魑入し、FAXかはがきでお申し込み下さい。参加申込書を、日本吃音臨床研究会のホームページからダウンロードすることもできます。

※参加費は、当日、受付でお支払いください。

プログラム・内容

8日(土)13:30―15:00 セッション ―于颪い旅場・自己紹介
…新しく出会う人が互いに知り合うと同時に、2日間で何をしたいか出し合い、2日間の計画をみんなで考える時間。

8日(土)19:00―22:00 セッション 発表の広場 
…どもる人本人は自分の体験を、どもる子どもの親は子どもとのかかわりでの体験を、ことばの教室担当者やスピーチセラピストの方は実践を、研究者の方は研究を発表し、参加者全員で分かち合います。ことば文学賞の発表も行います。
 発表希望者は、申し込みのときにご連絡下さい。要項をお送りします。
 ことば文学賞の発表も行います。

9日(日)15:00―17:00 セッションΑ,澆鵑覆埜譴蹐Α▲謄ーチイン
…参加者全員で吃音ショートコースを振り返ります。

そのほかのセッション↓きァ〇臆端圓陵徊召砲茲辰董∩箸瀘てます。

☆公開面接<対話>…今、困っていること、悩んでいること、みんなで考えたいことがあれば、伊藤伸二と対話をして、今の課題を明らかにして、展望を探ります。
 
☆論理療法、交流分析、アサーション、認知行動療法、ポジティブ心理学などのエッセンスを学ぶ…今まで学んできたものを生活に生かす具体的方法を探ります。初めての人もよく分かるように解説します。

☆日本語のレッスン…言語訓練とは違う、日本語のレッスンを体験します。日本語の発音・発声の基本を学び、日常生活の中で使えるトレーニングです。歌を歌ったり、詩を読んだり、芝居のせりふを言ったり、からだを動かし、声を出す楽しさを味わいます。

※当日は、会場特別販売価格で、書籍の販売も行います。

問い合わせ・申し込み先
 日本吃音臨床研究会 〒572-0850  寝屋川市打上高塚町1-2-1526
   TEL/FAX 072-820-8244  
日本吃音臨床研究会のホームページ http://www.kituonkenkyu.org/
伊藤伸二のブログ http://www.kituon.livedoor.blog

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/09/19

東日本大震災の被災地と震災遺構を訪ねる旅 6 土門拳記念館と藤沢周平記念館

東日本大震災の被災地と震災遺構を訪ねる旅 6 土門拳記念館と藤沢周平記念館

宿場町セット十三人の刺客セット 宮古から気仙沼に南下し、そこから日本列島横断の旅に出発しました。向かったのは、秋田県庄内羽黒です。羽黒山、月山、湯殿山を合わせて出羽三山と呼ぶそうですが、そのうちのひとつ、羽黒山のスギ並木の石段、随神門、そして五重塔と神秘的な石段を歩きました。その後は、映画好きな僕には興味ある、スタジオセディック庄内オープンエリアへ。たくさんの映画やドラマを撮った所です。僕たちが観た「十三人の刺客」で使われた宿場町のセットがありました。映画のシーンがよみがえってきました。
土門拳・藤沢周平記念館 翌日、以前から行きたかった、土門拳記念館へ行きました。―ヒロシマ・ナガサキ―江成常夫と土門拳 の特別展がありました。土門拳の作品には、よく子どもが登場します。「筑豊のこども」、「江東のこども」などで、子どもの屈託のない表情が印象的でした。今回の―ヒロシマ・ナガサキ―でも、子どもが出てきます。今回の―ヒロシマ・ナガサキ―では、被爆した女性たちのケロイドを、憤怒に震え、泣きながら撮ったそうです。皮膚移植手術の様子は、見るのが怖くなるくらい詳細でした。胎内被爆の子は白血病に苦しんでいましたが、その子のうつろなまなざしに、戦争の不条理と原爆の無慈悲を感じました。彼の、平和への強い願いが表れていました。ヒロシマの原爆記念館に収めて欲しい写真です。
 映像があって、見ましたが、映像の中の土門拳さんは、どもっているようにみえました。土門拳さんがどもるということは聞いたことがあるのですが、映像を見たのは初めてでした。吃音は、51歳の時の脳出血の後遺症だと思っていましたが、そうではなかったようです。
藤沢周平記念館のみ藤沢周平記念館の前で 伸二 その後、藤沢周平記念館に行きました。藤沢周平さんには、大阪教育大学の5日間の集中講義の時、「吃音を治す努力の否定」についてどう思うか、アンケートをお送りしたことがあります。その時、丁寧にお返事をいただきました。記念館には年譜がありましたが、そこにも、ちゃんと、「この頃、吃音に悩む」と書いてありました。
藤沢周平年譜 藤沢周平さんが、「他者を理解できる人に」とのタイトルで、新成人に向けて書いた文章がありました。

      他者を理解できる人に
 一度しかおとずれない青春です。この時期にスポーツ、恋愛、仕事、何でもいいから、自分のやりたいことに思いっきり挑戦してみてください。失敗をおそれる必要はありません。失敗こそ奥行きのある人間をつくるのです。しかし、やりたいことをやるといっても、他人の迷惑を考えない自己中心的なやり方をするのは大人とは言えません。どうか他者の存在を理解できる人になってください。…

 偶然ですが、二人の吃音の先輩の記念館を同時に訪ねたことになります。

 長かった東北への旅もそろそろ終わりに近づきました。大阪へは、日本海沿いを南下しました。日本海東北道から北陸道を走り、金沢で一泊しました。金沢まで来ると、ああ、帰ってきたと思いました。今回は、宮城・岩手が中心だったので、次回は、福島に行きたいと計画しています。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/09/18

東日本大震災の被災地と震災遺構を訪ねる旅 5 石巻市震災遺構大川小学校

東日本大震災の被災地と震災遺構を訪ねる旅 5  石巻市震災遺構大川小学校

大川小学校2大川小学校 大川小学校3大川小学校校歌大川小学校展示女川町で、今野順夫さんにお会いし、阿部莉菜さん、容子さんのお墓参りをして、女川つながる図書館に行った後、車を石巻市に走らせました。ぜひ、行きたかったところがあります。それは、石巻市震災遺構大川小学校です。すぐそばを北上川が流れていました。学校は、低い土地に建っていました。地震発生が14:46、大津波警報が出されたのが14:52、そして実際に津波が到達したのが15:37でした。約1時間、子どもたちは、運動場で、高台に避難するよう呼びかける放送を聞きながら待機させられていたのです。
なぜ?と思ってしまいます。「山へ逃げよう」と先生に訴えた子もいたと聞いています。実際に行動した子もいたと聞きました。
 パンフレットには、こう記されています。
大川小学校パンフレット    町がありました
    生活がありました
    いのちがありました
    子どもたちが
    学び 遊びました
  石巻市の市内も走りました。石巻には、震災2年後に訪れています。町の真ん中に、家の屋根の上に船がひっくり返っていました。川の近くにある石ノ森章太郎の漫画館にも行きましたが、その日はちょうど休館日でした。町はまだまだ寂しい感じがしました。そこに確かにあった生活、戻るのは難しいようです。大川小学校についてなど、震災関連ではは書きたいことがありすぎて、これ以上は書けません。東日本大震災の被災地と震災遺構を訪ねる旅の記事を終えるにあたって、旅のきっかけになった、阿部莉菜さんのことを紹介した、NPO法人全国ことばを育む会発行の「吃音とともに豊かに生きる」の一部分を紹介します。
 
防災教育と吃音    「吃音とともに豊かに生きる」P.32より 

 被災地では、「釜石の奇跡」と呼ばれる「防災教育」が成果をあげました。大きな津波を経験している三陸地方では、家族てんでんばらばらに逃げて生き延びる「津波てんでんこ」が言い伝えられています。これを防災教育に生かしたのが釜石市です。群馬大学の片田敏孝教授の徹底した教育を受けた子どもたちは、学校の管理下になかった5人をのぞいて、市内の小・中学生およそ3000人全員が無事に生き延びました。子どもたちは、「日頃教えられたことを実践したに過ぎない。奇跡ではなく、実績だ」と話します。防災教育が徹底された地域とそうでない地域の大きな差は、教育の力の大きさを表しています。
 どもることは何の問題もありません。吃音を否定し、劣等コンプレックスに陥って、吃音は単なる話しことばの特徴から、取り組まなければならない課題へと転じます。まだ子どもが吃音を否定していない場合でも、否定するとどのような問題が起こるか学んでおく必要があります。吃音の取り組みは、防災教育に似て、予防教育だとも言えると僕は思います。
 吃音親子サマーキャンプに、宮城県女川町から3年連続して参加した4人家族がいました。小学6年の阿部さんは、6年生になっていじめに合い、不登校になりました。その辛さを僕のグループで泣きながら話しました。90分の話し合いで、顔が晴れやかになり、翌朝の作文教室で「どもってもだいじょうぶ!」と作文に書きました。すぐに学校へ行くようになり、その後もキャンプに参加して、将来の明るい夢を語り、仙台の高校に入学が決まっていたのに、お母さんと一緒に逃げ遅れて亡くなりました。彼女のことは決して忘れないでおこうと、その後の講演などで、作文を紹介しています。

   どもってもだいじょうぶ!
                         小学6年 阿部莉菜
 私は学校でしゃべることがとてもこわかったです。どうしてかというと、どもるから。しゃべっていて、どもってしまうと、みんなの視線が気になります。そして、なんだか「早くしてよ!」と言われそうで、とってもこわかったです。なんだかこどくに思えました。でも、サマーキャンプはちがいました。今年初めてサマーキャンプに来てみて、みんな私と同じで、どもってるんだ、私はひとりじゃないんだと思いました。そして、タ食後、同じ学年の人と話し合いがありました。そのときに思ったのは、みんな、前向きにがんばってるんだ、なのに私はどもりのことをひきずって、全然前向きに考えてなかった。そのとき、私は思いました。どもりを私のとくちょうにしちゃえばいいんだ。そのとき、キャンプに行く前にお父さんに言われたことを思い出しました。どもりもりっぱな、いい大人になるための、肥料なんだよ。そうだ、どもりは私にとって大事なものなんだ。そういうことを昨日思いました。今日、朝起きたときは、気持ちが楽でした。まだサマーキャンプは始まったばかりだと思うけど、とても学校などでしゃべれる自信がつきました。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/09/16
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